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終業式の日に世界が終了したんだが  作者: 青海 原
第三章『東京防衛戦』
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74 御影の言葉

 「もうやめろ」と御影は言った。

 何を、などと野暮なことは聞かない。だが、それでも聞かせてほしいことがあった。

 ――なぜ。

 疑問の答えは、後に続く言葉の中にあった。掴まれていたはずの腕は、すでに放されていた。


「風見先輩、もうやめて下さい……。私は、今の風見先輩を見ていたくありません……っ」


 今の風見を見ていたくない。だから彼女は「やめろ」と言ったのだ。これが「なぜ」という疑問の答えだ。

 では今の風見とは。

 復讐に駆られている風見のことだろう。これぐらいは、さすがにわかる。復讐を目的にしていることを知られたら、御影が良い顔をしないであろうこともわかっていた。

 だがそれでも風見は動かなければならなかったし、今も動かなければならない。

 目の前の金髪を、ここで見逃すことなどできるわけがなかった。


「御影さん、君だってこいつに狙われてただろ? こいつがどれだけ危険で、クソ野郎なのかだってわかってるだろ? こいつは、ダメなんだよ。言葉でどうにかなるような相手じゃないんだ」


「……わかってます。その人はたくさんの人を傷つけて、命を奪って、ここにきた。そして、私に『お前を貰う』と言った。これがどういうことなのかくらいは、わかっているつもりです」


「だったら……っ!」


 だったら。

 それがわかっているのなら。

 今の風見の気持ちだってわかるだろう。篠崎の手が御影にまで及んでほしくないと願っていることもわかるだろう。

 それならば、なぜそう言う。

 確かに御影は今までも、自分の命を顧みないところがあった。でも今は自分の命を最優先に考えるべきだ。

 御影が自分の命を顧みないのは、自分の命を捨てることで誰かを助けられると確信を持っているからだ。だが、今御影が篠崎の手に渡ったところで誰が助かる。

 確かに、御影以外の医療部隊が助かるかもしれない。でも、それはその時だけだ。篠崎は、プライドの高い性格からしてここで一旦退いたとしてもまた攻めに来る。

 となれば、『壁』の戦力がごっそりと削れた今、体勢を立て直してまた攻めこめば今度こそ篠崎は『壁』を落とすことができてしまう。そうなってしまえば御影の犠牲はただの犬死にだ。

 御影の死は、全くの無駄になる。

 そんなことはさせられない。

 だが御影は風見をしっかりと見据えて、少しだけ声を大きくした。


「確かに、風見先輩の言うとおり、あの人がいない方がみんなのためになるのかもしれません。けれど、それは……他でもない、貴方のためにはならない……っ!」


 ――俺の、ため?


