103 八月一日
激動の一日が終わり、朝がやってきた。それまでの緊張や焦燥感、不安が嘘だったかのように周りの人たちは活気を取り戻す。そのことに御影も安堵した。
御影がテラスで休憩していると、入り口に高月が見えた。空席を探し視線を動かす高月に手を振り、相席できることを示した。
「ありがとう、ナオ」
高月はそう言って正面の席に座る。御影はもう昼食を済ませたところなので、必然的に高月が食べるのを見る形となる。
しばらくぼうっとしていると、高月の方から食事の手を止めて話しかけてきた。
「結局、ここの人たちには何か思惑があると僕は考えてる」
「思惑、ですか?」
声のトーンからあまり大きな声でする話ではないと察し、しかしそこが話に花を咲かせるテラスであることから、不自然にも見えないよう気を遣いながら応じる。
「まず、第一部隊をもっと早く出していれば、被害は最小で済んだ。それをしなかったこと」
高月はひとつにそれを挙げる。これは密かに部隊員の中で噂されていることだった。先の戦いで生まれた不満として人々の中で共有されているのだ。
「そしてナオの身体のことを何も説明しないこと」
御影は今回の戦いで『大天使』とやらであることがわかった。そのことはおそらく報告をせずとも上層部には伝わっていた。
だがそれについての説明は未だ、ない。研究者である狩野あたりなら知っていそうなものであるが。
「最後に、ここを仕切っているという『新政府』とやらのトップが少年だという事実。彼はあまりにも謎に満ちているよ」
高月でなくとも人々を救い、束ねる存在があんな小学生ほどの子どもであれば怪しむ。どこにそんな知識と力、権力があるというのか。
高月の言っていることは確かに理解できた。言われてみれば疑問だ。ここはあまりにも謎だらけである。
「だからこんな怪しいところなら、ジェットの行方も今一度調べ直すべきだと思うんだ」
「ジェットの!? 高月先輩、危険じゃないですか!」
「確かに危険かもしれない。でも、現状一番危険なのはジェットだ」
そう高月は諭した。一理ある。ジェット、学校を脱出する時に御影に力を貸してくれた猫は、現在『壁』が管理していた。
だが『壁』の杜撰さが露呈した今、その管理状況にも不安が残る。そもそもここを運営している『新政府』とやらは何者なのか。
「僕の方でジェットのことを、それから『壁』についてを調べてみることにするよ」
「き、気をつけてくださいね」
そう返しつつ、御影は安心した。高月に次の行動の指針が定まっているのなら、心置きなく御影は御影で動くことができる。ジェットも任せられるなら安心だ。
「ナオはこれから、どうするんだい?」
そんな御影の心情を知ってか知らずか、このタイミングで高月はそれを尋ねてきた。不意の問いかけだけに、表情に出そうになったのをどれだけ抑えられたかは不安だった。
だけど御影はできる限り自分の意図がバレないように、高月を不安にさせないように繕った。
「私は医療部隊のまま、後方支援に回ろうと思っています」
思ってもいないことを言った。
ひとりで『壁』から出て、現在行方の分からない風見晴人を探すつもりだというのに。
※※※
高月快斗は自分にあてがわれた部屋に戻ると、一人の少女が雑誌を置き顔を上げた。
「あ! カイト、やーっと帰って来た☆」
「ああ。ただいま、マヤ」
言いながら、高月は後ろ手に部屋の鍵をかける。波風摩耶は元々『屍の牙』のゾンビで、高月が情報収集のために無断で部屋に監禁している存在だ。
彼女の存在がどこかに漏れて仕舞えば高月がどうなるかは想像に難くない。
「結局、篠崎響也は殺さなかったんだね☆」
「うん、ハルトが彼を救った」
「うぇ……、あのキチガイが? ホントにぃ?☆」
風見晴人の名前を出すと、波風は分かりやすく身を強張らせる。彼女は風見に復讐され、酷い目に遭わされた。それを引きずっているのだろう。
「あいつを救うって言うなら、カイトの方がよっぽどできそうだけどね☆」
波風はそんな風に高月の方へ目を向けた。その言葉に乾いた笑いが漏れた。
救う、か。高月は自問する。
――僕は仮に篠崎を上回る実力を持っていたとして、あの時、篠崎を救おうとしただろうか。
敵を救う、そんな選択肢があの時の高月自身にあったとは思えなかった。
