第二十四話 宣教師との対面
「オハツニ、オメニカカリマス。ワタシ、ガスパル・ヴィレラ申します。」
「俺が織田上総介信長だ。堺より遠路ご苦労。」
大広間に姿を現したのはカトリックの修道服を身に纏った、いわゆる欧州系の白人と呼ばれる老人だった。ガスパルの年齢は五十になるかならないかくらいの筈なのだが、日ノ本での布教活動が難航しその労苦が顔に皺となって刻まれているのだろう。
ガスパル・ヴィレラは、確か先の将軍・足利義輝から京での布教を許されたものの、永禄の変により義輝が殺されると京から追放され、それ以後は堺や豊後・平戸などで布教活動をしていた人物だったはずだ。そんな人物が父に目を付け美濃にまでやってくるとは驚いた。しかし、考えてみれば堺や平戸は港を持つ交易都市。父も祖父(信秀)の時代から熱田の港を使って財力を蓄え尾張と美濃を制した。港を使い交易で財を成して力をつけてきたという点を見れば、堺や平戸などに通じるものがあるのだから、その辺りから父に目を付けたのかもしれない。
ガスパルは父に時計などを献上し、まるで商人のように揉み手をするかのようにしてキリスト教布教の許可と引き換えに南蛮の品を融通すると言って口説いていた。
共にガスパルを迎えや家臣たちは白い肌に大きな体のガスパルを戦々恐々としながら迎えたが、次々と出される貢物に目を奪われ布教の許可を出せばさらに多くの珍しい南蛮の品を持ってくるというガスパルの言葉に欲を刺激され興奮している様だった。
そんな家臣たちをしり目に父は表情を変えることなくガスパルを見据え、問い掛けた。
「キリスト教の布教か。して、そのキリスト教とやらの教えは如何なるものだ。」
その父の問い掛けにガスパルは驚いたのかそれまで終始浮かべていた笑みが固まった。どうやら、これまで日ノ本の大名などに布教の許可を取る際、献上した品や交易による利について問われたことはあっても、キリスト教の教えについて問われたことは無かったのだろう。唐突な問いかけに驚いたものの、教えについて問うとは興味があるのか?と、ほくそ笑み大きな身振り手振りを駆使し嬉々としてキリスト教の教えを語るガスパル。
そんなガスパルを父は冷ややかな目で見つめていた。そして…
「キリスト教とやらの教えとは、唯一の神の子であるイエス・キリストが人間の罪を背負い死んだからそのイエス・キリストを信じることで罪から逃れられ、天国に行けると、そしてキリスト教以外の教えは誤りだというのだな。」
ガスパルによるキリスト教の教えを聞いた父が端的に要約するとその乱暴極まりない要約にガスパルは心の中で『我が意を得たり』と拍手喝采した。
だが、次に放たれた父の言葉に凍り付くこととなった。
「なんじゃ、一向宗と同じではないか。」
「ナッ…」
驚愕の表情を浮かべ言葉を失うガスパルに対し父は更に続けた。
「教えを信じた者だけが天国とやらに行けるか…一向宗も念仏を唱え一心に阿弥陀如来の慈悲に縋れば極楽浄土に行けると言っておるのと同じだな。
更に同じ仏の教えでありながら他の仏門の教えを否定し自分たちの教えだけが正しいのだと標榜し、他の寺を攻めておる、これも同じだな。
外つ国の者が海を渡ってまで広めようとしておる教えとは如何なるものかと思い訊ねてみれば、日ノ本のモノと根本は変わらぬとは。所詮は人の考えるもの古今東西似たり寄ったりという事か…」
そう言うと興味が失せたとばかりに脇息に寄りかかり扇子を扇ぎ始めた。その態度にガスパルは苦虫を噛み潰したような苦々しい表情を浮かべたが、直ぐに表情を整え、
「オマチクダサイ。一向宗、一揆シマス。ワタシタチ一揆シマセン。民ニヨリソイ、貧シイ者ニ施シシマス。一向宗、違イマス。」
と、言い繕うとしたが父は呆れたように乱暴な言葉をガスパルにぶつけた。
「たわけぇ!教えを説く者が民に寄り添わずして何の価値がある。」
一喝する父にガスパルは顔を朱に染め、扇を片手に睥睨する父を睨みつけた。そんなガスパルに対し、俺は努めて冷静に一言添えた。
「十字軍とやらの蛮行を忘れたとは言わせぬぞ!」
俺の言葉に朱に染まっていたガスパルの顔が一気に青くなり、目を見開きこの日一番驚いた表情で俺に視線を向けた。そんなガスパルの様子をしり目に父が俺に問うてきた。
「茶筅、十字軍の蛮行とはなんだ?知っていることがあるのなら申せ!」
「はっ。十字軍とは今より四百年前に始まり約二百年に渡り行われてきた争いを引き起こして来たキリスト教徒の軍勢にございます。明からの書物によれば、キリスト教発祥の地が別の宗教の勢力域にあったため発祥の地をキリスト教徒の物にしようと軍を派遣したのが始まりで、その際に異なる宗教の教徒の町を破壊し尽くし、富を奪い、根切りをしたそうにございます。」
「『ピシャリ』なんだと…」
