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 それぞれの家の伝統というのは、実に様々だと思う。

 子供の頃、どこの家でも同じだと思っていた常識が、実は違ったなんていう話は結構ある。

 家族にしか通じない名称なんかもその一つだ。

 貴族家は歴史がある分、理由の分からない伝統も珍しくない。

 例えば、ベンの家では火かき棒は常に二本セットで用意しないといけないらしい。その年初めて部屋で暖炉を使う時と、最後に使う時にその二本の火かき棒を打ち鳴らすんだそうだ。そしてこれは家長の役目なのだとか。

 なんとなく魔除けな感じはするけど、理由はよく分からないらしい。


「えっ!? お前ん家アレをやんないの!?」


 という驚きから始まり、


「子供の頃はそれが凄く格好良いと思ってたんだよな。跡継ぎの兄貴が羨ましかったのは、それが一番の理由だった」


 そんな台詞で落ち着いた騎士学校時代のベンだった。

 

 というわけで、家だけの常識といのがヴェルナ家にもあったりします。

 通常、貴族家に仕える使用人には上級使用人と下級使用人がいる。

 前者と後者を分ける一番の違いは、後者は主人一家に直接口をきくことが叶わない事。影に徹する下働き、という感じだ。上級使用人は専門知識のある使用人で、その知識で主人を直接支える。一番分かりやすいのは、男性使用人なら家を取り仕切る家宰や執事、女性使用人なら家政婦長や貴婦人に付き従う上級侍女なんかだ。

 そして、下級使用人というのは基本常に主人一家の目に触れないように行動する。

 この辺は家の規模が小さくて使用人の少ない男爵家なんかだと全然違うらしいけれど、ヴェルナ家と付き合いがある伯爵家以上の家では大体同じようなものかな。

 ヴェルナ家では彼らのことを“ブラウニーさん”と呼ぶ。


「家妖精ブラウニーは仕事熱心な内気さんで、人目に触れないように隠れるじゃないですか。ご褒美のご馳走が貧相だと機嫌を損ねて妖精界に帰ってしまうと言うし。ほら、ぴったりな表現だと思いません?」

「言われてみれば、確かに特徴は合致しますわ」


 マリアさんは僕の説明に、生真面目に頷いた。

 なんでこの話になったかというと、僕が「ブラウニーさん達の宴用の贈物をそろそろ用意しないと」と言い出したことが切っ掛けだ。

 当然、マリアさんはブラウニーさん達の宴って何それってなった。

 マリアさんに驚かれて初めて、それが我が家だけの常識だと知った。

 よその御宅では使用人達の舞踏会と言うらしい。

 それから贈り物の習慣もあまり無いらしい。使わなくなったお古のドレスをお気に入りの侍女に下げ渡したりすることはあるらしいけれど、全員に細やかな贈り物を用意するのは珍しいみたいだ。

 ちなみにマリアさん情報である。すごい。


「それにしても、マリアさんはよく知ってますね」

「同じ家格でも経済的な規模も内情も千差万別だと、色々教えてくださった方がおりましたの。社交界では自分の家の常識で物を言うと、相手に恥をかかせてしまったり恥をかいたりする羽目になるから気をつけなさいと」


 なるほど、とても行き届いた先生がいらっしゃったみたいだ。

 僕が感心して言うと、マリアさんは誇らしげに顔をほころばせた。


「エットル夫人という方ですのよ。淑女としての心得などを丁寧に教えてくださった恩人ですの」

「へえ、淑女マリアの育ての親ですね。それは是非お会いしてみたいなあ」


 エットル夫人というと、二代前のラドミス男爵の奥方かな。未亡人になられたのが随分前で、現在の男爵夫人と区別するためにお暮らしになっている別邸の名前で呼ばれていると聞いたことがあった。

