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第三十一話 上洛。そして三河へ…


永禄十一年(西暦1568年)。父。織田上総介信長は、さきの公方足利義輝の御舎弟義昭を奉じ上洛の軍を発した。

父が上洛のために用意した軍勢は一万五千。これに史実では徳川三河守家康殿の名代として従兄弟に当たる松平勘四郎信一殿が一千の兵を率いて参陣していたが、俺が岡崎城に乗り込み直談判をしたせいで、家康殿自らが三千の兵を率いて参陣した。

俺は父たちを見送った後、時を置かず三河へと向かう事になっており、岐阜城にて父の出陣に立ち会う事となり、俺は父をはじめ此度の上洛に参集した国人、諸将が集う大広間の端に控えていた。


父は上洛に合わせて尾張の甲冑師・加藤彦三郎正之の製作した真新しい鎧を身に纏い、今回の上洛で初陣を果たす勘九郎兄上も父が纏う物とよく似た鎧を纏っていた。

二人が纏う鎧を製作した加藤彦三郎は、元は父の家臣だったのだが、戦働きがあまり得手ではなかったことから、家督を弟に譲って甲冑師になったという変わりダネの甲冑師だった。しかし、元は織田家家臣で少ないながらも戦働きの経験があったため、その経験を活かし堅牢な鎧を仕立てると織田家家中では評判になっていた。

父も元家臣の男が新たな道で大成しようとしている事に喜び、今回の上洛戦で身につける鎧をわざわざ彦三郎の作業場に出向き依頼したという。彦三郎からしたら作業場に突然父が姿を現し、上洛の為の鎧を依頼されて驚きつつも、上洛というハレの場の衣装(鎧)を父自らの依頼で作るという栄誉を賜り喜んだことだろう。

実際、『末代までの誉れである!』と感極まり涙を流していたというから相当の喜びようだったのだろう。

〈閑話休題〉


鎧を纏い準備万端整った状態で大広間の上座に正対する形で父を先頭に家康殿をはじめ上洛に参加する織田家の諸将は、ある人物が大広間に姿を見せるのを今か今かと待っていた。

暫くすると、何人もの足音が聞こえてきたが、その音に父が不機嫌そうな声で、


「やっとのお出ましか…」


と周りに居る者が聞き取れるか聞き取れないかというほどの小さく呟くと、大広間上座に対し頭を下げた。

父に合わせ兄もそして家康殿以下居並ぶ諸将も同様に頭を下げると、程なく足音は大広間に到達しそのまま当たり前のように上座へと向かっていった。


「苦しゅうない、面を上げよ!」


上座から発せられた声は妙に上擦り、興奮している事が容易に察せられた。

その声に応え、父を筆頭に大広間に集まる諸将は一斉に頭を上げた。俺も、父の動きに合わせ顔を上げ上座に座る人物に目を向ける。

その男は、妙に肩が張っているものの武芸を嗜んでいる様には感じらない体つきの男で、その表情は今にも踊り出しそうなほど浮ついていて“軽薄”と評する事しかできない人物だった。そんな男に対し父は拳一つ分だけにじり寄り声を上げた。


「義昭様、我ら一同義昭様を奉じ奉り都への道を開きまする。義昭様におかれましては我らが開いた都までの道をご上洛いただきたく存じまする。」


父の言葉に上座に座る義昭様は目じりを下げると口元を扇で隠し、


「ほっほっほっほっほ、頼りにしておりますぞ上総介殿。兄・義輝を弑いた逆賊三好とその三好に担がれ将軍の地位を簒奪した義栄を打ち果たして下され!」


と、まるで時代劇に出てくる公家の様な甲高い笑い声を上げると、父に三好と将軍の地位に就いた足利義栄の討伐を命じた。その義昭様の態度に苛立ちを覚えたが黙って成り行きを見つめていると父は義昭様の言葉に応えず、


