67
マリアは途中から思っていた。
これは、デートではなく視察ではないかしらと。
もちろんそんなことは口に出さないし、知識欲的な部分でとても楽しいから問題はない。それに、小説にあるような内容のデートだったら確かに楽しめはしただろうが、記憶に残るかどうかはマリアには少し自信がなかった。
花売りから花を買ってもらって差し出されることも、露天商で今日の記念にと安物ではあるが素敵なネックレスを買ってもらうことも、庶民に評判の菓子を食べ歩くことも、きっと嬉しく思うだろう。
けれど長く鮮明に覚えているような特別な思い出になるかといえば、マリアには少し自信がなかった。
神殿の塔の上から日の出は、きっと一生忘れないでしょうけれど。
キースが手紙でのやり取りの事を気にかけてくれていたことも、悩んだ末にあの場所での日の出を選んでくれたことにも、言葉に出来ないくらい喜びがあった。
どの小説にだって負けないくらい、素晴らしいデートの始まりだったと思うのだ。
それに、この視察だってマリア専用に考え抜かれたデートだと思えば心が弾むような嬉しさがある。人口がどうだの治水がどうだの話しても、可愛げがない女だ、なんてキースは決して言わない。それどころか終始好意的な笑顔を向けてくる。
だからこそ、気になった事を遠慮なく聞けるのだ。
「仕立て職人の見習いだと、どちらの神様にお仕えするのかしら」
「ええと、確かあれは……って、マリアさんもしかして勘違いしてません?」
「何をです?」
「あの子たちの服を縫ったのは、染色や毛織物の方です。靴はそのまま革細工の、ですけど」
「そうなんですの?」
「そうなんです。そうか、すっかり忘れてました。あのですね、仕立て屋を使うのは貴族や、貴族を相手に商売するような富裕層くらいのものです。普通の庶民は使いません」
マリアは目を見開いた。言われて考えてみればその通りだ。デルフィーネの屋敷では使用人達の舞踏会に際して、その仕事の評価に応じて執事から新しい服を新調するための布が配られている事を思い出した。
「だから芸術品と同じくくりで、仕立て屋の神様と言えば第一はアルオス神だったはずですよ」
「確かに染めむらや、織物の目の揃っていない感じが分かりますわ。でもどうして?」
「そうですね、基本的に家庭内での針仕事は女性の管轄です。染色は実際かなりの重労働で、その上かなりの汚れ仕事になるため職人は男ばかりです。毛織物職人は女性の方が多いですが、大概は羊毛の産地となる場所に織物の女神でもあるユーステラ様の神殿があって、地域密着型です。
なぜ王都の毛織物職人が男性が多いかというのは、色々理由はあるんですけど。とりあえずそれは横に置いて、何故彼らの見習いが子供たちの服を縫うかと言えば、それはひとえに必要に迫られてです」
「どういう事ですの?」
「さっき、独身男の比率が多いって言いましたよね?」
「はい」
「普通は独身だと腕の良い近所の女性なんかに手間賃を渡して仕立ててもらうんですけど、そいつらの数が多すぎて王都の女性たちには全部を賄いきれないんです。加えて、見習いは総じて金がないです。最低限の食と住は神殿によって保証されてますが、手間賃を捻出するのは厳しい。
それでどうするかというと、自分で縫えるようになるしかない。
最初はもうやってられないから自分たちで覚えて縫えと言い出したのは、市井のおかみさん達です。それでパン焼き窯での順番待ちや、焼き上がるまでの待ち時間を使って針仕事を教え出したのが最初のきっかけだったと聞いています。
それで、どうして子供たちの服を縫うようになったかというと、当時から薪運びは孤児院の子供たちの仕事でしたから顔を合わせる機会があったんですね。当時は今より布が貴重だった時代で、孤児たちの服はそれはもうひどいものだったらしいです。見兼ねた見習いの一人が売り物に出来ないような不出来なもので、処分を任されているような本当に最低等級のものを使って服とも言えない何かを作ってやった。それが始まりです。
