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 父と祖父が密かに奔走している間、マリアの方は親族の馬鹿息子たちを相手に必死で立ち回っていた。

 マリアは代々伯爵家に仕えている家柄の使用人達の目から見ても、非常に優秀だった。

 その半分の血以外はお仕えするに値する、素晴らしいお嬢様だと誇りに思いこそすれ、表立って蔑視などしてはいなかったのだ。

 それがために、彼らはマリアにとっては傍迷惑な忠義心で、度々マリアをうんざりさせていた。

 もちろん、便宜を図って上手くいけば、後々の見返りを期待できるという欲もあっただろう。

 けれど基本的に彼ら、彼女らは、それがお仕えするお嬢様の、ひいてはデルフィーネ伯爵家のためになると本気で思っている。だから、非常に始末が悪かった。

 そんなわけで、マリアの乳母を勤めたジャネスは自分が母代わりと自負するところもあり、自分こそが頑張ってマリアのために素晴らしい婿を!という気持ちが強い。一介の使用人であるジャネスは、本来ならマリアの伴侶について口出しできる立場ではないのだが、後ろで糸を引いている人物が問題だった。

 もともとジャネスは嫁に出た伯爵の妹クラリス付きの侍女で、マリアの乳母になったのもクラリスの推薦があったからだ。だからマリアからするとこの叔母の息子に当たる従兄弟がジャネスの考える“素晴らしい婿”だった。

 親族の子弟をマリアの婿にと思う使用人は、ジャネスだけではない。

 この家に長く仕えて大借金前の誇り高き伯爵家を知っており、不甲斐ない前当主に嘆き、現当主の身売りのような婚姻に忸怩たる思いを抱いた古参の使用人たちは、マリアの味方ではあったが、敵でもあった。


 半分平民の血が流れるマリアには碌な婿が望めない。

 再び家を傾かせるような問題物件の婿を次期当主として仰がなければならない、などという未来は御免だ。

 であれば、貴族としての正統な血を次代に求め、由緒正しく誇り高い家風を取り戻し、デルフィーネ家一門の結束を強めるためにも親族から婿を迎えるべきだ。

 むしろ厚く礼を尽くして迎えた方がいい。


 半分は親族たちの巧みな思考誘導によるものだが、彼はらだいたいこのような共通認識を持っていた。纏まる気配のないマリアの婚約話が余計に不利に働いた。

 結果として、彼らはいとも簡単にマリアをものにしようと企む親戚を引き入れてしまうことになる。

 せめてもの救いは彼らにマリアを傷付ける意図は無かったことだろう。引き入れはしても家内を取り仕切る家宰に秘密でというようなことはなかったし、必ず使用人の誰かは同席して常識から外れるような振る舞いはさせなかった。

 特にマリアが幼い頃に()()にあってからは、そこは徹底されていた。

 伯爵もこのことについては把握していたが、安易に解雇や命令をするわけにはいかなかった。当主は確かにデルフィーネ家の当主ではあったが、使用人の雇用や監督責任に関して絶対的な権限を有しているわけではない。

 貴族の家においては、使用人を束ねる家宰、または執事や家政婦長に雇用権限と監督責任がある。

 多くの場合長く仕えて年齢的にも当主より年上であり、内情を知り尽くしている彼らに頭が上がらない場合もままある。簡単にはすげ替えのきかない立場でもあるため、当主であろうと彼らの意見を無視することはできないのだ。

 特に伯爵はろくに引き継ぎもされず若くして爵位を継いだため、彼らに随分と助けられた。それを別にしても、大借金を負った時代に家を必死で支えた実績のある彼らの職分に口を出すことは難しかった。

 また、親族間の交流というのは避けて通れない面もある。もっともらしい理由を掲げられれば、当主といえど阻止できないのだ。使用人の行動についても、跡取りであるマリアがきちんとデルフィーネ家を背負って立つには親族との信頼関係が不可欠であるという正論から逸脱するものでなければ、糾弾するのは難しかった。

 

