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第三十五話 竹千代と築山殿 その二

此度も主人公目線ではありません。

いつもより長くなってしまい申し訳ありません。


◇岡崎城本丸御殿 築山殿


織田家の茶筅丸様が上総介様の上洛に同道された殿と入れ替わるように質として岡崎に参られて一月が経ったある日、突然我が子竹千代の傍に仕える小姓の一人が憔悴した顔でわたくしの元を訪れた。

その者によると、この処竹千代は自身の部屋に籠り、殿からのお言いつけである登誉住職の手習いにも行かず、これまで熱心に取り組んでいた卜部三兵衛殿の剣術の稽古も休んでいると言う。

わたくしが、一体何があったのかと問い質すも、小姓は口ごもりハッキリとしたことは言わず、竹千代の元に来てお声を掛けて欲しいと告げるばかりで要領を得なかった。しかし、竹千代がその様な事になっていると殿のお耳に入れば落胆され、最悪の場合には廃嫡もあり得る。そんな事になっては一大事とわたくしは城代の酒井小五郎殿に岡崎城への入城をお願いしたのです。

 わたくしの願いは即座に許され岡崎城に参ることとなったのですが、小五郎殿も竹千代の事を心配されていたようで、わたくしに様子を確認し出来れば外へ連れ出して欲しいと申してくれました。

 わたくしが竹千代が籠っているという本丸御殿の一室に向かうと、竹千代の小姓たちが締め切られた部屋の外から中にいる竹千代に頻りに声を掛けていましたが、わたくしの姿を見ると慌ててその場に平伏し、


「御母堂様、この様な仕儀となりましたること申し訳ございません」


一人の小姓が謝罪の言葉を告げると他の小姓たちは廊下に額を擦り付けました。


「それで、竹千代は如何しているのですか?先日部屋に籠ったままと申しておりましたが…」


「はい、ご母堂様にお知らせしてからも竹千代様はお部屋から出て来られず、食事もあまりお召し上がりになられておりません。このままでは竹千代様のお体が…」


問い質すわたくしに小姓の一人が返答を返してきました。どうやら状況は好転しておらず悪くなる一方の様でした。

これまで竹千代は多少粗暴な振舞いはあったものの、闊達な男子で戦国の世を生き抜く上で頼もしく思う事はあっても、今の様に部屋に籠り食事もあまり取らないなどという事はありませんでした。それだけに竹千代がこの様な仕儀となった理由わけは何なのかと小姓に問い質そうとした時、何やら騒がしい声が近づいて来ている事に気付きました。

 その声は何者かを押し留めようとする者が上げる声のようだったが、次第に近づいてくるところをみると留めきれない様でした。

そして、その何者かが廊下の影から姿を見せた瞬間、それまでわたくしの前で畏まっていた小姓たちの顔色が変わり、まるで親の仇を見る様な憎々しげな表情を浮かべたのです。


「これは築山様、久方ぶりにお目にかかりまする、茶筅丸にございます。築山様も竹千代殿の事を…」


わたくしの目に前までやって来た茶筅丸様はわたくしの前に片膝をつき神妙な態度を示す物の、下からわたくしを見上げる眼差しは元服前の童とも質のために岡崎に送られた者とも思えない強い物でした。

わたくしは茶筅丸様からの眼差しに気圧けおされて小さく頷き、


「は、はい。小姓から竹千代が部屋に籠り食事もあまり取らないと聞きまして…茶筅丸様は如何して此方に」


そう茶筅丸様に竹千代の元へと赴かれた訳を訊ねると、茶筅丸様がお答えになるのを遮るように小姓の一人が立ち上がり声を上げた。


「茶筅丸様!茶筅丸様にはお引き取りいただきたい。貴方様が岡崎に来られてから若様は思い悩むことも多くなられたのだ。質として参られたのなら質らしく与えられた部屋に籠っておられよ!!」


その無礼極まりない言葉にわたくしは驚きました。

確かに茶筅丸様は質として岡崎に参られましたが、それはお家(徳川)の事情を鑑みてご自身から申し出られたと聞いております。今川治部大輔様が松平家に求め、殿が駿河に質として入られた事とは意味合いが全く違うというのに、小姓はそのような事も理解せず茶筅丸様に対して無礼極まる言葉を吐いたことにわたくしは驚きました。

