第四十一話 井伊直虎と虎松そして小野道好 その二
予想以上に長くなってしまいさらに分割する事に…
前回の続きの・その二 です。
「お待ちくださいませ平八郎様!私共には茶筅丸様・竹千代様に害を成そうなどと大それた考えを持ってなどおりませぬ。ただただ人目を気にしての無作法にてお許しくださりませ!!」
笠を取った但馬守の供としていたのが、井伊谷の女領主・井伊次郎法師直虎と知って徳川の者たちも半兵衛も驚きの表情を浮かべた。そんな中、蜻蛉斬りを突きつけた平八郎は笠を取り顔を見せた直虎に慌てて槍を背後に回して片膝をつき、
「こ、これは次郎法師殿ではござらぬか…」
と返したもののそれがやっとの事で、竹千代や俺の身を案じてのこととはいえ女性に槍を突きつけたことを恥じそれ以上言葉を続けることは無かった。
「但馬守殿これは如何なることにござりましょうか?井伊谷のご領主殿迄お出ましとは、徳川に臣従を決められたとはいえここは既に遠江と三河の境を越えておりますぞ。ご領主殿が不用意に国境を超えると言うのは如何なものかと思われまするが」
言葉を失った平八郎に代わり俺が代表して何故この場に井伊谷の領主である直虎が居るのか問い質すと、但馬守は直虎を横目でチラリと見てから小さく溜息を吐き口を開いた。
「は~。拙者も次郎法師様にお控え頂ける様にと申し上げたのですが、どうしても事の仕儀を見届けたいと申されまして…」
「事の仕儀を、ですか。それだけこれから案内される地には井伊家にとって大事なお方が居られるという事なのですね。仕方ありません、ですが話は但馬守殿から聞くことと致します。女地頭殿は事の仕儀を見届けるため同行を希望されておられるのですから口出しはお控えください。同道のご家来衆もそうお心得下さいませ。よろしいですね!」
そう告げると、直虎は頷き俺の言葉に同意したものの後ろに控える家来たちは納得がいかなかったのか、ゴニョゴニョと何か小声で話し合っていたがその中の一人が、
「畏れながら、我らの同道を許していただけたこと有難きことながら、但馬守殿からしか話を聞かないというのは…」
と難色を示した。そんな井伊谷の者たちに俺は平八郎よりも大きな怒声を浴びせた。
「誰が貴様らまで同道を許すと申した! この話、そもそもが己の命を懸けて直談判に及んだ但馬守の心意気を汲んで俺は受けることとしたのだ。井伊谷の領主である次郎法師殿ならばいざ知らず、命を懸け話を通した但馬守を愚弄するような輩を同道させると思うてかぁ!!」
元服前の童と侮っていた俺が、剛の者と一目置かれる平八郎をしのぐ怒声と威勢を示したことで驚いて腰を抜かす井伊谷の国人たち。そんな者たちの姿を見て直虎が慌てて声を上げた。
「お許しくださいませ茶筅丸様!この者たちも決して但馬守を愚弄した訳ではござりませぬ。ただ、これからご案内する場にはこの後の井伊谷の行く末を背負う者がいるのです。この者たちはその者の事を思い口さがない言葉を口の端に乗せてしまったのです。どうかお怒りをお鎮めいただきこの者たちの同行をお許し下さりませ!!」
そう言うと、その場に地面に額を擦り付けるように平伏した。そんな直虎の姿に腰を抜かしていた国人たちも直虎に倣うように平伏し許しを請う言葉を口にした。その姿にどうしたものかと視線を動かすと、
「茶筅様、この者たちも切羽詰まっての事にござりましょう。ここはどうか御寛恕いただけませぬか。」
そう言って井伊谷の国人たちに助け船を出したのは竹千代だった。その事に思わず驚いてしまったのだが、その事が表情に出たのか竹千代はクシャリと表情を崩し、
「某にも苦い記憶として残っておりまする。切羽詰まった時、人は己でも思いも掛けぬ愚かな事をしてしまうものにございます。井伊谷の国人たちはこれまで今川や斯波に吉良、松平と様々な有力者の者たちに翻弄されて来たことにござりましょう。そして、此度も今川に武田そして我が徳川の争いの渦中に巻き込まれ如何に“家”を残すのか奔走したに違いありませぬ。そんな中、但馬守殿は茶筅様に一縷の光明を見出した。しかし、余の者たちはその動きを独断専行と感じたやもしれませぬ。そんな国人の言葉や心の動きが某には分かる様な気がするのです…」
そう語る竹千代の言葉に俺は己の物言いが如何に傲慢であったかを思い知らされた。
「ふふふ、これは竹千代様に一本取られましたな茶筅丸様。」
俺が竹千代の言葉にハッとした顔をした途端、傍らに控えていた半兵衛がすかさず追撃を加えて来た。俺が半兵衛の言葉に悔しさのあまり睨めつけると、そんな俺に半兵衛は満面の笑顔を返して来た。
そんな俺と半兵衛のやり取りに、金言を口にした当の竹千代が余計な事を言ったと思ったのか俺と半兵衛の間に視線を彷徨わせ、オロオロし始めていた。
「竹千代殿。良きご助言をいただき恭悦に存じまする。どうやら某が言葉が過ぎた様でございましたな。」
そう竹千代に礼を告げてから、再び直虎や井伊谷の国人たちに向き直った。
「失礼を申しました、どうかお許し下さりませ。ですが、但馬守の行動には私心は無く偏に井伊谷を思っての事と某は推察いたしました。その事だけはお心に御留めいただきたく存じまする。
では但馬守殿、案内をお頼み致します。」
俺の言葉に直虎をはじめ井伊谷の国人たちは一様に安堵の表情を浮かべ、但馬守は俺と竹千代の顔を一瞥し一瞬だけ表情を緩めたが直ぐにいつもの能面の様な表情に戻すと、
「案内いたしまする。こちらに…」
そう告げると一行の先頭に立ち歩き始めた。但馬守に案内された先は、後に武田と織田・徳川連合軍との激戦地となる長篠城からさらに北上した設楽郡の山中にある山寺・鳳来寺だった




