誤算
ユリウスは駆けながらナルベの方を注視するが、ナルベがユリウスの存在に気付いた様子はなかった。
しかも幸運なことに、騒ぎを聞きつけた兵士たちが詰所から出てきたので、詰所の入口前は人で溢れている。
(いける。このままどさくさに紛れて中に入れば……)
ナルベに気付かれることなく詰所の中に入れる。ユリウスがそう確信してさらに歩みを速めようとした時、
「えいっ!」
ユリウスの背後から、可愛らしい声を上げて背中に飛びつく小さな人影があった。
その人影は、ユリウスの首元に取りつくと、頭にかぶったフードを勢いよく剥ぎ取る。
「ほら見ろ。やっぱりこいつ、巡礼中のシスターなんかじゃないぞ!」
「んなっ!?」
ユリウスが後ろを振り向くと、そこにはユリウスの正体を暴いて得意気にはしゃぐスレイがいた。
「やい、お前。そんな格好して何か悪いこと企んでいるんじゃないだろうな!」
「なっ、このクソガキ………………」
睨みつけてくるスレイに対し、思わず殴り飛ばしたいと思うユリウスだったが、
「しまっ…………」
今の自分はフードを剥ぎ取られ、素顔を晒していることに気付き、顔面蒼白になる。
幸いにもまだ小麦粉によって辺りの視界状況は悪く、ナルベがユリウスの顔を見たとは限らない。
だが、
「やいやいやい怪しい奴め。このまま逃げられると思うなよ!」
こうしてスレイに喚かれては、ナルベが異変に気付くのも時間の問題だった。
「クソッ…………」
ユリウスはこれ以上、ここに留まるのは危険と判断し、スレイに背を向けて逃げ出す。
「おい、待て。逃げるな。怪しい奴め!」
後ろからスレイの怒鳴り声が聞こえてくるが、当然ながらユリウスは無視する。
(クソガキの無駄な正義感によって失敗するなんて……)
こんな屈辱を味わさせてくれたスレイに、いつかきっちり礼を返してやる。そう決意しながら後ろを振り向くと、
「げっ…………」
スレイの叫び声を聞いたのか、こちらに向かって駆けてくる赤い色をした小柄な人影、ゼゼがやって来るのが見えた。
(…………最悪だ)
ここで捕まれば本当に全てが終わってしまう。絶対に逃げ切らなければならないと思ったユリウスは、一目散に詰所前の広場を後にした。
ユリウスは断腸の思いで詰所の通り抜け、ほとぼりが冷めるまで何処かに身を隠そうかと思考を巡らせる。
とりあえず手近な路地裏にある物陰や、鍵の開いている民家に身を隠そうかと思ったところで、
「…………あれは」
視界の隅に映る不自然に積まれた木箱を見てある可能性に気付く。
念のため紋章兵器を使って周囲に赤く光る人物がいないのを確認してから木箱へと近づき、体全体を使って木箱を動かす。
「やっぱりそうか」
木箱をどかして見えてきたのは、詰所の裏側へと回る幅一メートル程の細い路地だった。
昼間なのに殆ど光の届かない袋小路となっている暗い路地へと足を踏み入れたユリウスは、乱雑に積まれた木箱をどかしながら進み、そこで微かな希望の光を見つける。
「そうか、なんで気付かなかったんだ」
それは、詰所の裏口だった。
詰所だけに留まらず、それなりに大きな建物であれば入り口が一つだけとは限らない。
「こんなことなら最初から裏口を目指せばよかった」
今更後悔しても遅いがこれで希望は繋がった。ユリウスは「ふぅ」と小さく嘆息してから嬉々として木製の扉に手をかける。
だが、僅かな希望はいとも簡単に砕かれてしまう。
「…………嘘だろ」
詰所の裏口は、押しても引いてもビクともしなかった。
もしかして鍵がかかっているのかと思ったが、そう思って扉を確認してみるが、そもそもこの扉には鍵穴がついていなかった。
まさかと思ったユリウスは、扉の脇についている窓に顔を張りつかせ、薄暗い部屋の中を覗き込む。
かなり無理な姿勢で首が痛くなったが、その甲斐あって扉が開かない理由を知ることができた。
「…………中から打ち付けられている」
そう。詰所の裏口と思われた扉は、鍵が付いていないからか、それとも別の理由があるのか、外からは疎か中からも開かないように木で打ち付けられていた。
入り口を見張っていたナルベが裏口を気にかけていなかったのは、きっと彼もこの扉が開かないことを知っていたからも知れない。
だとしたらここにいるのは危険だ。そう思ったユリウスが慌てて袋小路となっている路地から出ようとするが、
「しまっ…………」
ユリウスの左目は、すぐ近くまでやって来ている赤い光を捕らえていた。
今から逃げたのでは到底間に合わない。この場を切り抜けるためには、この路地内のどこかに隠れてやって来るであろうゼゼをやり過ごす必要があった。
今、ユリウスの周りにあるのは、開くかどうかもわからない幾つかの木箱と、人一人がようやく隠れるかという建物によってできた死角。そして、おそらくゴミを入れるために設置された鉄製のゴミ箱があった。
「…………迷っている場合じゃない、か」
ユリウスは今にも臭ってきそうなゴミ箱を見やると、ごくりと唾を飲み込んだ。




