16話(間奏:王城の会議室にて)
「……兵士壊滅、だと?一体どういうことだ」
「それが……民衆の中に、敵が潜んでいたらしく……突如として、凄まじい炎と風が吹き荒れ、聖女候補待機室を包囲していた兵士達は壊滅的な被害を受け……」
報告を受けた国王は、大いに青ざめた。
『聖女候補としてヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが現れた』という報告を受けた時には一体どうしたことかと慌てたが、だが、これは良い機会だと思い直した。
聖女候補待機室に居る限り、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが何をしようとも彼女を止めることはできない。だが、逆に言えば彼女は投票時間いっぱいまで、聖女候補待機室に居るしかないのだ。
究極の安全地帯は、究極の檻でもある。国王は、これでようやく、かの大罪人を捕らえることができるかと安堵してさえいたのだ。
聖女投票自体は大聖堂や他の都市との兼ね合いもあるため、中止にすることはできない。だが、投票時間が終わった瞬間、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを捕らえることは十分に可能だろうと思われた。
……だが。
念には念を入れて、人1人を捕らえるには多すぎるほどの兵で聖女候補待機室をぐるりと包囲し、厳戒態勢を敷いていたというのにもかかわらず。
そこに居た兵士を悉く吹き飛ばされ、みすみす大罪人を逃したというのなら……それは、失態以外の何物でもない。
「……その、火と風を起こした犯人は。勿論、捕らえたのだろうな」
「いえ……犯人諸共、全てが吹き飛びましたので……」
大臣の報告に、王は絶望を味わった。
その絶望は、犯人からヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの情報を得られない、という理由からではない。
『自らの命を擲ってまで、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを救おうとする者が複数いる』。それが、王を絶望させていた。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを救うために命を擲つ狂信者が居る……即ち、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの背後に『巨大な組織』があることを示唆しているのではないか、と。
恐らく、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの背後には、既に何十何百、下手をすれば何千もの部下がついているのだ。そうでなければ、自らの命を擲つ狂信者を複数名用意することなど不可能だろう。
奴隷に無理矢理命令を聞かせていた可能性は無いに等しい。何故なら、現場は投票所。奴隷の入場は入り口の兵士達によって禁止されていたのだから。よって、今回、兵士を巻き込んで死んでいった者達は、完全に自らの意思で命を擲った、ということになる。
……憎き大罪人の背後に、大きな組織が生まれている。それに王は酷く怯えた。
王の手元には、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが聖女候補待機室で発していた言葉を記録したものがある。勿論、待機室の外で聞き取れた範囲の内容に限るが……ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが待機室の外の民衆に向けて発した言葉は、その全てが余すことなく記録されていた。
そう。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの発した言葉と、背後にある大きな組織。それらが示すものは、王には1つしか、見えない。
革命。
大罪人は、革命家になろうとしている。その背後に、見えない大きな組織を束ねて。
……その事実に、国王は只々、怯えるしかない。
「……捕らえられたものはないのか」
「はっ。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアは逃亡、兵士を壊滅させた犯人は全員死亡し……唯一、アマヴィレ・レントのみ、現在収監中です」
挙がった名に、国王はまた深々とため息を吐いた。
ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの他にも、国王を悩ませるものがある。
それは、アマヴィレ・レントの存在であった。
……彼女は、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア捕縛のための協力者、情報提供者として現れ、そして、民衆を代表して庶民の視点を王城内に取り入れるという名目の下、王城で囲っていた人物である。