そして、もしや竹千代もこの小姓と同じように茶筅丸様の事を考えていたのかと、内から震えが湧き上がって来ました。

ですが、茶筅丸に付き従うお供の童は小姓の言葉に表情を歪められたものの、茶筅丸様は特に構えることなく、


「確かに“質”としてあまりにも某に勝手が通る事には如何なものかと思っておりましたが、某は質の分を弁え必ず平八郎殿や御城代・酒井小五郎殿にお伺いを立ててから身を処せております。某の御扱いについてはご不快ならば御城代にその事を申されるが宜しかろうと存ずる。某の事より今は竹千代様の事にございます。

時世が変わり、世が平らかになり竹千代様が某の様な三男であれば部屋に閉じこもろうとご自身の勝手でございましょう。

ですが時は戦国乱世、竹千代様は御当家の嫡子にござる。気に入らぬ事があろうと一室に閉じ籠るなど許されませぬ。先ずは籠られておられる一室から引き摺り出し竹千代様の存念をお聞きするが肝要にございます!」


そう告げると、竹千代が籠る部屋の障子に手を掛け、


「竹千代様、茶筅丸にございます。失礼つかまります!」


そう声を掛けると小姓が止める間もなく障子を開け部屋へと入ってしまわれました。

わたくしはそんな茶筅丸様のお言葉と行動力に驚きつつも、茶筅丸様に導かれるように部屋の中へと足を踏み入れ、息を呑みました。

 部屋の中は竹千代が暴れたのか、奥の間に掛けられている掛け軸は破り捨てられ、草木を挿していた花瓶は打ち砕かれ、花瓶を打ち砕いた時に用いた木太刀が踏み躙られた草木と共に打ち捨てられていたのです。

 そして、部屋の主は夜着としている厚手の着物を被り、その隙間から部屋に入ったわたくしや茶筅丸様を睨みつけていました。

その姿にわたくしは直ぐに言葉が出て来ず、


「竹千代殿、如何されたのですか」


と問い掛ける言葉を発するのが精一杯でした。ですが、竹千代はわたくしの言葉に反応することなく、目の前に立つ茶筅丸様をじっと睨みつけていました。

その目はまるで追い詰められた山犬の様な怯えと怒りに染まっている様に見えました。そして…


「貴様、何しに来た。俺を笑いにでも来たのか」


これまで聞いた事の無いような枯れた老人が発したのかと思う様な声が夜着の下から漏れ出して来たかと思った次の瞬間、


「俺を笑いに来たのかぁ~」


怒りに満ちた声を部屋中に鳴り響かせ、夜着の下に隠し持っていた太刀を振りかざし竹千代が茶筅丸様に襲い掛かったのです。その動きはどこか獣じみていて、その姿にわたくしは頭の中が真っ白になり一体目の前で何が起こっているのか理解できなくなっていました。

ですが、竹千代に襲い掛られた当の茶筅丸様は、それが何でもない事の様に取り乱すことなく、傍にいたわたくしを後方に押しやりながら、


「寛太!五右衛門!築山様を外へ」


そう声を上げると、茶筅丸様の供の者はその指示に従いわたくしの腕を左右から掴むと何の躊躇もなく部屋の外へと連れ出してくれたのです。

一人部屋の中に残った茶筅丸様に竹千代は歯を剥き出しにして怒声を上げました。


「茶筅丸、どこまで俺を愚弄する気だぁ!!」


口汚く罵る様な口調ながら竹千代が上げたその声がわたくしには何故か悲し気に聞こえました。


「竹千代様。太刀をお捨てなさいませ、怪我をされますぞ。」


「煩い、怪我をするのは貴様だ、茶筅丸ぅ!」


太刀を振り回す竹千代に対し、茶筅丸様は見事な体捌きで躱しながら竹千代の身を案じる言葉を投げ掛けるも竹千代は一層猛り狂い、竹千代の小姓をはじめ茶筅丸様の供の者たちも手出しが出来なくなっていました。すると、茶筅丸様は部屋の中に打ち捨てられていた木太刀を掴み、


「致し方ございませぬ。お手向かい仕ります!」


そう一言告げると、木太刀で天を衝く様に高々と掲げたかと思うと、


「キィエェェェェェ!」


甲高い猿の叫び声の様な奇声を発した次の瞬間、稲妻の如き鋭さで竹千代に打ち掛られたのです。竹千代は高々と掲げられた木太刀を見て太刀を頭上に掲げたのですが、茶筅丸様が発せられた奇声に驚いたのか一瞬動きを止めていました。

