第三十二話 岡崎城 城代・酒井忠次と服部半蔵正成
「織田茶筅丸様、御なりにございます。」
岐阜城で父・信長が率いる上洛軍の出陣を見送った俺は傅役の竹中半兵衛重治に前田蔵人利久、寛太と五右衛門を供に本多平八郎忠勝に守られて徳川家の居城・岡崎城に向かった。
道中は平八郎が睨みを利かせてくれていた為に何事もなく順調に岡崎城に到着し、一刻ほどの休息の後、岡崎城の大広間で上洛に参陣した家康の留守を守る徳川家の諸将と対面する事となった。
案内役に連れられて足を踏み入れた大広間は上座の正面は広く開けられその左右に本多平八郎をはじめとする徳川の家臣たちがずらりと並び、正面の上座には前回岡崎城に訪れた際にも顔を合した竹千代と、その母親と思われる女性が俺を待ち構えていた。
左右に居並ぶ徳川家家臣の視線に晒されながら俺は広間の中ほどまで進んで腰を下ろすと正面に座る竹千代に対し頭を下げ挨拶を述べた。
「織田茶筅丸にございます。暫しの間ご厄介をお掛け致します。」
「‥‥‥。」
俺が頭を下げ挨拶をしたにもかかわらず、上座に座る竹千代からは返答はなく大広間は静寂に包まれた。返答が返ってこない事に内心眉を顰めつつも、俺は“質”としてこの場にいるため勝手に頭を上げる訳にも行かず、そのままの体勢を維持し続けていると上座に座る竹千代のニヤついている雰囲気が伝わって来た。
どうやら前回対面した際に徳姫を罵った竹千代を威圧し失禁させた事への意趣返しのつもりか、俺に頭を下げさせ続けて悦に入っている様だった。
そして、そんな竹千代の思惑に大広間に集まっている徳川家の家臣たちも気が付いたのかざわつき始め、竹千代の隣に座る母親とおぼしき女性も小声で竹千代に返事を返すように促している様だった。
俺は、質で入った岡崎でこの様な仕打ちをされたと父の耳に入れば、家康殿が父から叱責される事になるのに、そんな事も分からないのかこのガキは!と心の中で罵倒し溜息を吐いた。
まぁ、そう思ったのは俺だけではなかったようで、
「茶筅丸様、尾張よりご苦労にございました。どうぞ頭をお上げくださいませ」
と、上座に座る竹千代ではない第三者からの声が掛った。
一瞬『竹千代を差し置いてそんな事を言っても良いのか?』と思いつつも、掛けられた声が堂々としていた為、大丈夫なのだろうと遠慮せずに頭を上げる。そんな俺の様子に竹千代は顔を赤く染めヒステリックに俺に頭を上げるように声を掛けた者の名を叫んだ。
「酒井!」
しかし、名を呼ばれた者は逆に竹千代を窘めた。
「竹千代様。茶筅丸様は徳川と織田の絆を繋ぐお役目を担い岡崎に参られたのです。竹千代様は、三河守様の名代として茶筅丸様の挨拶をお受けするお立場に過ぎませぬ。三河守様の名代としてのお役目をお果たし下さい。茶筅丸様に対し粗相があれば、恥を掻くのは三河守様にございます。その事をよくよくお考え下さい。」
遇も言わせぬ物言いで竹千代を窘めた男は改めて俺の方に向き直ると、
「お見苦しき所をお見せいたし申し訳ございませぬ。三河守様から岡崎城の城代を申し付けられました、酒井小五郎忠次にございまする。」
そう名乗り頭を下げたが、俺は驚きを隠すのに必死で満足に受け答えが出来なかった。
何故なら、酒井忠次と言えば徳川家随一の重臣で史実ではこの頃は東三河で今川領を睨み、甲斐より駿河に触手を伸ばしていた武田家との折衝を勤めていた筈だった。そんな酒井忠次が岡崎城の城代になっているなどとは夢にも思わず、
「酒井小五郎殿が岡崎城の城代でございますか?そ、それでは東三河の守りは大丈夫なのでございましょうか!?」
と口走ってしまっていた。その俺の発言に、左右に並ぶ徳川家の家臣たちは驚いて目を見開いた。だが、当の忠次はニコリと微笑み
「流石は茶筅丸様でございますな、よく見えておられる。確かに今川治部大輔義元様が織田様に討ち取られても、その敵討ちに立ち上がらなかった今川刑部大輔氏真様を弱腰と見て、家臣共が離反している駿河を狙い甲斐の武田徳栄軒信玄様が動いているのは事実にございます。そのため某は駿河を窺う甲斐と折衝を続け、東三河と遠江には不干渉との約定を取り付けたところにございます。だからといって、あの信玄入道を相手に警戒を緩める事は出来ませぬゆえ某の代わりに大久保七郎右衛門忠世と大須賀五郎左衛門康高、榊原小平太康政らを東三河の抑えに置いております。大久保七郎右衛門と大須賀五郎左衛門は三河守様に忠義篤く、武田が調略をかけて来ても決して靡くような事の無い者たち。榊原小平太は大須賀五郎衛門の娘婿であり、此処に居る本多平八郎とは年も同じで共に切磋琢磨し合う竹馬の友。これらの者たちならば問題はなかろうと三河守様が上洛に向かわれる際に直々に差配されて行かれた者たちにございますればご安心下され。」
