27話(間奏:王城の会議室にて)
「……一体どういうことなのだ、これは」
その日、王は疲れ切った顔で大聖堂からの勧告書を見ていた。
そこに記されていたのは、名家ホーンボーン家の長男であるフォーン・タート・ホーンボーンが二度目の悪魔召喚を行い、大聖堂の者達の多くの命を奪っていったということ。そしてその後、悪魔召喚の影響か発狂してしまったフォーンは、『悔い改める余地なし』と判断され、また、これ以上の被害を増やさないために……火刑に処された、ということだった。
それに伴い、王城へは『ホーンボーン家の者達を残らず全員処刑すべし』という勧告が為されている。
確かに、ホーンボーン家の当主をはじめとした数名の者が王城の地下牢に居るが……名家の一族である彼らを厳罰に処すことなどできず、王は彼らの処遇について『貴賓牢でしばらく謹慎させた後、ひっそりと釈放する』というようにしていたのだが。
……大聖堂からの勧告書が送られてきてしまったともなれば、この処遇も考えなければならないだろう。
「悩ましいな。悩ましい事ばかりだ……」
王は頭を抱える。
フルーティエ家に続き、ホーンボーン家までもが壊滅的な被害を受けた。王家と懇意にしてきた名家は、実に残すところクラリノ家だけとなってしまっている。
これはこの国の崩壊を示すものではないのか。王はそう考えて身震いする。
……国の情勢は日に日に酷い方へと転がっていくばかりであった。
王国祭を開催したものの、それも王立の舞踏場が焼かれ、多くの貴族の命が奪われるに至った。それによって王国祭は中止。王都の中で起こった突然の放火事件に、王都の民は怯え震えている。その怯えはいずれ、強い怒りとなって王家へ向くだろう。
そしてその時、王家も深刻な打撃を受けている。
「スコーラの様子はどうだ」
「はっ。まだお加減は優れず……フォーン・タート・ホーンボーン様の蛮行を嘆いて只々涙を流しておられます……」
そう。あの日以来、スコーラ王女は一度姿を消し……火災に巻き込まれて命を落としたか、と王家全員が落胆する中、『ホーンボーン家の当主がスコーラ王女によく似た奴隷をつれていた』という通報を受け、そして奴隷の身分にされていた哀れな王女を救い出すことに成功したのである。
だが、救い出されたものの、スコーラ王女は精神に深い傷を負い、また、自身の婚約者であったフォーン・タート・ホーンボーンが悪魔召喚を行って投獄されたと知ってからは、只々泣き暮らす日々が続いている。
更に、スコーラ王女は奴隷にされている間に諸々の契約をさせられてしまっていたらしく、スコーラ王女を奴隷身分に貶めた犯人が誰なのか、どのような経路でスコーラ王女は売買されていたのかなど、全く分からずじまいだったのである。
これには国有数の魔法使い達が治療にあたっているが……奴隷の首輪による呪いは強力で、スコーラ姫に害を及ぼすことなく呪いを完全に解くことは不可能だろうという見解が出されている。
……そうでなくとも、精神に深い傷を負ってしまい、更には一時期だけとはいえ奴隷にされてしまっていたスコーラ王女をもう表舞台に出すことはできないだろう。
この事実がまた、王を落ち込ませていた。
「今回の王国祭の破壊といい、フォーン・タート・ホーンボーンの凶行といい……これらは全てまた、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアによるものなのでしょうか」
王子の1人がそう言ったことで、王はまた口を引き結んだ。
……ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアについては、多少、情報が入っている。
王国祭の直前に、『隣国へ亡命した』という情報が入っていたのだ。それも、ほぼ間違いないだろう、という確かな筋から。
……それだというのに、王国祭は火にまかれて中止となった。隣国に居るはずだったヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが手を引いたとすれば、それは恐ろしいことだが……。
「……そもそも、フォルテシア家の者はヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを除いて全員、死んだのか?」
「ええ、あの火災ですから……しかし、確かに死体は見つかっていません。尤もその後、使用人達が燃え跡を漁っていたため、骨もどこかへ売られた可能性もありますが……」
「市場に『悪魔の骨』というようなものが出回っているとも聞きました。フォルテシアの者の骨なのでは?」
王は、そうか、と言いつつ、どうにも、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア以外のフォルテシアの者が生きているような気がして、また身震いする。
冗談ではない。あんな悪魔が何人も居るなど、たまったものではない。
だが……確かに、今までの所業についても、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア1人で行ったとするにはあまりにも無理がある。ならば、協力者が居るか、或いは……他にも生き残りが居るか。