俺の明の書物の引用(との体で)を告げると、それまで脇息に寄りかかっていた体を起こし、片手で弄んでいた扇子を鋭い音を響かせて閉じると険しい視線を俺に向けた。そんな父に俺は更に続ける。
「十字軍と戦ったイスラムの話として、十字軍の兵は町に居た女子供を容赦なく殺し、中には身籠った女の腹を切り裂き、腹の中から赤子を取り出して喜ぶ者までいたとありました。」
「オ、オマチクダサイ!ソレハ、異教ノ者ガ…」
十字軍の蛮行について話す俺の言葉を遮るようにしてガスパルは口を開いたが、俺はそんなガスパルに問いかけた。
「腹を切り裂いて赤子を取り出すなど、悪鬼羅刹…キリスト教で言う所の悪魔の所業。鉾を交えた者が誇張したものではありましょうが、それに類する蛮行をキリスト教の神の名において行われたと推察できまする。ガスパル殿は人々に神の教えを説く者としてこの事を如何に思いまする?異教徒であることを理由に命を奪うは、是か非か!」
「……。」
この問いに対し、日ノ本の民であれば宗教の違いだけで命を奪うのは『非』だと答えることができただろう。
戦国の世に入り一向一揆など宗派が信者を唆し、武力に訴える事は多くなったとはいえ、教えの中では殺生を禁じているため表向きには『非』と答えることができる。
古代から室町の世まで日ノ本の民に受け入れられてきた神道や大陸から渡って来た仏教などは多くの神々や仏を信仰の対象とする多神教だった。神道も仏教も、異教の神を殺すのではなく懐の内に取り込み、共に信仰の対象としてしまう寛容さを持っていた。
しかし、キリスト教を始め一柱の神を唯一絶対と信じる一神教では、他の宗教の神を認める寛容さは持ち合わせていなかった。
他の宗教の神は人々に間違った教えを唆す“悪魔”であり、そんな悪魔の教えを信じる信者もまた悪魔の手先だとする論法が成立していた。そのため、宣教師は悪魔の手から人々を救うためにキリスト教に改宗させるという使命を持ち、一部の過激な者たちの中には、異教徒を殺すことは悪魔からその者の魂を開放してあげている事だと、積極的に肯定する者もいた。
そのため、神の名において行われた異教徒の殺害の是非を問われた時、ガスパルは自身の信仰に照らし合わせると即座に『非』とは答えられず言葉に詰まってしまった。それだけ彼はキリスト信徒として誠実だと言えるのかもしれないが、この場での沈黙は悪手でしかなかった。
「…で、あるか。」
沈黙するガスパルに対し父はそう一言告げると大広間から退出し、それを見送った家臣たちも次々と大広間を後にし、最後に残ったのは俺と半兵衛、そして大広間の真ん中で項垂れるガスパルだけとなった。
「ガスパル殿、帰られるがよい。今日、殿が貴殿に目通りを許すことはありませぬ。」
項垂れる、ガスパルに半兵衛が声を掛けると、彼はゆっくりと頭を上げ血走った目で俺を見ると一言、
「A Criança do Diabo(悪魔の子)」
と呟いた。ガスパルにしてみれば将軍・義輝の死から各港町を転々とし、起死回生の一手となる筈だった父との対面を台無しにした俺に憎悪を抱く事は想像出来た。そんな彼に俺は無表情のまま、
「Não sou filho do diabo.(私は悪魔の子ではない)」
と返す。
俺が発した言葉に、ガスパルは驚愕の表情を浮かべ小刻みに体を震わせ始めた。それはそうだろう、ガスパルが自身の母国語を使い日ノ本の者には分からぬように俺を罵ったつもりが、その罵った相手から母国語で返答が返されたのだから。
そんなガスパルに俺はさらに追い打ちをかける様に、父が座っていた大広間の奥にある飾り棚を指さした。
「Olhe para isso.(あれを見ろ)」
言葉と共に指で示した方を見てガスパルの震えは酷くなっていった。
「Navio Galeão?(ガレオン船?)」
「Ele estava ansioso por isso.(殿は楽しみにしていた)」
俺が大広間の飾り棚に置かれていた南蛮船の模型を指さし、父が対面を楽しみにしていた事を告げると、ガスパルの顔は俺に対する憎悪で赤く染まっていた顔が見る見るうちに青褪めていった。
「Eu falhei…(失態だ…)」
一言呟いてその場に崩れ落ち、大広間の床に何度も額を打ち付けた。
「Ame seu vizinho(汝の隣人を愛せよ)」
父が南蛮との交易に興味を持っていた事を知り、悔しさのあまり床に額を打ち付けるガスパルに更に俺は追い打ちの言葉を掛けた。
俺が発した言葉にガスパルが驚いて動きを止め俺の顔を見たが瞳には驚きと共に畏怖の色が浮かんでいた。
「Vire a bochecha esquerda para a pessoa que bate na bochecha direita.
