大丈夫な理由
翌日、まだ陽も昇らない薄暗闇の中、外套を羽織り、革製のブーツといった旅支度の様相のユリウスがヴィオラと共に城の入り口へとやって来た。
見張りの兵士に挨拶をして門を開けてもらい、城の外へと出たユリウスは、眼下に広がる碁盤の目のように均等に区画整理され、白一色の屋根が並ぶアクイラの街並みを見ながらヴィオラに話しかける。
「…………綺麗な街だね」
「そうですね。フォーゲル王国は自然との調和を重んじた美しい街でしたが、ここは人の手によって造られた芸術作品のような美しさがありますよね」
「そう……だね」
「ユリウス?」
言葉を濁すユリウスに、ヴィオラが不思議そうな顔をする。
「何か気になることでもあるのですか?」
「いや、ちょっと考えごとをしていてさ」
ユリウスは「たいしたことじゃない」と肩を竦めながら独白する。
「あそこの屋根、一つ一つに家族が……何も知らずにのうのうと世の中は平和だと勘違いしている奴等が住んでいるだなって思ってさ……」
「ユリウス……」
「…………冗談だよ」
不安そうにこちらを見てくるヴィオラに、ユリウスは自嘲気味に笑ってみせる。
「少なくとも今は、僕にとってここは守るべき街だ。色々思うところはあるが、信頼を失うような真似はしないつもりさ」
「でしたらいいのですが……」
そう言うと、ヴィオラはユリウスを気遣うように後ろから抱きしめる。
「ヴィオラ?」
「ユリウス、こんなことを言うと怒られてしまうかと思いますが、余り復讐に囚われないで下さい」
「…………僕が間違っていると?」
「そうではありません。復讐を止めるつもりはありませんが、私はユリウスが幸せでいてくれることを一番に願っています。ですから、目の前にある幸せに目を背けることだけはやめていただきたいのです」
「…………善処はするよ」
ユリウスはどうにかそうとだけ告げると、ヴィオラの手を優しくどけて距離を取る。
(ヴィオラには悪いけど……)
ユリウスは平和を享受するつもりなど毛頭なかった。
三年という月日が経ったが、瞳を閉じれば、まだあの日の出来事が昨日のように思い浮かぶし、悪夢に苛まれて夜中に目が覚めることもしばしばだ。
日常生活においても、何事もなく振る舞っている時に激情に駆られて目の前に立つ人間を八つ裂きに切り裂いてやりたくなることがある。
その感情を御するため、人の目につかない場所に自傷行為を繰り返し、夜にはまだ見ぬ憎い相手を脳内で幾度となく殺してきた。
最早ユリウスにとって、復讐を果たさなければ心の安寧などあり得ない。こんな歪みきった自分が人並みの幸せを求めるなど、お門違いにも程があるということだった。
ならばせめて、自分の心が完全に壊れてしまう前に何としても復讐相手を見つけ、殺し尽してやろうとユリウスは思った。
「…………ユリウス」
そんなユリウスの心情を察してか、ヴィオラは怒りを押し隠したようなユリウスの背中を悲しそうに見つめ続けた。
それから暫くの間、ユリウスとヴィオラは何も語らず静かに街を見続けていた。
すると、
「あっ…………」
静寂を切り裂くように涼やかな声が響く。
声に反応してユリウスが振り向くと、薄暗闇の中でもはっきりと視認できる銀色の糸が風に揺られて踊っていた。
「…………プリマヴェーラ様」
「はい」
ユリウスが声をかけると、ミグラテール王国王女、プリマヴェーラは白いドレスの裾を掴んで優雅に会釈をしてみせる。
「おはようございます……お会いするのは、あの時以来ですね」
「えっ? あっ、はい…………」
まだプリマヴェーラと話す心の準備ができていないユリウスは、ファルコとヴィオラの二人からプリマヴェーラについてあれこれと吹き込まれたこともあり、上手く言葉を紡ぐことができなかった。
(ああ、もう! これなら話すことを事前に決めておくべきだった)
ユリウスは頭をガシガシと乱暴にかきながら、どうするべきか必死に頭を巡らせる。
(そうだ!)
とりあえず何か思いつくまで、ヴィオラに場繋ぎを頼もうとする。
だが、
「ユリウス、それでは私は戻らせていただきます」
頼みの綱であるヴィオラは、見送りはここまでだとそそくさと帰ろうとするので、ユリウスは慌てて彼女を追いかけ、プリマヴェーラに聞こえないように小声で話しかける。
「ちょ、ちょっとヴィオラ、待ってよ」
「どうしました? せっかくプリムローズ様とお会いできたのですから、お話をされたらどうです? 私がいては、込み入ったお話はできないでしょう?」
「それはそうかもだけど……」
「大丈夫ですよ」
「えっ?」
突然の言葉にユリウスが顔を上げると、ヴィオラの優しい笑みを浮かべて話す。
「昨日もお話ししましたが、何も恐れることはありません。ファルコ様のお言葉は忘れて、いつものように振る舞えば、必ずやプリマヴェーラ様はユリウスのお力になってくれます」
「…………わ、わかった」
ユリウスがどうにか頷くと、ヴィオラは一度ユリウスを強く抱き締めてから「ご武運を」と言って離れる。
ヴィオラはそのままプリマヴェーラに近付くと、深々と頭を下げて挨拶をする。
「プリマヴェーラ様、それではユリウスをお願い致します」
「は、はい……承りました」
畏まったヴィオラの態度に、プリマヴェーラは口ごもりながら慌てたように頭を下げて応対する。
そんなプリマヴェーラに、ヴィオラは彼女の手を取って体を起こさせると、耳元で囁くように何かを話しかける。
「…………はい、お任せください」
ユリウスがいる場所からでは何を言ったのか聞こえなかったが、応じるプリマヴェーラは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「ん?」
今の二人のやり取りに、ユリウスは引っ掛かりを覚える。
ヴィオラがプリマヴェーラに対して遜るのは理解できる。
だが、プリマヴェーラは、明らかに身分が下のヴィオラが頭を下げてきたことに対して同じ対応をした。
ファルコもかなり気さくなところがあるから、プリマヴェーラも同じように身分というものを特に意識していないのかもしれないが、先程の二人の様子は、身分を意識していないと言うより、プリマヴェーラが一方的にヴィオラに対して苦手意識というより、畏怖の念を持っているかのような……、
「あっ…………」
そこでユリウスは、ある可能性に辿り着く。
ナルベに斬られてユリウスが大怪我した時、治療をしたのは間違いなくプリマヴェーラが紋章兵器を使ったのだが、問題は誰がそれを彼女に依頼したか、だ。
あの場にいたのは、ヴィオラの他にはナルベの部下が一人いたが、ナルベの部下は首を刎ねられて死んでいたらしいので、残るはヴィオラしかいない。
ここから先は想像でしかないが、人を殺し、返り血を浴びた人間が目の前に現れて、血に塗れた刃物をちらつかせながら、紋章兵器を使って治療しろと脅すように言われたら、
(まさか……)
ユリウスが立ち去るヴィオラの背中に目を向けると、彼女は一度だけこちらを振り返り、人差し指を口元に持って行き、いたずらが見つかった子供のようにペロリと舌を出して笑った。
それを見てユリウスは確信する。
つまりヴィオラは、プリマヴェーラには既に十分過ぎるほど自分たちの脅威を伝えてあるから、何も恐れることはないと言っているのだった。
「ハ……ハハッ……」
思いもよらないヴィオラの援護射撃に、ユリウスは乾いた笑い声を上げることしかできなかった。