 ちなみに当主が直接雇用に関わるのは彼らの監督下にない職業の人間である。子供の家庭教師や、貴人に常に付き従う従者や上級侍女などがそれに当たる。


 その日も、ジャネスお気に入りのリチャード・ブロックフィールドを相手に、苦痛でしかない時間をマリアは過ごしていた。

 自分が婿に入れば社交界で肩身の狭い思いをすることもない、自分は影響力のある人物と繋がりがある、などとひとしきり自慢した後で不満げに鼻を鳴らした。

 時折控えめに相槌を打つ程度で、反応の薄いマリアが気に入らないのだ。


「君は全く可愛げがないね。体つきも貧相だし、女としての魅力に欠けるよ」


 大げさにため息をつくリチャードに、マリアは申し訳ありませんと小さく謝罪して目を伏せた。


(あなたに向ける可愛げなんて一欠片もございませんことよ。そんなものもしあっても、野良犬にでも食わせてやりますわ。“あなたにとって”女として魅力が無いだなんて最高に褒め言葉ですわね)


 マリアは扇子の影に嫌悪に歪む口元を隠した。豊かに育ってしまった胸をマリアは布を巻いて押しつぶしている。その理由は、推して知るべし。

 親族の馬鹿息子は複数いるが、この男が一番嫌いだった。圧倒的ぶっちぎりな勢いで、吐き気がするほど嫌いだった。


「実はね、キュレル侯爵家のご令嬢との縁談が持ち上がっているんだ。豊満で実に女性として魅力的な女性だよ。何より血筋が良い。王家の血も引いていらっしゃるご令嬢だ」


「まあ……キュレル侯爵令嬢といえば大変熟成された女性らしい方と聞いております、豊穣の女神もかくやという……(あなたが著しくふくよかな女性を好むとは知りませんでしたわ。今年で確か二十六とか、未婚でその年でも艶聞の絶えない方ですから、さぞかし魅力的なのでございましょうとも)」


 実のところ、教師達からデビュー後に交流を避けるべき相手の一人として注意を促されていた。


「素晴らしいご縁でございますわね。さすがリチャード様です(是非骨の髄まで吸い尽くされていただきたいわ)」

 

「ふん、今更媚を売るとは愚かな女だね、君は」


 マリアは恐縮したように目を伏せる。


(非常に満足げなところ申し訳ございませんけれど、媚ではなく単なる社交辞令ですことよ。さっさとその縁談でまとまってくださるなら、いくらでも媚びくらいお売りしますけれど)


「だが、僕としても母の実家であるデルフィーネ伯爵家がこのまま見下されている状況は心苦しいんだよ。元は由緒正しい家柄なのだし、廃れさせるものしのびない。

 半分は下賤の血が流れている君でも、それくらいは理解できるだろう?

 正直悩んだけれどね、ここは僕が尊い犠牲になって君を娶り、この家のために尽くすのも貴族として生まれた高貴なる者の務めだと考えてね」


「リチャード様のお志の尊さには、感嘆せずにはおられませんわ。さすがにご立派でいらっしゃいます(今すぐその根性に相応しい豚にでもなって下さらないかしら。血統書付きですもの、さぞかし余計なものを十分蓄えて美味でしょうね。わたくしには下賤な血が流れているので、絶対に口に合わないと言い切れますけれど)」


「ふん、まあ面白みも可愛げもない女だが、謙虚なのは評価してあげるよ。

 だがね、再三促しているにも関わらず察しが悪すぎる。全くこのような愚かな女を妻にするなど、普通では考えられないことだよ」


 (だいぶ前から気づいておりますけれど。父に婿はあなたが良いと言えという圧力でございましょう?

 そんなこと、わたくしが言うと思うあなたの方がどうかしておりましてよ)

 

「仕方がないから、はっきり言ってやる。

 伯爵には僕を是非とも婿に迎えたいと懇願するんだ。

 媚を売るのならお手の物の下賤な血が流れる君なら、簡単だろう?

