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二十五話 荒子の前田一党を抱き込む

「如何されたのですか権六殿、随分とお疲れのご様子ですが…」


義昭を奉じての上洛に向けて準備を進める織田家。その最中に突然、柴田権六勝家が生駒屋敷を訪ねて来た。

生駒屋敷は父の側室である母の居館であるため、父以外の殿方が突然訪れる事は滅多になく、訪問する際には数日前には先触れを行うのが暗黙のルールだったのだが、この日の権六の訪問は先触れの無いルール破りの行為だった。

応対に当たった八右衛門も先触れがないことを理由に追い返すつもりだったようだが、屋敷を訪れた権六の困り果てている顔を見て、ルール破りには目を伏せ俺の居る部屋に通したそうだ。

 確かに、俺の目の前に腰を下ろした権六の顔は酷くやつれ、目の下にはくまが出来ていたために、如何したのかと問い掛けると権六はその場に平伏し、


「茶筅丸様!前田蔵人家の者たちをお助けいただけませぬかぁ。この権六、八方手を尽くしたのでござるが、某では蔵人家の者たちを助けることは叶いませなんだ。最早、茶筅丸様の御慈悲におすがりするほか某には手立てが見出せませぬ。お願いでございます、蔵人家の者たちをお助け下さいませ!!」


俺をはじめこの場に立ち会っていた半兵衛に八右衛門、寛太に五右衛門は熊の様な体躯の権六がその体を縮め平伏する姿に面食らい、言葉を失った。

 柴田権六と言えば史実では様々な渾名を持つ猛将。その権六が身を縮めて懇願する姿を目にすることになるとは夢にも思わぬ事だった。


「…ご、権六殿。先ずは何があったのかお話下され、お話しいただけなければどうすればよいのか某には見当つきませぬ。」


そう告げると、権六は羞恥からなのか朱に染まった顔を上げ、恥ずかしそうに顔を伏せながらツラツラと語り始めた。


事の起こりは数日前、上洛を前にして父・信長はこれまで父に忠誠を誓い尽くしてくれていた子飼いの家臣を重用し、織田信清や弟・信勝に付いていた国人領主から領地を取り上げて子飼い家臣に下げ渡すことで領内の統制を強めようとした。

義昭を担いでの上洛をする上で、領内に乱れが起こることは絶対に避けなければならないため、父に恭順を示しつつも心底の見えない国人領主を排し、子飼いの家臣の忠誠を一層強めるためには仕方のない措置だったのかもしれないが、国人領主たちにとって見れば寝耳に水の仕置きだった。

そんな仕置きの対象の中には荒子城の前田蔵人利久も含まれていた。


 荒子前田家は利久の父親の前田蔵人利春の代から林佐渡守秀貞の与力だったため、父・信長と御舎弟・信勝との争いの中で、信勝側につく事となった。

しかも、林佐渡守は信勝を唆した張本人とされ父から疎まれていたため、その与力であった前田蔵人家もまた『同じ穴の狢』と、不信の目を向けられることとなった。

そんな前田蔵人家の中、四男の前田又左衛門利家は家督を継ぐ事の無い“部屋住み”の立場に置かれていた。

父は若い頃に部屋住みの立場に置かれていた武家の次男や三男を集め、自身の親衛隊として徒党を組んでいたが、又左衛門も幼き頃から父の郎党に加わり、その武勇から父の寵愛を受けていた。

一時期、織田家から放逐されていた事もあったが、数々の武功によって帰参が叶い、父子飼いの武将の一人に名を連ねる存在となっていた。

そこで、父は子飼いの家臣で尾張国内を固めるに際し、荒子城の城主だった前田蔵人利久を戦働きの出来ない病弱者と断じて隠居させ、前田家の家督を弟の前田又左衛門に譲るように命じた。

この決定に荒子城の城代を勤めていた奥村助右ヱ門永富は城の明け渡しを迫る利家に対し、『利久からの命がなければ、城の明け渡しには応じない』と抵抗。戦も辞さぬとの態度を示した。

この助右ヱ門の対応に利家は慌てて利久のもとに使いを走らせ、状況を伝えると利久は城を明け渡す様にとの添え状をしたためたことで、助右ヱ門は荒子城を開城し、戦にまで発展することは無かった。

 隠居を申し渡された利久と共に開城した荒子城を後にした者は、城代を勤めていた奥村助右ヱ門ともう一人、利久の養子で本来ならば荒子城の次の城主となる筈だった前田慶次郎利益だった。

 助右ヱ門と慶次郎は同い年で、“竹馬の友”の間柄。助右ヱ門が利家に抵抗したのも竹馬の友である慶次郎の事を慮っての事だった。

 この出来事は史実では上洛の後に起こり、城を出た慶次郎と助右ヱ門の二人は尾張を出奔している。

 前田蔵人家と権六は本来同じ立場に置かれていた筈だった。

権六もまた御舎弟・信勝に加担し父に反旗を翻した一人だったが、稲生の戦いで敗れ赦免されると父に臣従し、墨俣の築城と西美濃の調略の功を認められ父に重用されるようになっていた。

