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終業式の日に世界が終了したんだが  作者: 青海 原
第三章『東京防衛戦』
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86 雑音の正体:再会

 赤く染まる教室の中で、男女が二人。

 窓の外から燃えるような光が差し込んで、二人の表情を隠さないように照らしていた。

 風見晴人に対面する少女は高坂流花。

 風見のせいで、その儚い命を散らしてしまった少女だ。


「……大変、だったよね」


 高坂は視線を風見に合わせなかった。彼女にとっても、話しづらい状況なのだろう。

 大変だった。もちろん、大変だったとも。高坂が死ぬ前も、死んだ後も。多分、死んだ後の方が大変だった。

 そんな風に軽口を叩く余裕すら、風見にはない。出てくるはずの言葉が、出てこなかった。


「……ゆっくりでいいよ。ゆっくりでいいから、話して?」


 高坂はやっと風見に視線を合わせて、困ったような、病人をいたわっているような、微妙な笑顔を浮かべた。

 話さなければならない。

 彼女がいなくなってしまった後を。

 風見晴人の、暗い復讐の話を。

 必要なものは、ほんの少しの勇気。

 そこらを闊歩するゾンビを倒すより、チェーンソー女やゾンビ犬やドラゴンと戦うより、篠崎と相対するよりも、ほんの少し大きな勇気。

 言葉は、喉元まで出かかった。

 もう少しで話せるはずだった。

 けれど、その言葉は音にはならず空気に霧散した。

 考えてしまったのだ。話した先を。

 仮に話をしたとする。彼女はきっと、風見を慰めるだろう。あるいは、怒るだろう。そうなると、もしかしたら風見もどこかで安心して、立ち直ってしまうかもしれない。

 そうしたら、その先はどうなる。

 風見は現実に戻り、連れ去られた御影を助けにいける。御影や高月たちと元通りの関係になれるかはわからないが、それでも幸せになれるかもしれない。

 けれど、高坂は?

 彼女はもう、ここにしかいない。

 彼女には、帰る場所がないのだから。


「…………」


 吐息が漏れる。

 話したい。慰められたい。怒られたっていい。高坂ならそれができる。

 だけど同時に、離れたくない。そばにいたい。一緒にいたいのだ。

 だから、話せない。


「俺は……」


 もう二度と、彼女を消したくない。

 彼女がいてくれるなら、他の全てはどうだっていい。


「俺には、無理だ」


 震える声が高坂に届くよりも早く、風見は高坂に背を向けた。高坂の表情は見なくてもわかる。きっと悲しそうな顔をしているはずだ。

 それでも、風見は止まらなかった。

 走り出して、教室のドアから外へ。


「ハルトっ!」


 高坂の声が背にかけられたが、無視して光に飛び込んだ。



※※※



 ――逃げるのだ。


 ――遠い、思い出の彼方へと。



※※※



 『小学一年生の風見』は、気づくと山道を走っていた。車が通るのか、一応アスファルトで舗装されてはいるが、ずいぶん前からまともに手入れされていないのだろうとわかるくらいにボロボロだった。

