79 裁き
投稿遅れて申し訳ないです。
篠崎響也はその日、東京を訪れた祖母を案内していた。もう八十に近い老人が一人で東京を歩きまわれるとは思えず、付き添うことにしたのだ。
七月二十五日の日差しは祖母には堪えるだろうだろうと、わざわざ日傘まで準備して。
「おーっそかったなァ、ババア」
「汚い言葉はやめなさいって、おばあちゃん言わなかったっけ?」
間延びした優しい声で、祖母は篠崎を叱る。それは、それまであった当たり前のやり取りで、これからも続いていくと思っていたいつも通りの会話だった。
――それが、起こるまでは。
「おい、ババア……! 大丈夫か!?」
本当に突然だった。
祖母が、隣で胸を押さえて悶え始めたのだ。肩を抱きながら、周りを見回す。救急車を呼ぶように叫ぼうとしたが、周りの老人には大体同じ症状が見られた。そのせいで周りはパニックに陥っていた。
目測だが六十をオーバーしていると思われる老人はみな、胸を押さえて悶えている。そこが路上であることも忘れているように。
すぐ横で老人が運転する車が暴走し、店に突っ込む。店は半壊したが、そんなところを見ている暇はない。
この様子だと救急車も期待できないだろうから、自分が祖母を運ぶしかないのだ。
「ババア、掴まってろよ……!」
悶える祖母を背負って、篠崎は人波をかき分け病院を探した。他人のことを考えている余裕は、なかった。
やっとのことで病院を見つけたが、同じような症状の老人が殺到しているということで、門前払いに近い扱いを受けた。苛立って待合室の長椅子を蹴っ飛ばして出てきた手前、再び同じ病院に頼み込む気にはなれない。
「キョーちゃん、謝んなさい……。お医者さんの人たちも大変なのにあんな……」
「っせー、ちょっと黙ってろ!」
スマートフォンを弄り、近辺の病院に電話をかける。だが繋がらない。もしかしたらこれが日本全国、世界全体で起こっているからかもしれない。
「それじゃ困るんだよ!」
電話を諦めた篠崎はマップを開き、病院の場所をチェックしていく。
(なんでババアが東京に出てきたときに限ってこんな……!?)
舌打ちするが、状況は何も変わらない。そんな時、後ろの方――建物がある方から、悲鳴が上がった。そこかしこで悲鳴が上がってはいたが、その悲鳴は一段と大きかった。
「――んだ?」
悲鳴は病院の入り口のあたりで上がったようだった。野次馬のように人だかりができている。人と人の間を覗くと、そこには老人が倒れていた。
老人は死んでいるように見えた。祖母にも見られるこの症状は死んでしまうタイプのものなのかと思って鳥肌が立ったと同時、それは起こった。
老人が、死んだと思われた老人が、起き上がったのだ。
そして、老人は野次馬の一人に襲いかかった。襲われた男は野太い悲鳴を上げたが、老人の予想以上の力の強さになす術もなく噛みつかれた。
男はしばらく声を荒げて悶えていたが、ある瞬間を境に項垂れると、死んだように身体中の力を抜いた。だらんと下がった両の腕を見て、誰もが声を出すのを拒んだ。
目の前で何が起こっているのか。
自分は何に巻き込まれたのか。
それを今一度、理解するために。
「――あ、はァ?」
そして、噛みつかれた男の全身に力が入るのを見た。再び立ち上がるのを見た。目の焦点はあっておらず、口からは涎が垂れている。男は荒い呼吸を繰り返しながら、野次馬を一人ずつ見ていった。まるで、獲物を定めているように。
野次馬や篠崎はそれを見て直感した。これは、とにかく危険な状況であると。
次の瞬間、襲いかかる男や老人から逃げる野次馬たちが、篠崎の目の前を走り去っていった。
「なんだよ、これ……」
隣には、苦しそうに表情を歪める祖母。彼女も、ああなってしまうのだろうか。
「なんだよ、これェ……!?」
周囲には、同じように狂った老人たちが老いているとは思えぬ身体能力で襲いかかっている。
病院の外を走る車は暴走し、逃げ惑う人間を轢き殺して建物に突っ込む。どかんと派手な音が響いて、ここが現実から遠ざかっていくのを感じた。
自分は、どこか遠い別の場所へと来てしまったのではないだろうかと考える。
