第二十六話 五右衛門の懊悩
三河行きの準備を進める中、俺の供をしてくれる寛太と五右衛門、半兵衛と利久の四人もそれぞれ身の回りの整理をしていたのだが、その中の一人、五右衛門がこのところ何かを思い詰めたような表情を浮かべていることが多く、同輩の寛太は五右衛門の普段と違う様子を心配して、何を悩んでいるのかを問い質すも五右衛門は話をはぐらかすばかりだった。そんなある日…
「茶筅丸様、少し宜しいでしょうか?」
三河に行く前に、父にお願いする事について予め段取りを整えておこうと、加藤清兵衛や福島与左衛門たち職人をはじめ必要があると考える者たちに渡りをつけるためにそれぞれに向けて文をしたためていた俺の元に、半兵衛がいつもの柔和な笑顔を消し真剣な表情を浮かべて両手に寛太と五右衛門の腕を掴みやって来た。
「うん?何だ半兵‥如何したのだ、寛太。五右衛門!?」
声を掛けられて顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、いくつもの青痣をつくって仏頂面をしている寛太と五右衛門の顔だった。
俺の問い掛けに寛太と五右衛門は互いの顔を一瞥したものの直ぐに顔を逸らしてしまい、二人からの返答は無かった。その様子から二人が諍いを起こしたことは容易に知れたが、これまで二人が殴り合いをするほどの諍いを起こしたことは無かったため俺は困惑してしまった。
寛太と五右衛門は河原者との諍いで俺が前野将右衛門長康と衝突した際、寛太とお周兄妹を俺の手もとに引き取ると告げた時、五右衛門は寛太兄妹の身を案じて一緒に俺の家臣となった。
真面目で慎重な寛太に対し、五右衛門は少々粗暴で細かい事を気にしない大雑把な性格だったが、何故か二人は馬が合うようで互いの足りない所を補い合い、過不足無く俺に仕えてくれていた。
そんな二人が殴り合いをするなど一体何があったのか心配し再度問い質そうとする俺に先んじて半兵衛が口を開いた。
「寛太。五右衛門。茶筅丸様がお訊ねだ、お答えせぬか!」
普段とは違う厳しい声色で問い詰める半兵衛の剣幕に、まず寛太が口を開いた。
「その‥このところ五右衛門が何か思い詰めている様だったので、何か悩み事が有るのかと訊ねたのです。ですが五右衛門から『寛太には関係ない、ほっといてくれ!』と言われたものですから…」
「寛太に話したところで何の解決にもならないから、『ほっといてくれ』と言ったんだ!それが気に入らなかったのか、こいつが掴みかかってきやがって…」
横を向いたまま吐き捨てる様に言葉を発する五右衛門。そんな五右衛門に寛太は顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ほっとける訳ないだろう!」
生駒屋敷に来てから、一度として声を荒げる事の無かった寛太の激声に、五右衛門だけでなく半兵衛も驚き虚を突かれたようだったが、俺は初めて寛太と会った駒形屋での事が頭に浮かんだ。
そんな周りの反応を気にすることなく寛太の激声は続いた。
「五右衛門は俺が将右衛門様手下の破落戸どもに殴られ動けなくなった俺の身を案じて、茶筅様を呼んできてくれた。そのおかげで俺は傷の手当てをしてもらう事が出来たし、お周と共に生駒屋敷で暮らし茶筅様にお仕え出来るようになったんだ。
あの時、五右衛門が茶筅様を連れて来てくれなかったら俺は傷が元で死んでいただろうし、一人になったお周は破落戸どもに人買いへ売られていた。
五右衛門は俺たち兄妹の恩人であり大事な友だ。そんな五右衛門が悩み苦しんでいると知ったらほっとける訳がないだろうがぁ!!」
「か、寛太…」
寛太の言葉に感極まったのか五右衛門は名前を呟き言葉を失っている様だった。
