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第十九話 南蛮船(模型)を作ろう! その二

与左衛門から南蛮船(模型)を作るために必要な材木やにかわなどを手に入れた俺たちは、絵図面を片手にあ~でもないこ~でもないと意見を戦わせ合いながら、材木を切り出して組み合わせ、膠を用いて板と板を張り合わせ形にしていった。そんな俺たちを清兵衛や与左衛門の代わりに半兵衛が、寛太や五右衛門に俺などのノコギリカンナなどの道具を使いなれていない者たちが怪我をしないか監視していた。


 戦国時代までの和船(日ノ本の船)と南蛮船の一番の違いは“竜骨”と呼ばれる船底中央を船首から船尾を通す基礎構造物を持つことが挙げられる。

竜骨を起点とし船底をV字構造にすることで波を切って進むことが出来る。この能力が外洋に出、他国との行き来を可能とする重要な基礎構造なのだが、戦国時代の和船には全く無い構造だった。

戦国時代の和船(戦船)の小早・関船・安宅船などの船底は平らで、現代のカヤックやゴムボートの様な船底の形状をしていた。

和船が使用される沿岸部や河口・河川などは水深が浅く、船底が平たい方が使い易かったというのもあるだろうが、そもそも戦船を扱う水軍(海賊)が相手にするのは海上を航行する船よりも、沿岸・河岸の集落で、川や海から襲い掛かり食料や物資を奪って再び海や川へと逃げる海賊行為を行う事が多く、船底が平たい船の方が沿岸や河岸に乗り上げて強襲し早々に引き上げるには好都合だったのだろう。

竜骨を起点にV字構造の船底を持つ欧州や大陸(中国・明)の海洋船を目の当たりにすることなど戦国時代の日本人には少なく無いに等しかったことだろう。

それを稚拙な絵図面を頼りに作ろうと言うのだから、いくら模型とはいえ生半可な事ではなかった。

俺たちは竜骨から船底そして甲板までの船体を作って水の上に浮かべたが、その度に転覆した。

長い試行錯誤の末にやっとのことで水に浮かぶ船体を作り上げたものの、更なる試練が俺たちを待っていた。

それは甲板の上に設置する帆柱や船尾に載せる鐘楼などで、甲板の上に帆柱や鐘楼などを設置すると船の重心が上がり、それまで浮いていた船体はバランスを崩して簡単に転覆した。

そこで用いたのが脚荷あしに又は底荷そこになどと和訳される重し、いわゆる『バラスト』だ。これを船底に積載し船の重心を下げてバランスを取ることにした。

もちろん、甲板上の構造物を大きくし過ぎればバラストを積載したときに喫水線が下がり過ぎて浸水してしまう危険性が出てくる。そんな事にならぬように俺は甲板上部の構造物は帆柱だけにしようと提案したのだが、市兵衛と虎之助が船尾に鐘楼を載せると言って譲らず、船全体のバランスを取りながら船尾鐘楼の大きさなどを調節していった。

そして…


「それでは、行くぞ!」


「「「はい!」」」


完成した南蛮船の模型の帆柱に紙で作った帆を張って生駒屋敷にある池に浮かべ扇子を扇いで風を送ると、俺たちが作った南蛮船の模型は帆に扇子からの風を受けて池の対岸へと進んでいった。そして、対岸で待っていた半兵衛が船の向きを変え俺がしたのと同じように扇子を扇いで風を送ると、南蛮船の模型は先程と同じように帆に風を受けて池の上をスーッと進み俺たちがいる池の縁まで戻って来た。


