第三十七話 三河国探訪 その一
岡崎に来て三か月が経ったある日、俺は次の行動を起こすべく平八郎を通じ城代の小五郎に面会を求めた。
通常であれば人質である俺が面会を求めたところでそう簡単に応じてはくれないのだが、この三か月で俺に対する三河衆の対応が激変していたため、平八郎に面会の仲介を求めたその日の昼には城代の小五郎がわざわざ俺の部屋に出向いて来た。
「茶筅丸様、何か某にお話があると平八郎から伺いましたが何かござりましたか」
柔和な笑みを浮かべる小五郎に対し俺は頭を下げ、わざわざ俺の部屋まで出向いてくれたことに謝罪する事から話を始めた。
「本来ならば某が出向かねばならぬ所を、御城代である小五郎殿にわざわざ某の部屋にまで足をお運びいただきかたじけのうございます。話というのは、某が常日頃から飲んでおります“棒茶”の事にございます。」
「“棒茶”とは一体…」
俺が口にした“棒茶”という言葉に頭を捻り困惑顔となる小五郎に対し、俺は寛太に目で合図を送ると、寛太は用意しておいた棒茶を入れた茶碗を俺と小五郎の前に置いた。俺は寛太の動きに合わせて、
「こちらにご用意いたしましたのが棒茶にございます。どうぞお召し上がりくださいませ。」
そう言いながら俺も目の前に置かれた茶碗に手を伸ばすといつもの様に棒茶を口にする。そんな俺の様子を見て、小五郎も恐る恐る茶碗に手を伸ばし口元にまで運ぶと、
「おぉ!これは何とも芳ばしい香りにございますなぁ、何やら心が落ち着く様な気がいたします。」
そう言う小五郎の顔は茶碗に手を伸ばした時に浮かべていた硬い表情が、言葉の通り少し解れた。
「ほ~ぉ、これは茶にございますな。茶など殿と共に駿河で幾度か口にしたことがございました。しかし、その際にいただきました茶とは随分と趣が異なりまするが、某はこちらの物の方が好みでございます。これが“棒茶”にござりまするか?」
そんな感想を口にする小五郎に俺はニッコリと笑い、
「この棒茶は小五郎殿が駿河で口にされたという茶を作る際に廃棄される茶の葉の茎を集め、某が焙じた物にございます。尾張に居た頃から安城の商人を通じ、茶を作る工程の中で廃棄される茎を譲っていただき嗜んできたのですが、茶の茎が底を尽きてしまいまして、安城に赴き茶の茎を仕入れたいと…」
「お任せくださいませ、安城で茶を作っているという話は耳にしております。早速、人を遣わし手に入れるよう手配いたしましょう。」
俺が話し終わる前に小五郎は棒茶に使う茶の茎を入手するように手配をすると言ってくれたが俺は首を横に振り、
「出来ますれば某が安城に赴き、茶を作っている者と話をしたいと思っているのです。それで、岡崎のお城から出る許可を御城代殿にいただけないかと…如何でございましょうか?」
そう願い出ると、小五郎は俺の言葉に表情を曇らせ考えを巡らしていたが、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「茶筅丸様にお恥ずかしい話をせねばなりませぬ。
安城には数年前に起きた三河での一揆を先導した一向衆の寺・本證寺がございます。一揆は収める事が出来申したが本證寺は未だ力を持ち、彼の地に住む者たちの中には未だ当家に恨みを抱く者もおりまする。その様な地に織田様よりお預かりいたしております茶筅丸様を赴かせ、万が一にも茶筅丸様の御命を縮める様な事があれば、某が腹を切ったとて許されぬ仕儀となりましょう。安城へ赴く事はお諦めいただきとうございまする。」
と安城に行く許可は出せないと告げた。そんな小五郎に俺はにじり寄り再考をお願いした。
「確かに、数年前に本證寺と御当家(徳川家)との間の諍いから一揆が起きたことは某も知っております。三河衆の中からも一向宗を信仰する者たちが一揆側につき争ったことも。されど、本證寺とは和解し、一揆側についた三河衆もその多くが御当家の元に戻られたとも聞いております。今さら御当家に弓を引くような真似をする者が居るとは思えませぬ。しかも、某に害を加えれば御当家だけではなく尾張と美濃を治める織田家までも敵に回すこととなります。そうなれば本證寺も和解で済むとは思いますまい。いくら思慮の足りぬ者たちとは言え、下手をすれば寺の破却となりましょう。その様な愚を犯すとも思えませぬ。どうかお許しいただけないでしょうか!」
俺の懇願に唸り声をあげる小五郎。そんな小五郎に対し部屋の隅に控えていた平八郎が声を上げた。
「小五郎殿。拙者が茶筅丸様の供を致します。それに、門徒どもが不埒な事を企てようとも茶筅丸様をはじめ寛太殿や五右衛門殿が後れを取ることはありますまい。お許しになられても良いのではありませぬか。」