正にその一瞬の間に茶筅丸様の木太刀は竹千代が頭上に掲げた太刀を打ち砕き、否、あれは斬ったと評した方が良いのでしょう。竹千代の太刀を斬り、その額へと振り下ろすと髪の毛一本を切り落とすだけに留め、寸前のところで止めたのです。

ですが、竹千代は自身の額に打ち下ろされた木太刀に目を回したのか、はたまた木太刀に込められた茶筅丸様の気魄を浴びて正気を失ったのか、まるで糸が切れた人形の様にその場に崩れ落ちました。

茶筅丸様は崩れ落ち気を失った竹千代を見て、木太刀を納めると廊下で凍り付いていた小姓たちに向かって、


「これ!何をしておる。竹千代様を別のお部屋にお連れし休ませてさし上げぬか!!」


と一喝と共に的確な指示を出されたのです。その言葉に小姓たちは自分たちの役目を思い出したのか大慌てで竹千代の元に駆け寄り、気を失っているのを確認すると、戸板を外しその上に竹千代を乗せ荒れ果てた部屋から運び出して行きました。

わたくしもその後について行きたかったのですが、茶筅丸様に挨拶をしなければと足を止めると、わたくしの心根を推し量られたのか茶筅丸様の方から、


「築山様、竹千代様がお目を覚まされた頃、改めてお目に掛かりに参ります。しからば御免仕ります。」


と告げて、供の者と共にその場から立ち去られたのです。

その姿は偉ぶることもなくただ淡々と何事もなかったように振舞われておられている事に、これが元服前の男子の振るまいかと驚きを禁じ得ませんでした。


その後、竹千代が寝かされる部屋へと向かい竹千代が目を覚ますのを傍らにて待つと、二時(四時間)ほど経った頃、瞼が小刻みに震えたかと思うと竹千代が目を開きました。


「竹千代、母の顔が分かりますか?」


「は、母上…」


竹千代は目を覚ましたばかりで未だ状況が良く分かっていないようでしたが、わたくしの問い掛けに「母上」と答えたことに、わたくしは胸を撫で下ろしました。


「よかった。竹千代、貴方は何日も部屋に閉じ籠り、貴方の様子を心配し見舞に参られた茶筅丸様に太刀を抜いて斬りかかったのですよ。覚えていますか?」


わたくしがそう訊ねると竹千代はようやく自身の仕出かしたことを思い出したのか、一瞬ハッとした表情を浮かべたのですが、直ぐに何か憑き物が落ちた様な晴れやかな表情に変わり、小さく笑い始めたのです。


「はっはははは…そうでした。斬りかかった某《‥》の太刀を、木太刀で一刀の下に折られ‥いや、あれは斬られたのですね。木太刀でもあのような事が出来るとは思いもしませんでした。一体如何なる力を用いればあのような事が出来るのか。」


そう呟くように言葉を連ねる竹千代に、わたくしはあの様な仕儀に及んだ仔細を訊ねずにはおられませんでした。


「竹千代。一体如何したのですか?貴方の粗暴な振舞いについて耳にしており、心配していたのですが、此度の様に御父上から申し付けられた手習いや剣術の稽古も休み部屋に籠り、その事を心配されてお訪ねになられた茶筅丸様に太刀を抜いて斬りかかるなどと、下手をすれば咎めを受け廃嫡になるやもしれませんよ」


わたくしの問いに竹千代は一瞬表情を曇らせましたが、クシャリと苦笑いを浮かべ、


「某は茶筅丸殿に嫉妬していたのです。

初めて岡崎城で茶筅丸殿にお目にかかったのは、もう半年ほど前になりましょうか。織田様が上洛の途につくとの知らせを受け、それまで進んでいなかった某と織田の姫との婚儀を上洛前にと石川与七郎が焦った事により、織田家から岡崎に使者が遣わされました。その副使が茶筅丸殿だったのです。

その際に、某は織田の姫が剣の稽古と鷹狩りを許してくれるのならば嫁いでも良いと申されたと聞いて、つい“鬼娘おにご”と呼び捨ててしまったのです。その姫は茶筅丸殿の妹君であられたそうで茶筅丸殿はお怒りになり、その怒気に某は慄き粗相を…。それからは茶筅丸殿が恐ろしくて恐ろしくて。