「そういえば、目撃者はどうした。クラリノ家の傍系だという、例の……」
王は僅かな情報でも欲しく、そう呼びかけてみる。だが、大臣の表情からは芳しくない結果が見て取れた。
「エリザバトリ方面へ向かった、という目撃情報を最後に、消息が途絶えておりまして……現在、クラリノ家、エスクラン家共々捜索中です」
「エリザバトリ、だと……?魔窟ではないか」
話に出ているエリザバトリ、とは、かつての戦争で荒れ果てた土地である。
人が住むには荒れ果てすぎ、それでいて魔物には居心地の良い土地になってしまったらしく、あの近辺には魔物が大量に住み付き、手に負えないのだ。
そんなところへ向かった、となると……世を儚んで自殺するつもりだったのかもしれない。
リタル・ピア・エスクランについては諦めた方がいいかもしれない。王はそう考え、深くため息を吐くと続けて言った。
「引き続きフォルテシアの者は探せ。見つけて殺せれば国の安定に大きく近づく。逆にこのまま取り逃し続ければ……この国の崩壊も、十分にあり得る」
王の言葉に、側近のみならず、王子王女達もまた、息を呑んだ。
『国の崩壊』。王の口から出るには余りにも重いその言葉は、会議室をしんと静まり返らせた。
……だが、誰も反論できなかった。気休めを言うこともできない。
何故なら、『国の崩壊』という言葉を笑い飛ばせるような状況ではないからだ。まさに今、国は崩壊へ向けて一歩一歩進んでいる状況なのである。
この崩壊は、どこから止めればいいのかも分からない。これがフォルテシアの呪いだというのならばすぐさま呪いを解きたいところだが、それすらもままならない。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが居るという隣国へひっそりと兵を出しもしたのだが、そこでも成果は得られず、更に、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが潜んでいるかもしれない場所には探りを入れてもいるのだが、各所ギルドや警備隊が協力的に動いているにもかかわらず、一向に彼女の姿は見つからない。
それでいながら、国は次々と危機を迎えていく。今回のホーンボーン家の凶行についても、スコーラ王女の誘拐についても、舞踏場の火災についても……。
……最早、何をしても無駄なのではないか、とも思えた。
王は自分が間違った判断をしてきたとは思っていないが、それでも、巨悪に太刀打ちできない現実に打ちのめされていた。
それこそ……遂には神への祈りを強める程に。
「そうだ。大聖堂のことだが、後任者は決まっているのか」
王は話題を切り替える。
大聖堂からの勧告書の他に送られてきた文章からは、神の加護によるものか、偶然生き残った聖女が現在、大聖堂の牽引者として動いているらしいことも分かった。だが、聖女1人で諸々の仕事を行うのは無理がある。元々聖女は象徴でしかない。大聖堂内部の運営を行っていたのは、神官数名であったはずだ。
となると、大聖堂ではこれから、神官達を新たに補充することになるが……。
「いえ、そういった話も問い合わせ中であります。現在、エルゼマリンのギルドが大聖堂の支援を行っているらしいのですが、それでも手が回り切っていないとか」
王は深くため息を吐いた。
どうやら、本当に聖女1人で諸々の運営を行っている状況であるらしい。そして当然、それでは大聖堂が崩れるのも時間の問題であろう、とも思われた。
……そこで、王は決めたのである。
「国として、大聖堂の支援を行うこととする」
王の決定に、臣下も王子王女も、きょとんとした。
何故なら、大聖堂と王家とはある種の対立関係にあるからだ。
互いに互いを尊重し合う関係性、という表向きではあるが……少なくとも王家は、大聖堂を良く思っていない。
弱者救済のため、という名目で王家の治世に口を出し、果ては王家を非難することすらある。民衆を巻き込んでそのようなことをすれば、当然、国が荒れ、治安がより悪くなっていくことは分かっているだろうに、大聖堂はそういったことまでするのだ。その上、自分達にこそ正義がある、と思っているのだから性質が悪い。
「大聖堂の、ですか……?ここで潰れてしまうなら、それはそれで好都合かとも思いますが……」
当然のように、王子からはあけすけなほどな意見が出された。
……王も、大聖堂など潰れてしまえ、と思ったことは幾度となくある。だが。
「弱った民には信仰と心の拠り所が必要であろう。それを奪うのは愚策だ」
今の王は。
弱者救済を掲げ、神の救いを求める大聖堂に、自分もまた、救いを求めたかったのだ。
「大聖堂は国へ口出しする厄介な機関ではあるが、民衆の支持を大きく得ていることもまた事実だ。そこを表立って国が潰すことは避けたい」
「しかし、このまま放っておくだけで十分、大聖堂は潰れるのでは……」
「そこを助けたともなれば、民衆は王家の治世に満足するだろう。これは大聖堂へ手を差し伸べる王家の懐の広さを知らしめる良い機会だ」
