第二十話 徳姫の輿入れ話 その一
稲葉山城改め岐阜城には美濃攻略を終えた父・信長の元に次々と目通りを願う者たちが訪ねて来ていた。
先日、俺が市兵衛や虎之助たちと共に作り上げた南蛮船の模型を父に見つかり所望された件も、元をただせば父の元に宣教師が目通りを求めたのが原因だがこの頃、宣教師たちよりも重要な目通りの申し込みがあった。
先の将軍・足利義輝の弟で出家して大和国の興福寺で一乗院門跡となっていた覚慶、今は還俗して足利義秋からの使者の目通りの願いだ。
将軍職に就いていた義輝が三好左京太夫義継たちによって弑逆され、京の相国寺に出家していた弟の周暠も三好一派の手によって殺されたが、覚慶は大和国の国主を勤めていた松永山城守久秀の手引きにより、義輝の近習を勤めていた者たちの手で大和国を脱出し畿内を転々としたのち、越前朝倉氏の元に身を寄せ、朝倉左衛門督義景に上洛を促していた。しかし、朝倉左衛門督からは色よい返事を引き出すことが出来ず、美濃を平定した父へ上洛の話を持ち掛けてきたようだ。
義秋から上洛の話を父の所に持って来たのが、かの明智十兵衛光秀。
光秀は美濃の国人で斎藤道三に仕えていたが、長良川の戦いで道三入道が斎藤左京太夫高政(義龍)に討たれたため美濃を出奔し、越前朝倉家に身を寄せていたようだ。道三入道存命中には父の正室・帰蝶様ともご昵懇であったとの事で、その伝手を頼りに父の元に話を持ち込んできた。
美濃を平定したとはいえ、戦国の世は続いており織田家も周囲を朝倉・武田・上杉・北畠・六角などの名立たる戦国大名に囲まれている。この状況を何とかできないかと父は頭を悩ましていたが、そんなところへ、いま亡き将軍・義輝公の弟君から上洛に手を貸せと話が舞い込んできたことで、義秋を押し立てて京に上り、将軍を擁立すれば天下は収まり戦国の世を治めることが出来るのかもしれないと考えたようだ。
史実ではこの想いは脆くも崩れ去るのだが、この頃の父は『将軍』にはまだ“権力”が残っている。自分が支えればこの乱世を収束に向かわせる事が出来ると考えていたのかもしれない。
まぁ、父の思惑はさて置き、義秋を擁しての上洛となると問題になるのは背後の憂いを如何に断つかだった。
織田の背後には三河を治める徳川三河守家康がいた。
桶狭間の戦の後、今川から独立を果たした家康は父と同盟を結び、父は美濃へ家康は三河を治めた後に遠江から駿河へ、お互いの背中を守りながら東西に領土の拡張を狙うと約したが、その後に起きた三河本證寺を中心とした一向一揆が勃発。
三河の国人には一向宗を信じる者が多く、何人もの武将が三河守殿の元を離れ一揆に参加したため一揆の鎮圧に半年ほどの時を擁し、一揆で生じた混乱も収束するには一層の時を必要としたが、混乱収束の過程で一揆に加担した国人たちの帰参を認めることで家中の結束は強くなり、領国一円の支配を確立していた。
一揆による混乱を収めた家康ならば、上洛時の背後の守りを任せることが出来るのだが、ここで父はある事に気付いた。
同盟を結んだ際の“約定”が未だ果たされていないという事を。
その約定こそが、家康の嫡男・竹千代の下へ徳姫を輿入れさせるということだった。
約定が交わされた当時は竹千代もまだ幼く、徳姫はまだ生まれたばかりだったため、ゆくゆくはという但し書きが付けられていたが、上洛という大事業を行うに際して、背後の守りを固めてもらうためには、約定を果たさないままという訳にはいかなくなった。
実のところ、一向一揆を収束させ松平から徳川へと姓を改め、朝廷より『三河守』の官位を受けた頃から、内々ではあるが家康から徳姫の輿入れの打診があった。しかし、その話に母・吉乃がまだ幼いと反対し父も無理強いする訳にはいかなかったようだ。
史実ではこの頃には母が死んでいたため、家康からの打診に父は即座に答えたのか徳姫は母が死んだ翌年には竹千代の元に嫁いでいる。
まぁ、史実はどうあれ徳姫の輿入れは延び延びとなっていたのだが、上洛を前にして流石にこれ以上遅らせる訳にはいかないと父は決心したらしい。
先日、生駒屋敷に父が来た理由も徳姫の輿入れについて母を説得するためだったようで、父が帰った後何も知らずに母の元に向かうと屋敷の奥の一室で徳姫を抱きかかえて泣き崩れる母と、そんな母をまるで幼児をあやすかの様に頭を撫でる徳姫という、なんともチグハグは光景を見るハメとなった。
「は、母上…徳(姫)一体どうしたのだ?」
部屋を訪ね目に飛び込んできた光景に唖然としながらも、母をあやす徳姫に問い掛けると、徳姫は母の頭を撫でながら、
「兄さま…実は、わたちの輿入れが早々に行われると父さまから告げられたのです。それで、いつもの様に母さまは反対したのですが、いつもと違い今回は父さまを翻意させる事が出来ず、それで…」