そんな自身の境遇と、荒子城を追われることとなった前田蔵人家に想いを重ね奔走したものの待遇を改善する事が出来ず、俺の所に駆け込んできたようだ。

権六から荒子城の顛末を聞いた俺は、直ぐに前田蔵人家の元へ使いを走らせ、生駒屋敷に呼び寄せることにした。

とは言え、理不尽な理由をでっちあげて城を奪った父の子である俺の呼び掛けに応じてくれるか不安だったが、意外にも三人は連れ立って生駒屋敷に来てくれた。


「前田蔵人利久改め前田蔵人入道利久にございます。」


「奥村助右ヱ門永富にございます。」


「前田慶次郎利益だ。上総介様の御子が荒子を追われた我らに何の用でござるか?」


利久は荒子城を追われたのを機に剃髪し、名を“蔵人入道”と改めていたが、突然の呼び出しにも拘らず助右ヱ門と共に悪びれる様子もなく堂々と名乗りを上げた。

慶次郎も荒い口調ではあったが、その目には父や俺に対する恨みと言ったものは無く、突然声を掛けて来た俺に対する興味が見え隠れしていた。


「織田茶筅丸にございます。突然のお声がけにも拘らず当屋敷まで足をお運びいただき感謝申し上げます。」


「茶筅丸様の傅役を務めます、竹中半兵衛重治にございます。」


「生駒八右衛門家長にござる。」


名乗りと共に感謝の言葉を口にした俺に対し利久は微かに微笑みを浮かべ、半兵衛の名乗りを聞いて助右ヱ門が目に力を込めたのが分かった。


「本日、お呼びいたしましたのは今後の皆様の身の振り方について如何なされるのかをお伺いしたいと思っての事にございます。」


「ふん! 織田の“たわけ”様が何を言い出すかと思えば、荒子を追われた我らが何処に行こうと関係なかろう、酔狂な事だ。」


「慶次郎!」


三人を呼んだ理由を告げた俺に対して慶次郎は鼻で笑い、荒々しい言葉をぶつけてきたが、それを利久は一喝して止め、二人に代わって助右ヱ門が口を開いた。


「茶筅丸様、我らはそこもとの御父上である上総介様の命により荒子城を追われたのです。そんな我らに上総介様の御子である貴方様が我らの動向に気を掛けるとは一体どのような思惑からにございましょうか?」


表面上は穏やかながらも俺を見る目と言葉の端々に怒りが込められているのが感じられた。

助右ヱ門からすれば、居場所を奪った者の子が自分たちの動向を探りに来たとなれば面白くないと思っても仕方のない事だ。しかも、その思いは決して助右ヱ門だけのものではないだろうと感じていた。

そんな三人には回りくどく話すのではなく単刀直入に話すしかないと腹を決めた。


「単刀直入に申します。お三方には某の家臣として召し抱えたいと思い声を掛けさせていただきました。」


「「‥‥‥‥」」


俺の何の捻りもない勧誘の言葉に言葉を失う利久と助右ヱ門。

一方、慶次郎殿は俺の申し出に面白そうに瞳を輝かせながら、先を続けろという視線で促して来た。


「皆様もご存じの事と思いますが、某はこの度三河の徳川様の元に冬姫様の輿入れまでの二年間、人質として赴くこととなりました。徳川様とは同盟の約定を交わしてより織田から姫を輿入れする約束をしておりましたが、某の妹である徳姫が無理難題を申しまして、仕方なく冬姫様が輿入れする事になったのですが、冬姫様は未だ幼く直ぐの輿入れはあまりにもお可哀そうであるとして二年の猶予をいただきました。その二年の間、某が徳川様の元に質に入る事に成ったのでございます。」


「さようでございますか…しかし、質に三河へ向かう茶筅丸様が我らを家臣にとは一体?共に三河へという事でございますか、その様な事を徳川様がお許しになられるのですかな。」


これから三河に人質に赴く者に、荒子城の城主や城代を勤めた者が家臣として同道するなど許されないだろうと、告げる利久。助右ヱ門も同じように考えたのか利久に同意するように静かに頷いた。


「確かに、城の明け渡しに際し手勢を率いた又左衛門殿に対し決然と抵抗した助右ヱ門殿や傾奇者と名高い慶次郎殿が同道しては三河の者達に要らぬ警戒を与えることとなりましょう。ですが、三河に同道していただきたいのは蔵人入道殿にございます。申し訳なき事ながら、蔵人入道殿は父から『戦場働きの出来ぬ病弱者』とされておられます。蔵人入道殿ならば三河の者達も不必要な警戒は致しますまい。」


俺の言葉に利久は苦笑しながら坊主頭をツルリと撫で、助右ヱ門と慶次郎は面白くないといったように憮然とした表情を浮かべた。


「ですが、皆様にお声がけさせていただいたのは三河の件があったからではございません。今後、上洛を果たした父は畿内と美濃尾張の間に数多ある国へ勢力を拡大してゆくことになるでしょう。その際に、某は織田家の三男として此度の三河行きと同様に他家へ養子または質に出される事が考えられます。質ではなく養子として出される際、父に付けられる与力ではなく、こちらに控える半兵衛と同様に某を近くで支えてくれる心確かな者を求めているのです。」


