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第三十話 三河行きの挨拶と…


「茶筅、此度の三河行きの支度は整っておろうな。」


永禄十一年(1568年)。第十三代足利義輝の実弟・義昭を奉じ京に上洛する数日前に俺は父から岐阜城に呼び出された。

理由はもちろん上洛に合わせて三河の徳川家へ質に入る俺に対し諸々の確認のためだ。

更に、万が一の事があれば今生の別れになるかもしれないため、岐阜城に居を変えた家族たちと顔を合わせさせてやろうという父の優しさだった。

 岐阜城に到着した俺が通されたのは城の奥にある父たち家族の居住場所ではなく、大広間で父を筆頭に正室の帰蝶様、上洛を機会に元服し名を奇妙丸から信重のぶしげに改めた勘九郎兄上と三七兄上に、二年の後に徳川竹千代殿に嫁ぐことが決まった冬姫とその母君などが俺を出迎えてくれた。

大広間の上座に座る父の姿を見て俺は慌てて大広間に入り父に対面する位置に座り、遅参の許しを得ると共に父たちに挨拶をしようとしたのだが、そんな俺に対して父は俺が対面に座った途端、三河行きの支度は出来たかと訊ねて来た。


「はっ!概ね支度は整っております。」


「概ねだと、このたわけが。何を愚図愚図しておる、三河殿は既に岐阜城下に入られ上洛の途に就くまであと数日だというのに。半兵衛ぇ!貴様が付いておりながら何をしておったのだぁ!!」


俺の返答に父は顔を顰め、俺の後ろに控えている半兵衛を怒鳴りつけた。俺は素早く平伏し、


「申し訳ございませぬ。ですが父上、半兵衛に非はございませぬ。準備が整っておらぬのは、某が三河に発つ前にやっておかねばと勝手をしたからにございます。その事について詳細を書付にしたためて参りました。」


そう言いながら懐から用意してきた書付を取り出し差し出した。そんな俺に父は小賢しいと言うように鼻を鳴らすと、控えていた小姓に俺が差し出している書付を取って来させ、その場で目を通し始めた。


 書付には三河に行く前に清兵衛や与左衛門たち職人に指示した改良型火縄銃の増産と新たな火器・木砲の開発依頼の許諾。

荒子城を追われた前田蔵人利久、前田慶次郎利益、奥村助右ヱ門永福らを俺の家臣にしたことへの承諾と、利久を三河へ同行させることへの許諾。

木下藤吉郎秀吉の与力・蜂須賀小六郎正勝を仲立ちにして美濃の山の民、玄衛門らへの硝石製造の依頼と椎茸の栽培方法の伝授。

父へ南蛮船の模型を元にした実物の建造の嘆願。そして最後に、五右衛門と寛太を俺の側近として取り立てることを許してほしいと書いておいた。

 父は書付に目を通してゆくにつれて険しい顔になり最後まで目を通した時には、額に青筋を立てながら、漏れ出しそうな怒声を必死に抑え手にしていた書付を床に置きゆっくりと俺に問い掛けて来た。


「のぉ茶筅。俺は三河行きの支度は出来たのかと問うたのだぞ。分かるか三河行きの支度じゃ。その返答がこの書付とはいささか俺を愚弄しておるのか?」


父の問い掛けを耳にした帰蝶様をはじめとしたこの場に立ち会っている者たちは父の表情と言葉に顔を青くした。特に元服したことで父と家臣たちのやり取りを間近で見る機会を得られるようになった勘九郎兄上は、父が家臣の不手際を叱責する際の様子とダブって見えた様で、俺が父から叱責を受けると思いどうしたら良いのか分からずオロオロし始めた。