そんな五右衛門と寛太の様子を見て半兵衛は父親の様な温かな眼差しで見つめていた。
「失礼を致します。茶筅丸様、おかげをもちまして慶次郎と助右ヱ門の旅の支度、恙無く整いましてございます。それで、五右衛門殿は何をそんなに悩み苦しんでおられるのですかな?」
話が一区切りついたのを見越したように俺の部屋に入って来た利久は、五右衛門は何を思い悩んでいるのかと優しく問い掛けた。
前田蔵人利久は俺の提案を受け入れ俺の家臣となることになり、養子の慶次郎利益と荒子城の城代を勤めていた奥村助右ヱ門永福の二人は、俺が三河から質の役目をはたして戻ってくるまでの間は諸国漫遊の旅に出ることにし、その準備のために奔走していた。慶次郎たちの旅支度が整ったことを報告しようと屋敷に戻って来たところで、俺の部屋から聞こえて来た話し声から五右衛門に何を悩んでいるのかと問い質したようだ。
普段は好々爺然として優し気な笑みを浮かべている利久だったが、流石は長年荒子城の城主を勤めていただけの事はあり、俺たちが五右衛門に訊ねたくとも訊ね難くなっている中、飄々としながらもズバッと問い質すその手腕には敬服した。
俺は、慶次郎や助右ヱ門の武力を期待して前田蔵人家に家臣にならないかと声を掛けたが、利久の家中を纏める内政官としての力量は、もしかしたら今後の俺にとって最も必要となる力かもしれないと感じさせるものがあった。
そして、その事を証明するかのようにあれほど頑なに話すことを拒否していた五右衛門が利久の一言で話し出した。
「茶筅様。寛太、某は元々尾張の者ではありませぬ。伊賀の上忍、百地丹波守正永様配下の忍びにございます。寛太と出会ったのは伊賀から百地丹波守様と共に次の勤め先である三河に行く途中、他の仲間が集まるのを待っていた時の事でございました。たまたま仲良くなった寛太が破落戸どもに折檻されて傷を受け、窮余の一策として寛太から話を聞いていた茶筅様の元に駆け込んだのでございます。」
五右衛門が自身の正体を晒したことで、寛太はもちろんだが俺も驚き、利久は警戒するように僅かに目を細めた。ただ、半兵衛は普段の五右衛門の様子から既に気が付いていたのか一人平然とし、いつもの柔和な笑みを浮かべていた。
部屋の中の空気が張り詰める中、俺たちの反応に五右衛門は申し訳なさそうに顔を伏せたものの、口を閉ざすことは無かった。
「三河には伊賀から松平次郎三郎清康様にお仕えした服部半蔵保長様が居られまして、半蔵様が百地丹波守様に手下を数名用立てて欲しいとの依頼があり、それにお応えするため当地に滞在していたのです。そんな中、河原者である寛太のために前野将右衛門様に立ち向かわれる茶筅様の姿に、これまで会ったお侍様とは違うモノを感じ、寛太と共にお仕えしたいと思い、百地丹波守様にお許しをいただいたのです。」
百地丹波守に許しを得て俺に仕えたという五右衛門の言葉に、利久の表情がいつもの好々爺然としたものに変わると、部屋の中の空気が緩んでいくのを感じた。
「では、五右衛門殿が思い悩んでいたのは、三河に向かうと雇人となる筈であった服部半蔵殿と顔を合わせることになるのかもしれぬと考えての事にございますな。」
そう確認をする利久に対し、五右衛門は一呼吸の間を置いて小さく頷き、
「蔵人様のお訊ねの通り、某が懸念しているのは三河に赴いた際、服部半蔵様からの接触を畏れての事にございます。某が向かうはずであった服部半蔵様は既に家督を御嫡男に譲り、名を千賀地浄閑入道保長と改められて伊賀にお戻りになられておりますが、服部家を御継ぎになられた御嫡男・半蔵正成様は徳川様の馬廻衆としてお仕えいたしておられます。忍びから馬廻衆にご出世なされた半蔵様から見れば某は約束を破った不届き者、決して良い顔はなされないはず。その思いが茶筅様に向いては…」