 役立たずなのだから、それくらいはやってもらわないとね」


 「申し訳ございませんが、全ては父の判断に委ねております。

 それに、わたくしが口を出せば、逆に父の心証を悪くする恐れがありますわ。

 わたくしの半分の血を、父も疎んでいることはリチャード様もご存知でしょう?」


 マリアは憂いを帯びた微笑みを浮かべた。


(はっきり言わないと分からないのは、あなたの方でございましょう?

 あなたを婿になどと口が裂けても言いたくありませんわ。死んだほうがましですわね。

 察しが悪いとは、わたくしよりもあなたでしょう。

 わたくしは絶対にはっきりなんて言って差し上げませんけど)


「……」

 

 不満げな顔で押し黙る相手に、マリアは腹芸ぐらい出来ないのかと内心で呆れた。


(随分あからさまに不機嫌を顔に出しますのね。貴族としては失格ではないでしょうか?

 それとも相手がわたくしだから、特別なのかしら。全く嬉しくありませんわね)


「父の実の妹君でいらっしゃいます叔母様の、優秀なご子息様でいらっしゃるリチャード様のことです。わたくしなどが口出しするまでもなく、父はあなた様を婿にとお考えではないかと愚考致します」


(先ほどから吐き気が止まりませんし、さっさと退場していただきたいんですけれど。わたくしが是と答えるまで居座るつもりですの?)


「それに……わたくしのようなものの婿にと、いくらあなた様のご希望とはいえ父に懇願するというのは心苦しく、不釣り合いで畏れ多くて……」


 (さすがに笑顔が作れなくなってきましたわ)


 ムカムカとこみ上げる吐き気と戦いながら、マリアは適当に相手に耳触りの良いことを言う。


「……確かに、それもそうか」


 けれど、それはリチャードの虚栄心を予想外に満足させたようだった。

 話は一応の決着を見た。機嫌よくこのまま帰ってくれたら爪の先ほどなら感謝しなくもない、とマリアが少し気を抜いてしまった時だった。


「僕もね、子供の頃のこととはいえ君の()()を見てしまった以上、責任を取らなくてはという気持ちもあるんだ」

 

 まるで責任感のある自分に陶酔するような表情と声音。


 それは、まさしくマリアにとって特大の地雷だった。

 マリアは気が遠くなりそうな激しい頭痛と吐き気が瞬間的に込み上げ、息を詰めた。

 マリアは口元どころか顔全体を扇子で隠し、必死で落ち着こうと試みる。

 そんな様子を何を勘違いしたのか、リチャードは機嫌良さげに続けた。


「そんなふうに恥じらっていれば少しは可愛げがあるね。まあ、君は顔も悪くないし、体だってこれから育つだろう。しおらしく分をわきまえていれば可愛いがってやらないこともないさ」


「もう、おやめになって」


 呼吸もままならないマリアが発したそれは心からの懇願だったが、リチャードは照れ隠しと勘違いしてか楽しげに笑い、ようやく部屋から出て行った。

 それと同時に部屋の隅に控えていた侍女が慌ただしく行動を開始した。グラスに水を半分ほど注ぎ、マリアに駆け寄る。

 マリアの強張って頑なな両手を開かせ、扇子を取り上げると、小刻みに震えているマリアにそっと水を飲ませた。

 この侍女はカチェリナといって祖父がマリアのために用意してくれた、唯一全幅の信頼を置ける相手であった。


「お嬢様、もう少しゆっくり呼吸を……」


 マリアを気遣う言葉に、少し心が落ち着く。

 少しずつ水を飲み、全て飲み切る頃には呼吸も平常通りに戻った。

 それでも未だ米神あたりがズキズキと痛むし、吐き気もひどい。

 ぐったりと疲れてソファに背を預けた。


「ありがとう、カチェリナ」

「いえ。少ししたら、湯あみの準備を致しましょう」

「そうね、お願い。夕食の前に済ませてしまいたいわ。

 ……いつか殺してやりたい」


 マリアがこうして本音を漏らせるのは、この家ではカチェリナだけだった。

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