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第三十八話 三河国探訪 その二


「さてもさても“たわけ様”の目は誤魔化せませぬなぁ。では、一つ話を聞いてもらう事に致しましょう。この寺より矢作川を下った先に天竹と呼ばれる郷があるのですが、その周辺に細々と“綿”を作っておる者たちがおるのです。その者たちに何か良い知恵を授けていただけぬかと思いましてなぁ。如何でございましょうか?」


実相寺の和尚からの言葉に俺は思わず和尚に詰め寄っていた。


「和尚!“綿”を作っておる者たちを知っておられるのかぁ!?」


「お、おぉ。何やら“たわけ様”は綿に興味がおありのご様子、これは正に『渡りに船』と言うものにございますなぁ。」


俺の食い付きに面食らったものの、流石は年の功というべきか和尚は身を正しにこやかな笑みを浮かべて話を続けた。


「天竹の郷は平安の御代に三河の海岸に漂着した者を助けたそうにございます。

その者は天竺から来た崑崙人だと申して、持っていた綿の種を助けた者に対価として与えたのだそうで、その崑崙人をお祀りした地蔵堂があり、周辺では長らく綿を作り続けて来たそうにございます。ですが、綿はあまり使い道がなく近年では作る者も減り廃れているとの事。たわけ様はなかなかの知恵者とお聞きし今目の前でそのお力のほどを見させていただきました。是非、茶筅丸様の御力をお貸しいただき平安の御代より伝わる“綿”を活かす道をお示しいただけぬかと思いましてなぁ。」


一気に喋ると俺に深々と頭を下げて来た。

しかし、ここで綿の情報を手にする事が出来るとは、正に『瓢箪から駒』とはこの事だろう。

綿は和尚の言う通り平安の頃には日ノ本に渡来していたが、その栽培が盛んになったのは江戸時代に入ってからだった。

その用途は多岐にわたり、衣服に始まり漁網に帆船の帆にも使われる。戦国の世であれば万能資材と言っても過言ではない作物だ。南蛮船を造るとすればその帆にも重要だし、何よりも小氷河期に入っている戦国時代の寒い冬をしのぐためにも布団や綿入りの半纏などの綿を使った産物は是非とも手に入れたい物の一つだった。

とは言え、問題が無い訳でもない。綿は肥料食いの作物としても有名で乾燥には強い物の肥料分が必要となり、江戸時代には干鰯や鰊粕などが施され栽培されていたが、争いが多く食料が乏しい戦国の世では食料にならない綿を栽培しようとする者は少なかったことだろう。

だが、織田家のような商業を通し、銭を稼ぐことで国を富ませ民を養う事が出来る国では、綿を栽培する事でより大きな利を産むことが出来る。

もし、崑崙人が漂着した地が三河の天竹ではなく尾張にあったなら、綿の栽培はもっと早く盛んになったのではないだろうか。

前世の記憶を持つ俺にとって、綿はこの戦国の世を生き抜く上で椎茸と共に金になる金の卵。三河に来たなら是非手に入れたい物だった。

それが、初めて城から出る機会に恵まれて早々に情報を得られるとは思ってもいなかった。


「和尚様、頭をお上げください。某如きの知恵が如何ほど迄にお役にたてるか分かりませぬが、先ずは現物を見させていただきとうございまする。お手数ではございますが、ご案内いただけましょうか?」


喜色が表情に浮かばぬように努めて和尚に天竹への案内を頼むと、和尚は一も二もなく承諾してくれた。

 和尚の案内で天竹に向かうと、ちょうど時期が良かったのか綿の収穫期に入っていたようで、民家の軒先に収穫したばかりの綿が置かれていた。

そんな民家の一軒に和尚は俺を案内し、声を掛けた。


「あいすまぬ!庄屋殿は居られるかな。」


「あれぇ、実相寺の和尚様ではねぇですか。」


和尚の声に民家の中から一人の男が顔を出すと和尚と顔見知りだったのか笑いながら返事を返した。


「庄屋殿、今年も綿がたんと取れた様にございまするなぁ。」


「まぁ、こっただ食えねえ物でもこの土地に代々受け継がれて来た物だで、絶やす訳にも行かねぇからな。そっただ事よりも和尚、そちらの御方達は何方様どなたさまだぁ?」


和尚が軒先に置かれた綿の事を話題にすると、庄屋は苦笑いを浮かべながらも代々受け継がれてきた物が今年も無事に収穫できたことが嬉しいようだった。そして、和尚の後ろにいる俺たちを見つけると少し畏まったような物言いで何者かを訊ねて来た。


「庄屋殿、こちらの御方は尾張の織田様の御子息で茶筅丸様と申される御方じゃ。この方はまだ若いにも拘らず拙僧らの知らぬことを知っておられる。庄屋殿も拙僧の寺の近くの者たちが茶を作っておる事は知っておろう。その茶を作る際に捨てておる茶の葉脈や茎を捨てることなく使う方法をお教え下されたのじゃ。それで、庄屋殿が作っておる綿も何かに使える様にならぬものかと庄屋殿のもとへお連れしたのじゃよ。」


