第三話 家族との対面
俺が茶筅丸として産まれてから三年が経った。その間に、隣国の駿河・遠江・三河の三ヵ国を治める今川義元の侵攻に遭い、織田家は存亡の危機に瀕した。
この時、父・信長は籠城ではなく野戦にて今川義元を打つ起死回生の一手に出た。
今川との国境に設けた砦を落とされても、父は起死回生の機会を虎視眈々と狙い、織田方の砦を落とし気が緩んだ今川勢が桶狭間山で休息を取ったところを、織田軍総勢三千で奇襲を掛け今川義元を討ち取り、今川の軍勢を駿河へと退却させたらしい。
一連の動きは母の下に来た使番によってもたらされ、母に仕える女たちが屋敷の彼方此方で囀っているのを四つん這いで這い這いしながら聞き耳を立ていたことで知ることが出来た。
しかし、まだ大して喋ることの出来ない稚児の前とは言え、織田家の機密ともいえる情報が其処彼処で囁き合われているという状況は、赤子ながらに不味いんじゃないか?と危機感を抱いたものだ。
ともあれ、東海道一の弓取りと称えられた今川義元を討ち取ったことで、織田信長の武名は戦国の世に知れ渡り一躍脚光を浴びることとなった。
一方、今川方はというと当主を討ち取られて混乱し始め、満足に家中を纏めることも出来ない状況に嫌気がさした三河の松平元康は今川から独立した。
そんな松平との和睦と同盟の話が織田家中で噂になる中、俺は母と共に父の住む清州の城に呼び出された。
母・吉乃は父の側室で本妻は清州のお城で父と共に暮らしているのだが、俺が三歳になったのを機に本妻に対面することになったようだ。
実は、母は俺の前に織田家の嫡男となる男児を生んでいたのだが、子宝に恵まれない本妻に養子として預けられ清州の城で暮らしているそうだ。
兄に会うのも今回が初めての機会となり、内心ドキドキが止まらなかった。
母に連れられ、清州のお城の奥にある座敷に向かうと其処には俺と背格好が似た男の子とその母親らしき女性が既に座っていた。
その女性の姿を見た母は俺を急かし少し早足で廊下を進み座敷に入ると、
「お豊様、お久しゅうございます。こちらが三七殿ですね、随分と凛々しいお顔立ちでございますね。」
と、笑みを浮かべ駆け寄って挨拶をした。
そんな母に対してお豊様と呼ばれた女性は隣に座らせている男の子と共に頭を下げて挨拶を返した。
「吉乃様もご健勝の様子、安堵いたしました。そして、そちらが茶筅丸様にございますね。お初にお目にかかります、豊にございます。良しなにお願いいたします。」
そう言うと笑みを俺に向けてきたのだが、その眼は笑っておらず何所か敵意の様なものがチラチラと見え隠れしていた。俺はそんなお豊に若干引きながらも、
「ご丁寧にありがとうございます。茶筅丸にございます、どうぞよろしくお願いいたします。」
と挨拶をし、隣に座る三七にも挨拶の言葉を発しようとした時、廊下に響く大きな足音が近づいてくるのが聞こえて来た。
その途端、母とお豊殿は居住まいを正しその場に平伏した。三七もお豊殿に合わせて顔を伏せたが、俺はその足音で誰が近づいて来ているのか分かったため、足音の人物が座敷に足を踏み入れた瞬間に大きな声で出迎えた。
「父上!茶筅にございます。今日はお城にお呼びいただきありがとうございます!!」
「おぉ!茶筅か、相変わらず元気だのぉ。吉乃!お豊に三七も顔を上げよ。」
姿を現したのは父・信長で大きな声で出迎えた俺に笑みを浮かべて声を掛けると、平伏する母たちに顔を上げるように告げた。
その声に母とお豊は即座に顔を上げたのだが、三七は平伏したままの姿勢を維持していた。
それを見た父は一瞬にして不機嫌そうな顔に変わり、
「三七!顔を上げよと申した父の言葉が分からぬか!!」
怒気を孕んだ声が飛んだ。そんな父にお豊殿は慌てて三七に顔を上げさせ挨拶を促した。
「三七にございます。お下知に寄り参上いたしました。」
顔を上げた三七の口から出た挨拶は、酷く堅苦しいもので俺は困惑した。
父もあまり気に入っていないのか、
「であるか。」
の一言を返し、一瞥だけで直ぐに三七から視線を外してしまった。
「さて、清州に呼んだのは三七と茶筅を我が嫡子・奇妙丸と養母・帰蝶に合わせるためだ。」
その言葉に合わせるかのように、蝶の柄が美しい打掛を纏った女性と目鼻の整った如何にも真面目そうな男の子が座敷に入り父の隣に座った。
「吉乃殿。豊殿。清州までご苦労でした。そして、そちらにいるのが茶筅丸殿と三七殿ですね。」