だが、俺はそんな勘九郎兄上の心配を無視して爆発寸前の様に見える父に対し平然と、


「父上を愚弄するなど、とんでもございませぬ。その書付に記しましたことは、某が三河に赴く前に成しておかなければならぬ事にございます。二年余り尾張を離れるのです。その間、三河で質としての役目を果たすに当たり後顧の憂いを無くするために万全を期さねばと手を尽くしたまでにございます。どれも、日の目を見るまでには時を要する事ばかり。某が出来ることなど織田家にとっては些細な事にございますが、某は織田家の三男にございます。勘九郎兄上や三七兄上はこの岐阜にて父上の下でお力を付けておいでなのに、某は何もせぬでは織田の家名に傷をつける様な物。三河へ発つ前に少しはお役にたっておかねばとしたまでの事にございます。」


如何にも殊勝な物言いで応じた。そんな俺の態度に父はギリギリと歯軋りをしながら睨みつけると、


「茶筅、貴様の殊勝な心掛けはよっく分かった。だが、三河へ向かう支度は如何なのじゃ。あと数日のうちには俺や勘九郎は京へ上洛する。それに伴い三河殿も同道され貴様は三河に向かう事になる。抜かりはあるまいなぁ!」


そう言いながら座ったままの格好で俺の方へ乗り出して来た。


「もちろんにございます。前田蔵人殿を中心に万端整えて御座います!」


そう胸を張って告げる俺に、父はようやく怒りを鎮め大きく頷くといつもの『で、あるか』と応じた上で、


「勘九郎、三七。茶筅が三河に発つ前の最後の剣術の稽古を見分して遣わす。参るぞ」


そう言うと、立ち上がり岐阜城で兄達と剣術の稽古を行っている居館にある庭へと向かって歩き出した。そんな父に俺は『物好きだなぁ』と呆れていると、二人の兄たちはそれが当然だとでも言うように父の後を追い、帰蝶様や冬姫たちまで連れ立って大広間から居館へと向い、その姿に俺は唖然としたものの慌てて追い掛けることとなった。

 居館の庭では、俺たちに剣術の指南をしている松本市之丞政守がいつもの様に待っていたのだが、姿を現したのは俺たち兄弟だけでなく父や帰蝶様までいた事に一瞬驚きの表情を浮かべたものの、直ぐに何事もなかったように身を正して俺たちを出迎えた。


「茶筅丸様。本日の稽古にて香取神道流の剣術指南は一時中断されることとなります。ですが、三河に向かわれても稽古を続けられますように。剣の修行というものは、一日怠れば取り返すのに三日を要しまする。三河からお戻りになられましたら茶筅丸様は勘九郎様、三七様に従い戦に出る事となる事もありましょう。その時、無様な醜態を晒さぬよう精進を欠かさぬように!では、本日の稽古を始めまする。」


松本市之丞からの訓示の後、俺たちはいつもの様に香取神道流の稽古を始めた。

 この日の稽古も、いつもと同じように俺は兄たち二人の香取神道の型の稽古の相手を勤める形で稽古が進められて行き、一時(二時間)ほどの稽古が終わりを迎えようとした時、それまで俺たちの稽古を黙って見ていた父が口を開いた。


「市之丞。本日の稽古を終えると茶筅は三河に発ち貴様の手解きを受けられなくなる。そこでじゃ、これまでの研鑽が如何ほどの物であったかを見分いたしたい。勘九郎ら三人と立ち合いをせよ!」


そう市之丞に申し付けた後、市之丞からの返事を待たず視線を俺たちの方へと向けると、


「勘九郎、三七、茶筅。各々日頃から積んで居る剣の鍛錬が如何ほどの物であるか市之丞を相手に見せてみせよ。」


そう告げると、明らかに俺に向けて挑発的な笑みを浮かべた。

父の言葉に勘九郎兄上と三七兄上は日頃の成果を父に見てもらえると喜び勇んでいたが、俺の知る限り兄たちが行っていた剣術の稽古は、先ほどまで行っていた香取神道流の型をなぞる型稽古が中心で、木太刀を互いに構え打ち込む地稽古の様な物は行っていない。そんな俺たちに立ち会いを勧めるなど怪我だけでなく当たり所が悪ければ命の危険さえある行為だ。