質として岡崎城に参られた時も虚勢を張らねば茶筅丸殿の前に出られなかったほどで、そんな己が情けなくて…これでは徳川家の嫡子として面目が立たぬと、父上から申し付けられた登誉住職の手習いも、卜部三兵衛の剣の稽古も励んではみたのです。

ですが、城に詰める者たちは皆茶筅丸殿を誉めそやし、実際手習いは言うに及ばず剣術に至っては師である卜部三兵衛と対等に渡り合うことの出来る茶筅丸殿の姿を目の当たりにして、某ではどうやっても茶筅丸様には勝てぬと絶望したのです」


そう告げ、悲しげに笑う我が子をわたくしは抱き寄せていました。

桶狭間で治部大輔の伯父上が討たれてから、岡崎に留まり織田家への睨みを効かせようとした殿に対し、氏真殿は“裏切り者”と断じて当家のご家臣から取っていた質を皆殺しにし、父・関口刑部少輔親永は二心ありと疑われて切腹を命じられ、次はわたくしたち母子かと覚悟した時以来、竹千代殿をこの胸に抱き寄せる機会はありませんでした。

久しぶりに抱き寄せた竹千代は、体は大きくなっていましたが大きな壁の前に慄き震える童でした。

そんな竹千代にわたくしはなんと言ってやればよいのか分からず、抱き寄せたまま苦悩していると、部屋の外から少し戸惑っている様な様子で声が投げかけられたのです。


「御母堂様、茶筅丸様が竹千代様のお見舞に参られたのですが宜しいでしょうか」


その声に腕の中で竹千代がビクリと大きく震えたのを感じ、わたくしは今はまだ会わせるには早いと思い断りの言葉を継げようとしたのです。


「申し訳あり 「母上、某はお会いしとうございます。」


わたくしの言葉を遮り竹千代が茶筅丸様に会いたいと言い出したのです。

わたくしは驚き、まじまじと竹千代の顔を見つめましたがその顔は何かを心に定めたような決然とした表情がありました。

わたくしは竹千代の意を汲み、茶筅丸様をお連れするようにと遣いの者に告げ胸に抱いていた竹千代を放し、傍らに座り直しました。暫くすると、


「お休みの所、失礼を致します。茶筅丸にございます。」


そう部屋の外から声が掛けられたのです。その声に竹千代が体を硬直させるのが分かり心配をしたのですが、そんなわたくしを安心させるかのようにぎこちないながらも笑顔を作る我が子を見て、茶筅丸様に入室の許可を告げました。


「お入りくださいませ。」


「失礼いたします。」


静かにゆっくりと障子が開け姿を見せた茶筅丸様は、褥(現代でいえば敷布団)の上の竹千代とその傍らに座るわたくしを確認すると、少し表情を緩められたように見えました。


「竹千代様。起きておられるが、御加減はよろしゅうございますか。」


「はい、お恥ずかしき醜態を晒し汗顔の至りにございます。もう大丈夫にございます。」


木太刀で太刀を斬り伏せた御方とは思えぬ穏やかな物言いで竹千代に声を掛けられる茶筅丸様に対し、竹千代もまるで憑き物が落ちたかのように穏やかな口調で返したのです。そんな竹千代を茶筅丸様はジッと見詰めた後、ニッコリと笑みを浮かべられ、


「なんの、誰しも経験する事にございます。某などは己が軽率な行為によって人死にを出すところにござりました。のぉ、寛太。五右衛門。」


茶筅丸様は供として連れて来られた二人の童にお声を掛けられると、寛太と呼ばれた童が少し困ったように苦笑し、もう一人の五右衛門と呼ばれた童が大きく頷くと、


「真に、茶筅様に比べれば竹千代様などお可愛らしい物にござります。わっはっはっは!」


と笑って見せたのです。そんな五右衛門殿の様子にわたくしと竹千代は驚きを隠せませんでした。

まさか主の失態をこうも明け透けに話し、さらに笑い飛ばすとは。如何な寛容な者でもこんな態度をとられては怒り出すのではないかと茶筅丸様に視線を向けると、茶筅丸様は怒るどころか苦笑いを浮かべ頭をお掻きになられるだけだったのです。


