第十五話 竹中半兵衛という男 その一
長くなったので二話に分割しました。今回はその一話目です。
◇ 美濃・北近江(浅井領)境界地の隠居庵 竹中半兵衛重治
「旦那様、また尾張の方が…」
隠居し一軒の庵に居を構え、書物を読み花鳥風月を愛でる日々を過ごす私の元に、尾張の織田家から人が訊ねてくるようになって一か月ほどが経っていた。
この日も庵の一室で書物を読む私の元に、妻の千世が三度尾張からの使者が訪れた事を告げて来た。
稲葉山城の乗っ取りを成した後は弟の重矩に家督を譲り、私は世捨て人として生きる道を選んだ。
しかし、そんな私を織田上総介殿(信長)は放って置いてはくれないらしい。
上総介殿の奥方は亡き斎藤道三様のご息女・帰蝶様で、道三様も上総介殿の事を高く買っておられた。
新加納の戦いでは十面埋伏の計(予め予想される合戦場に伏兵を置き、その場所に敵を誘い込み攻撃を加えるもの)を用いて美濃に侵攻してきた織田軍を撤退させたことで、龍興様は『織田は弱兵』と侮り酒に溺れ、諫言した義父・安藤日向守殿をはじめ稲葉伊予守殿、氏家常陸介殿らを遠ざけられ奸臣・斎藤飛騨守をお傍に置き政を疎かにされてしまわれた。
新加納の戦いの時、もう少し織田方が美濃勢を押しておれば龍興様も酒に溺れ奸臣・斎藤飛騨守の口車に乗ることもなかったであろうに、と織田の事を恨めしく思い、二度までも尾張からの使者に対し居留守を使ってしまった。
されど流石に三度目ともなると再び居留守を使っては角が立つ。どうせ断るにしても話だけは聞かねばなるまいと妻に使者の方々を庵の一室にお通しするようにと告げ、私は重い腰を上げた。
尾張からの使者を通すように告げた庵の一室に近づくと、何やら話す声と共に妻の笑い声が聞こえて来た。
普段は控えめで常に私を立ててくれている大人しい妻の楽し気な笑い声を耳にするのは何時以来であろうか…そんな事を考えながら使者の待つ部屋の扉を開けて私は驚きを隠せなかった。
其処には、鍾馗様を彷彿とさせる髭面の如何にも武将らしい風体の偉丈夫と、そんな鍾馗様とは対照的に小柄で陽気な面相の男。それから使者には似つかわしくない、まだ十才を数えないであろう童が妻と談笑していたのだ。
◇ 竹中半兵衛の隠居庵、 織田茶筅丸
「失礼します。何やら楽しそうな笑い声が部屋の外にまで聞こえてまいりましたが面白き話でもされておられたのですか?良ければ私にも聞かせていただきたいのですが。」
そう言いながら戸を開けて入ってきた男は確かに風聞で話されるような細身の儚げな雰囲気を漂わせている男だった。
その男の入室に、権六と藤吉郎は一瞬それまで浮かべていた笑みを消したが、直ぐに笑みを浮かべて見せた。ただ、そんな二人の一瞬の反応も男は見逃しておらず、二人を値踏みするような目を向けた後、そんな二人を両脇に従え中央に座る俺を見て一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、直ぐに視線を俺たちの応対を勤めていた女性へと移した。
女性は男の視線が自分に向けられていることに気付くと、
「旦那様、こちらの方々が尾張からお出でになられた方々です。旦那様が来るまでの間お相手をと思いましてお話をお聞かせいただいていたのでございます。」
「ほ~ぉ、一体何の話をお聞かせいただいたのだ?千世、私にも教えておくれ。」
「はい、こちらの柴田権六様と木下藤吉郎様が旦那様も感心されておられた墨俣築城を成し遂げられたお方たちだそうなのですが、お二人に墨俣築城の計画をお授けになられたのがこちらにおられる茶筅丸様なのだと仰せられるのです。
旦那様を唸らせる様な墨俣築城の計をこちらの御子が考えたなどと仰せられるのでついご冗談をと笑ってしまいまして…旦那様?」
