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終業式の日に世界が終了したんだが  作者: 青海 原
第四章『壁内紛争』
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113 帰る場所

 この数日間、高月は落ち着かなかった。

 先日の任務で『ミカゲ』から得た情報。壁を統治する少年の目的は御影奈央を殺すこと、ひいてはこの世界を滅ぼすこと。

 あまりにも突拍子がなく、あまりにも理解不能で、幼稚だ。だけど高月は、その限りなくありえない可能性を否定できなかった。

 壁、そして新政府という機関への不信感は募るばかりだ。そして信用できないということは、壁のために戦うことができなくなるということでもある。

 高月は壁という組織に籍を置く言わば兵士だ。その状況下で自らの組織が信用できないなどあってはならない。

 だからこそ情報が必要だった。

 正しい情報。壁を信用するための情報。

 この数日間さりげない聞き込みや資料室の閲覧などを重ねた。結果は散々ではあったが、ひとつだけ気になることがあった。

 それは。


「――ジェットの、安否」


 ジェットとはかつて学校を離れるまでの間高月たちと共に戦ってくれたゾンビ猫だ。主人である御影奈央を絶対にしており、現在は彼女の身の安全のために大人しく壁へと幽閉されているはずだった。

 壁に捕まったゾンビはその危険度に応じて収容される場所が変わる。

 例えば屍の牙に所属していた竹山浩二という男は、暴れる危険性が少ないことから通常階層での活動も許可されていた。

 行動範囲にはそれなりの制限があるだろうが、不審な行動があれば即時首のチョーカーが作動し首が飛ぶという防衛装置からも、それなりに自由が保障されていた。

 では、ジェットはどうか。

 ジェットは猫であり、言葉こそ通じるとはいえ人間ではない。そういった理由から、おそらく現在は地下施設に幽閉されているという情報を高月は掴んだ。

 地下施設第三階層。通称『棺桶』。

 壁に対して反抗的なゾンビが収容される場所らしかった。

 そこで何が行われているのか。ジェットは本当に無事でいるのか。らしい、ばかりで正しい情報が得られない今、それを確かめる必要があった。


「ねー、なんかカイト最近イライラしてない?☆」


 自室で考え事をしていると、同居人である波風摩耶がそんなことを言ってきた。


「そんなことないさ、考え事をしているだけだよ」


「はーい、嘘。この前の任務で何があったのかを教えてくーださい☆」


 波風は元々屍の牙に所属していたゾンビで、個人的な情報収集のために高月が匿っていた少女だ。現在はもう彼女に利用価値などなかったが、数日を一緒に過ごすうちに情が芽生えてしまっていた。