「という訳で、某へのお心遣いは無用にございます。何はともあれ一日も早く回復され共に登誉住職の手習いを励みましょうぞ。では、本日はこれにて失礼をいたします」


そう言って部屋から出ようとする茶筅丸様に竹千代が待ったをかけたのです。


「お待ちください茶筅丸様《‥》!茶筅丸様は何故その様に強いのですか?どうすれば強くなれるのでしょう。どうしたら茶筅丸様の様に強く…某も強い男になりたい。」


まるで縋り付く様に茶筅丸様に教えを乞おうとする竹千代に対し、茶筅丸様は上げかけた腰を下ろし竹千代に正対すると、その目をジッと覗き込むようにした後、


「はぁ~。某など竹千代様がお考えになられているほど強くはございませぬ。ただ、幼き頃に父・上総介様から聞かされた言葉を心に留め置き、日々を過ごしているに過ぎませぬ。」


と少し困ったような顔をしながらお答えになられたのです。その答えに竹千代はすかさず、


「上総介様は茶筅丸様に何と言われたのですか?」


と訊ねていました。わたくしはそんな我が子に少し落ち着かせるために、


「竹千代、茶筅丸様がお困りになられているではありませんか。少しは控えなさい!」


と忠告すると、茶筅丸様はわたくしの前にそっと掌を広げられ


「築山様、良いのです。

竹千代様、我が父から某が聞いたのは桶狭間の戦から戻られた折の事です。

当時、某はまだ掴まり立ちが出来るか出来ないかといった幼子おさなごでしたが、そんな某の頭を撫でながら父は、

「良いか茶筅。貴様は今川治部大輔の様な決して諦めぬ男になるのだぞ。どの様に無様な姿を晒そうと構わぬ。命があればいくらでもやり直しはきくのだからな。よいな。」

と申されたのです。

今川治部大輔義元様は尾張に攻め込まれた時、尾張の彼方此方に配された砦を落とすため軍勢を分けておいででした。その隙を突き、父は手勢を率いて乾坤一擲、治部大輔様の御首級みしるしを狙ったのです。

砦を落とされたにも拘らず手勢を率い襲い掛かった父に今川方の兵は驚き算を乱す中、治部大輔様は首を狙う織田勢と果敢に戦い、槍に腹を貫かれようとも諦めず首を獲ろうとする兵の指を噛み千切り最後まで抗ったそうにございます。

正に海道一の弓取りの名に恥じぬ武士の死に様であったと父は申しておりました。」


わたくしは茶筅丸様が治部大輔の伯父上様の事を話しだしたことに驚き、茶筅丸様のお話しが進んで行くうちに、わたくしの目から涙が零れ落ちていました。

そんなわたくしを気遣われたのか茶筅丸様は口を閉じられて、わたくしに時をお与えくださいました。


「茶筅丸様。戦での出来事は恨みに思わぬが武家の努めと申しますが、桶狭間の戦の後、わたくしと竹千代は三河と駿河の間で、川面を流れる木の葉の様に翻弄され上総介様の事をお恨みした事もございました。されど、今の茶筅丸様の御話をお伺いして上総介様への恨みは消えました。この後は徳川の御家と織田家が共にこの乱れた世を乗り越え、平らかなる世を招く様に我が殿をお支え致しとうございます。」


そう告げておりました。そのわたくしの言葉に続いて竹千代も声を上げました。


「そ、某も決して諦めぬ男になろうと思いまする!」


竹千代の言葉に茶筅丸様は、ニッコリ笑みを浮かべられ、


「それでこそ治部大輔様の御血を引かれる男子にございます。共に励みましょうぞ、竹千代様!」


そう言って茶筅丸様は竹千代の手を握られたのです。


この一件の後、竹千代は粗暴な振舞いをすることが無くなり、登誉住職の手習いも卜部三兵衛殿からの剣の手解きにも励むようになり、ご上洛から戻られた殿を驚かせる事となるのでした。

ただ、茶筅丸様の事を兄の様に慕うようになり、何かにつけて茶筅丸様の後をついてまわるようになったのは良き事なのか悪しき事だったのか、わたくしには分かりませぬ。ですが、茶筅丸様と竹千代の生涯にわたる力関係がここで形作られたことは間違いない事だと思いまする。


前回に続き第三者からの目線で書いてみましたが、如何だったでしょうか?

たまにはこんなのも良いのかな?と思い書いてみました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 信康は義元の血は直接引いてません。 ですので治部大輔の血を引く、という言い方は問題があるかと。 「今川家の血を引く」でしたら正しいかと思います。 まぁ、築山殿の母は最初義元の側室だった…
[良い点] 今川治部大輔の話はいつ見ても感動するべ…。
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