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 おっかなびっくりの様子で石段に腰を下ろすマリアさんを見ていると、昔騎士学校に入ったばかりの頃の自分を思い出す。

 色々それまでの環境とは違いすぎて、何をするにもおっかなびっくりだった。


「それじゃ、食べましょうか」

「はい」

「いつもみたいに小さい一口だとなかなか具材までたどり着きませんから、思いっきって大きな口で」

 

 僕は見本とばかりに三分の一くらい一口で行く勢いで噛り付いた。

 うん、野趣溢れるというか、とても大雑把な味だ。

 臭み消しのローズマリーをこれでもかと使って、味付けは塩のみというシンプルさ。良くも悪くも癖がある羊肉はハマればハマる。ただし、結構硬いから顎が疲れる。キャベツの酢漬けは一緒に噛んでいると甘みが増してくるし、後味もさっぱりしている。

 早朝警邏に出る時はいつも食べていた味だから、懐かしさもあっていつもより美味しく感じた。


 そんな僕をじっと観察した後、マリアさんは覚悟を決めた顔で、彼女的には最大限に開いた口でかぶり付いた。

 あー、きっと最初の頃の僕もこんな感じだったんだな。やっぱりマナーにうるさく育てられると抵抗あるよなあ。

 お、眉間に皺が寄った!

 固いよね、わかります。それにいくらハーブを使っても、結構癖あるから。

 噛んでる。すごく一生懸命噛んでる。

 頑張れ、可愛い。

 やっと一口食べ終わって、何とも言えない顔で食べかけのパンを凝視しているマリアさんに僕はちょっと笑った。


「ご感想は?」

「……固いです。それに、ちょっと臭みが。ローズマリーは効いているのですけれど。塩辛いし。でも、キャベツの酢漬けはさっぱりして美味しいと思いますわ。焼きたてのパンは思ったよりしっとりとして柔いですし」

「僕も、最初に食べた時はそんな風に思いましたよ。でもこれが庶民の味なんです。僕たちが普段口にしている料理に使われる調味料はたくさんありますけれど、庶民にとってその多くは高価で日常的に食べるものではないんです。

 だから味付けは大体塩のみで、臭み消しのハーブは育てやすく丈夫で手に入れやすいローズマリーがよく使われます。葉物野菜は痛みやすいので、比較的長持ちするキャベツが好まれていて、酢漬けにしても量が他のものより減らないのも良い。

 それから僕たちが普段食べる羊肉は子羊のものですけど、これは高価です。羊は大きくなると硬くなって臭みも増すので、その分安価なんです。若いうちは毛を刈って、毛の品質が落ちてくると食肉に回されます」


 僕の話を真剣に聞き入っているマリアさんに、やっぱりこれにして良かったと思った。単純に一番美味しいものを選ぶなら、直接パン生地にローズマリーを練りこんだパンに蜂蜜を塗ったものが良さそうだったけれど、これはここでは買えない。街中のパン屋で売っているちょっと裕福な層向けだから。

 きっとマリアさんなら、普段庶民が一番食べていそうなものに興味があると思ったんだ。


「それから、塩辛い理由ですけれど。ここに朝食を買いにくるのは見ればわかるように男性が多いです。しかも肉体労働を伴う職人が。汗をかく仕事をする人は、塩辛い味が好きなんです」

「不思議ですわ。汗をかくと、塩辛い味が好きになるんですの?」

 

 心底不思議そうな顔をするマリアさんに、まあそうだよなと僕は笑った。


「そうですよね、マリアさんはたくさん汗をかいたとしても、舐めたりはしたことがないだろうからなあ」

「えっ?」

「あ、いや。僕だって好んで汗なんか舐めませんけど、夏場なんかに結構きつい訓練なんかすると、額から滝のように汗が流れ落ちるんです。そうすると、当然口に入るというか」

「滝のように……想像もつきませんわ」

「汗なんて、淑女にはないものとして扱われてますよね。それでですね、汗って塩っぱいんですよ」

「……本当ですの?」

「本当です」

「……わたくしだって汗はかきますけれど、乾いても塩が出来たことはありませんわ」


 訝しげにしながらそんな事を言い出すマリアさんに、僕は吹き出した。


「いやいやいや、塩が取れるほどの汗ならとんでもない大滝ですよ!」

「そうなんですの?」

「そうなんです。だから汗をよくかく仕事をする人は、汗で失った塩分を取り戻そうとするから体が要求するんですよ。必要性から塩っぱいものが美味しく感じる。

 マリアさんはそうじゃないから、塩っぱくて好きじゃない。味覚って、体の要求にとても正直なんですよ。お腹が空いていると、食べ物が余計に美味しく感じるでしょう?」


 マリアさんはしばらく何か感慨深げにパンを見つめて、もう一口目を頬張った。また一生懸命食べている。

 さっきより小さな一口だったので、今度はいくらもしないうちに食べ終わった。


「……この塩辛さが美味しいと感じられるくらい、この人々は懸命に仕事をしていらっしゃるのね」


 そう感嘆しながら、行き交う人々を真剣な眼差しで見つめていた。

 僕は、そんなマリアさんの横顔に見とれながらもう一口頬張る。

 これを食べて、その感想が言える人がどれだけいるだろう。

 僕だって、騎士として働いて肉体労働を経験しているから分かるだけで。もし文官なんかになっていたら庶民の肉体労働者について、そんな風に敬意を持って思い至れなかったと思う。

