第十四話 美濃調略(竹中半兵衛重治との出会い)
墨俣築城から、美濃を治める斎藤家(一色家)と尾張の織田家の形勢は織田家に傾き始めた。この流れを読んで父・信長はこれまで美濃を支えてきた国人への調略を開始した。
最大の標的は西美濃の国人、稲葉氏、氏家氏、安藤氏の俗に『西美濃三人衆』と呼ばれる有力国人たちだった。
この三家は美濃の守護であった土岐氏に長らく仕え、土岐氏から斎藤氏に美濃の実権が移ってからも美濃を支えて来た者たちだったが、龍興が当主となってからは遠ざけられる様になり龍興に対し憤懣を抱くようになっていた。
そんな三家に調略の手を伸ばし、織田家の味方に引き込もうとするのは常道といえるものだった。
父の思惑は当たり、稲葉伊予守良通と氏家常陸介直元は斎藤家から離れ織田家に就く事を約したが、安藤日向守守就からは色好い返事が返ってこなかった。
安藤守就は竹中半兵衛重治の義理の父に当たり、半兵衛が起こした稲葉山城乗っ取りに加担し龍興から敵視されていたため、父の誘いに乗ったことが龍興に知られると龍興に攻め滅ぼされる危険があったために、軽挙妄動は慎まなければならない立場に置かれていた。
そこで、父は稲葉山城乗っ取りを成功させた後、半月ほどで龍興に城を明け渡して弟に家督を譲り、美濃と近江の境にある山中に庵を構えて隠棲している竹中半兵衛を調略することで義理の父である安藤守就をも織田方に就かせようと竹中半兵衛の調略を墨俣築城で功を上げた柴田権六と木下藤吉郎に命じたのだ。しかし…
「という訳で、藤吉郎と共に殿の命を果たすべく竹中殿の庵を訪ねたのですが、奥方が出て来られて何度行っても留守だと告げられ門前払いの有様でして…」
「親仁殿の申される通りにございます。しかし、我らは半兵衛殿の在宅を確認して訪ねたのです。にも拘らず居留守を装われて、口惜しい限りにござる!」
何故か生駒屋敷の俺の元を訪ねて来て、権六は眉を八の字に下げて力なく愚痴り、藤吉郎は腹を立てて不満をぶちまけて来た。そんな二人に俺は一先ず最近愛飲している棒茶(抹茶を作る際に廃棄される茎の部分を焙じた物。この時代、三河の安祥で茶の木が栽培されていて抹茶が生産されていたので手を回して廃棄予定の茎を入手し自作した)を出し一息つかせた。
棒茶の芳ばしい香りに、二人の表情がほぐれたのを確認してから、
「それで、ご両所は某に何かお話がおありなのでしょうか?」
と訊ねると、二人は出された棒茶を一気に飲み干して
「「墨俣築城の策を生み出された茶筅丸様にお知恵を拝借できないかと思いまして、不躾ながら罷り越した次第にございます!」」
と、声を合わせて俺ににじり寄ってきた。
二人の剣幕に、俺は仰け反りそうになる体を必死に押さえ込み、改めて二人の表情から真意を探ろうとしたのだが、普段は大柄で後ろ姿はまるで熊の様な権六は浮かべている弱気な表情と同じで体まで委縮し小さく見え、いつも陽気で人当たりの良い藤吉郎が竹中半兵衛の応対に怒りが収まらないのか顔を真っ赤にして額に青筋を浮かべ、頭から立ち上る湯気が見えるようだった。
そこへ俺と共に二人を出迎え、話を聞いていた生駒八右衛門が口を開いた。
「ご両所!その様に詰め寄られては茶筅殿もお困りになられる。少しは落ち着きなされ。」
八右衛門の言葉に、権六は一層申し訳なさそうに委縮し、藤吉郎は赤くなっていた顔を撫でて揉み解しいつもの柔和な表情へと戻した。そんな二人を見てから八右衛門は視線を俺に向け、何か言えと言うように顎をしゃくった。
その八右衛門の無茶振りに俺は小さく溜息を吐いてから居住まいを正し、口を開いた。
「お二方は先の墨俣築城で父から大きな信頼を勝ち得た様にございますね。そうでなければ竹中半兵衛殿調略の任をお任せするはずがございません。竹中半兵衛殿と云えば、先の新加納の戦いで軍の差配をして父を苦しめ、稲葉山城の奪取に成功した“今孔明”と評される御方。竹中殿を調略出来れば美濃攻略は成ったも同然。その様な重要なお役に某の様な童が如何ほどのお役に立ちましょうか。」
