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第十七話 稲葉山城攻城


「それで、稲葉山城を攻略されたことのある半兵衛殿にお知恵をお借りできないかと思い不躾ながら罷り越してございまする」


美濃攻略は半兵衛が織田家に臣従し、安藤日向守に奥さんを通じて呼びかけたことで日向守はあっさり織田に就いた。どうも日向守は当の昔に龍興を見限っていて稲葉や氏家とは織田家に就くことで話はまとまっていたようだ。

ただ、娘婿である半兵衛の事が気がかりで、織田家が半兵衛の調略に動かなければ織田家への臣従の条件に半兵衛を織田家に迎え入れることを申し出るつもりだったらしい。そんな懸案事項だった半兵衛がすんなりと織田家に臣従し、しかも三男とはいえ織田家当主の子息の傅役を申し付けられたとあって、諸手を挙げて臣従してきたそうだ。

 安藤日向守が織田方に就いたことで西美濃は織田家が抑えることとなり、形勢は龍興から一気に父に傾き、龍興の力が及ぶのは美濃の中でも居城である稲葉山城周辺に限定されることとなっていた。

しかし、稲葉山城は天下の堅城。城に籠られては父でも早々に落とすことは難しく、下手に攻城戦に手間取るような事があれば父に傾いていた形勢が再び龍興側に傾く恐れがあった。

そんな稲葉山城の攻略のために一度は稲葉山城を乗っ取ったことのある半兵衛に知恵を借りたいと父の使者として権六と藤吉郎(何か俺を訪ねてくるのはこの二人で、他の家臣たちは何故か寄り付かないのが解せない)が訪ねて来たのだ。だが、そんな二人に対し半兵衛は困ったような表情を浮かべた。


「稲葉山城の攻略でございますが、私が稲葉山城を占拠出来たのは右兵衛太夫殿(龍興)の元に弟が人質として仕えており、弟が仮病を装いその見舞にかこつけて稲葉山城に押し入り一気に占拠いたしたにすぎませぬ。今はその弟も竹中家の領地に戻っておりますし、おいそれと稲葉山城攻略の策と申されましても…」


と首を横に振り、今すぐに良い知恵は無いと仕草でもって伝えると、権六も藤吉郎も落胆の色を隠さず肩を落とした。

その二人の姿に俺はまたもや手を貸してやりたくなってしまい、つい言わなくても良いのに口を出してしまった。


「半兵衛。稲葉山城を占拠した際、確か右兵衛太夫殿は隠し通路を使って城外に逃れたのではなかったか?であれば、その隠し通路を使い逆に城内に入ることも可能ではないのか。」


そう問いかける俺の言葉に権六と藤吉郎は一筋の光明が射したかのようにそれまで沈んでいた表情が一気に期待に染まった。しかし、半兵衛は苦渋の表情を崩さず、


「確かに右兵衛太夫殿が使った隠し通路は今もあるとは思いますが、城から続く先は稲葉山城の裏にある山中か若しくは稲葉山城城下でございましょう。その入り口を見つけ出すのはなかなかに難しきことと思われまする。しかも、見つけ出せたとしても隠し通路は人一人が通れるほどの狭きものでございましょう。稲葉山城を攻略出来るほどの手勢を送り込むことは出来ぬかと…」


隠し通路の入り口を発見することが難しく、城の攻略に資する程の手勢を送り込む事は難しいのではと苦言を口にした。その言葉に権六と藤吉郎は俺に縋る様な目を向けてきた。


「半兵衛、入り口さえ見つかれば攻略の手勢はそれほど多くなくても良いのではないか?隠し通路を使うとなれば、城方の隙を突いて少数で潜入し城の各所に火の手を上げ、その騒ぎに乗じて城門を開けて城門を確保すれば大軍を持って一気に攻めることも出来よう。ただし、潜入する者や城門を確保する者たちには決死の覚悟をしてもらわねばならんが…」


俺の案を聞いて半兵衛は暫し目を瞑り考える。そんな半兵衛を急かそうとする藤吉郎を俺は掌を掲げて制した。

未だ短い付き合いながら半兵衛は頭の中で考えを巡らす時には目を瞑り己の内に入り集中する癖がある事に気付いていた。こんな時は急かしてはならず、半兵衛が考えをまとめるまでジッと忍の一字が良策だった。