「悲しまれて泣き崩れていると。しかし、徳の輿入れは以前より決まっていたこと。よく今まで三河守殿の打診を引き延ばして来たものだと感心…」
俺は少し呆れながら国と国との約定を先延ばしにしてきた家族思いの父を感心していると言おうとすると、それまで徳姫を抱きかかえ泣き崩れていた母が鬼女の如き形相で俺を叱責してきた。
「茶筅殿!其方は何時からその様な薄情な兄になってしまったのですか。幼い妹がたった一人で他国に嫁がねばならぬのですよ。兄ならば妹の身を案じ、父上にご再考を願い出ようと何故言わぬのです!!」
その母の言葉に俺は頭を抱えたくなった。
元々、徳姫の輿入れの約定は父と家康との間で取り決められていること。にもかかわらず徳姫が幼いとして家康からの打診があっても引き延ばしに延ばして来た。
これから上洛をするというのに約定を履行せぬままでは、後に“律義者”と呼ばれる若き家康でも難色を示す恐れがあるとなれば、後顧の憂いを断つためには徳姫輿入れの約定は果たさなければならないもの。いくら家族に甘い父でもこの儀ばかりはいくら母が反対しても再考はない。
しかし、その事を今の母に言っても無駄な事は一目瞭然。どうしたものかと思案に暮れている中、三河に輿入れする当の本人は?と視線を向けると、徳姫はニコニコと笑顔を浮かべていた。
「徳~。今、お主の事で母上は取り乱しておられるのだぞ。にもかかわらず当の本人がニコニコと…。徳、お前は此度の事、どう考えているのだ?父上のお言葉通り三河の竹千代殿の元に嫁ぐか。」
少し呆れながら徳姫に問い掛けると母も徳姫の方へと向き直り、
「徳姫も一人で他国に嫁ぐなど心細いでしょ。」
と輿入れを拒否しなさいと促す母。母の問い掛けに考える素振りを見せた徳姫だったが出た答えが、
「兄さまや寛太、五右衛門の様にわたちと剣の稽古や鷹狩りをしてくれるお方の元へなら嫁いでも構いませぬ。」
と、言うものだった。
その答えに俺は頭を抱え、母も顎が外れた様に口をあんぐりと開けて目を白黒させた。
徳姫は共に生駒屋敷で生活をする俺に感化されたのか、いつの間にか屋敷の中庭で行っていた剣の稽古に参加するようになっていた。
しかも、屋敷を訪れた父に誘われ俺が鷹狩りに行く時、自分も一緒に連れて行けと泣いて縋りつき、家族に甘い父を泣き落として同道を承諾させてしまった。
通常の鷹狩りは勢子が追い立て飛び出して来た鳥や獣(兎)に鷹を放ち狩らせるものだが、俺と父が連れ立って行っていたのは勢子が追い立てた鳥や獣を火縄銃で撃つ『巻狩り』で、改良した火縄銃の出来栄えなどを確認するためだった。
最初の内は俺や父が鳥や獣を狩る姿を火縄銃の音に驚きながらも興味深そうに見ているだけだった徳姫だったのだが、あまりにも瞳をキラキラとさせて狩りの様子を見ている徳姫に、父が戯れで改良型の火縄銃を撃たせてみると、徳姫は勢子に追い立てられ飛び出して来た雉を一発で仕留めて見せた。
その事に喜んだ父は鷹(巻)狩りに行くたびに自分の代わりに徳姫に火縄銃を撃たせるようになっていた。
戦国の世では女性も刀や薙刀を手に夫と共に戦う事はあったが、火縄銃を巧みに操る姫など聞いたことがなく、嫁ぐ相手に剣の稽古や鷹狩り(巻狩り)を条件に求めるなど前代未聞だった。
そのあまりに常識外れの言葉に俺は呆然としていると、そんな俺の様子を見た母は、大きく開けていた口を閉じて三日月の様に弧を浮かべたかと思うと、
「茶筅殿。徳は剣の稽古や鷹狩りを共にしてくれる殿御には嫁いでも良いと申すのです。まだ幼い身でなんと健気な…この事御父上である三郎様にお伝えし、良き様にお計らいくださいと母が申していたと伝えてきてください。良いですね、お願いしましたよ!」
そう告げると、徳姫の手を引いて部屋から出て行ってしまった。
「茶筅丸様、いかがいたしますか?」
徳姫の言葉と母からの無茶振りに完全に虚を突かれてしまった俺。そんな俺の様子を黙って成り行きを見守っていた半兵衛が可笑しそうに笑いながら、今後について問い質して来た。
「…半兵衛、随分と楽しそうだなぁ。そんなに面白いか? 母の無理難題に頭を抱える俺が。」
半分キレながら、睨みつける俺に半兵衛はより一層笑みを深めて、
「それはもう。普段の自分の姿を見ているようで、傍から見るとこの様に可笑しな物なのかと自嘲しているのでございますよ。それで、如何なさいますか?」
再度問い掛けてくる半兵衛。俺は投げやりに、
「如何もこうもあるか!父上と直談判に及ぶしかあるまい。行くぞ半兵衛!!誰かぁ、これから父上の元に向かう。馬の用意と先触れを頼むぅ。」
そう声を張り上げるしかなかった。