と、断わりの言葉を口にすると権六も藤吉郎も大きく肩を落として、何か俺が理不尽な事を口にしたかのような錯覚を起こさせた。しかも、隣に座る八右衛門からも非難する様な目を向けられてしまい、止せばいいのに余計な事を口走ってしまった。
「大体、某は半兵衛殿がどの様な御方かよく知らないのです。その様な者が大役を仰せつかったお二人に差し出口など恐れ多いことにございましょう。」
「そ、それでは半兵衛殿の人となりなどが分かればご助言いただけまするか?」
俺の余計な一言を受けて、一筋の光明を見出したと言わんばかりに再び詰め寄る権六。そんな権六に輪をかけて突拍子もないことを藤吉郎が言い出した。
「いや、親仁殿。この際にござる、茶筅丸様に半兵衛殿の庵まで御同道いただいては如何でござろう。その住まいから暮らしぶりや応対に出て来られる奥方の様子から何かご助言がいただけるやもしれませぬぞ!」
この藤吉郎とんでも発言に権六は『良く言った!』とばかりに笑みを浮かべて何度も頷き、あれよあれよと言う間に権六と藤吉郎は俺を共に竹中半兵衛の住む庵へ向かう許可を父に願い出てしまった。
この二人の行動に俺は呆れつつも、この話を聞いた父から二人が叱責を受けると思っていたのだが…
「はぁ?父から許しが下りたぁ。それはまことの事ですか!?」
「はい!某が藤吉郎と共に殿に茶筅丸様を竹中半兵衛に会わせてみたいと申し上げると、数瞬の間を置かれたあと殿は笑みを浮かべて『面白い!』と仰せになり、お許しをいただきました。」
「親仁殿の申される通りにございます。実を申せば殿様の返答を待つ数瞬の間、お叱りのお言葉を受けるかと肝を冷やしましたが、『面白い!』とそれはもう子供のような笑顔で仰せられました。」
思わず声がひっくり返る俺に権六と藤吉郎は、それは嬉しそうに父から許しを得た時の事を話してくれたが、どうやらあの“うつけ親父”は俺の身の心配よりも、半兵衛と俺が会ったらどの様な事になるのか?と面白がり。更に許しを出したと聞いた俺が驚く様子を妄想して楽しんでいる姿が容易に想像できた。
しかし、史実では織田信長という人物は他の武将に比べるとあきらかに身内に甘く、成人した者でも戦に出た際には身の危険が及ぶような場所には配置せず、配下の武将たちを扱き使っていたはず(その為、前線指揮官として多くの経験を積んだ秀吉や利家たちが信長の死後大いに活躍する事が出来た)だが、いくら隠居した身とはいえ美濃の国人領主だった半兵衛に俺を会わせることを許すとは…。
俺が殺されたり、捕らえられて人質にされるかもしれないとは考えないのだろうか?いや、あのうつけ親父はそんな危機に瀕した時に俺がどう行動するのか見たいと思っているのかもしれない。
そんな事を考えていた俺に、寛太が声を掛けてきた。
「茶筅様…お力落としの無い様に、私と五右衛門はどこまでも茶筅様に付き従って行く覚悟はできております!」
そう言って俺の目をじっと見つめてくる寛太と、寛太の言葉に大きく頷く五右衛門。
どうやら、父が半兵衛の元を訪れることを許したと聞いた俺が表情を曇らせたのを見て二人は俺が父に疎まれていると考えたと思ったようだ。
父・信長に疎まれようと自分たち二人は俺に付き従うと誓えば、俺が自棄を起こさないだろうと考えたのかもしれない。そんな二人に俺は苦笑を浮かべた。
「案ずるな寛太、五右衛門。父は某を疎まれたのではない。俺を試そうとされておられるのだ、これからも使える者かどうかをな。それとも、竹中半兵衛が如何ほどの者か見極めようとされておられるのやもしれん。まぁ、そう力むことはない。」
