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第四十三話 岡崎城での日々 その二(虎松、頑張る)

書けたので投稿してしまいました。


家康が奥方の瀬名の方と共に居城を浜松城に変えるのに合わせて竹千代と共に浜松城を訪ね、今川の動きを見張りつつ武田と対峙していた大久保忠世をはじめ大須賀康高、榊原康政などの東三河で守りを固めていた三河衆と面会した後、遠江は井伊谷の国人、小野但馬守道好に懇願され岡崎城の帰路の途中で東三河の鳳来寺に寄り、井伊谷を治める井伊家の井伊次郎法師直虎とその養子・虎松と面会した俺は虎松を竹千代の側仕えにするのに合わせ、井伊家を乗っ取ろうとした奸臣を装いながら虎松や井伊谷を守ろうとしていた小野但馬守道好の名を小野和泉守政次に改めさせて家臣に引き込んだ。

今川が治める駿河国と武田が支配する信濃国に挟まれた遠江の井伊家で起きたお家騒動は、強国の間でその動向に翻弄される小領主には見られる出来事で、一々関わり合いになるような事ではなかったものの、主家を守るため汚名を被り己の命を捨てる覚悟をみせた小野但馬に上手く乗せられた感は否めないが、まぁ可もなく不可もなくと言った所だろう。

 虎松と小野和泉守政次を供に加え、俺たちは岡崎城に戻ると再び登誉住職の手習いに平八郎からの槍や馬の稽古などに取り組みつつ、家康から岡崎城を譲られることになった竹千代や城代を勤める酒井小五郎忠次の話を聞きながら岡崎城を中心とした西三河の地を治める手伝いをし、日々を過ごしていた。


鳳来寺から岡崎に移った虎松と和泉守だが…和泉守に関しては特に言及することは無く、先任の半兵衛と利久の下で淡々と日々を送っている様だ。

元々、井伊家の家老職として対今川外交を一手に引き受けていた事からその手腕を買っていたため、常に俺の傅役(お目付け役)として傍らに居る半兵衛よりも、利久の下で働くことが多く細々とした雑事を片付け、岡崎での人質生活(?)が恙無く送れるようにしてくれていた。

 一方、虎松はと言うと俺の勧めで竹千代が側仕えとしたものの、これまで竹千代に仕えていた側仕え(小姓)たちと不和となり、鬱々とした日々を過ごしている様だった。

虎松は井伊家の嫡男として産まれたものの、父を今川刑部大輔に謀殺されてからは養母の直虎に引き取られることとなり、幼い内から両親の元を離れての生活を余儀なくされた。その為、己の感情を抑えることが苦手で粗暴な面がみられた。

しかも、刑部大輔の目を逃れるため鳳来寺に預けられると、山寺の境内はもとより周辺の山々を駆け回って木の枝などを木剣の代わりに振り回していたこともあって、小姓たちは竹千代と共に剣術の稽古などはしていると言っても山野で鍛えられた虎松に敵わなかった。

新参者の虎松に剣の腕で後塵を拝することとなった小姓たちは、剣術以外の場で意趣返しをしようと、竹千代の前で虎松に恥を掻かせようとした。

初めのうちは井伊谷の領民の為と思い小姓たちの嫌がらせに耐えていた虎松だったが、それが二度三度と続くうちに我慢も限界に達しつつあった。そして…


「これまでは井伊谷の領民の事を思い耐えて参ったが、それもこれまでだぁ!」


そう怒声を上げた虎松は同輩の側仕えの小姓たちに拳を揮い、その場に打ち伏せた。


事の起こりは久しぶりに共に剣術の稽古がしたいという竹千代に誘われ、本丸御殿の庭で卜部三衛門の稽古を終えて竹千代の部屋に招かれた時の事だった。

剣術の稽古で喉が渇いている俺と竹千代の前に虎松が熱々の棒茶を注し、出して来た。茶碗が持てないほど熱い棒茶に、竹千代は顔を顰め、


「虎松。いくら茶筅様がお好きな棒茶とはいえ今は稽古終わりで喉が渇いているのだ。先ずは茶筅様に喉を潤していただくように水か棒茶を少し冷ましたものをお出しする配慮を身につけるように。」


と苦言を口にすると、虎松は一瞬驚きの表情を見せた後、顔を真っ赤に紅潮させ、


「申し訳ございませぬ。茶筅丸様は殊の外棒茶を好まれるとお聞きしたもので…失礼を致しました。すぐに別の物をご用意いたします。」


そう言って差し出した棒茶を下げようとすると、その虎松の動きに合わせるようにして別の側仕えの者が進み出て、


「遠江の粗忽者が失礼を致しました。こちらをお召し上がりください。」


と、水の入った茶碗を差し出した。竹千代に対しては神妙な顔をしていたものの俺に茶碗を出す段になって気が緩んだのか、その顔には嫌らしい笑みを浮かべ横目で竹千代の苦言によって面目を失い恥辱に耐える虎松をチラチラと見ていた。その様子から、虎松はこの者から何か吹き込まれ熱々の棒茶を出したのだと気付き、出された水の入った茶碗を横に除けて、


「確かに喉を潤すに冷えた水は甘露であろうが、体を動かした後すぐに冷えた水を飲むと胃腸に悪いと聞いたことがある。某はこちらの棒茶を頂こう。」


そう告げて、熱々の棒茶に息を吹きかけ冷ましながら飲み、


「う~ん。これは良く沸かした湯で淹れてありまするな。ですが、体を動かした後に熱い棒茶というものもなかなかに好きものでござります。虎松殿、良き茶でござりましたぞ。」