和尚はそう言って俺を庄屋に紹介したが、庄屋は俺の頭の天辺から足の先まで舐めるように見ると疑いの目で和尚に、


「和尚様。そんな癲狂てんごう(冗談)を言うものではねぇ、こっただ童が和尚様も知らねぇ綿の使い道なんて知っているはずがねぇべやぁ」


と言い放った。そんな庄屋の言葉に和尚は慌てて口を塞ごうとしたのだが、和尚よりも早く平八郎が庄屋の胸ぐらを掴み声を上げていた。


「貴様ぁ、茶筅丸様に対し何たる無礼な態度を取るかぁ!」


「ひぃぃ。お許し下せぇお侍様ぁぁぁ」


平八郎の剣幕に悲鳴を上げる庄屋。和尚も平八郎を諫めようと庄屋の胸ぐらを掴む手に縋りつく様にしながら、


「へ、平八郎様。岡崎の御城下ならばいざ知らずお城から離れた地では茶筅丸様の事を知る者など滅多に居りませぬ。その事を勘案いただきまして何卒お許し下さいませ!」


と間に入ろうとしたが、屈強な平八郎に齢を重ね御年老いた和尚がすがりついたところでびくともしない。その様子に俺は小さく溜息を吐きスッと平八郎に近づくと、庄屋の胸ぐらを掴む手に手を重ねながら、


「平八郎殿、某の為にお怒りくださいますな。誰でも某の姿を見れば童と思うのは当たり前にございます。」


と、割って入った。俺に手を重ねられながら宥められた平八郎は、羞恥からな頬を赤らめ即座に庄屋から手を放し、その場に片膝をついた。


「茶筅丸様、取り乱し醜態をお見せいたしました。申し訳ございませぬ。」


「なんの、平八郎殿が某の事を思ってのこと。ですが乱暴な振舞いをしてしまった庄屋殿には許しを請うてくださりませ。」


俺に対して謝罪の言葉を口にする平八郎に、俺よりも庄屋に謝るように告げると、平八郎から解放され地べたに座り込んでいる庄屋の方に体を向けると、


「庄屋。つい頭に血が上がってしまい無体を働いた、許されよ!」


「い、いやぁ。とんでもねぇワシが下らねえことを口の端に乗せたのが悪かったんだぁ。したども、こん童の肝は太かなぁ。こっただ厳めしかお侍様を宥められてまうんだから。ワシゃぁ魂消ただぁ。」


と庄屋は掴み掛った平八郎よりもそれを宥めた俺に驚いたようだった。そんな庄屋の様子を見て和尚がすかさず、


「そうじゃろう庄屋殿。こちらの茶筅丸様はまこと大した御方なのじゃよ。どうじゃ、綿について話を聞かせてもらったら。茶筅丸様ならばきっと良い知恵をお持ちじゃ。」


そう言って俺の話を聞くように勧めると、今度は庄屋も拒否することなく


「そだ、はじめから和尚様の勧めのってればこんな騒ぎにもならなかっただ。ほんに申し訳なかことだども、茶筅丸様の御話を聞かせて貰えんだべかぁ。」


とようやく話を聞く気になってくれた。

そこで、綿は幾つかの工程を経て加工しなければ使えないものの、利用価値が大きい作物で加工も手間と労力を惜しまなければそれほど難しいものではないと話し、手始めに綿から種を取り除いて良くほぐしてゴミなどを取り除いてから、縫い合わせた布の中に詰めた綿布団や着物を二重に縫い合わせその間に綿を入れた半纏などを作り、岡崎城まで持参するように申し付け、持参した時には他の加工方法も教えると言うと、庄屋は大喜びで必ず綿布団と綿入り半纏を持って行くと約束した。


約束した通り、庄屋は綿布団と綿入り半纏を岡崎城に持参したが、その頃には都から家康も帰参しており、綿布団と綿入り半纏の温かさに驚いていた。

俺は庄屋との約束通り、綿を紡ぐ為の道具として木の台座に竹の櫛を刺して作った刷子はけ(ブラシ)や糸車などを用意し、綿から綿糸が作れることを教え、そのお返しにと庄屋から綿花の種をもらい受けた。

 綿の利用価値は家康の知る所となったが、駿河に攻め入ろうとする武田の動きから目を放す事が出来ない家康は、綿の扱いを岡崎城城代の酒井小五郎忠次と竹千代に任せた。

小五郎と竹千代は俺が質として岡崎に滞在する間に綿の利用法について教えを乞い、岡崎を中心とした西三河で綿の栽培と加工を広げ、徳川家を経済面から大いに支える事となる。

そして、綿の加工と流通をきっかけに史実では米を基軸とした石高制経済から脱却出来ず、流通経済から目を背けた徳川家も、織田家と同じく産物の売り買いを通じて銭を得る流通経済に移行して行くこととなった。


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[一言] これは正に『渡りに船』と言うものにございますなぁ。 「わた」だけに(^^)
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