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第二十五話

実に4ヶ月ぶりの更新ですいません。


 魔物退治となれば、やはりそれなりの下準備が要る。

 村人の多くは戦いの心得もない者ばかり。実際に戦闘となって前に出られるのは、ブラムに涼吾、フィリオの三人だけ。そもそも入り組んだ森の中に、戦慣れしていない大人数を引き連れていくのは自殺行為だ。かえって動きがとりづらくなり、被害が増える。

 となれば、森に分け入るのは三人のみに絞るべきだ。

 加えて狼たちの情報では、件の魔族がねぐらにしている場所まで行くのには急いでも半日はかかる。今から出発したのでは到着する頃には日が暮れているだろう。戦闘にせよ夜営にせよ、魔物の巣食う森で長時間過ごすのは危険すぎる。



「出撃は明日の早朝。夜明け前に村を出れば昼過ぎには着くだろう。一両日中には片をつけたいが、数日かかる可能性もある。夜営に必要な準備も整えておけ」



 そうブラムは指示を下して、その場は一時解散となった。



     ※



 戦士にとって、武器は己の一部でなくてはならない。


 いつだったか、村を訪れた冒険者がそう嘯いていた。


 フィリオには武器の扱いの正式な師が居ない。徒手空拳が主軸のブラムは武器を使わないし、他に扱いに長けた者も村にはいない。時折、訪れる冒険者から扱い方の触りだけを学んで、あとはひたすらに我流で鍛えてきた。硬化能力によっていくら斬りつけても斬れないブラムを相手に、寸止め無しの実戦染みた鍛練を重ねて会得した喧嘩刀法ともいうべき戦い方だ。

 得物である二振りの短刀は村の鍛冶屋に造ってもらったもので、銘が入るようなものではないがフィリオが使いやすい形に造られた特注品だ。フィリオにとっては、共に強くなってきた相棒である。


 その相棒を、フィリオは念入りに手入れしていた。刃こぼれが残らぬよう、砥石で均一に研き上げていく。刃先は鋭すぎてもいけない。かえって刃が折れやすくなる。細すぎず鈍すぎず、長く共にいるうちに分かる感覚に沿って。

 研ぎの作業には集中力がいる。満足のいく仕上がりを確認し、フィリオは肩の力を抜いた。

 そのときになってようやく背後に人が来ていることに気がつく。振り返れば、ミリアが袋を持って立っていた。



「お疲れさま。準備は順調?」


「ぼちぼちだな。それ、頼んどいたやつか」


「うん。けど、本当に使うの? これ……」



 袋を開いて中身を確かめるフィリオにミリアは今一度聞く。



「俺は二人ほど理不尽じゃないからな。やれることは、なんでもやるさ。死にたくないからな」



 言い方が難だが、それももっともな話で。ミリアも苦い顔をするしかない。

 ブラム、涼吾と並んだときに、一番身の危険を被るのはフィリオなのだから。



「……本当、無理だけはしないでね?」



 ミリアはそう言うが、フィリオにしてみればあの二人についていく時点で相当の無茶だ。


 理不尽をはねのける、それだけの力がまだ自分にはない。けれどフィリオは危機に瀕して、戦うべきときに戦わないのは嫌だった。

 どんなに危険でも、フィリオはそう在りたいし、そう成りたいのだ。



「…………こういうとき師匠なら、心配すんな、って言うんだろうけどな」



 あれほど理不尽にはなれないフィリオに、その台詞は使えない。自分でも危険とわかっている場所に、自分の意思で進む馬鹿な人間なのだ。そんな人間が何を言っても、相手の中には響かない。


 ーーーーだけど。いや、だからフィリオは、少し強がってみることにした。


 にっ、と歯をみせて笑い、昔からの目標を語る。



「ちょっとひと暴れしてくる。心配はかけるが、まぁ、許せ」


「…………なにそれ」



 おもわずぷっと吹き出してしまい、困ったような笑顔になるミリア。手前勝手なその言い口には、彼女の祖父の面影がみえて。その少し申し訳なさそうな優しさが、彼らしくもみえた。