「教えなくても、君は能力を使えばわかるじゃないか」


 波風の能力は『理解者』。人の心の内側に侵入する能力だ。それを使えば高月の考え事も、苛立ちの意味もわかるはずだった。

 しかし彼女は。


「だって嫌でしょ、そーいうの☆」


 彼女のそういう一面が、憎めないのだった。

 風見晴人からは彼女が高坂流花を死に至らしめた原因だと聞いている。実際に彼が波風に対して復讐する場面も目撃した。

 だが素の彼女はあまりにも普通の人間で、自分の手にした大きすぎる力に驕っていただけにしか思えなかった。

 無論、友人を殺したことは許せない。けれど高月には、風見ほどの憎しみを抱けなかった。


「……はぁ」


 高月は頭を掻く。波風は高月の苛立ちを見抜いていた。それは図星だ。高月はあの、神が崩壊した跡地の調査任務後からずっとイライラしていた。


「カエルのゾンビと戦ったって話は、しただろう?」


「あー、キモかったんだっけ☆」


「まぁ、そうなんだけど」


 任務中に出会った蛙のゾンビ。まるで人間のようなすらりとした体躯で、レインコートを羽織っていた。

 そしてそのゾンビも特殊な能力を持っており、その能力によって見せられた幻覚が高月を苛立たせるのだった。


「カエルは、その人が最も恐怖する存在に擬態する能力を持っていた」


 故に、暴かれたと言っていい。

 蛙のゾンビの力で高月は、己が何に最も恐怖するのかを再確認させられたのだ。


「カエルはその能力で父さんに――高月雄一に擬態した」


「それって……」


「うん。僕が心の奥底で最も恐怖する存在は、父さんだ」


 横暴だった父。お金は稼いでいたが、それに比例するように乱暴な性格をしていた。

 どうしてあんな男に心優しい母は嫁いだのか。どうしてあんな男が人間らしく家庭などというものを築こうとしたのか。もはや会えなくなった今ではわからないままだ。

 別に目立って虐待されていたわけではない。ぶたれる時はすべて、理不尽とはいえこちらにもある程度の非があった。

 だがその有り様は当時まだ幼い子供であった自分と妹の心の奥底に、深く、深く恐怖として刻み込まれている。永遠に癒えることのない深い傷として。


「忘れていたよ。父さんのことを、考えなくてよかったから」


 この騒動はあらゆる人間から帰る家を奪った。それまでの日常はとうの昔に失われてしまった。

 だから高月は父のことを考える必要がなくなっていた。だから父の恐怖を忘れていたのだ。


「もしも、もしもだよ」


「うん……」


「もしも父さんが、もう一度僕の前に現れたとしたら――」


 ――僕は父さんを、斬るのだろうか。

 その言葉は、言わないことにした。もっとも『理解者』である彼女には多分、伝わってしまうけれど。


「大丈夫だよ☆」


 彼女の言う「大丈夫」には何の根拠もない。波風はこういう真剣な場面で器用なことを言えるほど大人ではない。

 ただ彼女は、底抜けに明るかった。


「大丈夫。カイトはもう、強いから☆」


 その明るさは人によっては癇に障ることもあるだろう。だけど高月にとっては、他でもない高月快斗にとってだけは、充分な優しさとして映った。

 波風に打ち明けてよかったと思って、高月は自然と笑った。


「……これから危険な調査を始めようと思うんだ」


「え?☆」


「だからその前に、苛立ちが治まってよかったよ」


 高月は波風の座るベッドへと歩いていくと、隣に座った。目を丸くする彼女を余所に、その頭を撫でる。


「ありがとう、マヤ」


「ち、ちょっと……そういうの、反則でしょ!☆」


 男には慣れてそうな風貌をしているが、案外にピュアらしかった。そっぽを向く波風に苦笑しながら、高月は自分の考えを口にする。


「この壁という組織……僕は段々と、信用が出来なくなってきたよ」


「それは、どうして?☆」


 始まりは屍の牙戦において、絶望的な状況下で第一部隊を出さなかったこと。それによって死ななくて良い仲間の多くが命を落とした。

 だが一番の問題は組織の不明瞭さだった。

 どこからともなく現れて、あっという間に自衛隊を掌握し、この東京を統治した組織。しかしその目的も、概要も、何もかもが謎のままだ。

 ともすれば本当に『ミカゲ』が言ったように世界を滅ぼしかねない不安定さが感じられた。

 だからこそ壁の潔白を調べる必要があるのだ。何も後ろめたいことなどないのだと、目的も概要も知らせていないのは単に資料を準備する時間が取れなかったからなのだと思いたい。


「僕はこの場所を、信じたいんだ」


 だからこそ、まずはジェットの安否を確かめる。ジェットは何も悪いことをしていない。最後まで大人しく壁に身を預けていた。

 『棺桶』へと収容されたジェットがまだちゃんと生きていたなら、高月は壁を信じられると思った。


「そっか☆」


 波風は困ったように笑った。


「じゃあアタシは、またお留守番だね☆」


「……え?」


「帰る場所は、必要でしょ?☆」


 高月の帰る場所。確かに、任務を終えてこの部屋に帰るたびに彼女にはただいまと言っていた。

 ああ、そうかと思う。高月が彼女に情を抱いた理由。それを今、遅れて理解した。


「ああ、そうだね。帰る場所は、必要だ」


 騒動が始まって、あらゆる人間に帰る家はなくなった。高月もそれに漏れず、もはやかつての自宅へ訪れることはないだろう。

 だけど帰る場所はあった。おかえりと言ってくれる人はいた。波風が高月にとってそういう人だったから、彼女のことを嫌いになれなかったのだ。


「ちゃんと帰ってくるんだよー?☆」


「わかってる。ちゃんと、ここに帰ってくるよ」


 危険な任務だ。場合によっては、組織全体を敵に回すことになるだろう。

 だけどたとえそうなったとしても良いと思えた。

 思えば波風は壁が公式に収容している存在ではない。首にチョーカーもなければ、本来は『棺桶』に飛ばされるようなゾンビだろう。

 彼女にとってはこの組織のすべてが敵だ。

 それでも波風はこれからも、高月の帰る場所でいてくれるだろう。

 だから高月も彼女に寄り添ってあげなくてはならない。

 帰る場所には、帰らなくてはならない。いつものように、ただいまを言うために。

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