そう言うと再び顔を下に向けてしまった。
どうやら五右衛門は自分のせいで服部半蔵正成が徳川に質として赴く俺に対しても良い感情を持たないのではないかと心配している様だった。
この時代、忍びは諜報活動など重要な働きをしているにも拘らず扱いが悪く、“道具”として扱う大名や武士が多かった。特に、伊賀の忍びは主に仕えて忍びの務めを果たすのではなく、金で雇われて忍び働きをしていたために甲賀や風魔、甲州乱波など主に仕え忍び働きをする他の忍び衆に比べ、使い捨ての道具のように扱われていた。
そのため、武士として馬廻衆にまで取り立てられている服部半蔵に疎まれるのではないかと考えたのだろう。
父の上洛に合わせ家康が尾張に入るまでにあと二か月、この二か月で二年後尾張に戻って来た時のための準備を進めている中で手足として動いてくれる五右衛門を手元から離すのは痛いのだが、懸念材料は潰しておく方が五右衛門にとっても良いだろうと俺は決断を下した。
「五右衛門、お前はこれから伊賀に赴き百地丹波守殿と千賀地浄閑入道殿に俺の書いた書状を渡し、丹波守殿と浄閑入道殿からの返書を持って帰ってくるのだ。
蔵人殿。慶次郎と助右ヱ門は予定通り明日、出立するのですね?」
「はっ。茶筅丸様のおかげで津島の大橋様のお計らいにより船にて川を下り、安濃津に向かう手筈となっております。」
「ならば、慶次郎たちと共に五右衛門も安濃津まで同道させるように差配を頼みます。なに、慶次郎付きの下男だとでも言えば問題ないでしょう。安濃津まで船で渡れば五右衛門の足ならば伊賀までそれ程掛りますまい。俺が三河に向かうまでには戻って来られましょう。確と頼みましたぞ!」
そう利久に命じると五右衛門の反応を待たず俺は百地丹波守と千賀地浄閑入道への書状をしたためた。
百地丹波守に向けての書状には、五右衛門が俺の家臣として召し抱えてよりこれまで申し分のない働きをしていること。そんな五右衛門が俺に仕えることを許してくれた百地丹波守に対する謝辞をしたため、更に今後何かの折に直接会う事が叶えば共に酒を酌み交わしたいと記した。
千賀地浄閑入道への書状には五右衛門が俺に仕えることになったことに対し、主君としての謝罪と、嫡男・服部半蔵正成への取り成しを頼んだ。
そして丹波守・浄閑入道の両者に、仕えてくれる五右衛門の働きから伊賀の忍びの優秀さを知り、俺が元服した後には伊賀の忍びを“家臣”として召し抱えたいとの望みを持っていることをしたためて結びとした。
この最後の一文は俺が史実通りに北畠家に養子に入った時のための布石だ。
史実では信雄も伊賀に臣従を求めたようだが、それは武士として取り立てると言うものではなく、単純に領有化を画策しての事だった。しかし、伊賀の忍びにも矜持があり有無を言わさず領地を召し上げようとする信雄に反旗を翻すのは当然の反応だっただろう(それだけではなく当時伊賀と北畠家は友好関係を結んでいたが、そんな北畠家の具教をはじめ主だった者たちを騙し討ちの様にして殺害した信雄に反感を持ったことも考えられた)。
俺は、伊賀の忍び衆の力を大いに評価し、その力を織田家のために存分に振るってもらった方が伊賀国を単純に領有するよりも価値があると考えている。
忍び衆がもたらす情報は武士一人の戦働きの何倍も有益であり、戦国の世に限らず太平の世になったとしても忍び衆の情報収集能力は必要不可欠なものだと考えていた。
史実通りに北畠家に養子に入ったら、是が非でも伊賀の忍び衆を家臣に迎えたいと考えていたのだが、その手掛かりがこんな身近に在ったと知ったら、活用しない手はない。
皆の前で書き上げた書状と、伊賀まで往復の路銀を五右衛門に渡すと、五右衛門は驚き涙を流した。