 こういうときにどうすればいいか。英雄の孫である彼女は、それをきちんと知っている。


 手前勝手に生きる彼らには、時にそれを受け入れてくれる居場所が必要だから。



「晩御飯までには帰ってきなさい。準備して待ってるから」


「……おう」



 クククッとひとしきり笑って、フィリオは両手で頬をはたき、顔をあげる。



「さて刀は研いだし、あとは……あれも集めとくか」


「手伝う?」


「ん、あー……そうだな。手が空いてるようなら頼むか」

 


 鞄と愛刀を腰に下げて、フィリオはミリアとともに家を出た。



     ※



 “会話”とは、顔を会わせて話すことである。

 “話す”とは、舌をもって言葉を紡ぐことである。


 それは人間における“会話”であればその通りであるが、それが人外のものによる“会話”となるとまた意味合いが変わってくる。人間と同等以上の知性をもちながらも、身体構造的に“言葉”が発音できないものも珍しくはないからだ。そもそも口から出る声という“音”の情報のみでやりとりをする方法は、知的存在のくくりでいえば少数派である。

 文字、手話、点字、モールス信号。意思を伝達する一定のアルゴリズムさえあれば、“会話”は成立するのだ。あとは、それを出力する“発信器”と受け取る“受信器”の有無の問題である。



『見ている世界は違えども、それを伝える術はある……っていうのは、此方では珍しいんですかね』


『そうであろうな。すくなくとも、我は聞いたことがないの』


 

 犬ならば聴覚はヒトの四倍、視覚は明暗の感度が四倍、嗅覚にいたっては数千倍とも一億倍ともいわれている。

 これだけ“受信”のスペックに差があれば、“会話”の様相は当然変わる。



『やはり、こうして過ごすほうが心地好いの。ヒトの声はゴチャゴチャとやかましくていかん』


『すいませんね。先程はお付き合いいただいて』



 たとえばーーーーわずかな喉の唸りともいえない息遣い、心拍・体温の細かな変化や目配せ、手足の動きから意思を疎通させる、こともできる。

 端からみれば、ただ黙って隣に立っているようにしか見えなくとも。



『かまわんさ。群れの平穏をたもつのも、群れに棲むもののつとめだ。たとえヒトでなくともな。それができるおヌシは信が置ける』



 人間の覚識を越えた領域で交わされる“会話”に割り込める者は、ここにはいない。

 燦々と降り注ぐ太陽。木陰に隠れて涼悟と銀狼の声なき会話ははずんでいた。



『化生の身でありながらヒトの輪の内に居所をみるか。おヌシの居た世界というのは、随分とおかしな場所のようだの』


『必要に差し迫って、ですよ。環境が変われば事情も変わるもんです。まぁ俺が変わり種なのも本当ですが』



 昨晩の戦闘前、銀狼は襲撃をかける段階から既に涼悟が吸血鬼であることを見抜いていた。十年前、この村に来た吸血鬼と臭いが似ているのだと。同じような、濃い血の臭い。涼悟のそれは自分の流した血のそれなのだが、あまりに濃い血の臭いに興奮した銀狼はそのまま襲撃に踏み切ってしまった。



『ロープ、きつくないですか?』


『問題ない。負けた我等には相応な扱いだ』



 結果として自分達に手傷も負わせることもなく拘束してみせた涼吾の実力を認め、おとなしく捕まってくれている。涼吾が村人たちに対して、くれぐれも狼たちに手を出さないよう頼み込んだのも大きい。本来であれば狩られて当然の身ならば、勝者には大人しく従うが当然、とそういう理屈らしい。犬科特有の序列意識に近いかもしれない。