「僕には、多分救えなかったよ」
「えー、そお?☆」
それは篠崎の事情を知らなかったからではない。仮に知っていたとしても、同情はあれども救うための言葉は用意しなかったと思う。
高月には『壁』を脅かし、御影奈央を攫った男を救う――そんな選択肢を持たなかったのだ。
「僕には、――誰かを傷つけるような人を救うことはできない」
竹山浩二という男がいた。彼は『屍の牙』の一員であり、この前の戦いで高月は相手をした。高月は彼に勝利したが、とどめを刺すことなく逃した。
それは確かに竹山を殺したくなくて、彼を救いたくてやった行動だ。
だけどもしも、竹山が他者を容赦なく傷つけるような人間なら。彼が篠崎のやり方に疑問を抱いていなければ、高月は救わなかっただろう。
「僕はハルトみたいにはなれないんだろうな……」
高月には救いようのある敵とそうでない敵とを見分ける目を持っていない。敵は等しく敵だと認識するしかない。
そんな少年には敵も味方も救い、自身の間違いを正してくれる仲間に恵まれるようなことはないのだ。
「そーかなぁ?」
しかし波風は俯く高月の元まで来ると、その頭に触れた。驚いて顔をあげたが、手は退かない。
疑問の目を向ければ波風は「へへ☆」と笑った。
「アタシは、カイトに助けてもらえたよ?☆」
高月はこみ上げる感情を、遂に抑えることができなかった。
違うのだ。高月は波風を救うためにここに監禁しているのではない。彼女を救うつもりなど、全くなかった。ただ御影奈央を救うために少しでも『屍の牙』の情報が必要だっただけなのだ。
「マヤ、僕は――僕は君を救ってなんかいない。助けてなんていないんだ……」
かつて学校で風見晴人がゾンビになったと知れば、高月は彼を殺そうとした。その時から何も変わってはいないのだ。
「僕は君を、ただ情報収集のためだけに監禁した。ゾンビにとってはこんなに危険な『壁』の中に、監禁している!」
「うん、そうだね」
「だから、そんな……救われたみたいな顔、しないでくれ」
「んーん」
言うと、波風は高月を抱きしめた。驚いて声が出そうになったが、続く彼女の言葉に何も言えなくなる。
「アタシは、カイトに救われたよ☆」
そうか。
高月がどう思っていようが、彼女が救われたと思っている以上これは救いだったのか。
風見はきっと、もうここに辿り着いていたのだろう。高月も遅ばせながらそこまで到達した。
風見は高月を置いていってしまうかもしれない。正義の味方として、その歩みを止めずに進んで行ってしまうかもしれない。
だけど、ゆっくりでもついていこう。
彼が間違えたら正せる位置にいて、彼を目指していこう。
波風に抱きしめられながら、高月はそうやって決意を固めた。
※※※
永井は五木の元へ来ていた。五木は『壁』の技術者であり、永井が先の戦いで使ったパワードスーツを設計した男だ。
「五木さーん、人工知能のメンテナンスに来たんですけどー」
武器保管庫から右に逸れるとすぐに五木のラボはある。ノックをしつつ、用件を伝えて五木の応答を待った。
留守かな、と思ったあたりでドアが開く。中から出て来たのは、見知らぬ男だった。
「あ、ども……こんちはっす」
「……ちっ」
永井よりは年上だが、まだ若そうな男だ。おそらくは永井の部隊とは別の部隊の戦闘員だろう。それなりに筋肉質な身体をしている。
「部屋、間違えましたかね?」
「……いや、じゃあな」
男はそう言うと、そそくさと歩いて行った。なんだったんだろうと思いながら部屋に入ると、なんだか前に来たよりも男臭さが増している気がした。
「あらぁ、雅樹ちゃん。んもぅ、邪魔してくれちゃって……」
ラボに入ってすぐ奥に見えるベッドには、素っ裸の五木悟が横になっていた。
「何やってんすか!!」
「何って、やだ……ナニに決まってるじゃない」
「こんな真昼間に!?!?」
永井は自分の眼前で手を振り、まとわりつく男臭さを払う。払えない。
さっきの男はこんな時間に五木とランデブーしていたらしい。お楽しみを永井に邪魔されたから舌打ちをされたのだろう。まぁ、悪いことをしたとは思わないが。
「雅樹ちゃんも、する……?」
「しません。早くメンテナンスをお願いします」
「んもぅ、つれないわ」
言って、五木はささっと部屋着に着替えると立ち上がった。元気なオカマだと思う。