市之丞も当然のように知っている事だし、まだ体が成長しきっていない俺たちが骨折などするような事があれば、現代医学のない戦国の世では適切な治療が受けられず体の成長が妨げられてしまうだけでなく、骨の変形を起こしてしまう恐れがあるため父からの申し出は拒否されると思ったのだが…


「はっ!上総介様の思し召しとあれば。勘九郎殿、三七殿、茶筅丸殿、御父君上総介様直々のご所望でござる。これまでの稽古の成果を存分に発揮し拙者に打ち込んで参られよ。」


と、市之丞はあっさりと快諾して俺たちに向かって打ち込んでくるように告げた。

市之丞の言葉に勘九郎兄上と三七兄上は興奮したように顔を紅潮させてやる気を滾らせると先ず三七兄上が市之丞の前に進み出た。


「某からお相手をお願いたしまする!」


一言告げた三七兄上は木太刀を市之丞の眉間に向かって突き立てる様に構えた。対する市之丞は木太刀を顔の横に立てて、三七兄上の出方を窺う様な待ちの構えを取った。

 双方相対して構えた途端、三七兄上の顔が強張り動きが固まる。

これまで香取神道流の型を習得するための型稽古しか行ってこなかったため、約束事が無い状態で向い合い木太刀を構えた後、どう動けばよいのか分からなくなってしまったようだ。

次第に表情を歪め額には緊張と焦りからか汗が浮かぶ。そんな三七兄上に市之丞は余裕のある表情を浮かべると、


「何をされておられる。さぁ、打ち込んで参られよ!」


発破を掛けた。その言葉に背中を押されたのか三七兄上は自分に活を入れる様に声を上げて、いつもの型稽古の時に俺に打ち込むように木太刀を肩の外から巻き込むように上段からうちこんだ。

それを市之丞はいつもの型稽古と同じように受け止める。その後も三七兄上が打ち込むと市之丞が型通りに受け止めることが続き、三七兄上に疲労の色が見えると市之丞はすかさず型の動きを崩して木太刀の切っ先を三七兄上の喉元に突き付けた。


「ま、参った」


木太刀を喉元に突き付けられた三七兄上は即座に降参し、悔しそうに唇を噛み締めて下がると、三七兄上に代わり今度は勘九郎兄上が進み出て無言のまま一礼し木太刀を構えると、


「いざ!」


掛け声を上げて市之丞に対しジリジリと間合いを詰めていく。

そんな勘九郎兄上に対して市之丞は先程の三七兄上の時と変わることなく、余裕の表情を浮かべて勘九郎兄上が打ち込んでくるのを待ち構える。

その後は三七兄上の時と全く同じで、型通りに打ち込む勘九郎兄上の木太刀を市之丞は難なく受け止め、勘九郎兄上に疲れと焦りが見えたところで型を崩し、勘九郎兄上の木太刀を躱しながら胴を薙ぐように木太刀を振り、薙ぐ寸前で止めて見せた。


「参りました」


市之丞の木太刀が腹を掠めるように止められていることを認め、勘九郎兄上も三七兄上と同じように悔しそうな表情を浮かべながら負けを認めると、市之丞に一礼し父たち家族が見物する縁側へと移動し、遂に俺の番となった。


「では行って参ります。」


俺は、父たちの方へと挨拶を告げ俺を待つ市之丞の前へと進み出て、兄たちと同じように木太刀を握り構えた。そんな俺に市之丞は嫌らしい笑みを浮かべると、俺が打ち込むのを待たず自ら打ち込んできた。