 ところどころが割れていて、少しだけ持ち上がっていたりする。そのわずかな亀裂につまづいて、風見は転んだ。


「いったぁ……」


 半ズボンだったからか、膝を擦りむいてしまう。痛みに慣れていないために、この程度の傷でもズキズキと膝は悲鳴をあげていた。

 すると後方から「大丈夫!?」という声とともに風見に駆け寄る足音が聞こえた。


「ハルくん! 怪我してない!?」


 駆け寄ってきたのはあっくんだった。

 あっくんは風見の膝の傷を見て、一瞬顔をしかめた後、すぐにポケットから絆創膏を取り出した。

 空気が入らないように傷に貼り付け、簡単に剥がれないように二、三度絆創膏の周りに指を走らせると、


「消毒はできないから、家に帰ったらちゃんとおばあちゃんに消毒してもらうんだよ?」


 風見の顔を覗き込みながら心配そうに言う。風見は照れくさいというか、恥ずかしいというか、プライドがあったために赤面したまま視線を外し口を尖らせた。


「こ、こんくらいの傷なら大丈夫さ!」


「ダメ!」


 あっくんは真剣な顔をしていた。普段はオドオドしているあっくんが怒った時の顔だ。この時のあっくんには逆らえない。


「わ、わかったよ……」


 目は合わせられなかったが、首肯した。

 するとまたもや後ろから、今度は少女の声が聞こえてくる。怒ったような声に風見が振り返ると、彼女は腰に手を当てて頬を膨らませていた。


「もー! ハルくん何やってんのー! ヒーローごっこの最中なのに、ヒーロー役のハルくんがそんなんじゃあダメじゃん!」


「ヒーロー、ごっこ……?」


「そーだよ、ハルくんがヒーローのサニーマン、あっくんが悪役のダークメロディ、わたしがヒロインのお姫様って話でしょ!」


「あー、そう……だったね……」


 なぜだか、遠い昔の話のように思えた。疎遠になってしまった友人との思い出を思い出したような気分だった。もっとも、『小学一年生の風見』にたいそうな昔などあるはずもないのだが。

 なんにせよ、風見のせいでごっこ遊びが中断などということになれば、みーちゃんはさらに怒ってしまうだろう。それは怖い。


「よし、続きからやるか!」


 膝を叩いて立ち上がると、何ともない風見の様子に安心したのか、あっくんが笑顔になる。みーちゃんも腰に当てていた手を、右手だけ胸の高さに当てて指を弾いた。

 パチンと乾いた音が鳴って、みーちゃんは笑う。


「そーこなくっちゃ!」


 みーちゃんとあっくんは走り出した。きっとこの場所で怪我をしてしまった風見に配慮して、場所を変えようというのだろう。この辺りについては彼らの方が詳しいから、開けた場所まで連れて行ってくれるのだと思う。

 ありがたいと思い、風見もついていこうと走り出そうとした。

 その背に、声がかかった。



「――逃げた先には、後悔が待ってるよ」



 声を無視して、風見は走った。

 続いてくるかもしれない声が聞こえないように、両耳を塞いだ。



※※※



 ――それが間違っているとしても。


 ――それが後悔に繋がるのだとしても。



※※※



 その場所は、サッカーグラウンドだった。サッカーゴールもしっかりあって、グラウンドには雑草が少なくなっている。

 それでも田舎の、こんな場所にあるために手入れはされていないのだろう。ゴールはかなり錆びていたし、ネットには穴が空いていた。

 だけどグラウンドの状態は関係なかった。

 風見たちがやるのはヒーローごっこだ。べつにグラウンドでなければならないわけではないし、ゴールが役に立つ場面などせいぜいヒロインが閉じ込められる檻の代わりくらいだ。

 ごっこ遊びはヒーローの登場シーンから始まる。風見は近くの木の枝から飛び降り、音を立てて着地すると、前々から考えてあった決め台詞を叫ぶ。


「太陽の光を、届けにきたぜ!」


「なにそれ、へんなのー」


 ゴールの中に囚われているヒロインみーちゃんはクスクスと笑っているが、風見は無視。きっとあの女にはこの素晴らしいセンスがわからないのだ。

 そして向かい合うあっくんは、恥じらいながら名乗った。


「ぼ、ボクの名前はダークメロディ……」


「ふ、悪の大魔王ダークメロディめ! 姫を返せー!」


 風見は木の枝から飛び降りる際に折って持ってきていた木の枝を振りかざし、一直線に駆け出した。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「とりゃー!」


 木の枝を振り回す風見に、丸腰のあっくんは勝ち目などあるはずもない。ヒーローにあるまじき弱者を徹底的に叩き潰すための追いかけっこが始まった。

 あっくんは普段から走り回っていたからか普通の小学生よりも体力があるようで、しばらくグラウンドをぐるぐると駆け回っていた。しかし風見も負けじと肩で息をしながら追いかける。