「さて、と……人工知能のメンテナンスだったわね?」
「そうっす、インカムは持って来ました」
「実戦で使ってみて、どうだった?」
「性格の設定に疑問を感じましたが、概ねは問題ないと思います」
スーパー人工知能マイ、だったか。妹という設定で、オペレーターと話しているのかというくらい人間味があった。良く言えば。
「あらぁ、お気に召さなかった? 仕方ないのよ、家族って設定で使用者と紐付けておいた方が暴走の防止になるの」
「あ、そういう理由があったんですね!」
「もちろん今考えた理由だわ。面白そうだったから設定したの」
「ふざけんな!」
ガンと机に手を叩きつけるが、五木はクスクスと笑うばかりで設定を変えるつもりはなさそうだ。
永井は近くのイスに座ると、メンテナンス中の五木に尋ねる。
「このレベルの人工知能が、実は現代にあったんすね。隠されてたんすか?」
「……んー、それについてはどう言ったらいいのかしらねぇ」
永井の何気ない質問に五木は頭を掻いた。困ったような笑みを浮かべて言う。
「まぁ、お察しの通りまず間違いなく人工知能だったりパワードスーツだったりはオーバーテクノロジーよ」
「へ?」
「まだ現代人の科学力では到底作れないでしょうね」
「……そりゃ、どういう」
オーバーテクノロジー。
オーパーツ、というやつか。いやいや、と永井は被りを振る。永井の知るオーパーツとは、過去の人類が遺した人工物に対して使う言葉だ。
今現在作り、使われているものにオーバーテクノロジーという言葉は相応しくない。それは現代のテクノロジーではないのか。
考えて、永井は何となく『答え』に近しい想像が浮かんだ。
――まさか。
しかしその確認をするより先に、五木が永井の軽はずみな行動を制止する。
「ここから先を、知りたい?」
「――――」
その言い方で察しがついた。
ここから先は、『答え』は、踏み込んではいけない領域なのだ。
触れてはいけないものに触れてしまえばどうなることか。過ぎた好奇心は身を滅ぼしかねない。
永井は「いえ」とだけ返した。
「賢明な判断だわ」
そう返す五木の左手。今の永井の位置からは見えにくいところにある左手が、自然とパソコンのキーボードに戻った。
それまで、その左手は何を握っていたのか。考えたくはない。
永井と五木は武装の相談で多少なり話せる間柄になったが、それでも五木の左手は動いた。五木悟は『壁』の、『新政府』という組織の人間なのだ。
永井のようなただの高校生とは違った立場の人間なのだということを、もう少し理解しなくてはいけないのかもしれない。
※※※
誰かの嗚咽が聞こえると思ったら、自分の口から出ていた。そこで初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
まだ涙を流せることに気づいた。
「ひっ、うっ……ううぅ……」
どれだけの時間が経ったのだろう。イスに座らされて、ただひたすらに痛めつけられた。もう涙などとっくに枯れ果てたかと思っていた。
未だ、拷問官からのオーケーサインは出ない。まだ痛めつけ足りないらしい。
というのも、自分が拷問される理由は情報収集ではないのだ。
「いつに、なったら――……」
最後まで言えるほどの気力は残っていなかった。
やがて途方も無い時間の果てに、扉が開いた。
「やあ、佐藤真那斗くん。計算だと大体……二週間ぶりくらいかな?」
初めて会った時に狩野将門と名乗った男が部屋に入ってきた。
この男が佐藤の拷問官だった。
「どうだい? 精神と時の部屋を再現したこの部屋の感覚は」
「……気が、狂いそうです」
精神と時の部屋。漫画家の鳥山明先生が描いたドラゴンボールに登場する部屋だ。そこは現実世界とは時間の流れ方が極端にズレていて、いくら修行を重ねても現実ではあまり時間が経っていないというのだ。
佐藤が現在監禁されている部屋は、その効果を模したものだった。
「時間が欲しい、時間があれば、と人は自身の無能を言い訳する。では時間があったらどうなのか、何かが変えられたのか?」
「……う、くっ」
「答えは否だ。真那斗くん、君もわかるだろう?」
俯く佐藤の顔を強引に持ち上げ、狩野はこちらの瞳をじっと見つめる。その瞳は理解できないほどに笑っていた。
