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第二話 伝聞・桶狭間

「八右衛門様は如何したぁ?」


「はっ、織田三郎様と共に城を打って出たという報告は受けておりますがその後の動きは…」


「なんと!三郎様と共に打って出られたか、今川の大軍に対して城から打って出るとは流石は三郎様よ。城に籠っておっては今川に勝つことは出来ぬからな、乾坤一擲の大勝負に出られたか!!」


「ですが、今川は二万を超える大軍だとか。対して三郎様率いる織田勢は三千余。大丈夫なのでしょうか?」


「確かに二万の敵に正面から三千で打ちかかったところで如何にもならぬじゃろう。しかし、お若き頃は“うつけ”と呼ばれ常人では思いもつかぬことをされておられた三郎様じゃ、必ず三千の兵で今川の軍を退かせる策を思い付いておられよう。」


「そうですね“うつけ”と呼ばれた三郎様なら我らには思いもつかぬ鬼手を取られ今川を退けてくれましょう。吉乃様、三郎様なら大丈夫にございますよ。」


このところ屋敷内が妙にざわついていると思ったら、どうやら今川が尾張に攻め寄せてきたため屋敷の者たちが騒いでいたらしい。

しかし、父・信長と今川との戦と言ったら、桶狭間の戦い。今川義元を狙い撃ちにして今川軍を追い返したことで、父の名は諸国に轟いた分岐点となる戦だ。

 時代劇などでは、駿河から進軍する二万以上の軍勢に織田家の家臣たちは狼狽え籠城を主張する中、父は騒ぐ重臣共を下がらせると敦盛を一舞いし、僅かな手勢を引き連れて城から打って出た。それを見て重臣以下家臣たちは覚悟を決め。父に従い一丸となって義元ただ一人に狙いを定め、見事に首を取ったとされていたが、意外にも生駒屋敷の者たちは父が今川を退けると信じていた事が驚きだった。

もっとも、そうでなければいくら尾張を治める織田弾正忠家の嫡男だとしても妹を側室にし、自身は父の馬廻り(側近)として仕えてなどいないだろうと納得した。

 俺が何の因果か織田茶筅丸に転生して一年が経過していた。

首も座り、ハイハイが出来るようになったのを契機に、俺は母や屋敷の者たちの目を盗んでは其処ら中をうろつき回って聞き耳を立てていた。

 母からすれば一日も早く立って見せた方が喜ぶのかもしれないが、俺は敢えてハイハイを続けている。

と言うのも、前世でハイハイは幼児期の重要な運動で、ハイハイをする事によって背筋が鍛えられ、体のバランスを取る能力も向上すると聞いていたからだ。しかも、立って歩くと幼児体型ゆえ体に比べて頭が大きいためにヨタヨタとしか動けないが、四足歩行であるハイハイは頭が重くてもバランスを取ることが容易で、立って歩くより高速移動が可能となる。屋敷の中を探索し家人の話を立ち聞きすることで、情報取集も可能となる為ハイハイを続けているのだ。

 この日もハイハイによって屋敷で働く下人の死角をつき、情報取集をしていたところ思いもかけず時代の分岐点を知ることが出来た。


 数日後。父は史実の通り、今川義元を討ち混乱した今川勢を駿河へと後退させることに成功した事、翌日には清州のお城に帰る途中で父が生駒屋敷に立ち寄ると知らせが入って来た。その知らせを聞いた俺は、戦に出た父がどの様な姿なのか興味が出て来たため、いつもの様にハイハイで移動して屋敷の玄関先に身を隠し父が来るのを待った。


暫くすると、屋敷の外が騒がしくなったと思ったら、金属が擦れ合う音をさせながら生駒屋敷の主である八右衛門伯父上を先頭に数人の武者が屋敷の門を潜り入って来た。その中に父の姿もあったのだが、その姿は泥と血で汚れ疲れ切った表情を浮かべていたため、大変な戦だったのだという事が一目でわかった。

そんな父と八右衛門伯父上の姿に驚いていると、身を隠していた柱の影から体が出ていたのだろう、父が俺の事を見つけて疲れているにも拘らず笑顔を見せた。


「なんじゃ茶筅、戦から帰った父を出迎えに来たのか?父はやったぞ、今川治部大輔を討ち取り今川の軍勢を駿河へ追い返してやったわ!」


そう言うと、俺を抱き上げそのまま屋敷の奥で待つ母の元へと向かった。母は父が俺を抱きかかえているのを見て驚いたのか一瞬目を見開いたが直ぐに笑みを浮かべ、


「此度の戦勝、おめでとうございます。ですがよろしいのですか?清州のお城では帰蝶様が殿様の御帰りをお待ちしておられるのではありませぬか。」


と優しく問い掛けた。そんな母に父は苦笑し、


「確かにその通りだが、清州では愚痴を溢すことも出来ぬからな。しばしの休憩に寄ったのだ。」


父の言葉に母は苦笑を浮かべ、


「またそのような事を…白湯を用意させております。喉をお潤し下さいませ。」


と、控えていた下女に父と八右衛門伯父上それに共に屋敷に来たお供の方に白湯を出した。

父は出された白湯を一息に飲み干すと、直ぐにお代わりを所望し母は下女に今度は冷たい水を用意させて父たちを労った。

父は出された水を今度はゆっくりと飲みながら、


「今川治部大輔。流石は“海道一の弓取り”と称させるだけの事はあったわ。俺たちが雨に乗じて襲い掛かり一息に討ち果たそうとしたのだが、突然の襲撃に兵たちが混乱する中であっても決して諦めず、自ら太刀を振るい、どの様な無様な姿を晒そうとも最後まで生き延びようと死力を尽くしておった。治部大輔を討ち取ったのは馬廻りの毛利新介であったが、新介の槍を受け太刀を手放しても最後まで抵抗し、新介は指を食い千切られおった。俺はあそこまでの生への執着を魅せることが出来るのか…」