 いつしか木の枝も捨てて、ただの鬼ごっこになった二人の追いかけっこはあっくんが再び山の方へ逃げたことにより進展する。


「ち、ちょっとぉー! 二人とも、ヒーローごっこはぁー!?」


 はるか後方でみーちゃんの怒鳴り声が聞こえるが、追いかけっこに必死の二人は気にしなかった。

 ぐんぐんと山の中を上へと進む中で前方のあっくんが獣道に入った。知らない道なため少しだけ不安だったが、負けず嫌いの風見は覚悟を決めて再び山を登りだした。

 あっくんの背を追うが、舗装されていた道とは異なり木が乱立している。あっくんは意識してか木に隠れるように走るため、かなり走ったところで見失ってしまった。


(ど、どこに……?)


 あっくんを見失ってしまうのはまずい。帰れなくなってしまう。どうしようと頭を回すが、上に行く以外に思いつかなかった。

 疲れも限界まできていたために歩いて登る。かすかに地面に残るあっくんの足跡を追った。

 しばらくすると、前方に知らない女の人が立っていた。風見はその人を見上げて、立ち止まった。



「――ハルト」



 知らない女の人は、風見の名を呼ぶ。


「――もう、やめて?」


 意味がわからない。

 なにをやめろというのか。

 追いかけっこのことなら、やめられない。あっくんを見つけなきゃ、帰れない。

 風見は気にせず山を登り、女の人の横を通り越した。


「――ウチのことは、気にしなくていいから」


 通り越す直前に聞いたその言葉が、通り越した後になって頭の中に響く。二歩ほど歩いて、風見の足が止まった。

 振り返って、大声で叫ぶ。



「気にしないなんて、できるわけないだろっ!!」



 再び追いかけっこは始まる。

 風見とあっくんの。

 いや、それは本当は。

 高坂と風見のものなのかもしれないと、薄々感じながら。



※※※



 ――大切な人を離さないためには、そうするしかなかったのだ。



※※※



 しばらく登ると、開けた場所に出た。

 一面に草花がある。どうやらこの先は崖になっているらしい。風見の位置からでもかすかに下の方の田畑が見えた。

 視線の先には、寝そべるあっくんの姿が見える。疲れているらしく、まだ荒い呼吸をしていた。

 風見も肩で息をしながら、ゆっくりと近づいていき、隣に腰掛けた。


「体力あるね、あっくん」


「キミがしつこいのが悪いんだよ……」


 あっくんは呆れるように言うと、笑った。つられて風見も笑う。ふと、以前あっくんやみーちゃんが風見を連れてこようとした場所のことを思い出した。

 この景色を見て、思う。

 彼らは、ここに連れてこようとしていたのではないだろうかと。

 風が爽やかに吹く。風見やあっくんの前髪を揺らした。晴れ渡った空は夏らしい日差しが差し込んでいる。見上げると思ったより眩しくて手をかざした。

 セミは今日もいつも通り鳴いていて、やかましいとさえ思う。けれどそれが夏なのだと思うと、まぁいいかと思えた。

 夏の匂いがする。

 涙が出るほどに綺麗な、夏の景色。

 十年後には壊れてしまう夏の景色。

 十年後はこの夏の匂いを嗅ぐことはできなくなってしまうのだろう。だったらいっそのこと、ここにこのままずっと寝そべっていたかった。

 あっくんがいる。みーちゃんがいる。変な女の人もいるけれど、不思議と不快ではない。

 延々と夏が続く。夏の風が吹く。

 時は流れるのを忘れる。

 夏は終わるのを忘れる。

 この世界は始まってすらおらず、終わりは訪れない。

 当たり前の風景が、当たり前のようにただただ続いていく。


 それでいい、それでいたい。


 それを感じていたい。ずっとそうしていたい。


 そんな風に。


 誰かと笑える場所が続くなら。



「そういえば、あっくん……」


 何気ない質問だった。

 会話を繋ぐためだったのか、適当に話題を変えようとしたのかはわからないけれど、何気なくそれを訊いた。


「あっくんのフルネームってさ、なんなの?」


 あっくんは大きな瞳をさらに大きくして、上半身だけ起こした。しばらく驚いたような表情で風見のことを見ていたが、やがて答えた。