「ハァっ!」


それまでの兄たち二人と違って、気合いと共に打ち込んでくる市之丞に俺は慌てて木太刀を振り、打ち込みを防いだ。

最初の一撃が防がれた市之丞は、その後も俺に向かって木太刀を繰り出してきたがその動きはいつもの型の動きから少しずつ変化させていて、これまで習ってきた香取神道流の型通りでは防ぎきれない様な軌道で木太刀を打ち込んできたため、次第に俺は焦ってきた。

何しろ、木太刀を振るう市之丞の顔には嗜虐的な笑みが滲みだしていて、先ほどまでの兄たちの時のように打ち込んだ木太刀を寸止めするようにはとても思えなかったからだ。

もし、木太刀を防ぎ損ね怪我をしてしまうような事になれば、冬姫の代わりに三河に赴くというお役目が果たせなくなってしまい、織田と徳川の間に不和を生じさせることになるかもしれない。それだけは絶対に避けなければならないと、俺は市之丞の木太刀から逃れるために体勢を崩しながら躱すと、そのまま地面の上を転がり市之丞との間合を取った。


「なんと無様な。拙者の木太刀を躱すためとはいえ、その様に土塗れになるとは…それがこれから上洛をしようとされておられる織田上総介信長様の御三男でござるか!」


振り下ろされる木太刀から逃れ、地面を転がり間合を開けた俺に蔑みの言葉を投げつける市之丞に、俺は額から流れ落ちる汗を拭くのも忘れ木太刀を手に警戒を強めていた。そんな俺たちに立ち会いが始まってから終始無言で見つめていた父が口を開いた。


「阿呆。どの様な無様な姿を晒そうと己の身を保つのが織田のつわものじゃ。泥水を啜ろうがその身を保ててさえいれば、幾らでも挽回の機会は生まれるものよ。」


俺を擁護する父の言葉に、市之丞は顔を歪め俺の事を憎しみの籠った目で睨みつけて来た。

しかし、何故市之丞はこれほど俺の事を毛嫌いするのか?以前から稽古の際に妙に勘九郎兄上や三七兄上と俺との対応に違いがあるとは思っていたが、こんな風に憎しみの籠った目を向けられる覚えはまるでなく、困惑している所に市之丞が口を開いた。


「挽回の機会を得るためにとは、流石は上総介様。ではそれがどの様なものか確かめねばなりませぬな。茶筅丸様、いざ!」


そう言って立ち合いの続きをと促す市之丞。俺は横目で父の顔を窺うと、父も市之丞を止める様子はなく仕方なくその場に立ち上がり、再び木太刀を市之丞の喉元に向けるように構えると、


「茶筅、そうでは無かろう!」


父からの声が飛んできた。その途端、市之丞の目は憎しみに加え怒りが宿り、額には青筋が浮かんだ。その変わり様に、なぜ市之丞が俺を目の敵にしているのかが分かった。

市之丞は香取神道流を伝授するためにわざわざ尾張までやって来た。しかし、市之丞が尾張に呼ばれる発端を作った俺が、市之丞が尾張に到着する前から勝手に剣術の稽古をしていた事を知って、自身と香取神道流を蔑ろにされたと感じたのだろう。

だが、その事を直接俺に言うのは市之丞の自尊心を傷つけることになる。そこで生駒屋敷で勝手にやっている剣術の稽古など見て見ぬふりをし、俺を兄二人の稽古の木偶でくとして扱う事で自分を慰めていたのだろう。


そんな俺が市之丞の木太刀を躱した。それだけでも噴飯ものなのに、地べたを転がって躱す無様な姿を嘲笑い、貶めようとしたら父に咎められてしまった。その父の言葉を覆そう俺との立ち合いを継続しようとして、俺と向かい合うと再び父が横槍を入れ、伝授した香取神道流の構えを取る俺を『違う』と指摘したため、市之丞の堪忍袋の緒が切れたといった所だろうか。