そう助け船を出してくれた平八郎に視線を向けると、俺の視線に気が付いたのか平八郎は微かに笑みを見せた。その俺と平八郎のやり取りを見てか、小五郎な盛大に溜息を吐き、
「はぁ~~。分かり申した。平八郎の他にも数名の護衛を付けることと致しましょう。ですがくれぐれも御油断致しませぬようにお願いいたしますぞ!」
と平八郎率いる護衛を付けることで外出の許可を出してくれた。そして…
「平八郎殿、これは一体…」
安城に向かう当日、俺たちを待っていたのは平八郎たちだけではなく…
「茶筅様、某もお連れ下さい!」
ニコニコと笑顔で元気よく声を上げる竹千代と、
「申し訳ございませぬ。茶筅丸様が安城にお出かけになられると耳にした竹千代様が如何してもお供したいと申されまして…」
そう申し訳なさそうに話す服部半蔵以下数人の岡崎のご家来衆だった。
「茶筅様。茶筅様は“棒茶”なる大層美味なる茶を嗜まれるそうではございますが、某はまだ一度も口にしたことがございませぬ。しかも、それが三河の安城で手に入るなど知りませんでした。どうして某にはお教えいただけなかったのですか!」
非難めいた言葉を口にする竹千代と、竹千代が口を開くたびに身を縮める半蔵たちご家来衆の姿に俺には拒否権は無いのだと理解せざるを得なかった。
「分かり申した。竹千代殿、共に参りましょう。ですが、道中勝手な振舞いは慎み平八郎殿や半蔵殿の言う事を必ずお守りください。それがお約束出来ないというのなら・・・」
約束出来ないなら連れて行けないと言おうとしたが、俺が言い終わるのを待たず、
「お約束いたします!ですからお連れください!!」
と食い気味に告げる竹千代に、俺も平八郎も半蔵も溜息を吐きつつ同道を許すこととなった。
三河での茶の生産は鎌倉時代、三河の地頭(室町時代で云う守護)だった吉良家の菩提寺・実相寺にチャノキが伝えられたのが始まりとされている。
実相寺は岡崎城の近くを流れる矢作川を下流に下った東岸に在り、茶は実相寺周辺で細々と生産されていた。
戦国時代に飲まれていたお茶は、摘み取った茶の葉を蒸して乾燥させた“碾茶”を石臼で挽いて粉にした“抹茶”が主流だった。
乾燥させた碾茶の見た目は青のりの様な形状をしていて、飲む直前に石臼で挽いて粉にしていた。
その為、葉脈や茎などは石臼で挽く前に取り除かれ廃棄されていたが、俺はその廃棄前の物を焙じて棒茶と称して嗜んでいた。
言うなれば棒茶は抹茶の副産物になるのだが、焙じることにより碾茶に比べて湿気に強くなり保存も容易だった。
何よりも、抹茶の様に茶坊主に作法がどうのと煩わしい事を言われずに済み、何よりもその芳ばしい香りが俺は好きだった。
そんな俺の影響からか尾張に居た時には生駒屋敷の者たちをはじめ権六や藤吉郎時には父までも俺と共に棒茶を嗜むようになっていた。
実相寺周辺には数件の庄屋が茶の生産を行っていたが、その者たちに碾茶から抹茶にする際に廃棄する葉脈や茎などを引き取りたいと話すと、初めは妙な事を言う者が来たというように顔を顰めていたが、一人の庄屋が尾張からも同じような事を言う客が居たと言い出し、世の中には変わった者が居るものだと言いつつも廃棄する物を引き取ってくれるのならば、と碾茶の葉脈や茎を俺に譲ってくれることとなった。
俺と庄屋たちのやり取りを眺めていた平八郎と竹千代に半蔵は、俺が熱心に碾茶の葉脈や茎を求めているのを見て、初めは不思議そうにしていたが無事に話がまとまり嬉しそうにする俺を見て我慢が出来なくなったのか声を掛けて来た。
「茶筅様。茶筅様は何故ゆえその様に廃棄する様な物をお求めになられるのでございますか?それほどに価値のある物なのでございますか。」
竹千代の言葉に、庄屋たちも俺が廃棄するような物を熱心に求めているのか知りたくなったのか、俺の顔を覗き込んできた。そんな周りからのプレッシャーに屈した俺は口で言うよりもと実相寺の厨(台所)を借り、分けてもらったばかりの碾茶の茎を焙じて即席で棒茶を淹れ振舞う事にした。
焙じている最中から芳しい香りが実相寺の厨に充満し、碾茶の茎を焙じる俺の様子を見ていた実相寺の和尚はその香りに顔を綻ばせた。
焙じた即席の棒茶を沸騰させた湯の中に入れ待つこと三分、茶の成分が抽出されたのを見計らい竹かごを使って茶殻を取り除きながら茶碗に注ぎ入れて碾茶の茎や葉脈を譲ってくれることになった庄屋や竹千代たちに茶を振舞う。
遠目から俺が棒茶を淹れる姿を眺めていた者たちは、俺が茶色に色づいた湯を茶碗に注ぐのを見て顔を顰めたが、湯気と共に立ち上る芳しい香りに困惑したようにお互いに顔を見回していた。
「…いただきまする。」
そんな中、いの一番に声を上げ茶碗に手を伸ばしたのは竹千代だった。
「た、竹千代様…」