やがて時代とともに豊かさを増して、寄付と募るとまともな古着が集まり出したから必要無くなったんですけれど、さっき言った通り今度は綺麗すぎて困ったことになりまして。
それでどうにかしようと頭を捻った結果、その昔話を思い出した神官様が音頭を取って今の体制を作ったんです。針仕事を覚えるのに小さい子供の服を縫うのは、都合が良いんです。ちょうど女の子が針仕事を覚えるのに人形の服を作るのと同じで、大きさ的にも時間的な制約的にも。
それに見習いの練習作が材料ですから、その端切れのような不出来な布地で作るとなると流石に大人の服は厳しいですからね」
マリアは不思議な気持ちでその話に聞き入った。遠い異国の話を聞いているような感覚というか。今の当たり前が当たり前でなかった時代の名残が、こういう形で残っていることにしみじみと感じるものがあった。
改めて見てみると、同じ色味でも染めむらがあるという以上に継ぎ接ぎだらけなのに気づく。染めむらのせいで逆に継ぎ接ぎなのが目立たないのだ。何度も同じ色の染色を練習して、その練習した布を縫い合わせて作られているのだろう。
眺めていると、最後尾にいた騎士学校の生徒の一人が前の方に走り出した。何かと思えば、小さな男児を抱き上げている。
どうやら男の子は泣いているようだ。
「転んじゃったみたいですね」
のんびりした調子で言うキースに、こういうことは良くあるのだと知れる。いくら鍛えている騎士学校の生徒だとしても、あれほど軽々と抱き上げてしまうくらいの小さな子だ。マリアにはお手伝いの内容と、年齢との釣り合いが取れていないように思えて顔を顰めた。
「やっぱり、小さい子にはこのお手伝いは辛いと思いますわ。距離も結構ありますでしょう。いくつくらいなのかしら」
「多分、四、五歳ってとこかな」
マリアが思っていたよりも幼くて、なおさら納得いかないと顔を顰めていると、キースが優しい顔をして笑った。
「大丈夫、ちゃんと理由がありますから」
「着きましたよ。もう始まってますね」
そうして到着した広場には、すでに女性たちが大勢集まっていた。
キースの姿を認めたらしい、だいぶふくよかな年嵩の女性が一人近づいてきた。
「久しぶりじゃないか、キース様。しかも女連れかい?」
「お久しぶりです、マーサさん。結婚したんですよ。この人は僕のお嫁さんです」
「なんだって!? なんてことだ、何人の娘が泣くだろうね」
「いやあ、そんなお世辞はお嫁さんの前で恥ずかしいですよ」
「相変わらずすっとぼけた顔して、幸せそうで何よりさね」
「マリアさん、この人はこのパン焼き窯の世話人で、腕の良い鍛治職人の旦那さんを支えるマーサさん」
紹介されて、マリアは少し緊張気味に手を差し出した。多分、これであっているはずだ。
「初めまして、マーサ様。わたくしはマリアと申します」
「へえ、こりゃご丁寧にどうも。マーサって気軽に呼んでおくれよ。気にしなきゃ、私の方もマリアって呼ばせてもらうしね」
マーサはマリアの差し出した手をがっちりと力強く握り返してくれた。
マリアはホッとして、自然と笑みが浮かぶ。
「気にしませんわ」
「育ちは良さそうだが、話がわかる嫁さんだね」
マーサは体格そのままに豪快に笑った。
「それで今日はどうしたね?」
「実は僕のお嫁さんは王都が初めてなんです。それで王都でも僕の愛して止まないパン焼き窯広場を是非紹介したいと思いまして」
「へえ、そういうことなら任しときな! 何、ここは女が天下の場所さね、キース様は適当に隅っこで遊んでな」
「はいはい」
マリアは急な話について行けず、驚いて不安げにキースを見た。すると、キースはいつもより一層優しい微笑みでそっとマリアの頬を撫でた。
