第十六話 竹中半兵衛という男 その二
分割した続きです。
「はっはっはっはっは。茶筅丸様そのくらいでお二人をお許しなされませ。」
笑い声を上げたのは、半兵衛だった。
半兵衛は先程まで被っていた思慮深き知将然とした表情が剥がれ落ち、その顔は面白い物を見たという様な好奇心に満ちた子供の様な表情の中に、何かを見極めようとしている真剣さが垣間見えた。
「茶筅丸様、柴田殿、木下殿。どうかお許しください。私は龍興様の元を離れ、この庵に居を構えた時、もう何方様にもお仕えするつもりはありませんでした。
お聞き及びの事かと思いますが、道三様が高政様に討たれた時は領地に住む民の事を思い高政様にお仕えする事に致しました。しかし、道三様に組みした我が竹中家は高政様に疎まれ、龍興様に代が変わってこれで我が家に対する境遇も変わるのではと期待したものの、その期待は見事に裏切られました。
新加納の戦いで策を奉じ勝ちを引き寄せても、龍興様はお傍に置いた斎藤飛騨守の甘言に乗せられて政を疎かにし酒色に溺れられ、安藤殿、稲葉殿、氏家殿と共に諫言すると、諫言した我らを疎んじた。なんど我らの面目を潰された事か分かりませぬ。それでも耐えておりました。しかし、このままでは美濃の国が危うくなると案じ、目を覚ましていただかねばと稲葉山城の乗っ取りを行い奸臣斎藤飛騨守を誅したのです。ですがそれも無駄に終わりました。
稲葉山城をお返しし私は家督を弟に譲りこの庵に移り住むことにしました。そうすることで龍興様も少しは政に尽力いただけるのではと思ったのです。ですが龍興様は変わらず、かくの如し…。
もう誰かに仕えるなど真っ平だと思いました。そんな折です、お二人が私の庵をお訪ねいただいたのは。
私は木下様が仰せの通り居留守を使いました。そうすれば二度と庵を訪ねる者はいなくなると考えたからです。ですが、お二人は再び訪ねて参られ、三度目の此度は織田家の御子息である茶筅丸様まで御同道された。
『三度目の正直』ではございませぬが、三度もお訪ねいただいたからには居留守など出来ようはずもありませぬ。例え先の二回の無礼を咎められこの命を取られようと世捨て人の私には些細な事と思っておりました。
ですが、織田様は世捨て人を決め込んだ私を欲しておられる。そして、そのお気持ちは茶筅丸様も同じと感じました。何故ですか?何故、私の様な者を欲するのです。」
半兵衛はジッと俺の目を覗き込むようにしてその奥にある心まで探るかのような視線に気圧される思いがしたが、ここで怯んではならないと木太刀を構え薬丸自顕流の打ち込みをするときの様に、腹に力を込めて半兵衛の視線を真っ向から受け止め返答を返した。
「確かに、美濃一国を切り取るだけならば、世捨て人を決め込む半兵衛殿を引きずり出すこともありますまい。もちろん、半兵衛殿の智謀を他国に取られることは織田家にとって悪しき事ですが、世捨て人と仰せられる半兵衛殿が、織田の誘いを蹴り他家にというのも考え辛きことゆえ捨て置いても害はありますまい。稲葉様や氏家様は織田の誘いを受けていただけましたから未だお答えいただけぬ安藤殿へのお誘いは半兵衛殿でなくとも稲葉様や氏家様からという手もありますから、いずれ西美濃は織田方に組していただけるものと思っております。
それでも半兵衛殿を織田家にお誘いするは、父上が目指すは美濃一国ではないのだと思います。」
「美濃一国ではないと申されますか?では上総介様は何を見ておいでなのです。」
美濃を攻略するためだけに半兵衛に誘いをかけている訳ではないと告げると、半兵衛は戸惑いつつもそれが何なのか知りたいと少し前のめりになり俺に問うてきた。
俺は敢えて一呼吸置くとそれを待っていたように半兵衛殿の奥方が白湯を持って部屋に入ってきて、俺たちの前に白湯を置き軽く頭を下げると部屋から出て行った。
どうやら、普段と違い前のめりになっている半兵衛のために間を空けようとしての事の様だ。知将の奥方と言うものはなかなかに聡き御仁なのだと感心しながら、運ばれてきた白湯を一口飲んで喉を潤し、半兵衛からの問いに答えた。
「父上が目指す先は『天下』そして日ノ本の静謐。」
「て、天下にございますか?そして日ノ本の静謐?とは…」
「驚かれたようにございますな。尾張の田舎大名それも家格の低い者が何を畏れ多きことをとお思いでしょう。