「義昭様。此度の上洛には我ら織田の者だけでなく三河から徳川三河守殿も義昭様のお力になろうと参陣されております。」


と、家康殿を紹介した。父の言葉に合わせ、黄金色の鎧を纏い隣で控えていた家康殿は父と同じように拳一つ分だけ上座ににじり寄り、


「徳川三河守にございます。上総介殿の義挙に際し、参陣の栄誉を賜りましたること恐悦至極にございます。」


と挨拶すると、義昭様は鷹揚に頷いた。


「三河守か、話は上総介殿から聞いておる。上総介殿と共に励まれるが良い。」


尊大な態度で家康殿に声を掛けた。その態度に家康殿の後方に控えていた三河衆からは剣呑な雰囲気が漏れ出し、父の額にも一筋の青筋が浮かび上がっていた。

しかし、父や三河衆の様子に当の義昭様は気付くこともなく目の前に居並ぶ織田・三河の諸将に興奮したのか、


「上総介殿、三河守。そして居並ぶ諸将よ。上洛しが将軍に着いたあかつきにはその方達の尽力に報いることを約そう。大いに力を振るい上洛を果たすのじゃ!」


手前勝手な事を言うだけ言うと再び公家風の笑い声を上げ、数人のお供を従え大広間から退出していってしまった。

父をはじめ大広間に集まった者たちは義昭様の退出に頭を下げて見送るも、其処彼処から義昭様の姿に落胆したような溜息が聞こえて来た。

 父や織田家の重臣は義昭様の事を知っていただろうが、家康殿をはじめ多くの者たちにとっては初めての対面となった訳だが、これから奉じる事となる足利義昭という人物の実状を知り、暗澹たる思いに駆られたことだろう。

諸将のそんな気持ちを察してか、父はその場で立ち上がると暗い顔になっている諸将に振り返り声を上げた。


「何を無様な面をしておるかぁ!これより上洛だというに何じゃ覇気のない。その様な事では都におわす帝は落胆され、都雀どもに「織田の田舎者よ」と笑われよう。

我らは義昭様を奉じて上洛をするが、その目的は捻じれ歪んだ幕府を本来の筋目へと戻し、都の安寧を取り戻しひいてはこの乱れた戦国の世を収めることにある。我らは大いなる『大儀』のために立つのだ。その事を肝に銘じ、我と共にこの難業を完遂せんとする者だけついて参れ!!」


そう言い放つと、広間に集まっている者たちの反応を待たず、力強い足音を響かせて大広間を出て行った。その父の言葉と行動に、多くの者が呆気に取られている中即座に反応し父に続いたのはやはり家康殿だった。


「流石は上総介様、誠に天晴れなる心意気にござる。この三河守、上総介様と心を同じゅうし共に参りましょうぞ!」


大きな声でそう宣言すると、早足で父の後ろを追いかけていった。

家康殿の言葉と行動に大広間に居た諸将たちも我先にと立ち上がり二人の後へと続いた。

そんな中、皆の動きについていけなかったのか勘九郎兄上はバタバタと動き出す者たちの動きに翻弄され、如何したら良いのか分からずオロオロしているのを見つけてしまった。

これが初陣となる勘九郎兄上にとって、何から何までわらかない事ばかり。その上、義昭様の醜態に落胆する諸将を鼓舞するための父の激と行動があまりにも急だったため、如何したら良いのか分からず頭が真っ白になってしまったのだろう。

しかし、ここで出遅れるような事があれば織田家の嫡男としては大失態。それは何としても回避しなければと俺は勘九郎兄上の元に駆け寄った。


「勘九郎兄上‥兄上!」


「うぉ!茶筅か如何した?」


「如何したではありませぬぞ兄上。ここで後れを取っては兄上の初陣にケチが付いてしまいます、急ぎ父上を追いますぞ!」


「そ、そうか…」


俺の叱咤にようやく腰を上げた勘九郎兄上だったが、目の前には我先に父を追いかけようとする者たちの群れによって行く手を遮られてしまい如何ともしがたい状況が目の前に広がっていた。その光景に足が竦み次の一歩が踏み出せない勘九郎兄上。