「ボクの名前?」


「うん、なんて名前なの?」


 聞かなければよかったと思う。

 そうしたら、多分この世界を続けていられた。永遠の夏という牢獄に、逃げ込んでいられた。



「ボクは、山城天音。女の子みたいな名前でしょ?」



「――――」



 あっくんは照れくさそうな笑みを浮かべていたが、風見はそれを見ても何も言えなかった。

 瞬間、忘れていた記憶を思い出した。断片的なものだったけれど、十年前のことを思い出した。

 山城天音が自己紹介の時に過去を振り返っていた。彼の言葉が気にかかっていた。その理由が、わかった。

 風見と山城は遠い昔、同じ空の下を駆け回っていたのだ。


「――そ、か」


 復讐に溺れた風見を見て、山城が悲しそうな顔をしていた理由がわかった。

 両親が離婚した後こちらに越してきたという山城が、風見と同じ高校を選んだ理由がわかった。


「そう、だったんだな……」


 結局、逃げ場なんてなかったのだ。

 辛い現実から逃げても、高坂の前から逃げても、この世界すら逃げ場ではなかった。

 遠い思い出の彼方にさえ、風見の逃げ場はなかった。

 身体は、高校生の体格に戻っていた。しかしあっくんは――山城はそのことに驚きもせず、笑っていた。

 山城は、立ち上がった。


「ハルくん。ボク、みーちゃんの様子見てくるね」


 そう言って、風見に背を向けた。その背に、風見は声を投げかける。


「俺は……」


 山城は足を止めた。

 ゆっくりと振り返るその表情は、何もかもを知っているようだった。


「今度、ちゃんと謝るから……だから……」


 その先の言葉が浮かばなくて、視線が下を向いた。そんな風見の様子を見て、山城は一言だけ告げる。


「ハルくん、頑張ってね」


 何をだ、と思ったけど、同時に気づく。何を、ではなく、何もかもを、なのだ。

 山城は風見がこれから越えなければならない全ての壁に対して、「頑張れ」と言ったのだ。

 山城はもうどこかへ行ってしまっていた。風見は、一人きりになった。

 もう、この世界にはいられない。

 風見は、戦わなければならない。

 そのためには、まず。





 高坂流花を、失わなければならない。





 雑音が聞こえた。最近になって聞こえるようになった雑音だ。

 前はそれが鬱陶しかった。

 絶対的な力を手に入れ、それを咎めてきたときには怒鳴りつけた。

 でも今はそれが心地良い。

 流れていく夏風のようで。

 照らしている陽光のようで。

 夏の匂いのようで。

 夏の思い出のようで。

 それでいて、愛情に似た心地良さを持っていた。


「ハルト」


 風見を呼ぶ声が聞こえる。

 一度だけ深呼吸をした。それで、覚悟は決まった。あるいはその覚悟は覚悟ではなく、やけのようなものだったのかもしれない。

 それでも現に今、高坂と向き合うことができた。

 ずっと逃げてきて。

 ずっと耳を塞いできて。

 それでも、ずっと待っていた言葉。

 高坂と、話すことができる。


「……流花」


 風見は一度だけ瞳を閉じて、そして開く。夏の景色は彼方へと消え去っていて、代わりに元の中学時代の教室が広がっていた。

 目の前には高坂がいて、一直線に風見のことを見ていた。

 風見はそんな彼女に、一言。



「話を、しよう」



 ゆっくりと、告げた。

ここからが第三章で最も書きたかった場所になります。これをやるための第一、二章だったとも言えます。


さらりと流された風見と山城の過去についてはまた後ほど……。


ここからは気合いを入れて書くため、いつもよりも文量も多くなるかと思われます。時間もかかってしまうかもしれません。

あるいは短く短時間で最高のものにまとめられるかもしれませんが、それはそれで。


これは作者からのお願いになります。

ここまで読んで下さった読者のみなさん、ぜひここからはどうか三章の終わりまでついてきてください。

期待に応えられるような文章を目指して頑張りますので、お願いします。

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