第二十三話 岡崎会談の報告
「なっ、なんだと?どういう事だ、三郎五郎(信広)!?」
「はっ。ですので、徳姫様の輿入れはお取り止めと致し、徳姫様に代わり冬姫様が竹千代殿へお輿入れする事となりました。ですが、冬姫様は未だ幼少であらせられますので、二年の猶予をいただきその間は茶筅丸様が岡崎に詰められ、義昭様を奉じての上洛に際しても三河守様御自ら手勢を率いて参陣する事を殿にお認めいただきたいとの事にございます。」
「なっ、お認めいただきたいと言われて『はい、そうですか』などといえる訳が無かろう。茶筅!貴様ぁ、三河守(家康)と一体どの様な話し合いをしてきたのだ!!」
三郎五郎伯父上の報告を再度確かめた父は、伯父上にではなく俺を睨みつけると事情説明を求めて来た。どうやら岡崎での話し合いは伯父上ではなく俺が主導したと察したらしい。もっとも、普通の武士である伯父上が今回の様な馬鹿げた取り決めをしてくるはずもなく、普段の俺の行いを知る父には考えるまでもなく俺の仕業だと分かったらしい。が、
「父上。父上は徳の輿入れの事は某に何とかしろと申されたではありませんか。ですから、某は織田・徳川双方にしこりが残るようなことが無い様に取り計らってきたまでの事にございます。」
平然と返す俺に父は立ち上がり顔を真っ赤にして甲高い声を上げた。
「たわけぇ!徳に代わり冬を輿入れさせるのはまだ良い、しかし冬が輿入れするまでの間、貴様が岡崎に詰めるという事は質(人質)に入るという事だぞ!!輿入れと質を出すのとでは意味合いが違う。輿入れは、竹千代を娘婿とし縁を繋ぐもの。だが、質は約を交わした上の者に下の者が差し出すもの、これでは儂が三河守の下に立っている様なものではないか!」
激高する父の姿に、三郎五郎伯父上は縮み上がり身を小さくして嵐が過ぎ去るのを必死に耐えるような表情を浮かべていたが、俺は父の激高など何処吹く風とばかりに平然と受け止め、俺の背後に控えている半兵衛もまた動ずる気配を見せず、
「殿、興奮せず先ずは茶筅丸様のお話をお聞きください。」
と父を窘めさえした。半兵衛の一言に父は奥歯をぎりぎりと音をたてたものの、荒々しく腰を下ろすと俺に向かって一声吠えた。
「申せぇ!」
「はっ。質の話は三河守様から出た事ではございませぬ。某から申したものにございます。
そもそも、約定を交わし人質を取ったところでいざとなれば人質など見捨てられるもの。約定の形に取ったところで意味はありませぬ。人質を取ったから大丈夫だなど、ただの気休め。
某が質になると申し出たは、三河守様やご家来衆にその気休め(心の緩み・隙)を生じさせるためにございます。某が質として岡崎に赴けば徳川家の者たちは父上が徳川家を裏切ることは無いと安堵するに違いありませぬ。
実際、父上は上洛することとなれば、背後の事に関わっておられる余裕は無いのではございませぬか。」
「ぐぅぅ…確かにそうだが。」
父は俺の言葉に面白くはないものの一定の理解を示し、苦々しい顔でそれを認めた。そんな父に俺は更に畳みかける。
「更に、某が岡崎に赴けば三河守様は某とご自分の幼少期を重ねられ、某を遇してくださりましょう。某は徳川家の中に知己を得ることが出来、織田と徳川の縁を深めることに寄与できるものと考えての事にございます。さすれば、後に輿入れする冬にとっても良き事となりましょう。」
と言いながら、三河守様が叩き直すと言われた竹千代の性根を俺好みに矯正することも出来るかもと心に秘していた。そんな俺の心の内を知らない父は、大きな溜息を吐いた。