「無能はどれだけ時間を重ねても無能のままだ。たかが知れている。でなくては才能という言葉は存在しないのだよ」
「……才、能」
「そう、才能だ。個人差というものは何事にも存在するが、才能もある種の個人差だと言える」
狩野はそこで止めると、指を一本立てた。
「一方、努力という言葉も存在する。時間をかけて自らの才を育て上げ、小さな芽だったものを立派な樹木へと変える人間も一定数存在するな」
「……努力」
「そう、努力は芽だったものを樹にする力だ。初めからタネも撒いてないやつが時間があれば樹に育ったなどとはバカバカしい! 無能には、いくら無限の時間があれど無能の域を脱することは叶わない!!」
そこで「だが!」と狩野は強くアクセントをつけた。
「ゾンビの力! エニグマという芽を、能力へと変える力! それは、素晴らしい!!」
「エニ、グマ……?」
佐藤には理解のできない領域に話が移行しつつあった。もはや狩野も佐藤の応答など求めてはおらず、高々に語りあげる。
「ゾンビの力は、無能を有能へと変えることができる…! 戦場で盾になる以上の働きもできない無能に、能力というものを芽生えさせれば……使うことができる!!」
「人を、『使う』……」
その表現に嫌な感情を覚えたが、追求するだけの力はなかった。
「佐藤くん。私はね、エニグマ研究を重ねることでついにゾンビの能力が『宿る場所』を解明したんだ」
「――へ?」
「そして宿る場所さえわかってしまえば、それを抜き取りこちらのものとすることもできる。我々は、ヒトのまま能力を手に入れたのだよ!!」
「……そ、んな」
つまり狩野は何の力もない人間をゾンビにし、進化の方向性を操作して思い通りの能力を作った後、用済みになったら殺すつもりなのだ。佐藤はおそらく、そのための実験台なのだ。
ここに来る前、辻本は語った。
自我のあるゾンビの能力の発現条件は『願い』であると、今は身を守る系統の能力がほしいと。
つまりそういうことだったのだ。
このままではゾンビは、――家畜にされてしまう。
「あ、ああ……あああ……」
「ははは、泣くなよ佐藤くん。人類に貢献して死ねるんだ、名誉なことだろう?」
ふざけるな、と声を大にして叫びたかった。しかしもう、自分にはそんな力すらない。
佐藤真那斗は『無能』だったのだ。
狩野が語ったように、その生に何の意味もない無能だったのだ。無能は使い潰される。才ある人間に、人類の繁栄のために。
そんな世界が、来るというのか。
「私は『使徒』を倒す。汎用人型決戦兵器はないがね」
狩野の声は届かない。
佐藤はもう、聞いていない。
「私は人類の危機に立ち向かい、そしてその脅威を払える。私が、――」
ニヤリと、笑みを浮かべた。
「人類を、救うのだ」
※※※
御影奈央は昼ごはんを食べると、すぐに行動に移した。
特別な指示以外で『壁』から出る方法は二つ。各地に点在するエニグマの受信機が危険信号を受け取った場合(『神』のような異常個体の早期発見を目的とする)、もしくは受信機近辺に避難してきた生存者の救難信号を受信した場合だ。
だがそのどちらも、戦闘部隊に配属していなければ『壁』を出る手続きすらできない。では、御影はどうやって出るのか。
ガチャリと自室のドアを開けると、彼はイスに座っていた。
「やあ、ナオちゃん」
そう言って手をあげる少年は、山城天音。『瞬間移動』系の能力を持っている。
「全く、この前の一件からみんなオレに頼りすぎじゃなぁい? タクシーじゃないよ、オレ」
「すみません、そこをなんとかお願いできませんか?」
「ハハハ、ナオちゃんは可愛いから全然オッケー」
いまいち調子の読めない男だが、今の所御影に対して好意的だ。手を貸してくれるならば頼らないことはない。
「でもオレ、能力の関係で割と色んな人に場所がバレやすいから早めに行かなきゃ」
「大丈夫です。もう、準備は終わってます」
「そ? なら、さっさとお暇しちゃおうか」
「はい、お願いします」
能力の関係で場所がバレやすいとはどういう意味なのか。いつもの調子で適当を言っているだけにも思えるが、この『瞬間移動』にも何かのギミックがあるのかもしれない。
だが今はそんなことは良い。御影は山城の肩に触れた。
「あーあ、ナオちゃんを『壁』から外に出すとか……。こんなことしてオレ、あいつに怒られそうだなぁ」