しばしの時が流れる。その間に俺は寛太と五右衛門に棒茶を用意するように告げ、権六と藤吉郎は寛太と五右衛門が運んできた棒茶を飲みながら半兵衛が考えをまとめ目を開くのを待った。そして…


「先ずは城からの隠し通路を探し当てたという前提で話をさせていただきますが、今の織田家ならば稲葉山城に攻め寄せることは容易いかと思われます。その上で、稲葉山城の城下の民を城もしくは近隣の村や町へ追い払った上で焼き討ちにし、稲葉山城を丸裸とします。その後、城を包囲し何度か攻め寄せた後に兵糧攻めをすると見せかけ、夜陰に乗じて隠し通路を使って稲葉山城内に潜入。

茶筅丸様が申されたように城の各所に火を点けて注意を引き、その隙に乗じて城門を開き待機していた寄せ手を中に招き入れる事が出来れば、潜入した者の犠牲も少なくし稲葉山城を攻略出来るやもしれませぬ。」


と半兵衛は澱みなく立案した策を披露した。それを聞いた権六と藤吉郎は互いの顔を見合し大きく頷いた。


「茶筅丸様。半兵衛殿、ありがとうございます。早速、殿に半兵衛殿の策を言上いたしまする!」


そう告げると、挨拶も早々に小牧山城へと帰っていった。



◇尾張国、小牧山城 織田信長:


「であるか。流石は“今孔明”と称される事だけはあるな。見事な策だ。」


西美濃三人衆を取り込むと美濃攻めは一気に進展し、残るは龍興が籠る稲葉山城周辺を残すのみとなっていたが、流石に舅殿(道三)が築き上げた堅城だけあって攻めあぐねていた。

そんな中、墨俣築城と竹中半兵衛の調略で名を上げた権六と藤吉郎がすっかり心酔している茶筅の下を訪ね、半兵衛から稲葉山城攻略の策を持ち帰って来た。

その策は、稲葉山城に通じる隠し通路を探し当てることが前提ではあったが、稲葉山城攻略の好手であった。

流石は“今孔明”と称される半兵衛の策と褒めはしたが、それよりも驚きなのはそんな半兵衛に策を考える発端となった“隠し通路を使う”事を提案したのが茶筅だという事だった。

半兵衛による稲葉山城の占拠の際に、隠し通路を使って城外へと逃げ延びた龍興の動きがあったとはいえ、その隠し通路を稲葉山城の攻略に用いようなどと誰が考えようか。茶筅には事あるごとに意表を突かれ驚かされる。だが、本人にはそれが当たり前かの様に淡々とし特に誇るところもない。しかも、権六に藤吉郎といった心酔する者すら現れている。

これが嫡男であれば何の問題もないのだが、茶筅は三男。このまま元服後も手元に置きアヤツの遣ることを面白がっていては織田家を継ぐ嫡男の奇妙丸が委縮してしまいかねぬ。

いずれは他家に養子に出し、奇妙との間に明確な序列を付けねばならぬやもしれぬ。

まぁ、それも稲葉山城を攻略し美濃を手中に収めた後の事。今は半兵衛の策を用い稲葉山城の攻略に取り組まねばと下知を下した。


「権六、藤吉郎。貴様らは稲葉山城に通じる隠し通路を見つけ出すのだ。隠し通路を見つけ次第稲葉山城攻略の軍を上げる!」


「「はっ!」」


儂の言葉に権六と藤吉郎は興奮して顔を紅潮させながら力強く返すと即座に立ち上がり駆け足で儂の前から下がった。そして…


永禄十年(1567年)秋、織田上総介率いる織田軍による稲葉山城攻略戦(稲葉山城の戦い)が始まった。

この際、織田上総介は美濃の国人領主にも参陣を促したがその際各家の家紋が書かれた旗を掲げるよう指示したという。

斯くて、織田家だけなくこれまで美濃を支えてきた国人たちの旗が立ち並び稲葉山城と城下の井之口を包囲している様子を見て、井之口の住民は町を捨てて近隣の村や町へと逃れ、城に逃げ込む者はごく少数だった。