俺の言葉を聞いて寛太と五右衛門は、ホッとしたのか体から力を抜き安堵の表情を浮かべた。まだ童だから仕方がないが、権六や藤吉郎なら俺の前では力を抜かずにいただろう。そうすることで自らの忠誠心を主に印象付ける事が出来、主の歓心を得る事が出来る。そういった処世術を身につけるのはもう少し時が必要のようだ。
そんな事を考える俺と、まだ未熟な寛太と五右衛門のやり取りを見ていた権六と藤吉郎は、俺の事を呆れながら未熟な二人に苦笑していた。
「さて、権六殿、藤吉郎殿。父から許しを得たとなれば某も腹を括らねばなりますまい。ご両所に某の命をお預けいたします。で、いつ出立するおつもりでしょうか?」
俺の問い掛けに権六と藤吉郎は一言二言小声で言葉を交わし、
「されば、三日の後に美濃へ出立いたしとうござる。三日後に改めて茶筅丸様をお迎えに上がりますゆえそれまでにご準備をお願いいたします。」
そう告げると、俺が頷くのを確認し二人は生駒屋敷を後にした。
二人が帰った後、権六と藤吉郎と共に美濃の竹中半兵衛の庵を訪ねることを母に話すと、母はまるで今生の別れを告げられたかのように涙を流し、父を悪し様に罵り随分と荒れた。そんな母を俺は八右衛門殿と共に必死に慰めなければならず、出立までの三日間は片時も母の元から離れる事が出来ず、旅の用意は寛太と五右衛門の二人に任せるしかなかった。
しかし、何を思ったか寛太と五右衛門は俺の甲冑の用意までしようとしたため、慌てて止めて代わりに俺が振るうのに丁度よい長さの小太刀を用意するように告げた。
小太刀とは二尺以下の日本刀を指し、脇差や大脇差の類似とされることもあるが、俺が求めた物は俺の体に合わせ太刀として扱える物だった。脇差は基本片手で扱う事を想定し柄も短いが、小太刀は両手で扱えるように柄が長く作られている。
俺が日々稽古を重ねる薬丸自顕流は、太刀(野太刀)を用いることを前提にした剣術で、竹中半兵衛の元を訪れ相手方が良からぬことを考えた時には、これまで稽古を重ねた薬丸自顕流でもって血路を開くしかないため、普段通りに扱える武具として小太刀を求めた。
甲冑の用意を止めたのは、甲冑など着ていては逃げる際に重くて逃げられず、そもそも半兵衛の庵を訪れる際に甲冑など身につけて行ける訳がない。
そうこうしている内に母をなだめ続けると言う苦行の三日は過ぎ、
「柴田様、木下様。くれぐれも茶筅丸の事をお願いいたします。」
「お、お任せください。茶筅丸様の身に危険が及ぶ事の無い様に誠心誠意努めまする。」
生駒屋敷の門の前で俺を迎えに来た権六と藤吉郎に対し、にこやかな表情を作りながらも怒りの炎をその両の目に宿らせた母の言葉に、歴戦の武士である権六も表情を引き攣らせ、藤吉郎は母の体から放たれる威圧に震え上がっていた。
そんな母と権六たちの間に割って入るように俺は歩を進めながら母に声を掛ける。
「母上。そうご案じ召されるな。某がお会いするのは既に家督を弟に譲られ隠居された御方です。今さら某を捕らえて手柄にしようなどと考える御方ではありますまい。」
「ですが、茶筅丸。いくら隠居をした身とは申せ、聞くところによると竹中半兵衛殿は未だお若く、しかも僅かな手勢を率いて稲葉山城を奪ったほどの知恵者と聞きます。その様なお方にその様に鷹揚に構えていては手柄首を饗する様なものではありませんか。其方がその様な態度なのだから同道される柴田様や木下様によくよくお願いしておかなければ…」
そう言って俺に向けていた視線を再び権六たちに向ける母。そんな母に藤吉郎は小さな悲鳴を漏らしていた。
俺は八右衛門と共に母をなだめ賺し、権六たちと共に半兵衛の庵へと出立したが、その時には既に太陽が天頂に達する時刻となっていた
藤吉郎の話し方ですが、初出はその特徴を出すために方言っぽく書きましたが、よく考えれば皆尾張の住人なのに藤吉郎だけ尾張弁ぽくするのは変だと気付き方言ぽく書くのをやめました。