「私が風見先輩を叱る方が先です。コテンパンにするので、大丈夫ですよ!」
「ハハ、こっわーぁ。ナオちゃんだけは敵に回したくないねぇ」
言いながら。
「良いの? 誰にも、言わなくて」
山城は優しそうな目で、尋ねてくる。
この人は何を考えているのか。復讐者ではなかったのか。敵同士ではなかったのか。どうして、そんなに優しそうなのか。
「良いんです。一応、置き手紙を秋瀬さんの部屋に置いておいたので」
「私を探さないでくださいって? 勇敢な子だなぁ」
山城は無茶苦茶な御影に呆れたように笑う。何を言ってもこの少女は止まらないと理解したのだろう。
「それじゃ、行くよ」
その言葉と同時。
音もなく。全く気づかない間に、景色だけが変わった。一度目は驚いたが、昨日の今日である今回はそこまで驚かない。
一瞬の間に、御影と山城は破壊の跡が残る二十三区外の多摩地区へ来ていた。
周りには佐藤を除いた山城の仲間たちがいる。山城の帰還を知ると同時、まずは熊田が駆け寄って来た。
「お、おい! 真那斗のことはわかったのか!?」
「んー、一応それなりに調べてみたけど完全に特定はできなかったよ」
「そうか……」
そう、山城はただ御影を『壁』から出すために危険をおかした訳ではない。『壁』にさらわれた佐藤真那斗の現状を調べるために潜り込んでいたのだ。
「けど、大体の位置は絞れた。次は助けに行けると思う」
その顔には御影のイメージする山城とは違う、怒りの感情が見えた気がした。
「そうか……!」
山城の言葉に熊田は顔を上げ、拳を握り締める。
「待ってろ、真那斗……!」
他の面々も意気込む熊田につられて、覚悟を決めたような表情をしていた。
「ありがとうございました、山城先輩」
「ん? ああ、いいよ。ここからは一人で大丈夫なの?」
「はい。山城先輩たちは、真那斗くんを助けてあげてください」
不安でないのかと言われれば嘘になる。だがこれ以上、彼らの手を借りるのは気が引けた。今回はたまたま山城が『壁』に来る必要があったため手を借りただけなのだ。
「それでは、私は失礼します」
このまま居座ればきっと、笹野や矢野に咎められかねない。さっさとこの場を離れることにした。
「御影さん」
笹野の声だった。
御影は足を止める。咎められたら何と返せばいい? 危険だ。やめておけ。それに対して、何を言えば――。
「絶対に、死なないでくださいね」
「――――」
かつて笹野とは、命のやり取りをした。学校を脱出した時、笹野はマイクロバスの中で御影たちを裏切り、殺そうとした。
しかし今の笹野の声は、その時の笹野とはどこか異なった。まだ学校が学校として機能していた頃のような、笹野がまだ先生と呼ばれていた頃のような、優しい声色だった。
「笹野、先生――」
笹野はスクールカウンセラーだ。普段、授業を受けて部活に勤しむ身ではあまり会う機会はない。だけどその言葉は、他の先生の言葉と同じように聞こえた。
御影は一度だけ振り返った。
そして、告げる。
「行ってきます!」
その歩みは、力強かった。
※※※
「あァ、クソッタレ。まーだ痛みやがる」
篠崎響也は、かつてそこにあったものが全て吹き飛んだ跡地に横たわっていた。
痛む節々。能力の使いすぎによる頭痛も重なる。その痛みが、教えてくれた。
篠崎響也の決定的な敗北を。
「あーチクショウ。完ッ璧にやられた。『壁』の最大戦力ってやつァ、伊達じゃーねェな」
起き上がると、ため息をつく。わかってしまったのだ。自分が、自分たちが、どれだけ無謀なことをしようとしていたのかを。
完膚なきまでに打ちのめされた。さすがは『神』を殺しにきた戦力だ。自分が全力を出しても、太刀打ちできないわけである。
「連戦の後だったから――ってェのは、つまんねー言い訳だわなァ」
頭を掻く。わかるのだ。たとえ自分が満身創痍の状態で挑んだのでなくとも、ちゃんと万全の状態で挑んでいたとしても――昨日の相手には勝てなかったと。
「でもなんでだろォな、ちょっと前の俺だったら絶望して立ち直れなかっただろーに」
今は何だか、清々しい気分だ。
「それが、風見先輩の力ですよ」
気づけば、見覚えのある少女に手を差し伸べられていた。立て、ということだろうか。全くどいつもこいつも、足を止めることを許してくれはしないのか。
篠崎は御影の手を取り、立ち上がった。