「――あ?」
そこで横を見ると、こちらに歩いてくる老人が見えた。先ほど野次馬に襲いかかった老人と同じだ。野次馬に逃げられてしまい、戻ってきたのだろう。
老人はゾンビのように、噛んだ人間をあの状態にする力を持つ。
――ゾンビ。
「そうか、テメーらは……ゾンビか」
篠崎は立ち上がった。
何かができると踏んだわけではない。
力があるのだと思ったわけではない。
ただ苛立ちを、衝動を、何かにぶつけたかっただけだ。
「死ねよ、ザコ共が」
篠崎はゾンビを睨みつけると、祖母のために持参した日傘を手に持って、一気に駆け出した。
そうして、篠崎にとってのゾンビ騒動は幕を開けたのだ。
※※※
今日も、その夢を見て目を覚ます。
七月二十五日以降、毎日この夢を見てきた。全てが始まった日。この日から、全ては狂ったのだ。
そして祖母は、昨日息を引き取った。
死因は未だわからないが、穏やかに逝った。それだけは、本当にそれだけは、良かったと思う。
苦しませずに、最期まで守れた。
「……だと、しても」
だとしても、許せないことがあった。
篠崎は祖母を連れてゾンビから逃げ回っている間に、都心部に『壁』を作る計画があることを知った。当時江戸川区付近にいた篠崎は、真っ先にそこを目指し、祖母を守ってもらおうとした。
だが、『壁』側は祖母を匿うことを拒んだ。
理由は不明だが、とにかく祖母を『壁』の中で匿うことはできないと言われた。
今、もしも祖母が『壁』にいたら、きっと死ぬことはなかっただろう。しっかりと原因を解明して、治療できただろう。
だがそうはならなかった。
それだけは許せない。それだけが許せない。
だからこれは、篠崎の復讐だった。
そういう意味で、篠崎と風見晴人という少年とは、似ていた。
顔を洗おうとトイレに向かうと、すでに御影が起床していた。御影は待合室の長椅子に座ってお茶を飲んでいた。
目が合うと、「おはようございます」などと挨拶してくる。緊張感がないというか、おかしなやつだ、と思った。
篠崎は、御影を攫ってきた立場であるというのに。
顔を洗うと、トイレから出たところで御影に声をかけられた。
「あの……」
「あ?」
寝起きで頭が回っていなかったからか、思ったよりも低い声が出てしまい、驚かせていないかと焦る。幸いにも御影は気にしていないようだった。少し萎縮したようにも見えるが。
「やっぱり、もう一度『壁』を責めるんですか……?」
御影はうつむきがちに訊く。
できるならば、やめてほしいのだろう。篠崎にもその気持ちは理解できる。
が、理解できるのとその通りにしてやるのとは話が別だった。
「悪ィーな、こいつは……ぜってーやらなきゃならねェんだ」
踵を返すと、御影に背を向けて歩き出した。追ってくる気配はなかった。御影も説得する気はなかったのだろう。
揺らがない。
篠崎の決意は、固い。
どこかの少年は、他人から言葉をかけられるたびに二転三転していたが、篠崎は違う。誰の言葉を受けても、曲げない。
誓ったのだ。
祖母を助けられないと知ったあの日。
祖母が長くないとわかったあの日。
東京は、『壁』は、祖母を見殺しにした全ての人間は。
篠崎の手で、裁くのだと。
「今度こそ、終わらせてやる」
先の進撃で、『壁』の脆さはわかった。
あとは、実行するだけだ。
改めまして、投稿遅くなって申し訳ありません。
最近リアルの方が忙しくなってきまして、投稿ペースが元どおりになるかは現状不透明です。
それから、なぜだかモチベーションも上がりません。お気づきの方もいるかもしれませんが、この話は本来もう少し後にじっくりと五話ほどでやる予定でした。
しかしモチベーションの問題で筆が進まず、構成を急遽変更した次第です。
こればっかりは私の問題です。本当にすいません。
第三章の中での一つの目標だった、『御影奈央が攫われるシーン』を書いて、ひと段落ついた気になってしまっているのかもしれません。
第三章はこの作品の一つの節目になります。なので、必ず書き切ります。
もしもまだ「読んでやるよ」という方がございましたら、もうしばらく辛抱ください。




