千載一遇のチャンス
(頼む……早くしてくれ)
おおよその時間はわかっているはずなのに、その数分が永遠にも感じられる。
ユリウスは牛のようにゆっくりを歩を進めながら、今にも破裂しそうなほど早鐘を打つ胸をギュっと押さえ、チラチラとナルベの様子を伺いながら必死にその時を待った。
だが、それより早く、
「――んなっ!?」
思わず声が出かがったが、口を押えることでどうにか誤魔化しながらも、ユリウスは自信の背中に冷たいものが走るのを自覚する。
これまでじっと一点を眺めたまま動かなかったナルベが、ゆっくりとその重い腰を上げたのだ。
(しまった! 余りにも不自然過ぎたか……)
ナルベの存在が気になり、何度も様子を伺っていたのを見られてしまったのだろうか。ユリウスは自分の迂闊さを呪いながら、万が一に備えて腰をゆっくりと落とす。
しかし、ナルベはユリウスの方ではなく、明後日の方向を向く。
一体何があったのかとナルベが向いた方をユリウスが見やると、そこには息を切らして走ってくるゼゼがいた。
「クッ…………」
思ったより早く現れたゼゼに、ユリウスはさらに状況が悪くなったと顔を青くさせる。
これでは準備した仕掛けが作動しても、上手く事が運ぶかどうかが微妙になってしまった。
(だが、それでも……)
もう、それに賭けるしかないユリウスは、下を向いて祈るように歩を進めた。
ナルベの下を訪れたゼゼが何やら凄い剣幕で捲し立てると、事態の深刻さに気付いたのか、ナルベが顔を上げて辺りを見回す。
そのまま視線を動かし、白いローブを身に纏ったユリウスへと向いそうになったところで、
「きゃああああああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!!」
突如として絹を裂くような女性の悲鳴が上がり、何かが崩れ落ちる派手な音と共に辺り一面に白い粉がぶわっと舞った。
「――っ、ゴホッ、ゴホッ……来た!」
辺りに漂う白い粉にむせながらも、ユリウスは繊細一隅のチャンスを逃すまいと歩を速める。
ユリウスはローブを取りに行く前に、小麦粉を取り扱う露店の後ろにあった大量に積まれた空の木箱を不自然に思われない程度に、互いのバランスが崩れるように動かしておいたのだ。
こうしておけば後は人や馬車が起こす振動によって木箱が徐々にずれていき、やがては勝手に崩れるという人々の往来が激しいスワローの街ならではの仕掛けだったが、結果は上々だった。
しかも、幸運なことに大量に舞った小麦粉が辺りの視界を奪ってくれているので、人々の混乱に乗じて詰所に駆け込むのは容易だった。
(ここが正念場だ!)
ユリウスは人とぶつからないように注意しながら、一気に詰所に飛び込もうとした。
「――っ!?」
が、その直後にある事実に気付き、戦慄を覚えて慌てて止まる。
ユリウスの左目の紋章兵器は、小麦粉が舞う視界不良の中でもナルベとゼゼの色を捕らえており、二人の動向が手に取るように分かった。
その中で、ゼゼは突然の事態に驚き戸惑っているようだったが、ナルベは動揺した素振りを見せず、泰然とした様子で詰所の入り口をジッと見つめている。
まるで、誰かがこの混乱に乗じて詰所に駆け込むのではないかと確信しているような素振りだった。
その誰かが誰か、なんて言うまでもなかった。
この混乱にも全く動じないナルベの胆力には目を見張るものがあるが、同時にユリウスにはある疑問が湧く。
(果たして……本当に見えているのか?)
ユリウスは紋章兵器を使っているからナルベの様子がわかるのだが、視界が殆ど利かない今の状況でユリウスが詰所に飛び込んだところで、それがユリウスだと判別できるのだろうか。
(僕は……どうするべきか)
頭ではどうせ見えないのだろうから、今すぐに詰所に飛び込むべきだとわかっている。だが、常に最悪を想定して動くナルベが、憶測でユリウスが通報したと判断し、ユリウスを置いて逃げ帰ってしまう可能性があるということだ。
そうなればヴィオラの命は先ずないだろうし、ユリウスの霧の山賊団を利用して復讐の足掛かりを作るという野望も潰えてしまう。
だからといってここで手を拱いていたら、せっかくのチャンスをみすみす逃してしまうし、何より小麦粉が視界を遮ってくれる時間はそう長くはない。
(そうだ。僕には時間がないんだ。だから……)
ナルベが気付かないと信じて行くしかない。そう決めてユリウスは詰所へと一気に駆け出した。