ニコリと笑みを浮かべながら虎松を労うと、それまで顔を赤く染めて屈辱に耐えていた虎松は俺の言葉に一瞬驚きの表情を浮かべた後、その言葉で面目を施したと感じたのか強張っていた表情は幾分緩んだ様に見えた。しかし、そんな虎松に水入りの茶碗を持って来た側仕えがボソリと、


「竹千代様にお仕えする身でありながら質(茶筅丸)に情けを掛けられるとは、軟弱者めぇ!」


と、吐き捨てるのを聞いて、我慢の限界に達した虎松は竹千代の目の前で同輩を打ち伏せたのだった。

事情はどうあれ暴行に及んだ虎松はその場にいた家臣(大人)たちによって即座に取り押さえられ、荒縄で縛り上げられた。

この話を耳にした虎松の後見である平八郎は血相を変えて本丸御殿にある竹千代の部屋へと駆け込んで来て、縛り上げられ神妙にしている虎松を見るなり、


「虎松ぅ!この愚か者がぁ。」


と怒鳴りつけると平手で虎松の顔を張り飛ばした後、竹千代の前に平伏し、


「竹千代様、此度の虎松の不行儀まことに申し訳ござりませぬ。拙者がこの者に良く言い聞かせ今後このような事が無い様に致しますので平にご容赦くださいませ。」


と許しを請うたが、そんな平八郎の申し出に対し虎松に打ち伏せられた側仕えやその同輩たちは口々に虎松を庇う平八郎に対し文句を口にした。


「平八郎様!何故その様な遠江の粗忽者を庇い立ていたすのです。」


「その通り!その様な粗忽者は竹千代様の御側になど不要。早々にお役を解き遠江に追い返すが肝要!!」


「然り然り。竹千代様のお側には三河の者だけで十分にご座ります。更に申せば、虎松の領地である井伊谷は女地頭が治めているとか。その様な地であれば其処な粗忽者でも容易に治められましょう。早々に立ち戻り己が領分を果たせば良いのです!」


次々と口にする側仕えたちの讒言に、虎松は縄で縛られながら側仕えたちを睨みつけたが、平八郎は讒言は耳に入っていないか竹千代の前に平伏したまま微動だにしなかった。そんな平八郎と騒ぐ側仕えたちに視線を動かした竹千代は、小さく溜息を吐くと、


「平八郎、面を上げよ。」


と顔を上げるように促し、平八郎が竹千代の顔を見上げるのを待って、


「平八郎。此度の虎松の所業、甚だ好ましからず。後見としてきつく仕置きし、某の側仕えとして何処に出しても恥ずかしくない者とする様に務めよ!」


そう申し付けた。竹千代の言葉に平八郎もそして縄に縛られたままの虎松も一瞬何を言われたのか分からなかったのか呆然としていたが、再度竹千代が「良いな!」と念押しをし、弾かれる様に再び平伏して、


「はっ!必ずや竹千代様の御側に仕える者として恥ずかしくないように身を律する術を身につけさせまする。」


と告げると、そんな平八郎の言葉に合わせるようにして虎松も縛られたままで、身を正し額を床に打ち付けるようにして平伏した。そんな二人の姿に竹千代はニコリと笑うと俺の方を見て、


「茶筅様、お見苦しき所をお見せいたしました。


謝罪の言葉を告げて来た。俺はそんな竹千代に苦笑しながら、


「なんの。この程度の事どこの家中でも多かれ少なかれ起きることにござりましょう。気には致しませぬ。では某はお暇いたします。」


と返し、立ち上がり一歩二歩部屋の外へと歩を進めて後、さも思い出したように一言付け加えた。


「小姓とは、戦の際には主の盾となって死ぬ覚悟を持って仕えるものと聞いておりました。その小姓となるであろう側仕えが奸計を用いて同輩を貶めるとは、その様な者にはとても小姓のお役など務まりますまい。それが分かっただけでも此度の騒ぎは竹千代殿にとっては良き事にござりました。」


その言葉を残し部屋を去った俺の耳に、竹千代の部屋から俺の事を誹る側仕えの言葉が届いた。

 

 後日、長柄の稽古に出向いた際に平八郎から聞いた話によると、俺が部屋を去った後で俺が残した一言に憤り、誹る言葉を口走った側仕えはその場に竹千代から叱責されて即座に側仕えの職を降ろされ、竹千代の判断に異を唱えた残りの側仕えたちも職を解かれることとなり、結果的に虎松だけが側仕えとして竹千代の元に残ることとなったそうだ。

もっとも、竹千代の側仕えが虎松一人では何かと不都合が多く、虎松への負担も大きいため直ぐに別の者が側仕えに選ばれたそうだが、先任者は虎松一人だったため虎松を遠江の者として蔑む者はおらず、虎松も後から側仕えとしてお役に就いた者たちに懇切丁寧にお役の仕事を伝え、剣や槍の稽古ではその力を発揮したことで新しく同輩となった者たちからは一目置かれる存在となったようだ。

 同輩から認められるようになった事で虎松の心の中に張り合いや気構えが産まれたのか、以前の粗暴な様子は鳴りを潜め同輩の模範とならんと精進していったことで、竹千代からも信を置かれるようになる。

後見役の平八郎とは父と子の様な関係を結び、平八郎の息子や娘には兄と慕われるようになっていった。


という事で、岡崎での虎松の事をお送りしました。

本当は数行で話を先に進めるつもりだったのですが、書いている内に止まらなくなり一話分使う事になってしまいました。

こうなってくると、虎松は竹千代と共に今後も登場する事になりそうです。でも、赤備えの鎧を付けさせる予定はないんですよねぇ。史実の異名『井伊の赤鬼』が使えないんですが…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 三河武士って徳川政権によって美化されまくっているけど、彼等も典型的な室町人なんだよね〜 思いっきり反乱しまくるし、家康は良く生きてたってレベルの前半生だし······ [気になる点] 竹千…
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