「上総介様によって荒子を追われた我らを“心確かな者”として求めるとは酔狂な。流石は“たわけ”殿にござる、実に面白い!」


俺の言葉に真っ先に反応したのは慶次郎だった。そんな慶次郎殿をたしなめる利久に対し、助右ヱ門殿は一瞬表情を緩ませたものの直ぐに引き締め、再び問いを口にした。


「茶筅丸様。我らを茶筅丸様の家臣にしたいとお考えのようですが、それが茶筅丸様ご自身だけのお考えですか?誰かからの進言を受けての事にございますか?」


その言葉に、流石は奥村助右ヱ門。切れるなぁと感心し半兵衛の方を見ると、半兵衛も助右ヱ門の洞察力に感心している様だった。


「某の一存、と申したいところですが某の元に相談をしに来た者がいるのですよ。その者の推挙もあってお三方を某の元に招こうと腹を決めたのです。」


「それは何方なのです?」


そう訊ねながら助右ヱ門殿は、誰なのか確信している様だった。


「柴田権六殿です。権六殿とはこのところ親しくさせていただいているのですが、荒子城での事を耳にした権六殿が蔵人殿、助右ヱ門殿、そして慶次郎殿の事、そしてご家族の事を心配されて某の元に参られたのです。」


「某らとその家族の事を、ですか…」


「はい。権六殿はこう申されておりました。『…蔵人殿は尾張に留まるであろうが、助右ヱ門と慶次郎は尾張を出奔するに違いない。だが、あの二人を失うは織田家にとり大変な損失。しかも家族を連れての出奔となると大変な苦労を背負い込むことになろう。特に助右ヱ門は子が産まれたばかり、乳飲み子を抱えてとなると…』と。」


「それは…」


権六が産まれたばかりの子供の事を気にかけていたと知り、助右ヱ門は顔を顰めた。

そんな助右ヱ門の反応に内心で謝罪をしつつ、付け込ませてもらう。


「某の家臣として仕えると約していただければ、某が不在の間は生駒八右衛門殿にお身内の方々のお世話をお願いいたします。そして、某が質から戻る二年後に助右ヱ門殿と慶次郎殿は帰参していただければ、その間はどの様にされておられようと咎めは致しません。蔵人入道殿は申し訳ありませんが還俗していただき、改めて前田蔵人利久として半兵衛ら《・》と共に某と三河に同道していただきたいと思います。如何でしょう。」


そう告げた俺の言葉に合わせ八右衛門が打ち合わせ通り大きく頷いてくれた。

そんな八右衛門の様子を見て、助右ヱ門は表情を緩め利久も満更ではないといった表情を浮かべた。そして…


「なかなか豪儀なことだな。二年の間は何をしていても咎めないか…もし、上洛する上総介様の御命を狙ったとしてもかまわないのか?」


そう言って俺の顔を覗き込んでくる慶次郎に対し、俺は平然と返した。


「理不尽に城を奪い取ったのですから父も意趣返しくらい覚悟の上でしょう。仮に命が奪われたのなら父の武運もそれまでという事、某も三河にて首を取られることになるかもしれませんが、そうなれば尾張は混乱することとなり尾張に残したお身内にも災いが降りかかる恐れが出てくることは頭の片隅に入れ、事を成すが宜しいかと存じます。」


その俺の言葉に、助右ヱ門と利久は目を見開きギョッとした顔をしたが、慶次郎は大声で笑いだした。


「ふっはっはっはっは!そんな風に釘を刺されちゃ上総介様の御命を狙うなんて割に合わない事、するだけ損だ。何とも食えない餓鬼だ、これが“うつけ”と呼ばれた上総介様が“たわけ”と評した織田茶筅丸殿か!助右ヱ門、養父おやじ殿、俺はこの織田茶筅丸様の家臣になるぞ!!」


この慶次郎の発言で全ては決した。三人は俺に臣従する事を約し、利久は還俗して改めて前田蔵人利久として俺と共に三河に向かう事となり、奥村助右ヱ門永富と前田慶次郎利益は家族を生駒八右衛門に預けて諸国漫遊の旅に出立し二年後、俺が三河から戻るのに合わせて尾張に帰参することとなった。


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[一言] 前田慶次郎、恐ろしく使い勝手の良い存在ですね。 作家の加来耕三氏によると資料の中には 「名前」と「槍の名人である」 とだけ書かれていたとか。 私なんかですと 「サッパリ分からん使えねえヤツ」…
[気になる点] 主人公の発言で冬姫様がおかしいかな。 主人公の妹だから目下だよ。 様はいらない。
[良い点] ほー、あの前田慶次郎と奥村助右衛門が茶筅の家来となるか。面白い! 既に半兵衛もいるし、これから行く徳川にもシンパをたくさん作るだろうし、こりゃ天下狙えますな笑
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