「よっしゃ~ぁ!」


「「やったー!」」


「茶筅様、おめでとうございます。」


「茶筅様、やったなぁ!」


「茶筅丸様お見事にございます。この半兵衛、茶筅丸様と皆様方の頑張に敬服いたしました。」


両手の拳を突き上げ歓喜の雄叫びを上げる俺。

抱き合って喜ぶ市兵衛と虎之助。

満面の笑みで俺に祝福の言葉を掛けてくる寛太と五右衛門。

そんな俺たちの様子を嬉しそうに笑みを浮かべながら池から南蛮船の模型を掬い上げて慶祝の言葉を口にする半兵衛と、生駒屋敷の庭先は歓喜に沸いた。

と、そこに思いもよらぬ闖入者が現れ声を掛けて来た。


「何を騒いでおるのかと思えば、また茶筅であったか。うん?半兵衛、その抱えておる物は一体何だ。見せてみよ!」


そう言って庭先に面した縁側に姿を現したのは我が父・織田信長だった。


「ち、父上、いつこちらにおいでになられたのですか?」


唐突に姿を現した父に俺は動揺を隠せぬまま問いの言葉を口にしていた。そんな俺の様子が琴線に触れたのか父は豪快に笑い声を上げた。


「わっはっはっはっは。茶筅、貴様でもそのように驚き狼狽える事があるのだな。内密の訪問であったが思いもかけず面白いものが見れたわ。

それで、いつから居たと問うたな。

たった今だ。

吉乃と話さねばならぬ事が出来しゅったいいたし岐阜からたった今到着した所よ。ところが、屋敷に入ると何やら庭から騒いでおる声が聞こえて来たので何事かと思い顔を出してみたのだ。半兵衛、その手に持っておる物はなんだ、こちらに持って参れ!」


父は母と話をしなければならないことが起きたから岐阜城から来たのだと話し、半兵衛に手に抱えている南蛮船の模型を見せる様に再び命じた。

半兵衛はチラリと俺に目配せをし、俺は小さく頷き父に従うように指示を出すと、素早く父に近づき片膝をついて手に持っていた南蛮船の模型を父へ差し出した。


「父上、それは某と此処に居る寛太、五右衛門、虎之助、市兵衛の四名で作りました南蛮船の模型にございます。某のために父上や半兵衛が集めてくれた書物の中にその船の絵図面が紛れ込んでおりまして、実際に形にしてみました。」


「であるか。その四人は何者だ?いや二人ほどはこの屋敷で見たことがある顔だな。」


父が半兵衛の差し出した南蛮船の模型をしげしげと眺めている所に、俺は説明のために口を開くと、父は俺と俺の後ろに控える四人を一瞥すると直ぐに南蛮船へと視線を戻すも、背後に控える者は何者かと問うてきた。


「寛太と五右衛門はこの生駒屋敷にて某を主として仕えてくれている者たちにございます。

虎之助は熱田の町で鍛冶師を営む加藤清兵衛殿の子息、市兵衛も熱田の町で木桶職人をしている福島与左衛門殿の子息にございます。両名も父親の薫陶を受け手先が器用で某が是非にと頼み手を貸してくれた者たちにございます。」


「加藤清兵衛と福島与左衛門か?確か鉄砲を改良するために貴様が木下小一郎に無理を言って紹介してもらった者たちであったな。未だ鉄砲の改良に苦労する父親の代わりにその息子たちを使ったか。それで、先ほどの騒ぎから察するにこの船は池に浮いたのだな?今一度浮かべて見せよ!」


父の言葉に従い半兵衛は父の目の前に掲げていた南蛮船の模型を持って俺に近づき、再び池に浮かべた。

南蛮船は先程と同じ様に沈んだり傾いたりすることなく池に浮くと、父は足が汚れるのも気にせず縁側から降りて池に浮かぶ南蛮船へと駆け寄った。


「それでは、こちらから扇子で扇ぎ風を送ります。風を受けた船がどう動くかご検分ください。市兵衛!」


俺の言葉に市兵衛は頷き南蛮船の少しだけ舵を動かした。


「茶筅様!」


「では!」


準備を整えた市兵衛の言葉に俺は頷き掛け声と共に扇子を扇ぎ、風を南蛮船に向かって送ると、南蛮船は帆に風を受けてゆっくりと水面を動き始めた。

先ほどは池の対岸に向かって真っすぐに進んだ南蛮船だが、市兵衛が舵を動かしたことで今度は池の縁にそってゆっくりと進み、それを見た寛太たちは扇子を持って先廻りをし、池の四方に散って目の前を南蛮船が通過するのに合わせて扇子を扇いで帆に風を送り、南蛮船は綺麗に池の縁そって一周し俺の元へと戻って来た。