どうやら井之口の住民もこの戦は龍興側に勝ち目がないと見た者が多かったようだ。

城下町から住人が逃げ出したのを確認した織田軍は、町に火を放ち焼き討ちを敢行。

井之口の町は一昼夜燃え続けて二日目の朝には焼け野原と化し、残る建物は山の上に建てられていた稲葉山城だけとなった。

上総介は軍を焼け野原と化した井之口の跡地まで進軍させると、大軍を持って稲葉山城を取り囲み、龍興に対し降伏の使者を派遣した。

 使者に立ったのは森三左衛門可成もりさんざえもんよしなり氏家常陸介直元うじいえひたちのすけなおもとの二名。

森三左衛門は元は美濃の守護・土岐氏に仕えていたが土岐氏が斎藤山城守利政(道三)に美濃から追放されると一時、長井隼人正道利の下に身を寄せていたがその後織田家に臣従し上総介の側近として武功を上げ、織田家の柱石となりつつあった。

使者に抜擢された理由は、美濃を離れる前に一時身を寄せていた長井隼人正が龍興の側近として稲葉山城に籠っていた為、使者として稲葉山城に赴いても殺されることは無いとの判断からだった。

氏家常陸介は安藤や稲葉と共に西美濃三人衆と呼ばれる有力国人であり、稲葉山城を囲む美濃の国人たちの代表として城に赴くこととなったのだが、その姿はまげを落として頭を丸めた僧形だった。


◇美濃国 稲葉山城、森三左衛門可成


「氏家殿、お手前が使者にならずとも良かったのではないか?」


稲葉山城への降伏の使者として城に向かう道中、隣で騎馬を進める氏家常陸介殿に声を掛けると、常陸介殿は神妙な面持ちを浮かべ首を左右に振った。


「いや、三左衛門殿お一人にこのお役を押し付けては、我ら美濃衆は臆病者・卑怯者よと謗られましょう。誰かが龍興様の目を覚まして差し上げねばならんのです。しかし、安藤殿は半兵衛殿と共に稲葉山城の占拠を行い龍興様から恨まれているは必定。そんな安藤殿が使者に赴いては命を散らしに行くようなもの。かと言って稲葉殿ではその気性から龍興様を目の前にした時その首を狙わんとも限りませぬ。そうなれば、某が行く他選択の余地はないのでござるよ。」


そう言うと氏家殿は苦笑を浮かべられた。そんな氏家殿に儂も苦笑し、


「貧乏くじを自らお引きなられたか。それで出家を?」


そう問いかけると、氏家殿は綺麗に丸められた坊主頭をピシャリと叩かれ、


「まぁ、某は既に家督を息子の左京亮(直昌)に譲っており申す。これも良き機会かと…」


そう笑って答えられた。その様な事を話している間に、馬は稲葉山城城門の手前までたどり着くと、騎馬二騎だけにも拘らず城からは弓矢や鉄砲の銃口が向けられた。


「開門~ん! 我らは織田上総介様からの使者にござる。一色右兵衛太夫様にお目通り願いた~い!!」


儂が大声で叫ぶと城門名の中からは何やら騒いでいる兵らの声が漏れてきた。その騒ぎはしばらく続いていたが、我らの事が城内へ知らされたのか、ゆっくりと城門が開かれ、中から槍を構えた足軽が姿を現し我らを囲むと、その裏から立派な具足を身に纏った武者が進み出て来た。その武者に儂は思わず武者の名を呟いていた。


「長井隼人正殿…」


儂の呟きが聞こえたのだろう、隼人正殿は軽く目礼をすると、


「森三左衛門殿に氏家常陸介殿か…織田方からの使者との事、申し訳ござらぬが太刀はこちらでお預かりし、御同道いただきたい。」


隼人正殿の言葉に合わせて控えていた兵が儂と氏家殿から太刀を受け取ろうと進み出て来た。儂は即座に腰に佩いた太刀を外し兵に預ける。そんな儂に合わせて氏家殿の太刀を外すと兵の前に差し出し、


「隼人正殿。某の事は常陸介ではなく“貫心斉卜全”とお呼びいただきたい。」


と告げて坊主頭をツルリと一撫でした後ピシャリと叩いて見せた。そんな氏家貫心斉殿の仕草に虚を突かれたのか隼人正殿の表情がわずかに綻んだように見えた。


儂たちは隼人正殿の案内で、稲葉山城の奥へと案内され大広間へと通される。

 大広間には隼人正殿と同じく一色右兵衛太夫龍興の下に集った美濃の国人衆が一堂に会しており、大広間に顔を見せた儂ら二人を血走った眼光で睨みつけておった。

そんな大広間の一番奥で脇息(肘掛け)を体の前に置き寄りかかるようにして前屈みになり儂らを睨みつける若武者が居た。


「織田方の使者、森三左衛門可成殿と氏家貫心斉卜全殿をお連れ致しました。」


大広間の前で隼人正殿が儂らの名を呼びあげると、脇息にもたれ掛っていた若武者が声を張り上げた。


「氏家貫心斉卜全だと?出家して詫びでも言いに来たのか常陸介!」


まるで貫心斉殿を嘲笑するかのような問い掛けに、大広間にいた美濃の者たちは一斉に笑い声を上げた。しかし、貫心斉殿は先程隼人正殿にしたのと同じように坊主頭をツルリと一撫でしてピシャリと叩き、