「大丈夫、きっとマリアさんが疑問に思っていたあれこれを、僕よりずっと上手に説明してくれるから。たくさん聞いて、それからたくさん見てきて下さい」
マリアは背を伸ばした。
そうだ、これは恋愛小説に憧れる夢見がちなところがあるキースが、それでもマリアのことを思い、自分の好みとは違う、でもマリアが喜ぶと思って考えてくれた視察のようなデートだ。
それなら、マリアはその気持ちに応えたい。
「はい、行ってきます!」
広場の奥にはパン焼き窯が二つあり、すでに煙が上がっていた。
ざっと見た感じ、四、五十人ほどの女性の姿がある。
広場の中央には木製のかなり大きなテーブルが五つほどあり、そのうちの一つに布切れが積まれていた。その周りに見習い職人と思しき若い男達と、多分針仕事を教えるのだろう女性達の姿が見える。騎士学校の生徒たちと子供たちはもう既に窯横に移動していて、薪を荷車から下ろしては積み上げていた。
「あんた、出身はどこだい?」
「西のミンディア地方です」
「へえ、結構近いじゃないか。馬車で二、三日ってとこだったかね」
「だいたいそんな感じですわ」
「さて、まずはここの概要から説明しようかね。王都は人口が多いから、他と違って毎日窯は稼働してる。地区ごとに使える窯は決まっていて、使えるのは五日に一度だ。順番通りに決められた日に使う決まりだから、一度に集まるのは五十人くらいだね。
で、マリア。あんた何がまず知りたいんだい?
キース様との会話からすると、何かあるんだろ?」
「薪運びの子供たちの年齢が幼すぎるのが、少し気になります」
「ああ、それはお見合いを兼ねているのさ」
「お見合い?」
「そうだよ、子供が欲しい夫婦と孤児のお見合いさね。ほら、見てみな」
マリアがマーサの指差した方を見ると、一組の男女が荷台からおろした薪を抱えている幼子に話しかけていた。
「あそこの夫婦にはもう五年も子供ができなくてね。うまく話がまとまると良い」
マリアは驚いた。孤児を引き取る場合は、必ず孤児院を直接運営しているディアティア系列の神殿の許可がいる。戸籍を管理しているということもあって、神官の立会いが必須だ。
「この場で話がまとまることがあるんですの? 神官様もいらっしゃらないのに?」
「そのためのヒヨコ騎士様さ」
「騎士学校の生徒ですか?」
「そうそう。最終的には孤児院の神官様が決めるけどね、王都は人の出入りも激しいから、養父母の見極めは人の出入りの少ない地方よりも難しいのさ。だから、ああやってヒヨコ騎士様が側で見守ってる」
そう言われてみれば、話しかけられた幼子のすぐ側に濃い灰色の制服姿の少年が立っていて、会話に混ざっているようだ。
「あんたは育ちが良さそうだから、そういうことには疎いだろうけどね。都会の孤児っていうのは危険なのさ。
攫われても一番必死になる親がいないからね、孤児院も金をかけて探す余裕なんてない。騎士樣だって、誘拐犯が他領に出ちまえば追いきれない。ここまでだったら地方だって変わらないが、余所者がいればすぐに分かるのが田舎だ。孤児を引き取るにしてもみんなその家がどういう家か、夫婦がどういう人柄か知っているからね。そういう意味で都会の孤児よりも安心なんだよ」
マリアは初めて触れる孤児の現実というものに聞き入った。護衛役だとキースが言った意味は、単に道中の警護というわけではないのだ。そのことに少なからず衝撃を受けた。
子供が巻き込まれる犯罪について、マリアはほとんど知識がなかったのだ。子供が攫われる、そういう話自体は知っているけれど、それは半分おとぎ話のような妖精の取り替えっ子のようなもので。
子供を攫ってどうするのか、その犯罪がどういうものなのか、マリアにはよく分かっていないのだった。それでも、その背筋が凍るような不気味な恐ろしさだけは感じた。
「このまま立ち話もなんだ。あんた、刺繍はできるだろ?」
マーサは衝撃を受けているマリアを、女達が集まっているテーブルの一つに誘った。




