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 無視するわけにもいかないので僕達はベンチから立ち上がり、僕は渋々ベンを紹介した。


「どうも初めまして、ベンジャミン・ヨークベイです。いやあ、こんな美人と知り合えて嬉しいね」

「マリア・デルフィーネですわ」

 

 ああもう、すでに胃が痛い。他でもないマリアさんのために色々調べてくれたり動いてくれているし、元々機会を作ってマリアさんに紹介するつもりだった。

 でも今じゃない!

 マリアさんの前でジョンて呼ぶなって釘刺してない!


「それにしても驚きました。ジョンの奴の女神がこれほど麗しいとは思いもかけませんでした」

「まあ、お上手ね。ところでジョンというのは?」


 終わったー! 

 鋭いマリアさんが聞き逃すわけなかったー!


「ああ、騎士学校時代からのこいつの渾名です。ほら、田舎の間抜け男爵ジョン・ジョンビルを知りません?」

「民話に出てくる人物であっていますかしら?」


 マリアさんが僕を上目遣いで見上げて、にっこり微笑んだ。

 ああ、これ何かある微笑みだ。

 ですよねー、すみませんこんな情けない渾名付けられちゃう男で。

 僕は内心でズーンと落ち込みながら、顔だけは頑張って笑顔で答えた。


「さすが僕の女神ですね。正解です」

「ジョンが気取ってる! 気取ってるよ!」


 爆笑し始めたベンにも笑顔を向けた。


「ヒョロガリ君、喧嘩なら買うよ?」

「おー、女神様の前だからって勇ましいなおい!」


 手荒くバンバン背中叩くの、やめろって!


「こいつはですね、女神様の前ではこんな澄ました顔しているらしいですけれど、学校時代からトボけた奴で。

 なまじ立ち姿が良いだけに振り返るとエッ!?ってなるわけですよ。それで悪友の一人が“振り返ればジョン・ジョンビル”と言い出しまして。今じゃそっちの方ですっかり馴染んでしまって。ジョン、お前なんて名前だっけ?」

「奇遇だね、僕も君の名前が思い出せなくなったよ、ヒョロガリ君」


 ニヤニヤしているベンの顔面に一発食らわせたい!

 ああもう、全部バラされたよ……。


「とても仲がよろしいのね」

「ええ、出会ったのは子供と言って良い年齢でしたし、過酷な騎士学校時代の苦楽を共にした仲間です」


 おま! 肩に回した腕で首絞めんな!


 背の高いベンにやられると本気で抵抗しないと抜け出せないので、僕はあくまでちょっとしたコミュニケーションを装い、笑顔で奴の向こう脛を蹴った。

 拘束が緩んだのでささっと抜け出し、ベンチに広げたハンカチを回収。


「マリアさん、そろそろ戻りましょうか」

「何だよ、冷たいな。せっかく知り合ったのに」


 尚もニヤニヤとからかいたそうなベンに向かって、マリアさんがとても良い笑顔だ。

 あ。まずい。これまずい感じ。


「それにしても流石現役の騎士様ですわね、とても勇気がおありになるわ」

「え? いやあ……?」


 ベンはいきなりのマリアさんの発言に困惑している。

 僕はちょっと背中がひやっとし始めた。


「わたくしの叔母もそれは勇気があるんですの。わたくしは直接その場に居合わせなかったので人から聞いた話ではあるのですけれど。

 ご存知ないかしら?」

「いや、何というか……」


 さっきまでの態度はどこに行ったのか、もごもご困っているベンに対してマリアさんはすごい笑顔だ。

 怒ってる。これ怒ってるよ、マリアさん。

 勇気がある叔母って、多分ブロックフィールド子爵夫人だよね。

 こうなったマリアさんは満足するまで止まらないんだ、甘んじて受けろ、ベン。


「そう、ご存知でいらっしゃる。ええ、分かっておりますわ、随分と社交界でも話題になっておりましたし。わたくしにはどうやっても真似できない偉業といいましょうか。けれど、貴方様もなかなかですわ。

 ありがたいことに女神になぞらえて頂いた身としては、夫の称号は気にせざるを得ないところですの。かの御方もさぞや叔母の勇ましさに驚かれたことだろうと、我が身に起こってみてしみじみ実感いたしましたわ」


 要約すると夫を馬鹿にするな貴様は嫌いだ!というわけですね!

