29話(間奏:王城の会議室にて)
……王城にて。
王と王子王女達、そして大臣他、重鎮の集う会議室は暗雲に包まれたように重苦しい空気を漂わせていた。
「なんと……エルゼマリンで大規模な殺人……?」
「死者は100名を超え、そのいずれもが皆、貴族であったと……そういうことです」
報告を受けた王は、沈鬱な表情で俯いた。
エルゼマリンからの報告があった時には、皆が耳を疑った。
『貴族街陥落。突如として大規模殺人発生。エルゼマリンの貴族街に居た貴族は全員毒殺された模様』。
……そんな馬鹿な、と思ったものだ。100名を超える貴族が、毒殺されるなんてありえない、と。
だが、その直後、もう1つの報告を聞いて、皆は震撼することとなった。
『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが貴族街の上水道に毒を撒いた、という報告があった』。
それならば納得がいく。上水道に毒が撒かれた、ということについてではなく……ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが関与した、ということについて、だ。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが関わったなら、確かに、そのような『有り得ない』犯罪も起きるだろう、と。そう、皆が納得した。
「一体どういう手口だったのだ、それは」
「はっ。詳しいことは分かっておらず……しかし、『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが上水道に毒を撒いた』という報告が貴族達に為されたあと、解毒剤が配布されたようです。貴族達は人数確認のため一か所に集められ、そこで飲み方などの指導を受け、一斉に服薬した、と」
「……まさかその解毒剤が毒だった、などという間抜けな話ではあるまい?」
「……それも今となっては。何せ、飲んだ者は皆死亡しました。魔法毒だったようで、そこから詳細を暴くことはできなかったようです。そして他に、残った解毒剤は無かったようで……」
正体不明の毒薬。大規模な殺害。『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア』の名を出すことによってその名を知る貴族達を恐慌状態に陥れ、その上で操り服毒させた手腕。
……何もかもが、酷く恐ろしい。
「いかがいたしましょう。このまま奴を野放しにするわけには参りません。影響が大きすぎます」
王達を悩ませるものは、ヴァイオリアが引き起こしたものと思しき犯罪の、直接の被害だけではない。
「民衆、特に事情を知る貴族達からは、不安の声が……」
そう。
彼女の存在は噂話の中で徐々に大きく膨れ上がり、今となっては恐ろしく強大な巨悪として、人々の不安を煽っているのだ。
初めは、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを所詮は人の子、それも女だからと甘く見ていた。投獄して、そのまま処刑するなり、永遠に牢の中へ閉じ込めておくなりすればそれで済む話だ、と。
だが、彼女は脱獄したのだ。投獄された当日に。それも、地下牢に捕らえてあった犯罪者達を悉く引き連れて。
……そう。ヴァイオリアは大人しくなど、していなかったのだ。脱獄され、犯罪者を解き放たれ、そしてまんまと王都からの脱出を許してしまっている。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが脱獄させてしまった犯罪者達は、民衆を不安にさせていた。そして実際、脱獄した犯罪者によるものと思われる犯罪が王都周辺で激増している。
見せしめと民衆への娯楽の提供を兼ねて、公開処刑を度々行っているが……それでも民衆の不安も鬱憤も、晴れてはくれないらしい。
3か月ほど前には南の方で小規模ながら暴動も起きている。山賊や盗賊といったならず者達も増えているらしく、日に日に国の治安は悪くなっていくようだった。
更に悪いことに、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアはほぼ確実に生きている。
1月ほど前、エルゼマリンへ向かった隊から、『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを捕らえた。王都まで護送する』という連絡を受けた。その時、王宮は歓喜に満ち溢れたものだ。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを捕らえた、という吉報は瞬く間に貴族達の間に駆け巡った。
……だが。
ヴァイオリアの足取りは、再び闇に消えたのだ。
隊の到着が遅いことを訝しんで、迎えの隊を派遣したところ……エルゼマリンから発ってそう遠くない道の途中に、惨劇の跡があったのだ。
そう。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを護送していた隊は、壊滅していたのだ。そして当然のように、ヴァイオリアの姿はもうどこにも無かった。
……ヴァイオリアが捕らえられた、という吉報が巡ってしまっていたことが仇となった。
今度はわざわざ、ヴァイオリアを逃がした、という凶報を再び流す羽目になってしまった。
それにより、貴族達はいよいよ戦慄した。
王子暗殺未遂という大罪。そこからの、極悪犯罪者達を伴った脱獄。更に、護送していた隊の兵士達を全員殺して、今もどこかに潜伏しているであろう、その事実。
他の犯罪者達や民衆たちの不安によって日に日に悪くなっていく治安の中、貴族達は酷く怯えながら、その名を語る。
かくして、『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア』の名は、彼女の実体を超えて、より大きく強く恐ろしいものとして語られるようになったのだ。
「陛下。今回の一件はまだ、エルゼマリンの外には出ていませんが……それも時間の問題かと思われます。また、民衆からは、犯罪者達が多く解き放たれたことへの不安の声が上がっており……」
「捕らえた犯罪者共の公開処刑は行っているだろう!」
「しかし、ごく一部です。未だ捕らえられていない犯罪者が居る。その事実に、民衆も、そして貴族も怯えています。……何より、『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア』の影に、我々は怯えさせられているのです」
王は唸った。
「財政が傾いていることも含めて、民衆の不満が高まっておりまして……先日もそれについて、南の方で暴動が起きたようです」