そう胸を張って答えた。大須賀康高はよく知らなかったが、大久保忠世は徳川幕府の創業に功績を立てた武将として徳川十六将に数えられていたし、榊原康政は酒井忠次や本多忠勝そして井伊直政と共に徳川四天王に数えられる戦上手だったはず。
その様な者たちを東三河の要として置き、酒井忠次を岡崎城の城代に据えた家康の果断さとそんな家康に仕える三河衆に敬意を持つと同時に、その矛先が織田家に向かわないようにしなければと改めて心に期した。
「流石は三河守様にございます。某が懸念を抱くなど不遜にございました。改めまして、これより二年余りは質としての役目を全ういたすよう心がけまする。」
そう告げ、城代である忠次に俺は頭を下げ、以上で顔合わせは終わるかと思ったのだが、頭を下げた俺に対し忠次から思いもかけない言葉が掛けられた。
「茶筅丸様、我ら徳川家の者は茶筅丸様を“質”などと軽んずるつもりはございませぬ。我らにとって茶筅丸様は徳川と織田様の間を取り持っていただく客人。三河守様からも茶筅丸様にご不便の無きよう図るようにと仰せつかっておりますれば、何なりとお申し付けくだされ。此処に居る本多平八郎が茶筅丸様の御身周りの一切を取り仕切りまする。城外に出る事も平八郎を供にしていただければ構いませぬゆえ御髄に。」
と、人質とは思えぬ破格の扱いを申し出て来た。その事に違和感を抱いたのは俺だけでなく、半兵衛が忠次に対し口を開いた。
「小五郎殿、お訊ねしてもよろしゅうございますか?」
「これは竹中半兵衛殿、如何されましたかな。」
「三河守様より茶筅丸様に対して便宜を図るように申し付けられたとはいえ本多平八郎殿お一人を供にすれば城外に出ることも認めるとは如何なるお考えからでしょうか。もしや、茶筅丸様が城外に出たところで良からぬ事を考えておられるのではないでしょうなぁ。」
いつもの朗らかな表情が消え、剣呑な顔で半兵衛は忠次を睨みつけた。その半兵衛の言葉に対し忠次は大きく首を横に振り、
「半兵衛殿、ご懸念には及びませぬ。三河守様は『茶筅丸様は岡崎に参られたご自分のお役目の事を十分に理解されておられるのだから、過剰な監視など不要である』と申されました。某らはそんな三河守様のお言葉を信じるのみ。平八郎を付けるのも茶筅丸様に万が一の事が無い様にと考えての事にござる。三河守様は幼少の砌、尾張にて上総介様に連れられて野山を巡り、相撲や将棋などをさせていただいたこと今も大切な思い出だと申されております。同じ様な体験を茶筅丸様にこの岡崎でしていただきたいとお考えなのだと推察いたします。更に申せば、茶筅丸様は尾張で常人がされぬような様々な事を成されてきたと聞き及んでおります。岡崎の地を見て歩き、この地でも何か面白き事を起こしてくれぬかと、岡崎のお城を預かる身として不埒な事を期待しておるだけにござります。」
そう言ってニンマリと笑って見せた忠次に、半兵衛は半分呆れたような顔をしてから、
「それはそれは…三河衆は堅物揃いと聞いておりましたが、小五郎殿の様なお方もおられたとはいささか三河衆の見る目を変えねばなりませぬな。もっとも、茶筅丸様に限って言えば小五郎殿の期待を十二分に叶えてくれるものと思いますが」
と告げて苦笑を浮かべた後、忠次と顔を見合わせると示し合わせた様に笑い声を上げた。
「さて。それではこの後我ら徳川家の家臣を交えての宴をと思っておりますが、その前に茶筅丸様から何かお話したき事などござりましょうか。」
一頻り半兵衛と共に笑い声を上げていた忠次は、この後の予定を告げつつその前に何か俺から話は無いかと訊ねてきた。俺は丁度良いと岡崎に来て、いの一番に済ませておきたい事をこの際に済ませてしまおうと口を開いた。
「されば、服部半蔵正成殿は居られましょうか?」
俺の問いに対し、居並ぶ徳川家の者たちの視線は一人の男へと注がれた。皆の視線を集める事となった男は少々居心地の悪そうにしながらも拳一つ分にじり出てた。
