第九十九話 徳姫の婿取り その三
伊勢国 霧山御所 織田弾正忠が長女・徳姫
六角の家督を御継ぎになられた三七郎兄上(左京大夫兄上)から何時までも嫁に行かぬ私の事を思っての事とは思いますが、突然輿入れの話が持ち込まれました。
しかし、その御相手が選りにも選って藤次郎殿が六角家を致仕する事となった元凶である蒲生藤太郎改め左兵衛大夫賦秀とは。
嫡男としての御役目も弁えず、戦にて兵に先んじて敵陣に突き進む猪武者と言うだけでなく、実の弟である藤次郎殿が兄上(兵庫頭兄上)が行った一騎打ちに乱入しようとして北畠の兵を討ち取り名を上げられたことに嫉妬し無下に扱う狭量の者。その事を挙げ問い掛ける私の言葉に三介兄上は困ったお顔をされるばかりで何も御答になられぬのを見てつい、
「良いでしょう。私がその者の性根を見分して進ぜましょう。兄上、左京大夫兄上にこう申して下さい『徳姫は尾張の地にて“生駒の鬼姫”と称された武辺者にござります。その様な者の婿になろうと申されるのであれば、それ相応の武威を持たれている事とお見受けいたします。その御力の一片なりお示しいただきとうござります』と!」
と言ってしまいました。私の言葉に、一層困ったようなお顔をされる三介兄上。と、その時それまで剣の修練をしていた藤次郎殿が私たちの許に駆け寄られ、
「兵庫頭様、徳姫様。その御役目、某にお申し付け下さりませ!」
と申し出られたのです。そんな藤次郎殿に兄上が声を掛けられました。
「藤次郎。相手は其の方の実の兄、左兵衛大夫殿なのだぞ。それを承知の申し出なのか?」
兄上の問いに藤次郎殿はグッと奥歯を噛み締め腹に力を入れられた様子で即座に、
「無論、承知の上にござりまする。徳姫様や兵庫頭様と共に武芸の修練を積む我らの中で、寛太郎殿と五右衛門殿は尾張に居られる内から兵庫頭様と共に修練をされてきておられる事で、抜きん出た技量をお持ちであるとお見受けいたしております。その御二人では左兵衛大夫殿の力量を徳姫様が見定める時があるか如何か…もちろん徳姫様が左兵衛大夫殿のお相手に立たれるなど論外。となれば、安虎殿に助十郎殿、それに某しかおらぬのではと思いまする。憚りながら某は徳姫様と立ち会い三本に一本は取れる力量にて、徳姫様が左兵衛大夫殿を見分されるには手頃な相手ではないかと。」
藤次郎殿はそう告げると、兄上の裁可を待つ様に深々と首を垂れたのです。そんな藤次郎殿に兄上は眉間に皺を寄せてしばし考えておられましたが、
「相分かった。其の方の申し出ありがたく思う。が、先方の意向もある事ゆえ今ここで決する訳にも行かぬ。決まり次第其の方に伝える故、立ち合いに際して左兵衛大夫殿の立ち振る舞いや力量を徳姫が存分に見分出来るように修練を重ねよ。御養父上(不智斎)にも声を掛けておく故、御養父上から新当流の剣技を伝授いただけ。」
「不智斎様から新当流の剣技をでござりますか?」
「左様。其の方が徳姫からの教えを受け修練に励む自顕流は“攻め”の剣。対して、新当流には“攻め”だけでなく“受け”の剣技も多く、尾張では某も左京大夫兄上と共に新当流を学んだ経験があり、左兵衛大夫殿の力量を引き出すには自顕流の“攻め”の剣より、新当流の“受け”の剣技を学んだ方が良かろう。立ち合いまでに大した時は無いかもしれぬが、学んでおいて損はない。
徳姫。其の方もそれで良いな!」
兄上の言葉に私は藤次郎殿にお任せするのではなく私自身が左兵衛大夫と立ち合うと告げようとしたのですが、そんな私を見つめる兄上の鋭い眼光で見つめられて私は体が震えて喉が詰まり声が出ず、ただ首を縦に振ることで同意の意思を伝えることしか出来ませんでした。
いつもは朗らかにされておられる姿しか見せなかった兄上の北畠家当主としての気構えと戦乱の世に生きる武将の覇気に気圧されのだと思います。
そんな私とは違い藤次郎殿は、鋭い眼光を向ける兄上の眼差しを真っ向から受け止めると、臆することなく力強い声で、
「はっ!不躾なる申し出に対し過分なご配慮を賜り恐悦至極にござります。立ち合いのその日まで修練を重ねまする!!」
と告げられたのです。その凛々しき姿に不覚にも見惚れてしまい、その事に気が付き慌てて姿勢を正したものの、胸の動悸が早鐘の様に打ち顔に熱を帯びる事を抑える事が出来ませんでした。その私の様子を見て兄上は少し意外な物を見たという様な表情をされましたが直ぐに満更でもない様なお顔をされました。それが悔しいやら恥ずかしいやら…。
そんな兄上を叱っていただこうと、この話を生駒の母上に申しましたら母上は兄上を叱るどころか
「良かったですね徳。貴女の事を親身になって下さる御方がおられたのですね。」
と申されて笑みを浮かべられたのでした。