「な、にを……言ってんだ……?」


 その時、風見は本当に御影の言葉の意味がわからなかった。

 風見のためにならない。それはどういうことだろう。別に風見は今ここで確実に死ぬわけではない。篠崎と相打ちするわけでもない。

 だから何が自分のためにならないのか、冗談抜きにわからなかった。

 答えは彼女の口から告げられた。


「……ここで堕ちてしまえば、これから先、貴方はずっと堕ち続けます」


「…………」


 そんなわけあるか、とは言わなかった。風見は実際、ここまで堕ちた。それだけでも、これから先堕ちていくであろうことを断言する理由になる。

 だとしても、まだ彼女が命を捨てる理由がわからない。


「御影さん、君が今ここであいつに連れ去られることで……一体誰のためになるんだ?」


「……それは」


「誰のためにもならないだろ? だったら、やることは一つじゃないか」


 篠崎を殺す。それが最優先事項だ。

 そう言おうとして。


「……風見先輩は、言いましたよね」


「…………」


「風見先輩は、笹野先生に対して……言いましたよね……?」


 そこまでで風見は、その先に彼女が言うであろうことが想像できた。

 御影は、泣き笑いの顔でそれを告げる。


「……人殺しはだめだって、言いましたよね?」


 言った。

 確かに、言った。

 風見晴人は確かに、笹野に対してそれを言った。


「私、かっこいいなぁって……思ったんです。ああいうことを言える人になれたらなぁって、思ったんです」


「…………」


「あの時の、風見先輩は……私にとって、ヒーロー……でしたから」


「…………」


 やめてくれと風見は思った。

 願ったと言ってもいい。御影にだけは言われたくなかった。責められたくなかった。

 矢野にも山城にも高月にもあの目を向けられて、御影にまでその目をされたら、もう風見は。風見晴人の心は――。



「風見先輩は……あの時の風見先輩は、どこに行ってしまったんですかぁっ!!」



 初めて、彼女が本気で怒鳴るのを聞いた。

 こんな風に怒るのかと思った。自分が怒られていることから逃避したくて、必死に心を落ち着けようと別のことを考えようとしていた。

 だけど、できなかった。

 御影奈央にまで突き放されてしまっては、もう風見晴人はどうしようもない。

 風見の欠落した心の隙間を埋めてくれる人は、御影以外にいないのだから。風見は彼女に縋る他ないのだから。


「流花が……」


 我ながら本当に最低だと思う。

 彼女の優しい一面を利用しようとしているのだから。



「流花が! 死んだんだぞッ!!」



 こうなってしまえば、もう御影の同情を誘うしかない。そうでもしないと、彼女は今の風見晴人を見てはくれない。

 彼女にまで見放されてしまったら、風見晴人は誰に縋れば良いのだ。

 心はもうボロボロなのだ。

 高坂流花が死んでしまった時からずっと、ずっと、ボロボロだったのだ。

 疲弊して、擦り切れて、朽ち果ててしまったのだ。

 女々しいことはわかっている。情けないことだって、無様なことだって、理解している。

 だが彼女がヒーローだと言った男は、所詮こんな男なのだ。口だけは達者で、言ったこととやったことの矛盾は数知れず、そのくせ半端に力を持っているから傲慢にも他者を貶める。周りの人をたくさん傷つけて、それで救った気になっているどうしようもない男なのだ。

 誰かにそばで手を握ってもらわなければ満足に歩くこともできない、その程度の小さな男なのだ。


「人殺しはダメ? ああ、言ったさ! 確かにそう言った! あの時は何も失ったことがなかったからなぁ、何でも言えたさ!」


 止まれなかった。

 風見の感情の全てぶちまけてしまうまで、止まれなかった。

 元々抑え込んできたものだ。一度解かれてしまえばそれが止まることはない。

 きっとこうして弱いところを晒せば、彼女は風見の手を握ってくれる。彼女はそうせざるを得ない。

 御影は優しい。だから惚れた。

 もはや風見に振り向いてくれなくてもいい。でもせめて、せめて見えるところにいてほしい。手の届くところにいてほしい。

 風見晴人は弱いから。

 誰かの手を借りなければすぐに転んでしまうくらいに弱いから。


「いいか、御影さん! 俺がああやって偉そうなことを言えたのは、俺が何も失ったことがなかったからだ! 何も失ったことがないから、何だって言えた!」


 きっと御影も、高月と同じように風見に幻滅しただろう。金輪際、彼女が風見に振り向くことはない。

 だが彼女は高月とは違う。

 幻滅していたとしても、御影は目の前に助けを求める人間がいたら手を差し伸べる人間だ。今はその優しさに縋るしかない。それしか、その道しか、風見には残されていない。


「母親がゾンビになっちまったせいで狂った高月をぶん殴ることができた! 力を得たことで復讐を始めた山城や笹野を責めることができた! けど、それは全部、何も失ったことがないから言えたことなんだよ!!」


 御影は胸に手を当てて静かに聞いた。

 篠崎もなぜか黙って風見の話を聞いていた。

 秋瀬は光のない目をこちらに向けていた。医療部隊の面々は小さな声で口々に何かを話し合いながらも、状況を見守っていた。


「失う辛さを、失う重さを知った今……俺は、もう同じことは言えねえよ。だってこんなにも! 心が痛いんだ!」


 胸を鷲掴みにして、声を張り上げる。


「しょうがないだろ!? こんな痛みを感じて、他にどうしろって言うんだ!? この怒りを、この感情を、どこにぶつければいいって言うんだ!?」


 唾を飛ばし、声を震わせ、涙ながらに同情を誘う。我ながらくだらない。最悪で最低だ。自分がここまで下劣な人間だったとは、さすがに知らなかった。

 御影は目を合わせてくれなくて、垂れた前髪が表情を隠していたためにどう思って聞いているのかわからない。わからないけれど、ここまで本音を話せばきっと理解してくれる。助けを欲していることは伝わる。