要は、彼女を餌にして、民衆を釣ろうと考えていたのだ。『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの情報を齎した者はこのように取り立てられ、良い暮らしができる』と。アマヴィレ・レントの大躍進は特に王都においては広く知れ渡り、羨望と嫉妬の的となっていた。それと同時に民衆は、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの情報を欠片でも王城に提出しようと、非常に協力的になりもしたのだ。尤も、まともな情報は出てこなかったが。
……庶民を王城に取り立てたことによって、庶民には希望が生まれた。アマヴィレ・レントの存在は、庶民でも成り上がる機会があることを広く知らしめたのだ。
だからこそ……今回の『事件』は、王家に大打撃を与えている。
アマヴィレ・レントが、かの大罪人ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアと裏で手を組んでいたらしいという噂。
更に、アマヴィレ・レントが王家をも裏切ってどこかの貴族についていた、という噂。
……それらの噂がまことしやかに流れ、最早止めることなど叶わない程、蔓延してしまっている。
更に、その噂が嘘だとは到底言えないような決定的な材料も生まれてしまった。
アマヴィレ・レントはこともあろうか、違法薬物を大量に入手していたらしく……その悍ましき薬物を、聖女候補待機室の中に撒いたのである。
その結果、アマヴィレ・レント自身は口に出すのも憚られるような痴態を演じ、その他の聖女候補達にも被害が出た。
他の聖女候補達はすぐに救われ、延々と痴態を演じ続けることは避けられたものの、娘を害された諸貴族からの反発、王家の管理の甘さを問う声は大きい。
更に都合の悪いことに、聖女候補達を救ったのは、聖女候補者であったキャロルというシスターと……他でもない、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアであったのだ。
魔除けの結界を張って耐え抜いた聖女候補キャロルの行いは良いとしても、傷を負いながらも毒に耐え、聖女候補達を気絶させて救って回ったヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの行いは、王家にとってあまりにも都合が悪い。
『王家が囲っていた庶民が王家を裏切った』ことに続いて、『王家が囲っていた庶民が聖女候補達を害した』こと、そして『大罪人ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが聖女候補達を救った』ことも重なれば、いよいよ王家よりも大罪人の方が善い行いをしたかのように見えてしまう。
この事実は、覆しようがない。王家への不信が高まっただけではなく……民衆がヴァイオリア・ニコ・フォルテシアへ傾倒していくよう、操作されてしまった。
……一連の事件は、余りにも出来過ぎなように思える。
だがそれらの詳細も、背後で何が起きていたのかも、捕らえたアマヴィレ・レントから聞き出せばよい。王家を裏切った者だとしても、同時にヴァイオリア・ニコ・フォルテシアをも裏切ったということが本当なら、手の組みようはある。減刑を持ちかけて口を割らせるのが得策だろう。或いは、金を積んでもいい。最早、形振り構ってはいられないのだから。
「唯一、良いことは民衆の機嫌が良い事です。エルゼマリン近郊に町ができ、そこが貧民を開拓者として集めていたこともあり、少なくとも貧民からの不満は大幅に減少しております。また、平民達も、今回の聖女投票の騒ぎで多少、浮かれているらしく」
幸か不幸か、聖女投票自体は民衆にとって良い娯楽となったようだ。王都は以前より活気づき、王国祭の惨劇を忘れようとしている。
……そう。民衆の機嫌は悪くない。王家への不信が高まっているだけで、最近では治安もそれほどは悪くないと聞く。
相変わらず、違法薬物、麻薬の流通には歯止めがかからない状況ではあるが、地方の貴族が使い物にならなくなったなら、領地を王家で接収してしまえばいい。王家の力を集中させるためには、そこまで悪い事ではない。貴族の間に麻薬が広まっていても民衆は気にしないのだから、そこは最早、捨て置くこととしてもよいだろう。
民衆の敵意が王家へ向くことは、仕方がないだろう。だが、今を耐えれば、勝機はある。
今は王家の地位を損なわないようにしつつ、各所と手を結んで、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアが革命など起こさぬよう、圧力を強めていくより他に無い。
つまり……王家の願いは、変わらず唯一つ。
大聖堂を、我が物にしたいのだ。
「大聖堂は落とせそうか」