 実にシンプルで力強い、人外の理屈。涼吾としてはわかりやすく、好感がもてた。


 しかしだからこそ、その胸中を慮ることは忘れてはいけないと思うのだ。



『本当におヌシは、十年前のアレとは大違いだの』


『十年前は、そちらにも被害が?』


『吸血鬼が狙うのはヒトの血のみだが、その眷属は肉も喰らう。アレはおもうさま血を喰らった後はすべてほったらかしのままで消えおったからの』



 銀狼は御年二百歳を越える。幾度もの大闇夜を乗り越えてきた古強者だ。生き延びてきた年月とともに、経験もつんできている。



『とはいえ、人間と戦って消耗していたようでの。逆にまるごと喰らってやったわ。ほとんどなにも考えず正面から襲ってくる連中ばかりだったしの』


『統率する者がいなければそんなものですか』



 いやそれもあるだろうが、これは相性の問題だろう。 


 銀狼たちは元が狩人としての能力の高い狼。それが祝福を得て通常の倍以上の体躯と異能まで身に付けているのだ。弱いわけがない。


 狼の狩りの本質はスタミナ重視の持久戦と、群れの統率力からなるチームプレー。ターゲットを見つけたら、まず集団で追い立てる。複数の分隊に別れて逃げ道を誘導しつつ、追い立てて追い立てて……。体力を削りにけずったところを一気に狩り込むのだ。

 手負いで敵に追われた敗残兵では反撃もままならないだろう。それぐらいの能力が銀狼たちにはある。本来なら侵入した獣の一匹や二匹、追い返すことなど容易いはずだ。


 今それができないのは、むこうもまた尋常ならざる怪物だからにほかならない。



『悔しいが……獲物を狩るものとして我は、アレらには完全に負けている。姿も見せないのでは爪も牙も、炎魂(えんこん)も届かぬ』



 “炎魂”とは、銀狼一族が祝福によって得たチカラで放つ光炎の矢。

 その実態は腹に溜め込んだ魂を必要に応じて炎のように燃え上がらせたり弾丸として放つことができる、というもの。

 本来であれば喰らった獲物の魂を用いて使うものだが、このところは自分自身の魂を削って放つしかない状況にまで追い込まれているらしい。



『アレは気配もなく現れては群れの一頭を狩り、追う暇もなく姿を消す。しばしの間をおいてまた現れ、一頭、また一頭と淡々と狩り取っていく。相対できねば牙を突き立てることもできん』


『狼の鼻も誤魔化す隠形か、とらえきれない機動力か。どちらにせよ、まず捕縛できなきゃお話にならないってことですか』



 涼吾は手にしたロープを握り締め、その感触をたしかめる。



『はてさて、どんなお話(・・)ができますかねぇ』


『…………さっきも言うたが、本気か? アレはこちらを見つけたら間違いなくそのまま喰らいにくるぞ?』



 むしろ愉しげに独りごちる涼吾へ銀狼は捕食者の立場から苦言を呈する。


 この世のおよそ全ての生命は、二つに分けられる。捕食者と被食者。喰うものと喰われるものだ。

 通常、喰う側にとって、喰われる側がなにを言おうとそれを気に止める謂れはない。泣き叫ぼうが怒ろうが、腹に収まれば皆同じだ。


 そんな捕食者を相手にこの男は、悠長にも“話がしたい”といっているのだ。



『いやぁ、だって気になるじゃあないですか? いったいどういう経緯で此処に来て、これからどうするつもりなのか。何を思って喰らい、何を思って生きているのか。理知のないケダモノ以下なのか、話せばわかる隣人なのか。……牙を向け合う前に、まずそれぐらいは確認したいんですよねぇ』


『呑気なもんだの。なぜ其処までする?』



 銀狼としては呆れるほかない。


 銀狼もそうだが、野に生きるものにとって所詮この世は弱肉強食である。強い弱いも、喰う喰われるも世の摂理。喰う立場に居る以上、喰われて終わるのもまた道理だ。そうならないために皆、今この時を全力で駆けている。生きるというのはそういうことだ。

 喰うために命を懸けて、喰われぬために死力を尽くす。そういった“気迫”がこの男には無い。


 しかしそれは彼が吸血鬼、すなわち不死者であるからかというと、そうも考えがたい。


 かつて見た吸血鬼はその全身から血の臭いを垂れ流し、狂ったように笑いながら山の向こう側に飛び去っていった。

 夜とともに現れてはただただ喰らい、蹂躙のかぎりを尽くす。吸血鬼とはそんな、捕食者の頂点にあるような存在のはずだ。


 不死者とはすなわち、喰われる憂いからの解放者。その身をもって求めるのは、その者の源本たる欲求。食欲は、それらの最も原始のひとつといえるだろう。


 では、この男が求めるのはいったい何なのか?