だからと言って市之丞を慮って打ち据えられる訳にもいかない俺は、ここは腹を括って抵抗する他ない訳で…


◇織田信長


俺(信長)の言葉に顔を真っ赤にして憤怒の形相となる市之丞に対して、茶筅は何か諦めた様にひと息吐くと、生駒屋敷の中庭で見せた『蜻蛉』と呼んでおる木太刀を天に衝き上げるように掲げる独特の構えを取ると、


「キィエェェェェェ!」


生駒屋敷でも響き渡っていた奇声を張り上げ茶筅は市之丞に打ち掛った。

その一撃で全ては決した。

 茶筅の口から発せられた雄叫びに気圧けおされたのか、市之丞は守勢に回り茶筅が打ち込む木太刀を不用意に受け止めようとしたのだろう、振り下ろされると予測した己の頭上に木太刀を挙げた。

そんな市之丞の挙動を一顧だにせず、茶筅は天に向かって衝き上げた木太刀を、天から降る石の如き勢いで振り下ろし市之丞が受け止めようとして掲げた木太刀を断ち切りその勢いのままに市之丞の脳天を打ち割るかと思われた瞬間、眉間の一寸手前でピタリと止めてみせた。

木太刀を斬り飛ばされた市之丞は眼前で止められた木太刀にその場に崩れ落ちると、茶筅の一振りによって斬られた木太刀を見つめ硬直してしまった。

その様子を見ていた勘九郎と三七は目の前で起きたことが理解できぬのか、何度も目を瞬かせていたが、茶筅の供をしてきた半兵衛と従者らしき童二人は茶筅が市之丞との立ち合いに勝ったというのに喜びもせず、それが当たり前だとでも言うように平然としていた。そんな茶筅の従者が見せた態度に驚きと羨望を感じつつ俺は、


「それまで!茶筅、市之丞、良き立ち合いであった。」


と、立ち合いの終了を告げると、その掛け声を受けて茶筅は小さく息を吐き、それまで油断なく構えていた木太刀を納める様に左手で持つと、未だ硬直を続ける市之丞に一礼し後方で控えている半兵衛と童二人の元へと下がっていった。

その姿に帰蝶をはじめとした女共は姦しく騒ぎ出し、勘九郎と三七は女共の声に悔しそうに表情を歪めた。

しかし、俺からすれば勘九郎と三七が茶筅に対して悔しがるなど烏滸がましいと思えた。


「茶筅。どうじゃ己の日頃の鍛錬の成果を実感できたか?」


俺の問い掛けに茶筅は少し困ったように苦笑いを浮かべると、俺の言葉を聞き勘九郎と三七が声を上げた。


「父上!?日頃の鍛錬の成果とは一体何の事でございますか?」


「茶筅が市之丞に打ち勝った訳を父上は知っておられるのですか?」


二人が張り上げた問い掛けに、それまで断ち切られた木太刀を見つめていた市之丞も驚きの表情を浮かべ俺に視線を向けて来た。そんな三人に対し俺は大きく頷くと、


「もちろん存じておる。茶筅はお主たちと初めて対面した数日後から俺に剣術の稽古がしたいと申し出、市之丞を尾張に呼ぶ前から先ほど見せた剣の稽古をそれこそ一日も欠く事無くこの七年続けてきたのだ。それも、たった今見せた茶筅が『蜻蛉』と呼ぶ構えからの打ち込みと、『抜き』と呼んでおる帯刀姿勢からの抜き放ちの二つの型だけをな。」


俺の言葉に勘九郎と三七だけでなく市之丞も目を見開き驚きの表情を浮かべた。

当然であろう、勘九郎たちが剣術の稽古をするのは三日長い時には五日も間を空けて行われるのがほとんど。しかも、香取神道流の型を習得する稽古ばかりで茶筅のように実際に打ち込むような稽古は一切やっておらぬ。もっとも、茶筅のように横に寝かせた台の上に置いた横木などに打ち込むならまだしも、その様な物を使う稽古をせぬ市之丞がまだ体の出来上がっておらぬ勘九郎たちに打ち込みの稽古を課しても怪我をするだけであろうから致し方なかろう。しかし、茶筅はこのような剣の鍛錬を一体どこで知ったのか…そう思案していると、市之丞が口を開いた。