しかし、応仁から文明まで続いた都の乱は都に留まらず日ノ本中に広がり、人は身内で相争い親しき隣人を欺かなければ生きて行けぬ、生きながらに鬼畜生へと堕ちる戦国の世と変わりました。
世は乱れ、公方様の力は衰えて各地の大名は自儘に振舞い、日ノ本を一つにまとめ民が心安らかに暮らす世を作ろうとする者はなかなか現れませぬ。
父上はこの理不尽な世を正し民が安寧に暮らせる世を取り戻すとお考えなのです。父がこのような大それた事を何時から考えていたかは分かりませぬ。ですが、父上は子である某から見ても子煩悩の親バカで家族や身内には異常なほど甘いお方。そんな父が御舎弟信勝様を自らの手で誅さなければならなかった事は慚愧の極みであったことは想像に難くありませぬ。
そのような悲劇はこの戦国の世では当たり前とは申しませぬが枚挙にいとまがないことは半兵衛殿もご存じの事と思いまする。そんな世を変えたいと父上は思っているのです。」
「それで天下でございますか。しかし、日ノ本の静謐とは?天下の静謐なのでは。」
「天下とは都を中心に五畿内のことにございます。ですが、乱れているのは五畿内だけに非ず、日ノ本全域に及びまする。この美濃や尾張も天下には含まれておらぬではありませぬか。
三好筑前守(長慶)様が天下を掌握されたと思われておりましたが、その死後に三好が割れ天下(五畿内)が再び荒れだしました。それでは何の意味もありませぬ。五畿内だけでなく日ノ本を一つにまとめ父上の死後も日ノ本の静謐が続くようにせねば父上の願いは叶わぬのです。」
「その様な大それたことを上総介様はお考えなのですか?なんと言う…」
「うつけの荒唐無稽な妄想とお思いですか?ですが、父上ならば出来ると某は考えております。そして、その為にこそ半兵衛殿を欲しておられるのだとも。」
「いや、その様な事は。」
「いやいや、半兵衛殿はそう思われても無理はありませぬ。父上は若き頃『うつけ』と呼ばれ武士らしからぬ奇行を繰り返していたと聞いていますから。ですが、その『うつけの奇行』こそが父上が天下そして日ノ本の静謐を考えるようになった発端だと某は思っております。
尾張は豊かな地です。百姓も普通に生活するには困らない土地ではないかと思います。そんな百姓の生活を争いが脅かす。
“うつけの若様”と呼ばれながら尾張の民と親しく付き合うな中で、守護である斯波家の力が衰え、織田大和守家と織田伊勢守家そして織田弾正忠家の争いに民が巻き込まれる姿に父上は歯軋りをしていたそうにございます。
ですが、尾張を統一してからは民は争いに巻き込まれることもなくなり、笑顔を浮かべ日々を暮らしている姿に目を細められる父上に…“うつけ”と呼ばれる父上だからこそ天下と日ノ本の静謐が叶うのではと。
されど、父上一人で成し遂げられる物ではありませぬ。こちらにいる権六殿や藤吉郎殿もですが、多くの者を召し抱え父上は願いを叶えようとしております。
半兵衛殿。半兵衛殿の智謀を生かし、父上の願いを叶える一翼となってはいただけぬでしょうか!」
そう言い俺は半兵衛に頭を下げた。
沈黙が部屋の中を満たす。俺は頭を下げた状態を保ち半兵衛の反応を待った。
「茶筅丸様、一つ宜しいでしょうか?上総介様が成そうとされておられる事、その為に私の力が欲しいというお考えは分かりました。ですが、貴方様はどうなのですか?失礼ながら幼きながらもこのようなお役を与えられ遥々美濃の外れまで足をお運びになられた。そんな茶筅丸様は私を如何思われますか?」
何故か俺が半兵衛をどう思うのか訊ねられてしまった。どう答えたらよいものかと思案していると、部屋の端に控えていた権六が口を開いた。
「茶筅丸様、言葉を飾る必要はないと存じまする。ご自身の言葉で思う所をお話下され、半兵衛殿もそれを望まれてお出でだと考えまする。」
「親仁殿の仰せの通りにございます。茶筅丸様はご自身のお言葉で語られるが一番かと。」
権六に続き藤吉郎にまで促され、俺も腹を括り初めて会った目の前に座る竹中半兵衛という男について思ったままを口にすることにした。
「では、無礼を承知でお話しさせていただきます。半兵衛殿はご自身の事を世捨て人などと称されておりますが、その心の奥には熾火が燻っている様に見えました。その手に付いた墨の汚れ。今も書物を読み、智を蓄えられている様に見ました。智を蓄えれば、それを表したいと思うのが人の性にございます。織田という翼を得て、もう一度世に羽ばたかれませ!」