「はっ!お訊ねの服部半蔵正成は拙者にござりまする」
名乗り出た服部半蔵は史実の通り、剛の者といった風貌の男だった。俺は上座に座る竹千代と築山殿そして忠次に「失礼をいたします」と断りを入れてから立ち上がり、半蔵の前へと移動すると俺の動きに合わせて五右衛門も俺の後に続いた。
いきなり目の前に移動してきた俺と五右衛門に対し、困惑する半蔵。その半蔵の前に俺は五右衛門が伊賀より持ち帰った一通の書付を懐から取り出し、そっと差し出した。
「半蔵殿。実は此処に居る某の家臣である五右衛門は、伊賀の百地丹波守正西殿の元に居たのですが、数年前半蔵殿の御父上、服部半蔵保長殿の下に手下として丹波守殿が連れて行く途中、尾張でたまたま某と知り合い丹波守殿に無理を言って某が譲り受け家臣としたのです。
此度、岡崎に参るに当たり、その事をそこもとの御父上に改めて許しを請い。また、この五右衛門が御父上の手下となっておれば、半蔵殿の手下となっていたかもしれませぬ。言うなれば某が半蔵殿から手下を横取りしたことになるのです。その事を許してほしいと思い、百地丹波守正西殿と千賀地半蔵保長殿の元に五右衛門を遣わし、お二方の添え状を持参いたしました。ご披見ください。」
そう告げる俺に半蔵は少し困ったような顔をして忠次に視線を向けた。忠次は苦笑を浮かべながらも小さく頷き半蔵を促した。半蔵は小さく息を吐くと、
「拝見仕る。」
短く告げてから、俺が差し出した書付を広げて目を通し始めた。書付の書面はそれほど長いものではなかったようで、二度三度と目を通した後フッと笑い、
「卒爾ながら茶筅丸様にお訊ねいたしてもよろしいでしょうか?」
と言い出した。そんな半蔵の反応に俺は首を傾げそうになるのを堪えつつ頷くと、
「茶筅丸様はこの書付に目を通されましたか?」
と訊ねて来た。
「その様な事は致しませぬ。五右衛門が持ち帰った書付は某に当てた物もござりました。それには目を通しましたが、半蔵殿に宛てた書付に目を通すなどそのような事は致しませぬ!」
と抗議の声を上げると、俺の言葉を聞いた忠次が、
「半蔵!茶筅丸様に対し無礼であろう。如何したのだお主らしくもない」
と半蔵を諫める言葉を発した。その忠次の言葉に半蔵は軽く頭を下げ、
「それが、確かにこの書付は伊賀に戻りし父と百地丹波守様からの物なのでござるが、書かれていたのが『料簡せよ』との一言だけござったのでその事を知った上で、拙者に許しをなどと申されたのかと…。」
そう忠次に弁明してから半蔵は俺と五右衛門に正対するように体勢を整えて再び口を開いた。
「茶筅丸様。それから五右衛門殿。この書付を見るにこの件に関して拙者がとやかく言う事ではなさそうでござる。父保長の手下としてと申されたが、必要な手下は百地丹波守様が手配されておられよう。五右衛門殿は成るべくして茶筅丸様の家臣になったのだと拙者は思う。以後お気になされぬように!」
そう言い切ると半蔵は武骨な笑みを浮かべて見せた。その姿に俺はホッと胸を撫で下ろし、半蔵の言葉に呆けていた五右衛門の肩を叩いた。
「良かったな、五右衛門。」
俺に肩を叩かれ投げ掛けられた言葉に、五右衛門はクシャっと泣き笑いの様な表情を一瞬見せたものの直ぐに表情を引き締めると、
「半蔵様、ありがとうございました。」
と半蔵に対して深々と頭を下げ、少しの間顔を上げようとはしなかった。
その後、忠次が告げた通り俺たちは宴の席に招かれ大広間で俺を出迎えた徳川家家臣一人一人から挨拶を受けた。
徳川(松平)家とは領国が隣り合っていた為に先代先々代と争ってきた関係だったため、表面上はともかく腹の中では俺や織田家の事を疎ましく思っている者が多いと思っていたのだが、家康が父と共に戦国乱世を歩むと心に決め、その薫陶が家中に行きとどいているのか人質として岡崎に赴いた俺を侮る者はほとんどおらず、岡崎での生活が波乱に満ちた船出にならずに済んだことに安堵した。
一月中は何とか毎日更新できました。
ですがストックもなくなりつつあり、二月は本業の方の確定申告や認証に関係する事務仕事をしなくてはならないので更新は週に1・2回になると思います。
今のところは書き溜めてあるストックを使いながら、水曜と土曜の深夜に更新して行ければと思っています。
よろしくお願いいたします。