俺は兄上の手を掴み、皆が群れる大広間から城門へと繋がる通路とは逆、奥の居館へと向かう通路へと引っ張って行った。


「茶筅、一体どこに行くのだ?茶筅!?」


「勘九郎兄上、この岐阜城にはまだ稲葉山城と呼ばれていた頃より、敵に城が囲まれた際に城から抜け出すための抜け穴がございます。その一つが城の大手門前に繋がっていると傅役の半兵衛が知っておりました。その抜け道を使います、お急ぎください!」


俺は困惑顔の勘九郎兄上を説き伏せ、抜け道へと急いだ。

抜け道の入り口にはこの状況を予測していたのか、半兵衛が松明を用意して待っていて、俺と兄上は半兵衛の案内で城門へと急いだ。

 抜け道の出口には灌木が生茂っていたため俺と勘九郎兄上は灌木を掻き分け抜け出て顔を上げると、確かに岐阜城の大手門に繋がっていて何とか他の者に後れを取らずに済んだと安堵していると、


「茶筅!それに勘九郎もか‥貴様ら使ったな。」


お小姓らを従え大広間から飛び出した父上と鉢合わせになり、俺と勘九郎兄上の顔を見るとニヤリと笑い抜け道を使ったことを指摘してきた。そんな父の言葉に勘九郎兄上は慌てて俺を庇おうと釈明しようとしたのだが父は首を横に振ると、


「構わん!戦は神速も以て良しとする、ここで後れを取る様な事をしていれば叱責していたところじゃ。茶筅、勘九郎上出来じゃ!!」


と褒めてくれた。俺はそんなに父の前に一歩進み出て片膝をつき控えると、そんな俺を見て父は鼻を鳴らした。


「ふん!茶筅なんじゃ改まって、言いたいことがあるのなら申せ!!」


「はっ!出過ぎた真似とは思いまするが一つだけ某の願いをお聞きいただけますでしょうか?」


「願いだと…良い聞いてやろう。」


「はっ、此度の上洛に至る仔細を紐解けば、義昭様は越前の朝倉左衛門督様を頼られご上洛しようとされましたが、左衛門督様の腰が重く父上を頼られることとなりました。

この経緯から左衛門督様は義昭様と父上に良き感情をお持ちではない事が予測されます。ご上洛後、義昭様が将軍の位に就かれましても左衛門督様は義昭様の呼び掛けに応じないやもしれませぬ。その時には左衛門督様の相手は父上ではなく浅井新九郎殿にご一任されることをお勧めいたします。

父上と新九郎殿は盟約を結びお市様が新九郎殿の元に嫁がれましたが、その時の約定に『朝倉への不戦の誓い』が結ばれたと聞いております。浅井家は近江の六角家と戦った野良田の戦いにおいて朝倉家からの援助を受けることで六角家を退けたと聞いており、朝倉家に対する恩義は深いとおもわれます。そんな朝倉左衛門督様が義昭様のお言葉に応じず、事を構えることになった時、約定にある『朝倉への不戦の誓い』を持ち出してくることが考えられます。ですので、逆に『朝倉への不戦の誓い』を盾に新九郎殿に左衛門督様のお相手をしていただければ宜しいのではないかと思うのです。」