千世の言葉に私の表情が変わったのを妻は感じ取ったようだ。そんな妻に私はまだ使者の方々にお茶もお出ししていない事を指摘し、用意するようにと部屋から下がらせてから私はお三方の前に座り頭を下げた。
「妻の失礼の段、平にご容赦を。竹中半兵衛重治にございます。織田茶筅丸様にございますね、まさか織田家の御子息に我が庵をお訪ねいただけるとは思いもいたしませず、ただただ驚くばかりにございます。」
そう言ったまま一向に頭を上げようとしない半兵衛に、権六と藤吉郎はただ黙って見つめるだけ。どうやら二度も居留守を使われたことを腹に据えかねていた様で、そんな二人に代わり仕方なく俺が半兵衛に声を掛けた。
「頭をお上げください半兵衛殿。それでは話も何も出来ぬではありませぬか。」
そう告げた俺の言葉に従い半兵衛はゆっくりと頭を上げたが、女性が居た時に浮かべていた表情とは一転、鋭利な知将らしい表情を浮かべていた。
「某が織田茶筅丸にございます。織田家の子ではありますが三男の穀潰しにございます。それからこちらに控えるは柴田権六殿と木下藤吉郎殿。この両名が父・織田上総介から半兵衛殿を織田の元に引き寄せるようにと命じられた者たちにございます。」
「柴田権六にございます。」
「木下藤吉郎にございます。」
俺が半兵衛に紹介すると二人はただ名乗りを上げただけで口を閉じてしまった。そんな二人、特に藤吉郎に『いつもの饒舌さはどこに行った!』と声を上げてしまいそうになるのを必死に耐え半兵衛の方を見ると、俺の心の内を読んだのか目に憐憫の色が浮かんでいた。そんな半兵衛の視線に虚勢を張って再び口を開く。
「この両名は、美濃の墨俣に織田方の出城を築城した者たちにございます。
権六殿は、以前は織田家の家老格として働き、戦においても大いに武威を示した御仁でございますが、お仕えした信勝様とわが父との間の不和によりこれまでそのお力を示す機会に恵まれませんでした。ですが、一たび力を示す機会を与えられれば斯くの如し。墨俣では稲葉山城から攻め寄せた美濃勢を押しとどめ、墨俣築城を成し遂げて御座います。」
「ほ~ぉ。それは、それは…」
権六の事を紹介すると半兵衛の視線は権六に注がれ鋭さを増したが、そんな半兵衛の視線に権六は動じることなく僅かに口元が緩む以外には不動を貫いた。続けて、
「そして、こちらの藤吉郎殿にございますが、出自は尾張の郷侍(半農半兵)の家にございますが、父にその器量を見出され清洲の城で普請奉行や台所奉行として力を示し、墨俣築城では砦の建設を引き受け見事に成し遂げて御座います。」
「なんと。いやはや…」
藤吉郎の出自(百姓だったものを『郷侍』と盛ったのはちょっとした配慮)から父に奉行職を任されて力を発揮し、その力量を買われて墨俣築城に抜擢され成し遂げて見せたと話すと、権六の時と同様に感心したように藤吉郎に視線を注ぐ半兵衛。
一方の藤吉郎はいつもなら謙遜し俺の言葉を否定しつつも肯定して場を和ませるのだが、なぜかこの時は何も言わず自分に注がれる半兵衛の視線を真正面から受け止めて、鋭い視線を返すだけで口を開くことは無く思わず俺は溜息を吐きそうになってしまった。
俺達三人は半兵衛を調略し織田方に就けるためわざわざ美濃と近江の境にある山中にある庵に足を運んできたというのに、その役を父から仰せつかった筈の二人が名を名乗っただけで後は口を閉ざすなど何を考えているのだ!と半兵衛が目の前に居なければ罵倒しているところだった。そんな俺の心の内を読み解いたのか、半兵衛は努めて柔和な表情を浮かべて語り掛けてくれた。