俺の言葉に半兵衛は自分の手を見て、手に付いた墨の汚れが確認できたのか苦笑を浮かべ、大きな溜息を一つ吐くと真っ直ぐに俺を見つめ、
「一つ願いがございます。それを聞いていただけるなら織田家に臣従の件、喜んでお受けいたしたいと思いますが如何でございましょうか?」
そう告げる半兵衛の笑みを湛えた顔に俺は何か嫌なものを感じ焦りを覚え言葉に詰まった。そんな俺に変わり権六が口を開いた。
「臣従に際して何か望みがあると仰せられるか。してその願いとは?」
「織田家に臣従した後は茶筅丸様にお仕えいたしとうございます。この願い叶いますれば喜んで織田家に臣従を致します!」
そう言い切った半兵衛に俺は眩暈がした。まさか藤吉郎の役を俺が務めることになるとは…父は半兵衛が織田家に臣従するなら誰の下に仕えようと構わぬと言うだろうなぁ、と頭を抱え込みそうになるのを何とか自制し
「分かりました。その件は父上に判断を仰ぎたく思います。」
と返すのが精一杯だった。
半兵衛の庵を辞し小牧山城に戻り報告を聞いた父は案の定一も二もなく半兵衛が織田家に臣従するのならば誰に仕えようと構わぬと言い放ち更に、
「そう言えば茶筅に傅役を就けておらなんだなぁ。丁度よい、半兵衛を茶筅の傅役と致そう。貴様の事だ、これからも何かとやらかす事だろう半兵衛の様な切れ者を貴様の近くに置けば一層儂を楽しませてくれるだろうからな。わっはっはっはっは♪」
と笑いながら告げた。
それを聞いた権六と藤吉郎は流石に父の無茶振りを止めようとしたが、父から、
「ならば貴様らが茶筅の傅役を務めるか?」
と、問われると父と俺の顔の間を何度か視線を往復させた後、二人揃って
「茶筅丸様の傅役など我らではとても務まりませぬ。」
「要らぬことを申しましたお許しください」
と頭を下げ引き下がってしまったために、父からは「一体何があったのだ?」と怪訝な顔をされてしまった。
しかし、二人が引き下がったことで半兵衛の臣従と俺の傅役への就任が決まった。
◇美濃・北近江(浅井領)境界地 竹中半兵衛重治
「殿に置かれましては半兵衛殿が織田家に臣従していただけるのなら何方にお仕えしようと構わぬと申されました。」
「更に、どうせ茶筅丸様にお仕えするのならば、茶筅丸様の傅役を申し付けるとの事にございまする。殿様がそう申された際、儂と親仁殿は嫉妬の余り反対しようと致しましたが、ならば我らが茶筅丸様の傅役になるかと問われて引き下がらざるを得ませんでした。儂たちではとても茶筅丸様の傅役など務まる訳もなく、己の非才が恨めしく思います。」
再び庵を訪れた権六殿と藤吉郎殿から、茶筅丸様に告げた臣従に際しての私の願いについての上総介様の裁定をお聞きしたのですが、まさか茶筅丸様の傅役を仰せつかる事になるとは思いもせず、更にその事に権六殿も藤吉郎殿も私の事を羨ましくお思いになられているとお聞きし織田家の方々は何度私を驚かせるのかと動悸が止まりませんでした。
ご三男とはいえ上総介様の御子の傅役を、臣従すると決めたばかりの私に申し付けられるとは、上総介様の度量がそれだけ大きいという事なのか、それとも茶筅丸様がなかなかに手に負えぬ御仁という事か判断の迷う所ですが、私の前でその事を話した権六殿も藤吉郎殿も私の事を羨ましく思っておいでの様子。どうやら茶筅丸様にお仕えしたいと告げた私の判断は間違っていないように思います。
何はともあれこれからは退屈とは無縁となるのは間違いないでしょう。世捨て人を決め込んでいた私の人生は、茶筅丸様というお方に出会ったことで面白くも騒がしき物になりそうです。
では早々に尾張へ旅立たねば茶筅丸様の傅役というお役目に支障が出かねません。それから千世を通して義父(日向守殿)に織田家への内応をお勧めしなければなりませんね。その際に、私が茶筅丸様の傅役に就いたこともお知らせしましょう。世捨て人を決め込んでいた私が三男とはいえ織田家の御子の傅役に成ったと知れば義父も安堵してくれるでしょうか?それとも臣従して早々にお役をいただいた私を羨ましいと思うでしょうか?
何にしても、龍興殿の元を離れて安心して織田家に就いていただけることでしょう。
と、この時は気楽に考えていました。しかし、まさかここまでとは…