王がそう言えば、会議室の者達は大いに納得した。
民衆から王家への信頼が薄れている今、確かに王家は大聖堂と民衆へ手を差し伸べる姿勢を示すべきだろう。
「それに、大聖堂へ上手く介入できれば、厄介な大聖堂を手中に収めることもできるかもしれん。そういった意味でも、我々は大聖堂への『支援』を行うべきだ」
王政が民衆の心を動かさないのなら、大聖堂を動かし、間接的に民衆の心を動かさせればいい。大聖堂を利用すれば、王家への反感を補って余りある信頼を得ることもまた、可能だろうと思われた。
「……彼女も同じことを考えるかもしれませんね」
そこで、第七王子ダクターがそう言った。
「彼女?」
「ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアです」
ダクターは目を細めて、複雑そうにその名を口にした。
かつて婚約者であった者の名だが、今の彼にとっては王家の敵であり、そうでなくとも犯罪者であり……それらの嫌悪が自分が罪を着せて一方的に婚約破棄したという引け目とない交ぜになって、ダクターの胸の内で渦巻いている。
「同じことを考える、というと……かの大罪人もまた、大聖堂を狙うだろう、と?」
「考えられなくはない、かと……。勿論、現在も隣国に亡命中であるならば、そもそも大聖堂が内部崩壊寸前であるということも知らないはずですが……」
ダクターの知る『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア』は強かな令嬢であった。
エルゼマリンの魔法学院ではその稀有な才能と弛まぬ努力によって優秀な成績を収め、季節の節目節目の武道大会では毎回毎回優勝していくものだから、しまいには区分が『男子』『女子』『フォルテシア』になった。名家の子女達を容赦なくなぎ倒して毎度毎度優勝されるくらいなら、いっそ始めから不戦勝が決まっていても問題なかろうという学院側の配慮である。
……そのようなヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが、今も尚生きているならば……大人しく隣国で息を潜めようなどとするだろうか?
「ふむ……注意しておくべきだろうな」
「はい。大聖堂へ入り込もうとする者があれば、存分に警戒すべきかと」
ダクターの進言は、王を深く頷かせた。
「ならば大聖堂の実権を握る者はこちらで精査して派遣することにしよう。この機会に聖女も入れ替えてしまうべきか」
王はそう言って、さて、どの人材をどこに割り振るべきか、と考え始める。
……だが。
「ええー?聖女様も王様が決めちゃうんですかぁー?」
そう、間延びした声が会議室に響いたのである。
「……どういうことだ、アマヴィレ・レント」
王がげんなりしながら尋ねれば、アマヴィレ・レントはわざとらしいほどきょとんとした顔で首を傾げる。
「ええー、だってぇ、聖女様を選ぶのって、国民の投票じゃないですかぁー?」
平民独自の視点に、王ははっとさせられる。
確かにその通りだ。
大聖堂を信頼できる人材で埋めておきたいと思う王家の思惑があまりにも明け透けでは、却って民衆の反感を買う。『王家は大聖堂を我が物にしようとしている』などと噂されたならば、いよいよ王家の信頼も地に落ちるだろう。
「確かに……王家があからさまに介入することはできん、な……」
あくまでも、『大聖堂は王家を監視する機関』として見られることが好ましい。大聖堂と王家が繋がっているなどとは思われない方が好都合なのだ。
であるからして、むしろ、王家から離れた位置に居る人材を登用し、大聖堂の上部に据えるべきである。
「そうか……失念しておったわ。その通りだ。民衆はあれで案外、よく見ておる。王家とつながりの深いものばかりが大聖堂入りしたならば、それは王家への不信を招くだろう」
「そうですよぉ」
アマヴィレ・レントの間延びした声には少々苛つかされたが、王は気を取り直して深く頷いた。
「ならば早速、人材を集めるぞ。まずは高位の神官と……余裕があれば聖女に据えられる娘も用意しておきたい。そして、それらが無事に大聖堂入りしたならば、その後、聖騎士をこちらで用意して大聖堂入りさせる。これで大聖堂は王家のものとなる」
王はそう言うと、王子王女や配下達を見渡した。
「良い人材に心当たりは無いか?この際、身分は問わん」
そう呼びかけてみると、案外、ちらほらと声が上がる。
王都の教会に居る神官ではなく、地方都市に居る神官を。
何ならより民衆に近い位置である冒険者ギルドから信頼できる人材を募ればどうか。
聖女役はこちらで数名用意しておけば自然と票がばらけて思惑通りに進むのではないか。
……そういった意見が交わされ、王城の会議室は久しぶりに活気づいた。
前向きな行動というものはやはり心地よいものだ。久しぶりの感覚に、王達はアマヴィレ・レントの「私も聖女様役、立候補しちゃおうかなぁー」という言葉を咎めることもせず、むしろ笑って許すほどの余裕を得ていた。
そうして会議はまろやかに、それでいて強かに進行していったのだった。