「俺は、――ヒーローなんかじゃない」


 言ってしまった。

 きっと御影が一番聞きたくない言葉であろうことを知っていながら、言ってしまった。

 今さっき自分のことをヒーローだと言ってくれた少女に対して、ヒーローではないのだと告白してしまった。


「そんな強いやつじゃないんだ。弱くて、馬鹿で、すぐ転ぶ……普通の人間なんだよ……ッ!!」


 傷ついたかもしれない。

 幻滅させてしまったから、傷ついたかもしれない。むしろそんなことを考えることすらおこがましい気がする。

 でも、いいだろう?

 風見だって傷ついていたのだ。仕方がないだろう?


「なあ、御影さん……目を、瞑っててくれ。今だけは、見なかったことにしててくれよ……。頼むから、今だけは目を逸らしていてくれ……」


 篠崎を殺すことを許してほしい。

 黙認して、そばで手を握っていてほしい。

 もうこれ以上堕ちないと約束するから、今だけは許してほしい。この抑えきれぬ痛みをぶつけることを、許してほしい。

 御影は話し終えてからしばらく無言だった。それはそうだろう。目の前でそれまでヒーローだと思っていた人間が、みっともない姿を晒したのだ。感情の整理がつかないのだ。

 風見は御影の言葉を待った。

 許しの言葉を待った。

 しかし。


「風見先輩」


 待っていた言葉は、聞けなかった。



「それは、できません」



 顔を上げた御影の瞳には大粒の涙が浮かんでいたが、同時に揺るぎない決意が見て取れた。彼女は絶対にこの考えを変えない。

 では、この怒りをどうしろと。

 どこにぶつければいいと言うのか。


「なんでだよぉッ!!」


 風見は御影の肩を掴んで強く揺すった。力を込めたせいか、御影の顔が歪む。風見の望んだ救いがもたらされなかった。そのことだけで感情が爆発するには十分だったのだ。


「俺は、お前を助けてやるって言ってんだぞ!!」


 そんなつもりは毛頭ないというのに、よく言えたものだ。しかも上から目線で、誰も頼んでいないというのに、よくもまあ偉そうに。

 これが御影がヒーローだと思っていた男だ。笑わせてくれる。これではヒーローなどではなく、ピエロだ。


「お前にみんなが守れるか!? できないんだよお前には!! 何の力もないんだからなあ!!」


 挙句、自分の思い通りにならないからと他者を貶める。ああ、なんという無様さだろうか。これでは笑えもしない。ピエロですらない。


「言ってみろよ! お前に、何ができる!?」


 風見晴人は笑っていた。

 取り返しのつかないことをしてしまったがために、笑うしかなかった。

 いつしか揺するのをやめて、答えを待った。

 呼吸は荒く、もはや苛立ちを吐き出す以外のことを考えてはいない。そのためには他者すら貶し、嘲笑しようとする。

 御影は唇を震わせるだけで何も言わない。やはりそうだ。図星を突かれて黙り込んでいるのだ。

 結局、偉そうなことを言える立場でないのは御影も同じではないか。

 むしろ、御影には他者を助けるだけの力もない分、風見なんかよりもそんな資格はないはずだ。それなのによくもまあ偉そうなことを言ってくれたものだ。

 さあ、言ってみろと風見は笑う。

 自分には何もできませんと告白しろ。そして認めるのだ。風見が篠崎を殺すことは正しいのだと。

 御影は顔を上げた。

 泣き笑いだった。


「私は……」


 さあ、言え。

 篠崎を殺してくださいと。自分の命を守ってくださいと。











「私は、風見先輩を助けることができます」











 御影は肩を掴んでいた風見の手を優しく放して、そう言った。


「この場において、ですけどね……」


 儚く笑いながら、そう付け加えて。

 だがそれは風見の予想していたどの言葉とも違う。だから風見は困惑していた。

 ――助ける? 御影さんが? 俺を?