「……開票作業は未だ終わっておりませんが、我々の推薦した娘達の当選は絶望的です。良くても、キャロルという娘が当選することになるかと……」
報告を聞いて、王はそうだろうな、と思いため息を吐く。
聖女候補待機室での惨劇の中、キャロルという娘はヴァイオリア・ニコ・フォルテシアを除いて唯一、毒に耐え、他の聖女候補達に救いの手を差し伸べた者だと聞いている。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアへ毅然と立ち向かった態度といい、媚毒に耐え抜く精神力といい、結界を張るほどの能力の高さといい……聖女として申し分ない。
仕方ないことだ。ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアとアマヴィレ・レントによってぐちゃぐちゃにされた聖女投票が、王家の思い通りにならないのは最早仕方のない事である。
であるからして、国王としては、これから先、どうやって『聖女』キャロルに取り入るか、ということが課題となってくるのだが……。
「あの、陛下……。私は、『良くても』キャロルという娘が当選することになるかと、と、申し上げました」
大臣がそう申し出た時、国王は最悪の可能性に思い当たって、ぞっとした。
「……まさか」
「ええ。投票用紙の中には一定数、『ヴァイオリア・ニコ・フォルテシア』と書かれたものがあるようで……」
なんということだ。
これでは最早、王家が何らかの手を打つより先に革命の悪しき根が民衆に巣食っているということではないか。
聖女に相応しいものとして大罪人の名を投票用紙に書く民が多い、という事実に、王は絶望するしかない。
……いよいよ、王家は悪役である。
民意は最早、王家に背いた。
「……粛清するか」
王がそう呟いた途端、会議室に緊張が走った。
最早、そうした方がいいのでは、とちらとでも考える者も多く、しかし、それは後戻りの利かない道である。
「父上、いけません。それでは革命軍の意図するところとなりましょう」
「……分かっておる」
結局、王が口に出した言葉は、第七王子ダクターによって制された。王としても、本気で民を焼こうとは思っていない。そうできれば本当に楽だと思ってはいたが。
……民衆を焼くのはダクターの言う通り、悪手である。
どんなに民衆が王家へ敵意を向けていても、王家は民衆へ敵意を向けてはいけない。そんなことをしたが最後、いよいよこの国は覆される。
革命を目論む奴らに名分を与えてはならないのだ。常に、正義はこちらが握っていなければならない。
「今はただ、耐え忍ぶことです。そして、弁明の機会を待つしかありません。民意は後から必ずやついてきましょう。今は、聖女となる者への働きかけ方を考えるところで……」
「そうだな。大聖堂とのつながりを絶ってはならぬ。いっそ、大聖堂に理解を示すような素振りを見せ、民衆の機嫌取りをしてやった方が良いかもしれん。丁度、聖女も新しくなることだ。これは良い機会だろう」
聖女が新しくなったのだから、王家の接し方も新しくなって良い。
今までの態度を急変させる理由はそれで十分だろう。或いは、キャロルというシスターを王城へ招いて、会議の席を設けてもよいかもしれない。キャロルはどうやら民衆からの人望も厚いようだ。キャロルを上手く使えば、王城の印象を良くすることができるかもしれない。
幸いにして、キャロルと取引するための材料が無いわけではない。
開拓地から始まり、2ヶ月弱で町の姿になってしまった、エルゼマリンの北に位置する町。シスターキャロルが入れ込んでいるらしいあの町を取引の材料にすれば、彼女の協力を上手く取り付けられるはずだ。
民衆に近い立場を謳い、今までとは異なる聖女の姿を提唱するシスターキャロルは、王家にとっても、民衆にとっても目新しく……そして、民衆にとっては希望そのものだ。
彼女を上手く、取り込まなければならない。大聖堂自体よりも、今や、新たな聖女その人こそが大きな価値を生むのかもしれないのだから。
「よし。聖女が決定し次第、会談の席を設けよ。多少、下手に出てやってもいい。あくまでも圧力を掛ける目的ではないと十分に知らしめるように」
「はっ。畏まりました」
大臣が早速動き出したのを見て、国王はため息を吐く。
「……それから、現在収監しているアマヴィレ・レントからは情報を引き出しておくように」
アマヴィレ・レントが王家を裏切り続けていたというのならば、当然、許されることではない。だが、許す許さないは置いておくとしても、彼女が持っているであろう情報は国王としても、喉から手が出るほど欲しい。
上手くすれば、ヴァイオリア・ニコ・フォルテシアの裏をかくこともできるかもしれないのだ。
そういう意味では、シスターキャロルと同程度、下手をすればそれ以上の価値がある女だ。『丁重に』扱わなければならない。
こうして、ひとまずの方針を固めたところで会議は終了した。
まだ前向きに動けることに感謝しつつ、王は聖女キャロルとの会談に向けて、準備に取り掛かるのだった。