「あのヤローの力、か。認めたかねェが、確からしい」
「ヒーローですからね、あの人は」
「馬鹿らしーことだが、困ったことに否定できねェな。焼きが回っちまったのかねェ」
乾いた笑いを浮かべて、少女の後ろにいる三人を一瞥する。
「生きてたかよ、テメーら」
「お前も、クソしぶとく生き残りやがってよ」
ふっと笑ったのは金丸だった。かつての『屍の牙』その残党だ。
「息をして生きる、それが粋! ってね〜。ぷっふふふ」
「何も面白くねンだよ寒川ぁ!」
寒川と金丸のいつものやりとりだ。まさか、これがもう一度見れるとは思っていなかった。
その背後では『時間停止』の能力者である狭間があくびをしている。
「よくこいつらと合流できたなァ、お前」
「偶然ですけどね、運が良かったみたいです」
「運、ねェ……」
そう言ってのける御影に対し、篠崎は目を細める。
今は裏切った身だが、かつてつるんでいた狩野という男から得た情報によれば御影奈央は『大天使』というものらしい。そして『大天使』は『神』の構成材料となる――。
(本当に運、だけで説明がつくのかァ? こいつが一番、底が知れねェ)
そう思いつつも、目的を尋ねる。
「こっから、どーすんだ」
「風見先輩を探します」
「アテは?」
「ありません」
「かーっ、だよなァ」
風見晴人は崩壊する『神』へと挑んで行き、光とともに消息を絶った。山城の仲間である宮里が索敵できる範囲にもおらず、完全にその位置は不明となっている。
「はァ」
まぁ、もう今の自分には目的がない。復讐など、風見にも『壁』にも負けてしまった今、何だか馬鹿らしくなった。
それならば、この少女に付き合ってやるのも悪くはないか。それで風見との貸し借りもナシだ。
「んじゃ、行くかァ」
「おっ、大将! 次の目的地を目指すんですな〜?」
「残念ながら大将は俺じゃねェ、この女だ」
「へっ!? 私ですか!?」
「悪かねぇ、クソ頼りねぇけどな!」
「そ、そんな……」
「良いよね〜狭間くん」
「どうでも」
そうして『新生屍の牙』は、歩み始める。自分を顧みないヒーローを救ってやるために。
※※※
――鈴音は、自分の膝元に横たえた少年を見下ろしていた。
「全く、会ったこともない私のために崩壊中の『神』に乗り込んでくるなんて、とんだ男だわ」
崩壊から丸一日。未だ目を覚まさない少年は、時折苦しそうな顔をしていた。
自分の性格的にあまり他人を慮ることはないと思っていたが、不思議と苦悶の表情を浮かべる少年を撫でてやっていた。
「もしかしたら、私は年下好きなのかしら……? んー、ないわね」
今も膝枕をしながら撫でてやっているが、目を覚ます様子はない。しかし頭を撫でてやると、何か救われたような顔をするのだ。
おかしな話だ。救われたのは、こちらの方だというのに。
『神』は未完成だった。上半身しか顕現しなかったのはそういうことだ。
自分が悪いのか、御影奈央が悪かったのか、『神』は本来の力を発揮しなかった。
だからなのかはわからないが、鈴音は『神』の中でひたすら恐怖していた。自分が自分でなくなる感覚。御影奈央と混ざり合い、意識に異物が混ざってくる感覚。
どろどろとして、本当に気持ちが悪かった。
そこから救ってくれたのは、他でもないこの少年だった。
だから、まぁ。
「起きるまでは、そばにいてあげるわ」
そう言って、鈴音は名前も知らない少年の髪を撫でた。
お久しぶりです、青海原です。
平成も最後ということで、のんびりと書いていたものを急遽書き上げました。
三章エピローグは色々伏線を張ったこともあって、とても時間がかかってしまいました。そのぶん、文量もいつもより多めでございます。
この第三章、書き上げるのに相当な年月がかかってしまいました。ただこの物語を書き始めた当初から書きたかったものがやっと書くことができて、作者としてはなんだかとてもほっとしております。
まだこんなふざけた投稿ペースの拙作を読んでくれる読者様がいるかはわかりませんが、第一部完! 終わり! とはしないので、もしも続きがきになるよという場合は、お待たせすることになるかもしれません。
次の話を出せるのがいつになるかはまだ不明ですが、次からは何話か書いてから上げることにします。
もし待っててやるよ、という方はお楽しみに…!