処女航海(池)に続き周回航海も無事に成功したことで、父の前という事も忘れて歓喜の声をあげようとした俺たちだったが、俺たちを差し置いて声を上げる者が…


「おぉ~!池を一周して見せるとは見事!見事だ、茶筅!!」


声を上げたのは父で、お褒めの言葉を口にしながら水に濡れるのも気にすることなく池に入り子供の様にキラキラと輝く好奇心一杯の目で南蛮船の模型を持ち上げた。


「茶筅、この南蛮船の模型とやらを儂に譲ってくれぬか?」


父からいきなり南蛮船の模型を譲ってくれと言われ俺たちは言葉を失った。そんな俺たちに代わり半兵衛が口を開いた。


「上総介様。その南蛮船を作り上げるのに茶筅丸様たちは何度となく失敗を繰り返し、ようやく完成させたものです。さらに、完成し本日始めて池に浮かべ進水式を済ませたばかり。それを譲れとはいくら上総介様の命とは言え茶筅丸様をはじめ今まで頑張られてきた皆様のお気持ちを考えますと…」


半兵衛の「茶筅丸様の気持ちを考えると…」という言葉に、父はハッとしたのかそれまで南蛮船に釘付けとなっていた視線を上げ、俺たちの顔を見回した。

俺と寛太、五右衛門の三人は父から譲ってくれといわれたら、否とは言えずただ神妙に顔を伏せるだけだったが、市兵衛と虎之助は苦労して作り上げた南蛮船模型が取られると感じたのか、目に涙を溜めて唇を噛み締め抗議の表情を浮かべ父を睨みつけていた。

まだ十歳に満たない二人の幼児に涙目で睨みつけられ、流石に父もこれは不味いと感じたようで慌てて撤回の言葉を口にした。


「あぁ、いやこれは儂の誤りであった。進水式を済ませたばかりの船を譲って欲しいなど浅はかであった。許せよ。」


そう父が告げると、市兵衛と虎之助は溜めていた涙が引っ込み、満面の笑みを浮かべて何度も頷いていた。そんな二人に父は苦笑し小声で、


「南蛮の宣教師どもが来た際にこれがあればきゃつらめを驚かせる事が出来たのだがなぁ…」


と呟いた。俺はその呟きに思わず声を上げていた。


「父上!南蛮の宣教師が来るとはまことですかぁ!!」


いきなり大声を上げて睨みつける俺に父は驚いたようで、問われるままに答えを口にした。


「あ、あぁ。真だ、堺の商人の伝手を使って儂に文を寄こして来た。尾張と美濃を治める儂に直にあって話を聞いて欲しいとな。堺の商人も宣教師どもと誼を通ずれば南蛮の品が手に入り易くなると勧めて来た。南蛮からは珍しき物や日ノ本では手に入らぬものが来ておるらしいので話くらいは聞いてやろうと思っておる。」


「一体いつ宣教師が父上の下へやってくるのでしょうか?」


「返事はこれから返すから早くても半年は先の事となろう。だが、一体如何したのだ、茶筅。宣教師が来ると聞いてから貴様の顔つきが険しいものになっておるが?」


「いや、大したことではないのですが…早くて半年か。市兵衛、虎之助これから三月みつきの間で作った南蛮船模型の不具合を洗い出す。その後は池ではなく海で浮かべられるようなもう少し大きな船を作りたいと思っているが、また手を貸してくれるか?」