『さぁてそいつは、ただ“語る”には重すぎる』



 ニシッ、と歯をみせ笑ってみせる涼吾。



『俺には欲しいものがある。そいつは喧嘩じゃ満たせない。肉でも血でも満たせない。けれども欲しくて仕方がないから、せいぜい気張って身体も張るのさ』



 その言葉に偽りがないことは銀狼も知っている。


 炎魂の矢を全身に受け。

 牙と爪とで両手両脚を裂かれ。

 焼けてただれた傷跡をさらし。

 流した血潮が焦げる音を立てて。


 しかしそれでもこの男は、ただその場所に立ちーーーーそして、“語り”続けていた。


 その口で。

 その眼で。

 その脈動で。


 行動の全てで、己が“何”なのか語り続けていた。



 そしてそれに偽りはなく、銀狼は傷付けられることなく今、此処にいる。


 ……そこまでやられて呑めないようでは、山の主の器が知れる。



『おヌシにもらった機会だ。好きなようにやってみればいいだろうさ。死なない程度ならば付き合おう』



 八方塞がりの身の上ならば、酔狂な怪物に望みを託すのも悪くない。この男の為すことを見たいと思える程度には、銀狼は涼吾を気に入りはじめていた。



『ではひとつ、御助力願いたいのですが…………っと?』



 と、そんな一人と一匹の会話のあいだに「グルルル」とうなり声が差し込まれてきた。若い狼の一頭だ。

 威圧感のある重低音であるが意訳すればこんなものである。



『なーなぁアカバー。お前のいた世界ってどんなトコなんだ?』



 邪気のない視線で送られてくるのは、純粋な好奇心。人目には狂暴な肉食獣も正確に感情さえ読みとって相対すれば決して危ういだけのものではない。意志の疎通が可能な“話せる”相手だ。



『んー? どんなってーと、まぁ……とりあえず人間がいっぱいいるな』


『いっぱい?』


『ああ、そりゃもう山の木全部に蜂の巣がくっついてるようなもんでな』


『おー、そりゃいっぱいだー』


『ブンブンうるさいのかー』


『狼はいないのかー?』


『兎はー?』


『鹿はー?』


『うまいもんはあるのかー?』



 最初の一頭を皮切りに、めいめいが質問を投げかけてくる。涼吾を味方と認識してから狼たちの対応は柔らかい。というか、凄くなつかれていた。カルミラに頼み込んで少し干し肉を分けてもらったのがよほど嬉しかったらしい。

 


『お前ら、肉好きか?』


『『『大好きー!』』』



 このノリの良さである。精神年齢は人間換算で十歳ぐらいだろうか。まだまだ若い個体が多い。



『成熟した者はつがいを探しに群れを出るのがならわしでの。今は若い者しか残っとらんのだ』


『なるほど、道理で』



 年経た獣ほど老獪で警戒心が強くなる。狩人として肉食獣として実力を増し、名実ともに人外の領域へと歩みだしていく。

 若狼たちは異能こそ有しているが積んだ経験も少なく、精神的につたない部分があった。あまり無茶はさせられないだろう。



『その辺も含めて作戦を立てたいところですねぇ』



 はてさて、どう丸く治めたものか。

 平穏主義者な吸血鬼はただそれだけを望んで思考に埋没していく。

 暑い太陽のもと、広葉樹の木陰にぬるい風が吹き抜ける。銀狼は心地よさげに一時だけ目を細めた。




若狼たちは精神的な熟達がまだまだなので子供っぽい言動で描いています。

獣が人間並みの知能と情緒を自然界で体得するのには相当な時間がかかるとおもうのです。


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