 どうやって助けると言うのか。何の力もないただの人間が、一人で篠崎という巨悪にどう立ち向えると言うのか。

 御影は風見の制止を無視して篠崎の方へ歩いていく。無茶だ。やめろ。それをしたら、君は死んでしまう。

 御影は篠崎に頼んだ。


「私はあなたに大人しくついて行きます。だから、風見先輩を見逃してください」


 篠崎は御影の顔を見て、それから風見の顔を見た。腕を組んで数秒考えた後、ニヤリと笑いながら言った。


「いーぜェ、その勇気を買ってやる。そっちの方が、面白そーだしな」


 嘘だろう。

 そんなの、ないだろう。

 風見は何も言えず座り込んだ。だらんと両手は下がり、光を失った目は虚空を見つめる。

 御影はそんな風見に、悲しそうに笑いながら言った。


「風見先輩、馬鹿みたいなお願いですけど、聞いてください」


「…………」


「いつか、その目に光が戻ったら……私のことを、助けに来てくださいね」


「……来ないよ。そんな時は、永遠に」


 言葉は自然と口から出た。ボソボソと、独り言のような返事だったが。

 御影にすら高月たちと同じ目をされた今、風見は心の拠り所を完全に失った。たった一人で、どう立ち直れと言うのか。誰に言葉をかけられても、道を変えられなかったというのに。

 だが御影はそんな風見を信じているかのようにクスッと笑った。笑って、瞳の涙を人差し指で払いながら明確に告げる。











「さよなら、風見先輩」











 言って、御影は篠崎に連れられてどこかへ去っていった。風見はいよいよ本当に取り返しがつかなくなってしまったことに気づいて、両手で顔を覆った。

 腰を曲げて、地に頭を擦り付けて、どうしようもない現実を嘆いた。

 高坂流花に続いて、御影奈央まで失ってしまった。

 大切な人を失って、もう二度とそれを味あわないために復讐を決意したというのに、また同じところにたどり着いてしまった。

 多くの人々がかけた言葉を無視してきて、反発してきてまでこの道を選んだというのに、それでも結果は変わらなかった。

 もう、たくさんだ。

 もう失うのは、たくさんだ。

 どこか遠いところに行きたい。こんな痛みを感じることのない、穏やかな場所に行きたい。

 そこで穏やか毎日を送りたい。

 神よ。これ以上この世界で苦しめというのなら、どうか――。


「――俺を、消してくれ」


 顔を上げるとまたその世界にいた。

 驚きはなかった。遠い世界を望んだのだ。ここに来てもおかしくはない。


「それが、ハルくんの望み?」


 目の前で童女が微笑みながらしゃがんでいる。しゃがんでいるのは風見に目線を合わせるためだろう。


「……ああ」


 風見晴人は超常の存在に対して、ささやかな願いを告げた。



「もう、こんな世界に……いたくない」



 涙が流れ落ちた。

 真っ黒な地面を濡らした。それは染み込みはせず、小さな水溜りのようにそこにあった。

 童女は風見の願いを聞いて、手を伸ばす。その手は、風見の頭を撫でた。


「ハルくんは頑張ったよ。いいんだよ、それで」


「……うっ、く……あ……」


「ずっと一緒にいよ?」


 しゃくり上げて、右手で涙を拭った。

 童女はなおも風見を撫でてくれた。


「ここなら、他に誰もいないから。誰も失うことはないから。私がそばにいるから」


 童女はやがて撫でるのをやめて、風見の頭を抱いた。小さな胸に抱かれて、しかしその暖かさすら今は嬉しかった。


「だから」


 童女は、本当に嬉しそうに笑った。





「ずっと、一緒にいよ?」





 風見は最後に少しだけ躊躇って。

 一度だけ、頷いた。

どうも、作者の青海原です。

いつもはこのくらいの話数で章が終わっていますが、三章はもう少し続きます。なにせ主人公がメインヒロインの言葉を聞いてもこれですからね。


読書欲の湧かない展開が長く続いてしまっていてすみません。読者様の中には、風見晴人早く立ち直れや死ねゴミと画面を叩き割りそうになる方もいるかと思います。すみません。


一応次話で三章は折り返し……とまではいかないかと思いますが、区切りがいいので、次話の投稿と同時に番外編を挟みます。

胸がモヤモヤする展開の口直しにどうぞ。


それでは、ここから風見晴人は立ち直ることができるのか。御影奈央は助かるのか。お楽しみに!

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