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これは一体何事!?
僕は、目の前の光景が信じられずに爺やを見た。
「喧嘩が出来るほどお元気になられましたし、スケジュール的にも今の時期が最適かとナタリーと相談いたしました。もう二度と敷地内で遭難などされぬように肝に銘じて頂けますよう、心を込めてございます」
「ごめんなさい」
「よろしいのですよ。坊っちゃまの世話を焼くのは私めの生き甲斐でございますから」
爺やに優しさ溢れる微笑みで言われてしまった僕は、心から反省した。もう、絶対に二度としません。
完食出来るか不安だけど、死ぬ気で頑張ろう。
僕は覚悟を決めてフォークを手に取った。
僕はまだ話せていないマリアさんの様子をちらっと観察する。
困惑する様子もなく、いつも通りの澄まし顔だ。
なんか悔しい。
これくらい全然余裕だよ、もう大人だし!
僕はこんもりたっぷり盛られたセロリに、勢いよくフォークを刺した。
マリアさんのサラダは僕よりも量は少ないけど、セロリセロリしている。
何故か目が合った。
じっと見つめられて僕はつい唇を尖らせてしまう。
そんな目で見なくったって、ちゃんと食べます!!
僕は豪快にセロリをバリッと大口で頬張った。
直後に広がるセロリ独特の強烈な香りと味に即後悔した。
うえええ、噛みたくない!
でも噛まないと飲み込めないし!
失敗した、大失敗だよ、次からは細かくナイフで切って流し込むように食べよう!
僕がセロリを飲み込めないで涙目になっている前で、マリアさんはいつも通りの綺麗な所作でセロリを無言で食べている。
それを見てたら、なんだか負けるもんかって気になって飲み込んだ。
マリアさんの負けず嫌いが伝染したかもしれない。
胃から酸っぱいものがこみ上げてきそうなのは、気合いでどうにかした。
余計なことを考える余裕なんてない状況、僕は一心不乱にセロリを攻略し続け、ようやく空になった時には今度は達成感に涙が出た。
白ワインはセロリを流し込むために消費されてしまい、楽しむ間も無く空になってしまった。マナー的にはちょっと褒められないけど、今日は許してほしい。二杯目をと思ってちらっと爺やを見ると、視線で駄目ですと言われた。
え、何で!?
もしかしてお酒も制限がついてるお仕置きなの!?
困惑する僕の前で、マリアさんの手がワイングラスに伸びた。
いつもあまり量を飲まないのに、珍しくマリアさんもお酒がすすんでいるみたいだ。
「もしかして、マリアさんもセロリ苦手ですか?」
「常識的な量であれば、問題ございませんわ」
なるほど、こんな大量のセロリまみれのサラダは常識的とは言えないよなあ。
でもなんでマリアさんまで僕のお仕置きに付き合ってるんだろう?
セロリサラダをやっつけて、油断している僕の前に運ばれたスープからはセロリの香りがした。
僕は引き攣った顔でまた爺やを見た。
「セロリとベーコンのスープでございます。セロリは丁度今が旬でございますし、本日はセロリ尽くしとなっております」
にこやかに告げられた衝撃的な内容に、僕は一瞬気が遠くなった。
あれ、でもセロリ尽くしってマリアさんが言ってなかったっけ?
お仕置きにサラダぐらいじゃ甘いとかなんとかで。
思わず恨めしさを隠さずマリアさんを見てしまった。
マリアさんは、すっと目を逸らした。
なるほど、やっぱりマリアさんが一枚噛んでるらしい。
でも、仕方ない。あれは近年稀に見る大失態だったし、逆にこれで許されるなら有難いじゃないか。
僕は覚悟を決めてスプーンを手に取った。
そして遠慮なくゴロゴロ入っているセロリも一緒にスープを一口、行ってやりましたとも!
「……あれ?」
変だな、セロリだけど、そこまで気にならない?
僕はもう一口飲んでみた。
ベーコンの旨味が口いっぱいに広がる。目に見えている野菜はセロリだけだけど、多分他にも色々な野菜を一緒に煮込んでいる気がする。食べてみるとセロリはやっぱりセロリなんだけど、悪くないかも。
そうか、元々薬草扱いだった香草だし、ベーコンの臭み消しの仕事をしているから全体として整った味に感じるんだ。しっかりした味わいがあるのに、すっきりした後味というか。
マリアさんの様子をうかがうと、やっぱりさっきとは違って美味しさを感じているみたいだ。
「美味しいですね。セロリですけど」
「はい、本当にこちらの料理人は腕が良くていらっしゃるわ」
「本当に。この分だと罰にならない気がしてきました」
セロリは、料理次第で美味しいらしい。新しい発見だ。
苦手だから避けて来たけど、いつの間にか味覚も変わったのかもしれない。苦手だった麦酒もいつの間にか美味しいと思うようになったし。
とは言え、生のセロリはやっぱり未だにお仕置き野菜でしかないけど。
あれ?