「その方らが茶筅丸と三七か!奇妙丸だ!!」
正妻の威厳を示しながらも優し気な笑顔で微笑む帰蝶様と、父と同じようにハキハキした言葉で俺たちの事を確認してきた奇妙丸様。
そんな二人に俺を除く三人は再び平伏したが、俺はそのまま胸を張り大きな声で、
「帰蝶様!奇妙丸兄様!茶筅にございます、よろしくお願いします。」
と、挨拶をすると、俺の大きな声の挨拶に奇妙丸様は驚いたのか目を見開いていたが、帰蝶様は元気に挨拶をした俺に笑みを深めて好意的に受け取ってくれた。
「ふっ‥はっはっはっはっは、どうだ帰蝶。これが茶筅だ。物怖じせぬ可笑しな童であろう。奇妙は驚いたようだな、こんな変わった童に会ったのは初めてか?」
二人の様子を見ていた父は吹き出すように笑い声を上げると、帰蝶様と奇妙丸様に俺に対する感想を訊ねた。
そんな父に帰蝶様は打掛の裾で口元を隠し上品に笑い声を上げた。
「殿の申される通りにございます。奇妙丸殿を支える弟君がこのように物怖じせぬ男子だと知れて嬉しく思います。どうですか奇妙丸殿。」
「はい、養母上。溌溂とした男子が我が弟であれば、某も嬉しく思います。また、三七も思慮深く礼儀正しい立ち居振る舞いに兄として安堵いたしました。 茶筅、三七、ここに兄弟の対面を済ませた上は共に手を携え父の力になれるように励もうぞ!」
帰蝶様の問い掛けに卒なく応え、さらに俺たちに手を差し伸べようとする奇妙丸様に父も満足気に大きく頷いていた。
一方、奇妙丸様から声を掛けられた三七は一拍の間を置いたものの、
「…奇妙丸兄上。三七にございます。良しなに願い奉ります。」
と、少し堅苦しくはあるものの無難に返した。そんな三七に続き俺は、
「はい、奇妙丸兄様。それに三七兄様、お二人のような御兄上が居たと知り茶筅は嬉しいです。」
と、無邪気に兄が出来たことに喜んで見せると、奇妙丸様は満足気に父に良く似た笑みを浮かべ、三七は俺の言葉に一瞬驚いた様だったが直ぐにそれまで何処か硬かった表情が柔らかくなり、子供らしい素直な笑顔を見せた。
その表情の変化に、史実では先に産まれた三七を嫡男の実母である母・吉乃に遠慮して三男とされた噂は事実だったのかと察した。
まぁ、兄弟の不仲から弟を殺さなければならなかった父からしたら、嫡男である奇妙丸と三七が不仲になるより俺と三七の仲が悪くなれば、奇妙丸が俺と三七の仲を取り持つことで兄弟間の主導権を握ることが出来ると考えたのかもしれない。
しかし、真面目で陰気な気質の三七には毒にしかならないし、奇妙丸がこの世からいなくなれば俺と三七の間で争いが起き易い状況が生まれる(史実では本能寺の変後に兄弟間の争いが大きくなりその隙を突く形で秀吉に天下を奪われた)ので父の目論見は潰させてもらうことにした。
だいたい、兄弟間の無用な争いを誘発しなくとも、父・信長は嫡男の奇妙丸とそれ以外の兄弟の間に明確な立場の差をつけて行くのだからそこまで神経質になることは無いと思うのだが、『弟殺し』はそれだけ父にとって痛恨の出来事だったのだろう。
何はともあれ、俺の子供らしい無邪気な行動(?)に座敷に集まった家族は父を中心に和やかに一時を過ごし、俺は奇妙丸と三七の二人と仲良くなることが出来て顔合わせは無事終了した。
◇清州城奥・織田信長
「殿、茶筅殿にしてやられましたね。」
奇妙丸と三七・茶筅丸の兄弟顔合わせが行われた夜、清州のお城の奥座敷で男女が閨を共にした後の淫靡な空気を纏い睦事(ピロートーク)を交わしていた。
「ふん!茶筅のたわけめが、差し出がましい真似をしおって。まぁ良い、どうやら三七にとっては茶筅の一言が救いとなったようであるしな。今回の事は俺の先走りが悪しき方へ向かう所だったのやもしれぬ。」
帰蝶の一言に、自らが仕向けた次男三男不和の策で三七が幼いながらに思い悩んでいた事に気付き、織田家の為と思って仕掛けた策が失策だったと気付かされ、不機嫌そうに鼻を鳴らす信長。
そんな子供の様な信長の態度に帰蝶は可愛らしく笑い声を上げた。
「あはっはっはっは、殿のその様な様子は久しぶりに見ます。茶筅殿は殿のお眼鏡に適う器でしたか?」
「幼いながら賢しき所はあるようだが、それが本物かそれとも小賢しき悪知恵の類かはいずれ分かるであろう。」
そう帰蝶の問いに答えた信長は、目をギラリと光らせながらも満足そうに笑みを浮かべるのだった。