「なに、倅・左京亮に氏家家の家督を譲り後顧の憂いが無くなり申した。楽隠居をとも考え申したが、まだ某をお使い下さるというお方が居られましたので、これまでのしがらみに区切りを付けねばと出家を致しました。」


そう告げる貫心斉殿に、右兵衛太夫殿は面白くなさそうに舌打ちをすると、今度は視線を儂に向けて口を開いた。


「その方は森三左衛門と申したな。確か、以前土岐家に仕え土岐一族が美濃を追われた際に隼人正の下に身を寄せていた者が同じ名であったが、主家である土岐家を美濃より追い払った道三入道の娘婿である織田上総介に仕えるとは、節操がないのぉ。本来ならば隼人正と共に儂の下に馳せ参じるが筋であろうが、それなのに上総介の使者として儂の前に姿を見せるとは、呆れた物だ。」


右兵衛太夫の言葉に、隼人正殿は眉間に皺を寄せ止めようとしたが、儂は隼人正殿に先んじて口を開いた。


「確かに上総介様は土岐家を美濃より追った道三様の娘婿にござるが、かつての主家である土岐家と敵対したことはござらぬ。それを道三様の娘婿というだけで悪し様に言うは如何なものか?そもそも、右兵衛太夫殿は道三様の孫にござる。であれば右兵衛太夫殿の下に馳せ参じるなど筋違いと言うものでござろう。」


そう言った途端右兵衛太夫は顔を真っ赤にし、もたれ掛っていた脇息を投げ捨てて立ち上がり、


「儂の父、左京太夫義龍は土岐美濃守頼芸の子!断じて道三入道の孫などではないわぁ!!」


と大声を張り上げた。そんな右兵衛太夫に儂は一喝した。


「では何故、左京太夫殿(義龍)は土岐家を名乗らず公方様より一色氏と称することを許されたのでござるか?それは取りも直さず己が土岐美濃守の子ではなく道三様の御子だと分かっていたからにござろう。にもかかわらず土岐美濃守の子と僭称するなど言語道断!」


儂の剣幕に気圧されてか、右兵衛太夫はその場に崩れ落ちると隼人正殿が儂との間に割って入り、


「三左衛門殿!そこまでにござる。先ずは織田上総介殿から使者としての用向きを済ませられませ。」


と促して来た。

隼人正殿の言葉に、儂は大きく息を吐き改めて上座に座る右兵衛太夫を見据えて使者としての用向きを伝えるため口を開いた。


「それでは主・上総介様からのお言葉をお伝え申す。

 既に美濃国内は稲葉山城に籠る者を除き皆、織田に臣従する事を誓った。この上はこれ以上の流血は織田家にとっても一色家にとっても意味の無いもの。早々に開城し、降伏されるが宜しかろう。との事にござる。」


「織田様は、稲葉山城は天下の堅城と申され、無理に攻めるよりも兵糧を断ち開城するまでは一年でも二年でも囲み続ける所存にござる。如何に天下の堅城とは申せ、兵糧攻めではどうにもなりますまい。ここは織田様の勧告を受け入れ降伏されるが宜しかろう。」


儂の後を受けて貫心斉殿からも降伏を受け入れる様にと申し入れられた。

儂らの言葉に右兵衛太夫は再び顔を真っ赤に染めて喚き散らそうとしたが、そんな右兵衛太夫を制して隼人正殿が口を開いた。


「織田様からの降伏の申し入れ承った。されど即答出来る事ではないという事はご貴殿方もご承知のはず。暫し時をいただきたい!」


そう告げると、兵を呼び儂らを別室へと案内させた。


「如何思われたかな貫心斉殿。」


別室で待っている間、儂は大広間での出来事に思いを巡らし共に龍興の返答を待つ貫心斉殿に問い掛けると、貫心斉殿は少し困ったように顔を歪め、


「それは某に問われるまでもありますまい。今、この城内で冷静に話が出来る者は隼人正殿くらいのものにござろう。如何に隼人正殿でも、大広間に集まっておられたお歴々を説き伏せることなど至難の業でござろう。」