そんな五右衛門に寛太も涙を浮かべて『よかったな!』と声を掛け、半兵衛も俺の五右衛門に対する対応に満足そうにいつもの柔和な笑みを深めた。
しかし、利久はそんな俺たちの様子を困惑の表情で見つめていた。その事に気付いた俺は利久を見据えた。
「蔵人殿、某が五右衛門のために差配を指示し書状をしたためたことに何か言いたい事があるのですか?」
自身の顔を見据えて問われた言葉に利久は一瞬たじろいだものの、直ぐに居住まいを正すと、
「茶筅丸様、五右衛門は他国の忍び。その様に気を使われる必要はないのではございませぬか。小者に気を使われる様子を他の者に見られますと茶筅丸様が侮りを受けることになるやもしれませぬぞ。」
と、利久からしたら忠言のつもりなのだろう言葉を口にした。そんな利久に俺は大きく首を横に振り、
「蔵人、五右衛門が忍びであろうがそんな事は関係ない。五右衛門が俺に忠義を尽くし仕えてくれることに対し、相応の事をしているに過ぎない。俺にとって身分など関係ないのだ、重要なのは俺に仕え働いてくれるかどうかだ。忍びであろうと、河原者であろうと山の民であろうと、俺に仕え尽くしてくれるなら相応に俺は報いる。大体、俺だとて元をただせば剣神社の神官だ。それが巡り巡って時流に乗り尾張と美濃を治める父の子に産まれたに過ぎぬ。今は河原者であったり、山の民である者たちも元は帝に連なる者かもしれぬ。人の世は移ろいやすい、その中でたまたまその身分にあったとてそれがその者の価値を表す全てと言えぬではないか。ならば、俺は俺にとって如何なる者であるかを大事にしたいのだ。」
そう告げる俺の言葉を吟味するように考え込む利久。そこへ、俺は更に言葉を投げ掛けた。
「そして、これが前田蔵人家の者たちを家臣とする理由にもつながる。前田蔵人家は林佐渡守殿の与力とし父と敵対したことで、実の弟とは言え又左衛門殿に家督を譲るように命じられた。周りの者から見れば父に疎まれ隠居へと追われた前田蔵人家の者を父の子である俺が何故家臣に?と思うであろう。
蔵人の言い分では前田蔵人家の者を家臣などするべきではないとなるであろう。だが、俺からすれば俺と父とは別の人間であり、俺にとって前田蔵人家の者は如何かが大事なのだ。
俺は父の三番目の子で質や養子として使える子供でしかない。そんな俺にとって、荒子城を治めていた前田蔵人利久や、利久を支え忠義を示した奥村助右ヱ門永富。それに武勇の誉れ高い前田慶次郎利益は得難い者たち。
権六殿の推挙もあったが、俺に必要だと考えたから召し抱えようと声を掛けたのだ。其処にお主たちの身分は考慮に入れていない。分かるか?俺が召し抱える者は俺が求めた者たちなのだ。その者たちが俺に尽くしてくれたなら報いるのが主君としての俺の務めではないのか。違うか?前田蔵人利久!」
そう言い切る俺に利久は驚きと共に感慨ふける様な表情を浮かべ、その場に平伏した。
「申し訳ございませぬ。利久、思い違いをしておりました。茶筅丸様が其処までお考えの上での事とは気づきませず。五右衛門殿、無礼な物言いお許しいただきたい。伊賀行きの手配万全を尽くし、五右衛門殿がお帰りまでの間、微力ながら某も茶筅丸様のため尽くす所存。されど、五右衛門殿は茶筅丸様にとって替えの利かぬ御方であり我らの同輩、お早いお帰りをお待ちしております。」
と、俺だけではなく五右衛門に対しても謝罪の言葉を口にした。そんな利久に五右衛門はどうしたらよいか分からず狼狽え、そんな五右衛門の様子に俺と寛太、半兵衛はクスクスと笑い出してしまい。その笑い声に顔を上げた利久もつられ、部屋に笑い声が溢れた。
後にこの時の事を利久は慶次郎や助右ヱ門にも話して聞かせたという。そして、これが後の北畠家臣団の強固な結束を産んだのだと述懐している…。