そういえばいつの間にか普通に喋ってる。
マリアさんを改めて見ると、僕の視線に気付いたマリアさんは手を止めて僕を見つめ返した。
「あの時は、本当に胸が潰れるほど怖かったですわ。運び込まれたキース様はもう意識がなくて。とても心配しました。
でも、わたくしのせいでもありましたから。キース様だけ罰を受けるのは不公平だと思いましたの」
心配させてしまった事については反省しかないけど、そうか。手紙にもあったよね。犯してしまった罪なんて随分と重い受け止め方をしてた。
だから苦手なのに一緒に食べてくれたんだ。
珍しくトゲトゲしい気分だったけど、単純な僕はそれだけでトゲがボロボロ抜け落ちていく。
もともとセロリの衝撃で、いつの間にか普通に話せてたし。
おかしいな、僕の繊細なガラス細工の心は幻だったかもしれない。
「セロリ尽くしの提案をしたのはマリアさん?」
「ナタリーに看病は自分達に任せて、キース様が元気になった後のお仕置きを考えておくように言われたのですわ」
なるほど、確かにナタリーなら言いそう。
「今日にしたのは偶然?」
「カチェリナが気を回してくれましたの。それから他の皆も」
「えっ」
「仲直りの応援ですわ、きっと。だから罰は最初のサラダだけ」
そう言ってマリアさんが少し笑って、ちらっと爺やを見た。
僕もつられて爺やを見た。爺やは何のことか分かりません、みたいな顔をしていたけけど、うん。
そうだった。そもそも僕がお願いしてました。皆さんに僕の恋が叶うように応援して見守って下さいって。
めちゃくちゃ見守られてました。
あー、顔が熱い。
「それは、仲直りしないわけにはいかないですね」
「はい」
「セロリが美味しいこともあるって、驚くような発見もしましたし」
「はい。ですけれど、仲直りの前に休戦協定を結びませんか?」
「休戦ですか?」
急な申し出に僕は首を傾げた。
それ、期限が来ると戦が再開しちゃうやつじゃない?
「はい。やはり相互理解が足りていないゆえの行違いが、主たる原因だと思うのです。キース様はどう思われます?」
「ええと……うーん、そういうことなのかも?」
何だかちょっと堅苦しいけど、要するに義母上の事については会話が足りていないって事だよね?
「そういうことなのです。納得していないのに謝っても意味が無いですし、話し合いは必要ですわ」
確かにそうなのかも。形式的に謝って仲直りしても、納得したわけじゃないから意外としこりに残りそう。現に謝りたくないー、なんて僕もうだうだしてたわけだし。
それにいずれは何か答えを出さなきゃいけないんだから、きちんとマリアさんのお母上のことを話し合えるのは良いことだ。
「分かりました。結びましょう、休戦協定」
できれば休戦から和平条約に向かって突き進みたいです。
あと、なんとなく思った。
マリアさん、ちょっと僕に似て来てない?
いや、言葉遣いとか堅い感じとかは変わらないけど、話の運び方とかが。
夫婦は似て来るなんて俗に言うらしいけど、ちょっと顔がにやけそう。
昼間の感傷的な気分なんてもう欠片も残ってないあたり、僕って本当にお気楽野郎だなあ。
マリアさんの予言通りサラダだけが罰だったみたいで、メインの肉料理も美味しかった。セロリや他の野菜を細かく刻んだものを詰めた、鹿肉のオーブン焼きはセロリ独特のあの味がかなり消えていて、肉の旨味を引き立てる香り付けが食欲をそそった。
最後のデザートまでセロリだったのは驚きだったけれど、これについては微妙だった。セロリのムースとリンゴのジュレだったんだけど、僕からするとセロリのムースは激しく薬っぽかった。リンゴのジュレと一緒だから何とか食べられたけど、感覚的にはシロップで無理やり甘くした子供に飲ませる苦い薬と変わらないというか。
でもマリアさんは意外にも悪くない、みたいな顔してた。
気が付けばいつも通りマリアさんと会話も笑顔も絶えない食事を楽しんでいて、技と心のこもった料理の偉大さにしみじみ感動した。
すっかり元気を取り戻した僕は、調子に乗ってお休みのキスの前にマリアさんを早朝デートに誘った。
マリアさんは驚いていたけど、すぐに快諾してくれて、ちゃんとお休みのキスもしてくれた。
終わってみたら、大変素晴らしい一日だった。
幸せ。