と言い、苦笑しながら坊主頭を撫でた。その答えに俺も同意するように溜息をつく事しかできなかった。


そうしている内に再び大広間へと呼びつけられた儂と貫心斉殿は、居並ぶ一色方の武将たちの顔を見て『あぁ、やはりか』と落胆した。


「森三左衛門。氏家貫心斉。織田よりの使者大儀であった。が、我らは織田に下ることを良しとしてはおらぬ。今、この城におる者は一色の旗の下、城を枕に討ち死を覚悟しておる者ばかり。兵糧攻めをしたいのならすれば良かろう、だが、一年・二年と城を囲んで攻めあぐねている間に旗色を窺う様な輩がどの様に心変わりをするか見物だ。そう儂が言っていたと上総介に伝えるがよい!」


大きな声で告げる右兵衛太夫殿に儂と貫心斉殿は一言も発せず、一度頭を下げると大広間を後にした。

どうやら、使者を害する様な分別の無い行いはおこらず、儂らは無事に殿のもとへ帰陣することが出来、稲葉山城でのやり取りを包み隠さず全て話すと、殿は一言


「で、あるか。」


とだけ告げられ座っていた床几から立ち上がると早々に天幕の奥へと姿を消されてしまわれた。

その後、数日は織田方による城攻めが行われた。

と言っても、稲葉山城の城門に兵を押し出すのではなく、弓や鉄砲を撃ちかけるだけで陽が落ちれば早々に撤収してしまい、織田方は兵糧攻めを画策していると右兵衛太夫殿ら籠城する者たちに思わせた。そして、攻城戦を始めて十日目の夜。

夜陰に紛れて稲葉山城の裏手に在る大岩の影に隠されていた洞穴に潜り込む一団が居た。

その洞穴こそ稲葉山城につづく隠し通路であり、稲葉山城への潜入を任された者は木下藤吉郎殿だった。

藤吉郎殿は配下の足軽から小柄で身軽な者を選び出し、事に当たられた。


 同時刻、柴田権六殿率いる柴田勢は鎧が擦れ合う音がしない様に黒く染めた布で体を覆い、息を殺して稲葉山城の城門に肉薄し、夜の闇に身を潜めその時を待った。

 藤吉郎以下稲葉山城潜入部隊は音をたてぬように慎重に隠し通路を進み、稲葉山城城内に辿り着くとそれぞれ決められた場所へと散り息を潜め、空が白み始める寸前の時間を見計らい用意していた油を撒いて数か所同時に火の手を上げ、声を張り上げた。

城内の数か所で次々と上がる火の手とその事を告げる叫び声に、稲葉山城は蜂の巣を突いた様な騒ぎとなり、城門に詰めていた兵たちの意識も怒号と立ち上る煙の影から見える火の手に奪われた。

その機を逃さず藤吉郎殿が率いる潜入部隊は城門を襲撃して一気に城門を奪取。城門を閉ざしていた閂を外すと、黒い布を被り身を潜めていた柴田勢が雪崩れ込んだ。

権六殿は潜入していた藤吉郎殿を案内役に、火の手が上がり騒然とする城内に突入すると侵攻路を確保した。

柴田勢が稲葉山城の城門を突破するのに合わせ上総介様は全軍に稲葉山城への攻撃を厳命。儂や佐々内蔵助成政、前田又左衛門利家などが兵を率いて火の手の上がる稲葉山城に乱入した。

未明の出火騒ぎで叩き起こされた城方は、藤吉郎殿配下の誘導によって騒ぎが大きくなる中での城門破りと織田方の乱入に組織的な抵抗は困難を極めた。

そんな中、長井隼人正殿は右兵衛太夫殿と共に城から落ち延びようとした。抗戦を主張する右兵衛太夫殿を叱りつけて何とか納得させると、鎧を足軽の物に変えて数人の部下と共に城内より連れ出し、長良川を舟を使い落ち延びていった。

右兵衛太夫殿と長井隼人正殿を欠いた稲葉山城は組織的な抗戦が出来ず、陽が天頂に上る頃には勝敗は決し、美濃は織田上総介様の支配する地となった。


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