 まさかの展開にベンは動けない。

 そうだろう、お怒りモードのマリアさんはかなり迫力ある笑顔なんだ。


「キース様、せっかくお会いになられたのだもの、もう少しお話されたらよろしいわ。わたくしは一人で少し見て回ります。ええ、心配せずともキース様の視界から外れるようなことは致しませんわ」

「はい!」


 頭を冷やすからしばらく一人にしてくれ、ですね!

 了解です!


「ではごきげんよう」


 最後に特に良い笑顔でベンに挨拶してマリアさんは僕らに背を向けた。

 日傘を差して優雅に歩き去っていく姿をしばらく眺めた後、僕はがっくりとベンチに座り込んだ。ベンチの逆側の端に、ベンも気が抜けたように座り込んだ。


「あのな、ベン。僕のお嫁さんすっごく負けん気が強くてさ」

「……ああ、そうみたいだな」

「ありがたいことに僕に惚れててさ」

「……そうみたいだな、まじで死ねよ羨ましい」

「今後、僕のお嫁さんがいる前ではジョン封印でよろしく。みんなにも言っといて」

「ジョンの癖に生意気だぞ、ちくしょう」


 じわじわ嬉しさが湧いてきて顔が火照る。


「うん、本当すごく僕は幸せ者だと思う」

「くっそ、俺も結婚したい。俺の女神はどこにいるんだ」

「早く見つかると良いな」

「その余裕な態度、ほんと腹立つな。

 でもま、あの女神様のためならいくらでも力になるぞ。ジョンが惚れるのも分かる。

 末永く嫁さんの尻に敷かれろ、この果報者」


 最後にもう一度結構な力で背中を叩かれた。

 遭遇したのがピーターじゃなくてベンでよかった。

 尻に敷かれることについては、本気で良いと思った。

 マリアさんの椅子になれるなんてご褒美です。

 全力でマリアさんを支えて、いついかなる時も心地よい休息を提供したいです。

 

 僕はマリアさんの日傘が見えなくなる前に、ベンチを立った。

 今頃きっと、淑女らしからぬ言動をしたと落ち込んでいると思う。


「じゃあ、また」

「またな」


 僕は真っ直ぐマリアさん目指して走り出した。

 こうして迷いなく走っていって抱きしめたいと思える人がいるということは、本当に素晴らしいことだ。

 僕の世界は今日もマリアさんを中心にして光り輝いている。


「マリアさん!」


 彼女が振り返ると更に輝きが増した。

 案の定、マリアさんは少し不貞腐れたような顔をしていてつい笑ってしまう。


「格好悪い渾名を知られてしまって、僕は傷心なんです。帰ったら膝枕をして慰めてください」


 マリアさんはちょっとびっくりして目を丸くしたけど、すぐに赤くなって怒った顔になった。

 知ってる、これは照れてるやつ。


「仕方ありませんわね、どうしてもとおっしゃるなら」

「どうしても、お願いします」

「よろしくてよ」


 ツンと澄まし顔をしたマリアさんと再び並んで歩き始める。

 その横顔が可愛くて、どうにも顔がにやけてしまう。

 そしたら、そんな僕をちらっと横目で見てマリアさんが眉間に皺を寄せた。


「もう、全部キース様のせいなんですからね!」

「うん、ごめん」

「同性の友達がいないなんて手紙に書いてありましたから、いじめられているんじゃないかと気を揉みましたのよ?」

「うん」

「今なら年頃の女性と付き合いがないと言う意味だって分かりますけれど!」

「面目ないです」

「気の置けないご友人だと分かっております!」

「はい」

「でも、気に入らないものは気に入らないのです!」

「はい」

「わたくしのキース様は、間抜けなんかじゃありませんわ。それに顔だけしか取り柄がなさそうな方に比べたらずっとずっと格好良いのです!」

「マリアさん」

「何ですか!?」


 僕は湯気が出そうに怒っているマリアさんの唇を、日傘に隠れてそっと奪った。

 触れるか触れないか、そんな軽い口付け。


「好きです」

「……知っておりますわ」


 急速に鎮火してしおらしくなってしまったマリアさんは、また格別に可愛かった。


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