「まさか墨俣築城の功労者であるお二方が私の庵をお訪ねいただいていたとは、まことに恐縮にございます。しかも、これまで二度の機会があったにも拘らず私がたまたま外出をしていた折の事にて、顔を会わすことも出来ずまことに失礼を致しました。」
そう言って半兵衛は権六と藤吉郎に対して頭を下げ謝意を示した。ところが…
「何をぬけぬけと!前回前々回と儂と親仁殿が庵を訪ねた際、半兵衛殿はご在宅であられたではござらぬか。それをたまたま外出していたなどと…殿様よりこのお役を拝命してから儂らは半兵衛殿の在宅を確認したうえでお訪ねした。それを一度ならず二度までも居留守を使われるとは、儂だけならともかく親仁殿に対し無礼が過ぎる!!」
半兵衛の言葉に激高し藤吉郎が顔を真っ赤にして立ち上がり声を張り上げた。そんな藤吉郎に俺は思わず頭を抱えて蹲りたくなった。
『そりゃ、駆け引きの常套手段だろうがぁ!』と叱責したくなった。しかし、藤吉郎はもう少し海千山千の老獪な策士的な考えを持つ者だと思っていたが、どうやら信奉した人物が絡むと感情が先に立ち策士的考えが消し飛んでしまうようだ。
しかも、そんな藤吉郎に権六も満更ではない様で藤吉郎の袖を引いて座るように促してはいる物のその表情はにやけていた。その顔を見て俺はそれまで抑え込んでいた怒りが湧き上がりキレた。
「このド阿呆共がぁ!半兵衛殿が居留守を使うなど駆け引きの一環。それに目くじらを立てて口汚く罵るとはなにごとだぁ!!」
怒声を上げてから『シマッタぁ!』と思っても後の祭り。もう如何にも取り繕う事など出来る状態ではなく、こうなったら行く処まで行ってやれ!と投げ遣りな気分になり、今までの鬱憤を晴らすように叱責を続けた。
「藤吉郎!墨俣で苦楽を共にして親交を深め、その後に新婦の実家との間に入って仲を取り持ち、仲人まで勤めてくれた権六を慕う気持ちは分からんでもない。だが、それと父上からの命を果たすことと、どちらが優先される事か織田家に仕える者としてそんなことも分からんのかぁ!武士の面目を大事にする気持ちは分かる。されど、一度拝命したならば主命を全うする事を己たちの面目よりも優先するが織田家の武士。己の気持ちを押し殺し、主命を成し遂げれば自ずと武士の面目も立つと言うもの。それを貴様は…もう一度草履取りからやり直せぇ!!」
「ひ、平にご容赦をぉ~」
俺の剣幕に藤吉郎は二歩三歩と部屋の端まで下がりその場で額をこすりつける様にして土下座をした。その姿を一瞥した後、視線を権六に向けると藤吉郎を叱りつける俺の剣幕に呆気に取られていた権六は俺の視線を受けて震え上がった。
「権六!貴様も藤吉郎と同罪だ。半兵衛殿を罵る藤吉郎の言葉を聞いて何を喜んでおるかぁ。藤吉郎から“親仁殿”と呼ばれておるならば、藤吉郎の暴走を殴りつけてでも止めるのが親仁の役割であろうがぁ。それを貴様は…それでは信勝様の暴走を止められず父上に苦渋の選択を取らせた時と何も変わらんではないか!一時は織田家の家老格まで上がった者が配下の仕置きも出来ぬとは、貴様はあの時に何も学ばなかったのか?!それでは信勝様も浮かばれぬと思わんのか貴様の様な不忠者を『忘八』というのだぁ!」
「め、面目次第もございませぬぅ~」
俺の叱責に権六も藤吉郎と同じように部屋の端に下がり土下座をして許しを乞うてきた。雁首揃えてただ土下座をし、俺に対して謝罪する権六と藤吉郎。だが、二人が謝罪をしなければならない相手は俺ではなく無礼な態度を取った半兵衛と、この事で調略は不調に終わり落胆するであろう父に対してするべきで、この場では何を置いても半兵衛に謝罪の言葉を口にするべきなのに顔を伏せたまま固まっている二人に、俺は腰に差す脇差に手を伸ばし一歩踏み出した時、この場の空気を変える軽やかな笑い声が響いた。