「はぁ~。茶筅、貴様のいう事は良く分かった。だが、何故貴様が質にならねばならんのだ?嫡子でもあり武田の松姫との婚儀が決まっておる勘九郎(元服し奇妙丸改め勘九郎信重と改名した)は論外として三七でも良いし、冬を早々に輿入れさせることも出来たであろう。」
その父の言葉に俺は声を荒げた。
「父上!三七兄上を質になどなりませぬ!!三七兄上は勘九郎兄上を補佐し、織田家を支えて行く御方。そんな御方を質になどなりませぬ。三河守様の元に二年とはいえ質に出るのであれば某に申し付けられるが道理にございます。
例え三七兄上を養子に出すとしても、何時でも織田に戻れる家にするべきです。二年後、某が徳川家の質から戻りましたら、織田家のために如何してもその地を押さえるために必要な養子には某が参ります。某は三男、次男の三七兄上とは違うのです!更に冬は未だ幼く徳には育つまでの猶予を与えながら冬には与えぬとなれば冬が悲しみますぞ。父上は冬に嫌われてもよろしいのか?」
そう言うと、冬に嫌われると聞いた父は顔を青くし首を振り、
「良い訳が無かろう!分かった、茶筅がそこまで言うのなら三河守との約定は茶筅の言う通りに定めることといたす。」
そう言うとさっさと立ち上がり、広間を後にしようとした父だったが何か思い出したように立ち止まると、
「そうじゃ。茶筅、明日南蛮の宣教師とやらが来るそうだ。此度、三河守との間に約定を定めた褒美として立ち会う事を指し許す。」
そう告げて広間から出て行った。
「はぁ~。茶筅丸殿、肝が冷えましたぞ。しかし、そこもとが約して参られた通りになり祝着にございましたなぁ。…茶筅丸殿、如何されました?」
父の剣幕に震え上がっていた三郎五郎伯父上は、父が広間を出て行ったことで人心地ついたようで安堵の溜息を吐き、俺が三河守様と約した通りに事が決まったと声を掛けるために俺の顔を見て怪訝な表情を浮かべた。
なぜなら、南蛮の宣教師との謁見に立ち会えと告げた父の言葉に、再び戦に向かおうとして表情を引き締めている俺の顔を見たからだった。
◇織田信長
「茶筅め、相変わらずの“たわけ”よのぉ」
俺はそうごちりながらも、頬が緩むのを押さえられなかった。
桶狭間で今川治部大輔(義元)を討ち取り、岡崎城に入った家康と同盟を結んだ頃の俺は尾張一国を掌握し美濃へ兵を進めようとしていたところであったが、それから時が経ち、俺が美濃を手中に収め家康も三河を治める所まできた。そして、同盟を結んだ時に家康に語った通り、俺は先の将軍の弟を担いで上洛し、家康は俺の背後を守りながら遠江から駿河へ。正に俺は日ノ本の西へ家康は東に向かう事となる。そんな家康の元に二年という期限付きではあるが、あの茶筅が乗り込むことになろうとは。
“たわけ”のことだ、三河でも大人しくなどしておるまい。一体何をやらかし、どのような影響を徳川家に残してくるか。そして、あやつ自身が如何成長して二年後、俺の前に戻って来るか楽しみで仕方がないわ!
しかも、三河にゆく前に南蛮の宣教師と会うとなれば、何を言い出すのか?
まったく、“たわけ”が居ると退屈せぬ、愉快で堪らぬ♪
史実では三男の三七から先に神戸家に養子に出され、茶筅丸は二番手として北畠家に出されます。其処に信長なりの意図はあったのかも知れませんが、史実の信孝と信雄の力量を比べると、この判断は良かったのか疑問が残ります。
ですが、この作品では主人公は北畠家に入り尚且つ残すことを画策しているので、上洛から二年の間に養子に入る神戸家には三七を入れる様に誘導し、自分は徳川との縁を結びつつ北畠には入れる様に下地を作った訳です。
勿論、異論はあろうかとは思いますが、ご都合主義バンザイという事でお許しください。




