落城
乗る前は不安で仕方なく、簡単に沈んでしまうのではと思われた小舟は、押し寄せる波にも負けることなく、順調な滑り出しを見せる。
しかし、この秘密の洞穴は、その存在を知られるわけにはいかないので、一切の灯りがなく、一寸先は疎か、足元すら碌に見えなかった。
操舵を一つ誤れば、あっという間に転覆してしまう危険極まりない状況であったが、ヴィオラは右へ左へと見事な操舵で漆黒の洞穴を進む。
「…………」
集中しているヴィオラに余計なことを言って見えない壁にぶつかったらことだと、ユリウスは息を殺してこの暗闇が一刻も早く過ぎ去るのを待った。
そんなユリウスの願いが届いたのか、永遠に続くかと思われた暗闇は思ったより早く終わりを告げる。
「…………光だ」
彼方に見えた光に、ユリウスは興奮したように声を上げ、後ろで必死に櫂を操っているヴィオラに笑いかける。
「凄いよヴィオラ。あんなに右へ左に曲がったのに、全くぶつからなかったよ」
「お褒めに預かり光栄です殿下。ですが、これから先は、ちょっとした物音でも気づかれる場合がありますので……」
「わかってる。息を殺して身を潜めているよ」
だが、これで城から脱出できる。姉との約束を守れると、ユリウスは安堵したように大きく嘆息して隠れる為の毛布へと身を隠した。
洞穴の出口は、城の入り口の調度裏手、いくつもの大きな岩によって巧妙に隠された場所にあった。
普通の船なら通り抜けることはまず不可能な狭い岩の間を通り抜け、一気に視界が広がると、もうそこには身を隠すものが一切ない巨大な湖の真ん中だった。
ここから先は、物音を立てないように息を殺し、ひたすら相手に見つからないように祈るしかなかった。
だが、幸いにも攻めて来た敵は城の攻略にかかりっきりのようで、断続的に雷が落ちたかのような轟音が聞こえてくるものの、脱出したユリウスたちに気付いた者がいる様子はなかった。
「……ヴィオラ」
「はい……わかっています」
これなら少しぐらい音を立てても問題なさそうだ。そう判断したヴィオラは、音が出るのを覚悟で櫂を大きく動かして船の速度を上げた。
波が立てる僅かな水音に、心臓が破裂しそうになる緊張感の中、目的地である岸が近づいてきたところである変化が起こる。
小舟の上からでは見えないが、城の向こう側がまるで夜が明けたかのように突如として紅く光り出したのだ。
「な、何だ?」
輝かしい白ではなく、血の色のような紅い光に、ユリウスはこの世の終わりのようだと表情を強張らせる。
紅い光はみるみる大きくなり、一条の柱となって天を貫く。それはまるで、一振りで街一つを両断せしめてしまえるような超巨大な剣を思わせた。
「そんな……いや、まさか…………」
ユリウスは自分が見て感じた想像が間違いであってほしいと願う。
だが、そんなユリウスの願いも空しく、紅い光はぐらりと揺れたかと思うと、フォーゲル城に振り下ろされる。
瞬間、目の前が赤色で塗り潰されたかのように何も見えなくなり、何かが砕け、崩壊するような破滅的な音と、全てを吹き飛ばす衝撃波が発生する。
当然ながら、吹けば倒れてしまうような小舟に衝撃波によって生まれた荒波に抗えるはずもなく、
「う、うわあああああああああああああああっ!!」
「殿下っ!」
異変に気付いたヴィオラが手を伸ばすが一歩遅く、ユリウスの小さな体は軽々と船から投げ出され、冷たい夜の湖へと叩き付けられた。