「…新九郎を朝倉に対する盾として使えという事か。だが、新九郎に朝倉が抑えられるか?」


「朝倉は名将・照葉宗滴様を失ってから加賀より押し寄せる一向一揆に押されているとか。遠からず父上に助けを乞う事となりましょう。父上が動くのはその時で十分かと。」


俺の言葉に父は猛獣の様な獰猛な笑みを浮かべると、俺の頭を手荒く撫で回した。


「この“たわけ”が、恐ろしい事を考えるものよ。良かろう、貴様の願い心に留め置くこととしよう。では行って参る、貴様も三河で己の務めを果たすがよい!」


そう言うと勘九郎兄上を伴い馬上の人となった。ただ、父と共に離れて行く勘九郎兄上の顔が妙に引き攣っていたのが不思議だったのだが…


上洛のために軍を発した父と勘九郎兄上、それから家康殿を見送った俺は家康と共に岐阜まで来ていた徳川家の家臣と共に三河へと向かった。

三河に向かうのは俺をはじめ竹中半兵衛、前田蔵人、寛太そして五右衛門の五名。

そんな俺たちを護衛するのは、本多平八郎忠勝が率いる五百の兵だった。

史実では本多平八郎は戦の際には片時も家康の元から離れたことは無いと言われたほど家康に忠義を尽くした家臣だったはず。今回の上洛でも六角や三好との戦になることは明白で本来ならば家康の元に居るはずなのに、何故か俺の護衛をしている。

そう言えば、史実では岡崎城の城代を勤めていた石川与七郎数正が何故か家康の隣にいた様な・・・???

まぁ、兎にも角にも父と勘九郎兄上は上洛し、俺は三河の岡崎城へと向かう事となったのだった。


◇織田勘九郎信重


「…父上、私は織田家の嫡男として如何すればよいのでしょうか?」


上洛の軍を発した父上と共に馬に揺られている中、私は隣で馬を進める父に訊ねずにはいられなかった。


「織田家の嫡男として如何すれば、か?何故、その様な事を聞く勘九郎。」


父は私の問い掛けに対し笑みを浮かべられながら私の真意を訊ねられた。


「先日の市之丞殿との立ち合いといい、お城の抜け道を使い私を他の者たちよりも早く連れ出した事といい、茶筅には驚かされてばかり。しかも、父上に対し浅井を朝倉の抑えに使うようにと常人には思いもつかぬ献策まで。私にはとても茶筅の様な事は…」


そう吐露して奥歯を噛み締める私に父は快活な笑い声を上げられた。


「はっはっはっはっは!なんじゃ勘九郎、“たわけ(茶筅)”に嫉妬か?」


「…はぃ、正直に申せば。口惜しいことではございますが、これより織田家は上洛し天下に伍して往かねばなりませぬ。それを考えますと私よりも…」


「それは違うぞ奇妙!」


私の言葉に父上は即座に否定の言葉を告げた。そのあまりに断定的な言葉に私は思わず父上の顔を見上げると、父上は真剣な表情で私を見つめられていた。


「茶筅は織田家の三男、決して織田家の跡目を望むことは許されぬ。儂が許さぬ!

よいか奇妙、貴様は織田上総介信長の嫡男として産まれた。その瞬間から奇妙が織田家の跡目を継ぐ事が決まったのだ。

茶筅もまた同じ。

儂の三男として産まれた時点で、嫡男である奇妙を支える最も頼りとなる身内としての役目を負ったのだ。であればこそ儂は、あやつが岡崎の城に乗り込んで家康殿との直談判までして決めて来た“質”の役を認めたのだ。

あやつは己の役目を心得ておる、それを生かすも殺すも儂や奇妙しだい。

奇妙。茶筅を力ある者として認め、織田家のために使いこなしてみせよ。奇妙を茶筅それに三七が支え織田家を天下、そしてその先へと羽ばたかせるのじゃ。その道筋は儂がつけておく、その先を如何するのか、儂の遣り様を見て奇妙が考えるのじゃ良いな。」


そう言うと父上は都へと続く道の先へと視線を動かされた。

父上の視線の先は都なのか将又上洛の先に見据える天下なのか、今の私には分からないが決して目を逸らさず父上のなさり様を見て行かねばと決意した。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 信一は松平「清康」の従弟だと理解していましたが違いましたっけ? つまり、家康から見れば従叔祖父となりますね。 [一言] 嫉妬しつつも信康とは違う感じがいいですね。 このまま信忠にはいい…
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