大臣の報告を聞いて、王は頭を抱える。
ヴァイオリアが齎した影響は、あまりにも大きく国を揺るがしているのだ。早急に対処しなければならない。
王が悩む中、王子や王女が口々に話し始める。
「詳しい報告の前に隊が壊滅したのは痛手ですね」
「何でも話によれば、エルゼマリン周辺で起きていた犯罪もヴァイオリア・ニコ・フォルテシアによるものかもしれないらしいではないか!全く、兵士共は何をしていた!」
「フォルテシア、というと、過去にも王家に楯突いたことがあったとか……」
「ああ、恐ろしい……我が弟、ダクターを手にかけようとした犯罪者が、今もどこかで生きているなんて……」
……当然、オーケスタ家第7王子暗殺未遂事件、という『舞台』の内訳は、王子王女達全員の知るところであった。だが、その茶番劇に巻き込んでやったはずのヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが、今はどうにも恐ろしくて仕方がないのだ。
手を出してはいけない相手に手を出してしまった。そんな予感が、ひやりと彼らの背筋を冷やしている。
「ここまで行方が掴めないとなるとな……今は一体、どこにいるのやら」
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが恐ろしいのは、その足取りがまるで掴めないことだ。
1月ほどぱたりと音沙汰が無くなったかと思えば、その後はエルゼマリンの冒険者ギルドで面目躍如の大活躍をしていたという。ドラゴンやその他の魔物を驚異的な速度で狩り、そして、ヴァイオリアの存在に気づいた者の密告で無事、捕らえられたが……。
「……捕らえられていた者が、兵士達の隊を1つ、丸ごと壊滅させられるものか?」
「どうでしょう。元々、エルゼマリンへ派兵されていた者達は、王城の地下牢からヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの脱獄を許した無能共です。それほど強くはなかった、とも考えられます。ですが……」
……この場に居る誰もが、分かっている。
如何に弱い兵であろうと、兵士は兵士だ。武器を持ち、鎧を着こんでいたはずの、戦うことを生業とする者達だったのだ。
それを、たった1人で、皆殺しにしたとなると……いよいよ、人間の所業ではない。
「……噂は本当なのかしら」
「噂?」
王女の1人が口走った言葉に、皆が注目する。
すると王女は、如何にも恐ろしそうに、それを口にするのだ。
「フォルテシア家は悪魔に魂を売った、という噂よ!」
馬鹿馬鹿しい話だ。だが、そう笑い飛ばせない。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが悪魔に魂を売っていたとしても。何なら、彼女自身が悪魔だったとしても、何ら驚きではない。それだけのことを、彼女はやってのけている。
「諸悪の根源、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの公開処刑を行えば、民衆の不満も晴れよう。全てはあやつのせいなのだからな」
王は重々しくも憎々し気にそう言って、大臣へギロリ、と視線を向けた。
「何か、無いのか!あの悪魔を捕らえる術は!いや、せめて、足取りを掴むだけでもよい!何か、何か無いのか!」
大臣は如何にも哀れな様子で震えていたが、やがて、ふと、思い出したように言葉を発する。
「……ギルドにも問い合わせてみましたが、碌な情報は得られなかったようです。ただ……」
大臣自身、信じがたい、とでも言いたげな様子であったが……言葉は会議室に、放り投げられた。
「ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアは以前……2か月ほど前に一度だけ、パーティを組んだことがあったと、協力者からの証言がありました」
「ほう、パーティを。……その相手は誰だ」
「クラリノ家の傍系、エスクラン家の子息。リタル・ピア・エスクランだそうです」
「エスクランだと?」
王は唸る。
傍系とはいえ、クラリノ家に連なる家の者が犯罪者に加担するとは思い難い。となれば、騙されていたのか……。
「ならばすぐさま、リタル・ピア・エスクランを呼び出し、話を聞くのだ!」
だが王は考えることをやめ、そう、声を荒らげた。
悪の根源、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアへ連なる糸の、いかなる一片も逃してはならない。その細い糸を辿った先に、彼女はきっといるはずだと信じて。
「そ、それが……」
……だが、大臣の顔色は、悪かった。
「何だ」
「その、リタル・ピア・エスクラン、ですが……」
大臣は何とも言えない顔で、言った。
「『憧れの人に相応しい男となるべく、修行する』と書き残して、出奔中だとか……現在鋭意捜索中であります」
「何という事だ……」
エスクラン家のリタル、というと、王も朧げながら把握している。男の癖に剣術が不得手な、心も体も虚弱な様子の男児であったはずである。それが失踪中、となると……もしかすると、既にヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの手に掛けられて死んでいるかもしれない。
「これで手掛かりは全て潰えたか……」
王がぐったりと項垂れた、その時。
「お待ちください、父上」
第七王子ダクターが、声を上げたのである。
「リタル・ピア・エスクランが居なかったとしても、彼とヴァイオリアがパーティを組んでいたと証言した者が居たはずですね?その者から情報を聞き出せませんか?……おい、大臣。その者は何者だ」
「は、はっ!それは当時、ギルドで受付業務を担当していた女です。彼女がヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを見つけて通報してくれた者でもあります」
大臣の答えに、会議室が僅かな希望に明るくなる。まだ、全ての手がかりが潰えたわけではないのだ。
「そうか。その女にもまた話を聞きたい。ここへ連れてくるように」
「はっ」
王達の知らないヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの姿を知る者があるならば、それは非常に強力な助っ人となるだろう。今は少しの情報でも欲しい。
……そして、なんとしても、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを捕らえ、公開処刑しなければならない。
そうしなければ収まりがつかない程に、国は、荒れてきているのだ。