そんな竹千代を止めようとしたのだろう、半蔵が思わず声を上げたがその声を無視して竹千代は棒茶を注した茶碗を手に取ると立ち上る湯気を吸い込み感嘆の声を上げた。
「これは…なんと芳しき香り。では、」
棒茶の香りを楽しんだ後、二・三回棒茶を冷ますように息を吹き掛けるとゆっくりと茶碗を傾け、
「ほ~ぉ。これは、何と申せば良いのでしょうか?何とも心持ちが穏やかになりまする。」
その竹千代の言葉にそれまで手を伸ばすのを躊躇していた者たちも各々に注がれた茶碗へと手を伸ばし、棒茶を口に含んだ途端にそれまで浮かべていた顰めっ面が解れ、穏やかな顔に変わった。
「なんと心が安らぐことか。このような物が捨てようとしていた物から生み出されるとは…」
「真に。我らはなんともったいないことをして来たのじゃ。石臼で挽いても粉にならぬからと言って捨てていた物がこの様に心安らぐ物になるとは…」
「これまで今川様に碾茶を差し上げておりました。しかし、これまで捨てていた物を儂らが利用してもお叱りを受けることもなかろう。これは良い物を教えていただいた。」
棒茶を褒め称える言葉を口にしたのは碾茶を作っていた庄屋たちだった。これまで、廃棄していた物が手を掛ける事で新たな価値を生み出すかもしれない物になるという事に驚いたようだ。
そんな庄屋たちに俺は一つ入れ知恵を…
「これまで作って来られた碾茶は駿河の今川様へ送られていたのですね。今川様の元には都からお公家様がお越しになられておられますから、お公家様と共に茶を饗される事もあるのでしょう。
そう言えば、この度尾張と美濃を制した織田の殿様と三河の徳川様がご上洛を果たされたと聞き及んでおります。さすれば織田様や徳川様の元にお公家様がお越しになられることもございましょう。その時には茶が必要になるやもしれませぬ。今後、皆様がお作りになる茶を今川様だけでなく尾張にもお届けいただければ喜ばれることとなりましょう。もし、そうなされるお気持ちが御有りならば犬山城の近くの小折に居を構える生駒八右衛門というお方をお訪ね下され、良き様に取り計らって頂ける様にお口添えをさせていただきますので…」
そう告げる俺の言葉に庄屋たちは一斉に平八郎や半蔵の元に詰め寄り、今俺が告げたことが真の事なのかと問い詰め始めた。
平八郎たちは俺を非難するような目を向けるも、群がる庄屋たちの対応に追われ四苦八苦していた。
「茶筅様。何かお考えが有っての事だとは思いますが、何故あのような事を口にされたのですか?」
平八郎と庄屋たちの様子を眺めていると、竹千代を伴い庄屋たちから逃れて来た半蔵が問い掛けて来た。
「この後、徳川様は西三河から遠江へ手をお延ばしになられる事でしょう。さすれば、今川様との間で荷止めが行われることになると思われまする。荷止めとなった時、売り先を失い困るのは庄屋たちをはじめ茶を産していた民にございます。そんな者たちに茶の売り先が尾張にもあると知らしておけば、如何様にも対処する事が出来ましょう。
人の恨みというものは何所から生まれるか分かりませぬ。特に戦などでそれまで売れていた物が売れ無くなれば、その矛先は戦を始めた者に向くもの。そういった民の思いを先読みし手当てを施すのも領地を治める者の努めではないかと思ったまでの事にございます。」
そう答える俺の言葉に竹千代は少し興奮し顔を紅潮させて羨望の眼差しを向け、一方の半蔵は「う~ん」と唸り声を上げて難しい顔をした。
「ほ~っほっほっほ。流石は“尾張のたわけ様”じゃ、正に聞きしに勝るとはこの事じゃな。」
快活な笑い声を上げ俺たちの元に歩み寄って来たのは、それまで離れて俺や庄屋たちの様子を窺っていた実相寺の和尚様だった。
そんな和尚を半蔵は睨みつけた。
「和尚。その言い草は茶筅丸様に対し失礼にございますぞ!」
「おぉ、そうであったか?それは失礼を致した。ほっほっほっほ」
鬼半蔵と異名を取ることとなる半蔵の鋭い眼光に対して、和尚は坊主頭をツルリと撫で悪びれる様子もなく笑い飛ばした。そんな和尚に俺は苦笑しながら、
「某は父・上総介にも“たわけ”と言われておりました。お恥ずかしき限りにございまする。ところで、先ほどまでは離れて様子を窺っておられたようにございましたが、和尚様は何か某にお話でも御有りでございましょうか?」
と問うと、一瞬表情を強張らせたものの直ぐにお道化るように坊主頭をピシャリと叩き、
「さてもさても“たわけ様”の目は誤魔化せませぬなぁ。では、一つ話を聞いてもらう事に致しましょう。この寺より矢作川を下った先に天竹と呼ばれる郷があるのですが、その周辺で細々と“綿”を作っておる者たちがおるのです。その者たちに何か良い知恵を授けていただけぬかと思いましてなぁ。如何でございましょうか?」
と告げたのだった。