Se quer processar sua cueca e pegar, dê a ele ou a ela uma jaqueta.
Ame aqueles que estão contra você.
(右の頬をたたく者には左の頬をも向けよ。
下着を告訴して取ろうとする者には、上着をも差し出せ。
自分に敵対する者を愛せよ・・・)
Não foi a palavra de Jesus? (これはイエスの言葉ではなかったか?)」
「É Jesus! (おぉ、神よ!)」
うろ覚えだったが、キリストが言ったという有名な言葉を告げて問い掛ける俺に、小刻みに震えながら血の気を失い顔面蒼白となったガスパルは一言呟くと、その場に倒れ伏すのだった。
「茶筅丸様、先ほどの問答は一体……」
一時ほど経って、蒼褪めた顔でまるで幽鬼のように力なく城を後にするガスパルの後姿を見送る俺に、半兵衛が険しい表情で問い掛けて来た。そんな半兵衛に俺は懐に入れてあった冊子を引っ張り出し、
「準備の甲斐がありました。もっとも、違う国の言葉だったら対処のしようがなかったですが…」
と、安堵の表情を浮かべて見せた。半兵衛は俺が懐から引っ張り出した冊子を凝視し、
「確か、それは茶筅丸様が宣教師との対面には自分も同席させてもらえるようにと殿に頼まれてから用意されていた物でしたね。何なのですか?」
と再度訊ねて来た。俺はそんな半兵衛に対し内心では苦笑しながら応える。
「ポルトガルという国の言葉を日ノ本の国の言葉に訳した虎の巻です。手に入ったのがポルトガル語に関する書物だけだったので、内心不安ではありましたが、ガスパル殿が某の事を「A Criança do Diabo(悪魔の子)」と口走ってくれたおかげでポルトガル語だと分かり助かりました。父上が対面を打ち切られて、あのまま帰らせて、織田家は南蛮に興味がなく宣教師に冷たいと思われては今後に禍根を残すことになりましたが、ガスパル殿が口走ってくれたことで父上は南蛮に興味を持っていたが、ガスパル殿が焦って布教の事ばかり口にしたので話が拗れた、と誘導できたと思います。」
「それで、最後まで大広間に残られていたのですね。しかし…」
それだけでは納得がいかないと言うように俺の顔を覗き込んでくる半兵衛。さすがに聖書の一節を持ち出したのはやり過ぎだったかと反省しつつも、そんな事はおくびにも出さず言い訳を続けた。
「南蛮との交易は、今後の織田家にとっては是非とも行いたき事。されど、南蛮との交易で注意をしなければならないのは宣教師の動きです。宣教師はキリスト教の教えを広めるために南蛮から海を渡って来ている事になっていますが、実際にはキリスト教で日ノ本の民の心を盗ろうとしているのです。その動きには南蛮の国の思惑が絡んでいます。」
「では、宣教師は南蛮の国の忍びの様なものなのですか?」
「そういう一面も持っているという事です。古来より日ノ本の者は海の外から来るモノに対し警戒心が薄く、直ぐに取り入れようと考えます。それは日ノ本の民の利点でもあるのですが、同時に危うさでもあります。何事も用心を欠くことは出来ませぬ。」
そう言って俺は視線を城から下がるガスパルに向けると、これ以上は答えてくれないと思ったのか半兵衛もいつもの柔和な笑顔を作り俺と同じように城外へ視線を向けると、
「さて、次は三河でございますな。望んだこととはいえ、茶筅丸様と共にいると飽きるという事がありませんね。」
と呟いた。どうやら半兵衛の視線は城を下がる宣教師ではなく、既に三河へと移っているようだった。
宣教師との対面にポルトガル語を持ち出したり、聖書を引用するつもりは全く無かったのですが、以前PCでドイツ語の翻訳をした経験を思い出しやってみました。
宗教についての解釈は色々あるとはおもいます。おかしいと思われる方もいるかとは思いますが、お許しください。
宣教師と信長ならば、ルイス・フロイスだろうと言われ方もおられるかもしれませんが、史実でフロイスと信長が合うのは京に上洛してからの事になる様なので、茶筅丸と絡ませるには上洛前にと思い、信長の上洛の頃には日本を離れているガスパル・ヴィレラを登場させることにしました。しかも、この方は日本を離れて二年後にはご臨終しているようですし、フロイスともあまり交流が無かったようなので丁度良いかなと思い…ただ、ガスパルは一時期(京で義輝から布教の許可をもらっていた時)ロレンソ了斎と行動を共にしていたようなので了斎も登場させようかとも思ったのですが、了斎を登場させると後々面倒な事になりそうだったので、ガスパルだけにしておきました。
ちなみに堺のことを『東洋のベニス』と称するようになったのはガスパルの報告書簡によるものだそうです。