 惚れ直すしかないです、本当にマリアさんは素敵な人だ。

 

 それから二人して無言で広場の喧騒を眺めながら、残りを食べきった。

 びっくりした。

 正直残すと思ってたんだ、量だって結構あるし。味そのものは、いつも食べているものと比べるべくもないし。

 でも、マリアさんは僕の倍くらいの時間をかけて一人で食べ切った。


「すごいな、僕だって初めて食べたときは本当に苦労したのに。顎、大丈夫です?」

「疲れてだるいですわ」

「当然そうですよね」

「キース様はどうしてこれを食べるようになったんですの?」

「それはですね、騎士学校の先輩による洗礼ってやつです」


 大体が柔らかいものばかり食べて育ってきた騎士学校の生徒は、まずは食堂の大雑把で量重視の食事の洗礼を受ける。それに慣れて騎士団の手伝いに出されるようになると先輩にここに連れてこられる。それで一番硬い羊肉を出す店のものを食べさせられるんだ。

 当然噛みきれないし、臭いし、中には吐きそうになるやつも出る。でも先輩の命令は絶対なので完食しないといけない。僕たちは死ぬ思いで、ほとんど泣きそうになりながら羊肉という思ってもみなかった強敵と戦った。

 もちろん今日はマリアさんに食べてもらうから、羊肉でも一番柔らかいのを出している店にしたけど。


「泣き言を言うと、先輩達にはお前ら深窓のご令嬢か? なんて囃し立てられたりして、なかなか辛かったです」


 実際はもっと下品な感じだ。

 おいおい、お前ちゃんと付くもの付いてんのか?

 お前の小指ちゃん、縮み上がってんのか?

 とかとか。マリアさんには聞かせるわけにいかないので、遠回しな表現にしてみた。

 

「それは何か意味がありますの?」

「んー、一応あると思います。はっきり理由を聞いたことはないですけど。多分そうじゃないかなーっていうのは」


 マリアさんはしばらく眉間に皺を寄せて考えていたけれど、お手上げという顔で悔しそうに僕を見た。うーん、これは分からないと思う。逆に分かったら怖いかもしれない。


「顎を鍛えると、良いことがあるんです」

「顎を?」

「そう。人間、ここぞと踏ん張るときはだいたい歯を食いしばるものです」

「ええ……そうかも知れません」

「顎を鍛えておくと、歯を食いしばった時に気合の入り方が違ってくるんです。より踏ん張りが効くというか。厳しい訓練で、もうダメだ、無理だ、って思ってから頑張れる量が増えるんです」


 マリアさんは驚きの表情で目をキラキラさせた。あ、これ、やる気になってますね。


「硬いものを噛んで食べると、鍛えられるのですね?」

「そうですね、それが一番近道だし、やりやすいと思います」

「うちで実践するとしたら、どうするのが良いかしら」

「え、やっぱりやるんです?」

「やりますわ! 気合の入り方が違うというなら、精神的なものが大きいのでしょうし、何かあった時に鍛えて置いて損は無いと思いますの」

「わかりました、帰ったらナタリーに相談してみましょうか」

「はい」


 嬉しそうなマリアさんを見て、本当意外なほど根性あるよなあと僕はしみじみ思った。

 そういうところも可愛い。頭を撫でてあげたくなる。

 しないけど。

 マリアさんの矜持的に、そういう子供扱いっぽいことはしちゃ駄目な気がする。めちゃくちゃプンスカしそう。でも、そういうマリアさんも絶対可愛いから見てみたい気もする。

 しないけど。


 そうこうしているうちに、仕事始まりの第二の朝の鐘が鳴る頃になった。既に広場は屋台が撤収していて、景色が変わっている。


「すごい。あっという間に片付いてしまいましたわ」

「うん、毎朝のことだからね、みんな手際がすごく良いんです。もう少し待つと、また違った光景が見られますけど、どうします?」

「待ってみたいですけど、座り疲れたので少し歩きたいです」

「じゃあ、神殿裏に井戸があるから行きましょう。塩辛いものを食べて喉もきっと乾いてますよね?」

「ええ、実は先ほどからずっと水が欲しくて」

「だと思いました」


 僕はマリアさんの手を取って立ち上がる。


「石の上に座っていたからかしら。なんだか体が妙に強張っているような変な感じですわ」


 確かに、いつもと違ってちょっとぎこちない仕草でマリアさんは立ち上がった。僕なんかもう石の上だろうと土の上だろうと板張りの床だろうと、座るのも寝転がるのも平気になったけど、最初の頃は体がギシギシしたなあ。

 

「僕もちょっと覚えがあります。訓練で疲れ果てて、ベッドまでたどり着けずに床に転がって寝ちゃうこともあったので。そういう時は、朝起きると自分が案山子かかしにでもなったような気分でしたよ」


 他愛もないことを話しながら、井戸に向かう。

 街中にある井戸は使用権利を持つ人が決まっているけれど、神殿裏にある井戸は神殿のものなので、参拝者に解放されている。木でできたコップを十シーリンで貸し出しもしていて、収益は井戸の管理に使われている。

 僕が渡した二枚の十シーリン硬貨を握りしめ、マリアさんは颯爽と井戸の管理人の元に向かった。水で満たした木のコップを大事そうに慎重に持って帰ってきたマリアさんは、初めてのお使いを成功させた子供みたいに得意げで、やっぱり頭を撫でてあげたくなった。

 

 しないけど。

 しないけどね!


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