 そんな雑談をしているうちに、本日の目的地に馬車が到着した。

 十二月に入れば年末の忙しなさにゆっくり時間も取れないから、今日はラティアス植物園にマリアさんを誘ったのだ。

 雨が降ったら美術館にでも行くつもりだったけれど、日頃の行いが良いせいか素晴らしい晴天だ。本日は十一月末とは思えない暖かさです。

 青いリボンで飾られた白い日傘を差して、薄水色の外出着姿マリアさんをエスコートして植物園をそぞろ歩く。

 雲ひとつない本日の晴天にぴったりの色で、更に初々しさ溢れる清楚なドレスのマリアさんは可愛すぎる。

 そう褒めると、マリアさんは恥ずかしそうにしながらも嬉しそうだ。

 うん、これは紛れもなくデートだ。決定的にデートだ。

 最高。


「どうです? とっても普通でしょう?」


 敢えてどんな場所か伝えていなかったので、この平凡極まりない植物園をマリアさんがどう思うかちょっとワクワクしながら聞いてみた。

 マリアさんは注意深く周囲を見回した後、首を傾げた。


「……植物園としては普通ではないのでは? ある程度目的があってこういう場所は作られるものでしょう? 趣旨が分からないのではっきりとは言えませんが」

「さすがマリアさん、鋭い。実はここ、この国固有の植物が集められているんです」

「固有ですか?」

「あんまりピンとこないかもしれないけれど、中央大陸とここでは自生している植物が全然違うんだそうです。栽培目的で昔中央大陸から僕たちの先祖が持ち込んだ種由来のものは別ですけど」


 特に顕著で分かりやすい違いは、樹木よりも草によく見られるんだとミラン兄上が言っていた。専門外ではあるけれど、昆虫と植物は切っても切り離せない関係なので良く知っているんだよね。


「ほら、このシダなんかは森に入ったらそこら中に生えているものですけど、中央大陸のシダはもっと小さくて。こちらのものはあちらの大体三倍くらい大きい。色もこんな風に白っぽくなくて、はっきりした緑なんです」


 マリアさんが素直に驚いたり感心したりするものだから、僕は得意になってミラン兄上仕込みの知識を披露した。

 やがて僕がお気に入りにしていた噴水のベンチにたどり着く。

 僕はもちろんサッとハンカチをベンチに広げた。脳内デートでの予行演習はバッチリです。

 僕はうきうきした気分でマリアさんの隣に座った。でも、マリアさんの横顔はちょっと浮かない顔で。

 僕は一気に背筋が冷えた。

 な、何かやらかしたかな?


「少し落ち込みましたわ。思った以上にわたくしは物知らずですのね。生まれ育ったこの地のことをこれほど知らないだなんて」

「そ、そんなんことないですよ! こんなこと知ってる人の方が圧倒的に少ないです! あ、偉そうに色々説明しましたけど全部ミラン兄上の受け売りですし!」

「そんなに気になさらないで。逆にやる気も湧いてきましたから。屋敷に閉じこもっていては無知であることにすら気付かないと知れただけでも僥倖というものですわ。それよりも、せっかく連れてきてくださったのに気落ちするような事を言ってごめんなさい」

 

 焦る僕にマリアさんは苦笑し、逆に謝られてしまった。

 ほんとどっちが年上だよ。自分にがっかりだよ。


「今の生活は、とても好ましいものですわ。ヴェルナ家の皆様はとても良くして下さるし。でも、一刻も早くデルフィーネの地を自分の足と目で確かめたいとも思います」


 僕は思わず溜息をついた。

 こういうマリアさんの率直さと真っ直ぐな眼差しは本当に眩しくて素敵だと思う。


「今日は十割恋人が良いかなと思っていたんですけど。五割は婚約者でいたくなりました。僕は君を支える騎士になりたいです。デルフィーネの地を歩く時、僕も連れて行ってくださいね」


 僕の恋人兼婚約者なマリアさんは、はにかみながらもしっかり「はい」と答えてくれた。

 そんな風に大変良い雰囲気でいたら、突然声をかけてくる無粋者が出た。


「よう! 美人連れのいけすかない男がいると思ったらお前かよ、ジョン!」


 そうだった、ここは騎士団の本部から近いから僕の憩いの場だったわけで。こういう展開になる可能性は低くなかった。


「邪魔するなよ、ロック師匠に蹴られても知らないぞ」


 僕は顔を引きつらせてベンに余所行きの笑顔を向けた。

 仲間内なら不満なんて今更ないし気に入っているけどな、マリアさんにはその渾名は知られたくなかった!

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