「上総介様。茶筅丸殿が操られる剣術は一体何と言われるモノなのですか?憚りながら香取神道流にて免状をいただいた拙者ではございますが、茶筅丸殿が操られるような剣術を見たことがございませぬ。後学のためどうかお教え願えませぬでしょうか!」


その問いに、俺は答えに窮し茶筅に目を向けると茶筅も困ったように顔を顰めたが、


「某が鍛錬を続ける剣術は自らを顕らかにすると書いて『自顕流じげんりゅう』と申す剣術にございます。元は戦場にて野太刀を操る為のすべとして産まれたものと聞いております。」


と告げると、市之丞は茶筅が告げた『自顕流』という流名を何度も呟いた。そんな市之丞の様子を見て、この場は散会する事となり茶筅らは数日後に訪れる三河への出立のため宛がわれた部屋へと下がろうとしていた。俺はそんな茶筅を呼び止め、


「茶筅。本日は大儀であった、褒美に貴様が書付に書き連ねた事柄が滞りなく行われるよう取り計らってやろう。それと、貴様に付き従う其処な童どもは名を何という。」


俺が書付に書かれていたことを請け負うと喜んで満面の笑みを浮かべたが、続けて言い放った問いに困惑の表情を浮かべる茶筅の顔が可笑しく、いつも驚かされている意趣返しが出来たと内心ほくそ笑みながら待つと、俺が茶筅を呼び止めたのに合わせてその場に片膝をついて控えていた童が各々名を告げた。


「寛太にございます。」


「五右衛門にございます、上総介様!」


寛太と名乗った童は、緊張している様子だったが年恰好の割には礼儀正しく、一方の五右衛門と名乗った童は物応じせぬ元気な声で応えながらも、その目は俺の事を探ろうとするような用心深さが垣間見えた。


「寛太に五右衛門か。その方たちも茶筅に付き従い半兵衛や蔵人と共に三河へ赴くのか?」


「「はい!」」


俺の問いに今度は二人同時に力強い声で答えるその姿は、幼き頃の俺と五郎左(丹羽五郎左衛門長秀)に勝三郎(池田勝三郎恒興)の姿が重なった。


「そうか!では三河より戻った時には茶筅と共に元服をするよう申し付ける。茶筅の事、頼んだぞ!!」


「「はっ、はい!!」」


今度は俺の申し出を聞いて心底驚いたのか、言葉に詰まりながらも元気に返事を返した二人の童は満面の笑みを浮かべた。そんな二人を半兵衛も嬉しそうに笑い掛けた。そして茶筅は、


「父上、宜しいのですか?父上直々に元服の許しなど…元を糺せば寛太は河原者、五右衛門は忍びにございます。二人には某が元服をと思っておりましたが…」


とガラにもなく殊勝な事を言ってきた。そんな茶筅の言葉に俺は堪らず吹き出してしまった。


「っぷ、はっはっはっはっは。たわけがさような事を気にせずとも良い、元がどうあれ貴様にとっては大事な家臣なのであろうが!ならば貴様の父である俺が許しを与えぬで如何するというのだ。よいか茶筅、貴様は『たわけ』らしく己を通すが良い!!」


俺の言葉に何をそんなに驚いたのか茶筅は目を大きく見開いたが直ぐにいつもの様に太々しくニヤリと笑うと、


「はい!父上の子らしく三河でも大いに『たわけ』て参ります!!」


そう声高らかに宣う茶筅に再び吹き出すと、俺につられて茶筅も声を上げ笑い暫くの間親子二人で笑い合うこととなり、上洛に向けて忙しなく過ごす日々の中、一気に気が晴れる良き一時となった。


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