そして一月の後、兄上の許に六角の左京大夫兄上からの書状で、私の申し出を受け左兵衛大夫が藤次郎殿との立ち合いに応じた旨が届けられたのです。
立ち合いの期日は上巳の節句(桃の節句)が終わった三月の十日に霧山御所にて行われる事となりました…
近江国 観音寺城 蒲生下野守賢秀
左京大夫様より直々に倅・左兵衛大夫を伴い観音寺城に登城する様にとの御呼出しがあり、儂は倅と共に観音寺城に赴くといつもの広間ではなく左京大夫様の私室へと通された。そこには左京大夫様だけでなく後藤但馬守殿と平井加賀守殿、そして滝川彦右衛門改め伊予守一益殿が待っておられた。
「下野守、突然の呼び出しに大儀であった。さて、左兵衛大夫。内々ではあったが既に話をして来た其の方との徳姫との婚儀についてだが、徳姫から返事があった。…但馬守。」
登城した我らに労いの言葉を掛けられた左京大夫様は以前に御話をいただいていた、織田の徳姫様と倅・左兵衛大夫の婚儀について、徳姫様から御返事があったと口にされたのだが、そのまま告げられずこの件で仲立ちに立っている但馬守殿に話を振られた。その事に儂は不穏なものを感じた。此度の事は左京大夫様が北畠家に入られた兵庫頭様との縁を強くしようと御考えになり、織田弾正忠様に御伺いを立てたところ、兵庫頭様と徳姫様から御了承がいただければとの条件付きでお許しを頂いたものであった。
徳姫様は一度輿入れの話があったが、徳姫様からの申し出を輿入れ先が難色を示されたため取り止めとなり、妹君である冬姫様が輿入れ成される事となったと聞く。その際に徳姫様の意向を先方に伝え、冬姫様の輿入れと言う形で纏めたのが兵庫頭様だったそうだ。しかも、冬姫様の輿入れを成されるまでの二年余り自ら人質として先方の城に入ったという。しかもその当時兵庫頭様は未だ齢十を数えていなかったと言うのだから、いかに豪胆であられたか分かると言うものだ。
一方、徳姫様は尾張に御残りになり“生駒の鬼姫”と渾名されるほど武芸を愛される姫君となられ、実兄の兵庫頭様が北畠家の御養子となられて伊勢に入られた際、御同道なされて兵庫頭様の御相手と定められた北畠家の雪姫様と立ち合いをされたという。
北畠家の雪姫様は北畠不智斎様の許に嫁がれた先の管領代・定頼様の娘子・北の方様の薫陶を受けられた御才女として見知りおきの御方。
その御方に『公卿家の姫君が“今益徳”の奥方として相応しい御方か否かその真偽を確かめさせていただきます』と告げて徳姫様が立ち合いを所望したという話は六角家にも聞こえて来てきたが、その際にその報に接せられた左京大夫様が頭を抱えておられていた。
そんな事があった為か、未だに徳姫様には輿入れの話は無く其処に目を付けられた左京大夫様が、徳姫様を六角家の家臣に娶らせる事で六角家と北畠家の縁を強くしようと御考えになられたようだ。
既に、平井加賀守殿の御息女・藤殿が兵庫頭様のご家臣木下小一郎殿に嫁がれておられる事で、縁は紡がれてはいるが左京大夫様はより一層の縁を北畠家と結びたいと御考えのようだ。
その相手として白羽の矢が立ったのが倅・左兵衛大夫であった。
左京大夫様の意を受けて、後藤但馬守殿が兵庫頭様の許へと向かったのがつい先日の事、この様に早く返事をいただけるとは思わず何事かあったのかと但馬守殿の言葉に耳を傾けると、
「然らば。徳姫様からたっての願いとして左兵衛大夫殿の力量を御見分したいとの申し出がござりました。『徳姫は尾張の地にて“生駒の鬼姫”と称された武辺者にござります。その様な者の婿になろうと申されるのであれば、それ相応の武威を持たれている事とお見受けいたします。その御力の一片なりお示しいただきとうござります』との事にござります。」
但馬守殿の言葉に驚き思わず左京大夫様の方を見ると、左京大夫様は苦虫を噛み潰された様な渋面を浮かべられておられ、まさかこの様な返事が返ってくるとは左京大夫様も考えておられなかったことが窺えた。しかも、その後に続く言葉に儂は言葉を失う事となった。
「場は霧山御所の修練の場にて行いたいとの事にて、左兵衛大夫殿の御相手には兵庫頭様の近習を務める蒲生藤次郎重郷殿が務めるとの事でござりますが…左兵衛大夫殿、この話お受けになられましょうや?
兵庫頭様もこの様な申し出は非礼に過ぎる事と御考えの様で、左兵衛大夫殿の意向を確認し『否』と御考えであればこの話は無かった事と致したいとの事にござりまするが…」
「但馬守様!ご懸念には及びませぬ。その御話御受け致しましょう、徳姫様には「某の力量を存分にご見分いただきとうござる」とお伝え下さりませ!!」
言葉を失う儂を余所に、隣に控えていた左兵衛大夫は顔を真っ赤にして吼える様に答えてしまった。倅の膝元に置かれた拳は強く握られ、小刻みに震えるその様子に儂はこれはただでは終わらぬと焦燥に駆られるのだった。