父からの問い掛けに曖昧に応えて考えを巡らし、三月の間は作った南蛮船模型を使ってより大きな海に浮かべられるような南蛮船を作るために手を貸して欲しいと告げると、市兵衛と虎之助は一も二もなく大きく頷いた。それを確認した俺は父の方へ顔を向けて、


「父上、三月の猶予をいただけますか?三月の後には父上に南蛮船の模型をお譲りいたします。さすれば半年後の宣教師とお会いになる際には間に合うと思いますので。」


俺がそう告げると父はチラリと市兵衛たちに視線を動かしてから大きく頷いた。


「うむ。それでよい、さすれば南蛮船模型を譲ってもらう対価を払わねばならぬな。」


「はっ!ありがとうございます。市兵衛と虎之助、それに寛太と五右衛門には褒美をお与えください。」


「市兵衛や寛太には褒美を与えるのは当然として、その中に貴様の名が無いのは如何なる理由わけだ?」


父は俺の言葉に違和感を覚えたようで、すかさず問うてきた。そんな父に対し俺はニヤリと笑い、


「某へはお願いの儀がございます。出来ますれば宣教師との謁見の際に某も同席させていただきとうございます!」


そう言い切る俺に父は訝しげな表情を浮かべたが、直ぐにニヤリと笑った。


「よかろう。茶筅の願い、叶えて進ぜよう。三月の後に貴様がその船の模型とやらを持って岐阜に来るがよい。半兵衛、道中の差配は任せたぞ!」


そう言い残し、南蛮船の模型を俺に返すと屋敷の奥へと消えていった。

父の後姿を見送り、三か月の間は南蛮船を堪能できると確約されたことに喜ぶ四人の姿をホッと一息つきながら眺めていた俺に半兵衛はいつもの柔和な笑顔が険しい眉間に皺を寄せた顔で近づいて来て、


「は~ぁ。どうして貴方は次から次へと厄介事を招き寄せるのか。私も厄介なお人の傅役を仰せつかったものです。しかも、今度は南蛮の宣教師との謁見の場に同席させろとは…一体何をお考えなのですか茶筅丸様。」


とジト目で問い質して来た。俺はそんな半兵衛に苦笑するしかなかった。

まさか、宣教師の目的が日ノ本にキリスト教を広めて信者を尖兵とし、明国の征服を目論んでいるなどと言えるわけがない。

イスパニアと宣教師たちの思惑が透けて見えるようになるには今少し時が必要になるが、そうなる前に先んじて宣教師たちに釘を刺し父にそれとなく匂わせ警戒させなければと俺は気を引き締めた


 宣教師とイスパニアやバチカンの思惑については国営放送の特集番組を参考にさせていただきました。


戦国時代の水軍よる海戦は沿岸部で行われることが多く、南蛮船の有用性が発揮できる余地があったのかは分かりません。

史実では日ノ本で南蛮船が作られたのは江戸時代に入ってからという現実を考えると、戦国時代には南蛮船の有用性を見出せなかったのかもしれません。

ですが、船腹に積んだ大砲での遠距離攻撃(ヒット&ウェイ)は敵方に十分な脅威を与えられるのではないかと考えました。また、当時の日ノ本には南蛮船ほど大きな船があまりなかったようなので、南蛮船を作ったという事だけで敵対する者達にとっては脅威となる(示威)のではと考えました。

敵対する和船(関船、小早、安宅船)だけでなく沿岸にある港や町などに対しても、一定以上の脅威を与えることは可能なのではと考えると幕末に黒船によって行われた艦砲外交なども取り入れられるのではと思っています。



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[気になる点] >国営放送の特集番組 重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが、日本には公共放送はあっても国営放送はなかったものと存じておりますが
[一言] 竜骨(キール)のある船の最大の特長は、風上に向けた帆走ができることです。 逃げ切る前提で、現在の競技用ヨットのサイズで、偵察等に使用することも可能かと。 なお江戸時代の弁財船には、同様の機…
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