と、首を落とされるその時まで決して諦めようとしなかった今川義元に感心していた。

 史実では、明智光秀に宿としていた本能寺を取り囲まれ、抵抗したものの最後は寺に火を放ち自刃したことを知る俺としては、この時の父の言葉が心に残った。


「殿、そろそろ清州に向かいませぬと帰蝶様と奇妙丸様が戦勝の報告を首を長ごぉしてお持ちですぞ。」


四半刻(三十分)ほど休憩したところで、父に付き従って屋敷を訪れた真面目そうな顔の武者が父に声を掛けた。その武者の言葉に父は一つ息を吐き、


「もうか五郎左(丹羽長秀)、吉乃や茶筅と共に居ると時の経つのが早く感じるわ。では、参るとするか。」


そう言って立ち上がる。父に合わせて、もう一人別のお供と八右衛門伯父上が立ち上がると父は八右衛門伯父上を手で制した。


「八右衛門、お主は屋敷に残るが良い。清州に戻ったその場で兵たちにも家族の元に帰るように告げるつもりだからな。」


「しかし、某だけが先にという訳には…治部大輔様をお討ちになられた毛利新介殿や数多の手柄首を上げられた前田犬千代殿と違い某は大した手柄は立てられませんでした。そんな某が優遇される訳には…」


「何を言う八右衛門!貴様は常に俺の間近で俺を狙う今川の兵を退けておったではないか。此度の戦、今川の軍勢を散らし襲撃を掛けたことで治部大輔の首を取る事が出来たが、いくら雨を味方にしたとは言え五千の今川勢に対し三千で襲い掛かった我らにも相応の危険はあった。しかも、我らにとっては乾坤一擲、伸るか反るかの大勝負。となれば、旗頭である俺が皆を率いて駆けねばならん。そんな儂を貴様は今川の兵から守り通したのだ。此度の戦では治部大輔の首を取るのはもちろんだが、俺の首を今川の兵に取られぬ事も重要。貴様はその務めを果たしたのだ。俺はその事を分かっておるぞ八右衛門!」


そう強く言い切った父に、八右衛門伯父上は感極まったように目頭を熱くし一言、


「殿ぉ!」


と発して片膝をつき首を垂れた。そんな八右衛門伯父上の姿に小さく頷いた父は俺と母の方へ視線を移し、


「此度の戦の論功行賞は後日改めて致す。此度、俺は皆に無理を強いた。内蔵助(佐々成政)をはじめ身内を亡くした者も多い。先ずは戦勝の報告と共に故人に思いを馳せる時を持たせてやりたいからな…」


小さく告げる父の顔は戦で命を落とした織田の将兵たちを思い出しているのか、とても悲しげで史実では“第六天魔王”と恐れられた人物とは思えない本当の父の姿を見た気がした。


父は俺と母上それから八右衛門伯父上に見送られて清州のお城へと帰っていった。

去り際、母に抱えられて見送る俺の頭を父は撫で回すと、


「良いか茶筅。今は分からぬかもしれぬが覚えておくのだぞ。貴様は今川治部大輔の様な決して諦めぬ男になるのだぞ。どの様に無様な姿を晒そうと構わぬ。命があればいくらでもやり直しはきくのだからな。よいな。」


そう俺に言い含めるように告げた。その父の言葉に、もう一人いたお供の武者が、


「殿、その様な事を茶筅丸様に申されてもまだお分かりいただけますまい。」


と苦笑した。だが父は真面目な顔をして、


「何を言う勝三郎(池田恒興)!茶筅をそこらのわっぱと一緒にするではない。こやつは俺の言う事をちゃんと分かっておるわ!!」


親馬鹿全開でお供の武者を一喝すると、名残惜しそうにもう一度俺の頭を撫でつけてから清州のお城へ去っていった。


史実では、桶狭間の戦いの時に義元の手に在った左文字源慶の太刀・“義元左文字”を生涯の愛刀としていたという。その事から父は義元に畏敬の念を抱いていたのだと思った。そして、義元に見た武将となる者の心得を俺にも伝えたいと感じてくれたのだと思う。

そう言えば、史実で父は周囲から攻め寄せる諸大名たちと講和・休戦を結ぶことで状況を打開し、最後には“戦国の覇者”と呼ばれ、天下統一まであと一歩という所まで迫った。そんな父の中には桶狭間で見せた形振り構わず生を求めようと抗った今川治部大輔義元の姿があったのかもしれない。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 前田利家は追放中で勝手に参戦しただけです。 許されるのはまだ先です
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