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またやってしまった!
そう思った。
またもや勢いに任せてムードもへったくれもない告白!
いい加減にしろと自分に言いたい!
一瞬肝を冷やしたけど、マリアさんは逃げずにいてくれた。でも、真っ赤になって怒ったように見える顔をしていたから、ここは大人しく叱られようと思った。
ああ、せっかくマリアさんが淹れてくれた紅茶が……!!
まだ中身の残っている取り上げられてしまったカップを思わず未練がましく目で追ってしまっていたら、マリアさんが僕の胸に飛び込んできた。
突然だったから思わず降参と言うように両手を上げて固まった。
でも、驚きは一瞬で。
そうか、怒ってたんじゃなくて、気持ちが高ぶってたのか。
やっぱりあの手紙は夢じゃなくて、さっきまでのもう殆ど告白みたいなマリアさんの言葉も、真っ赤になった可愛い姿も夢じゃないんだ。
この可愛らしい人が、僕に恋をしてくれている。そんな嘘みたいに夢みたいな幸せなことが、現実なんだ。
叫びたいのか泣きたいのか笑いたいのか分からない衝動が喉元まで迫り上がってきて、頭の中ではヘボ詩人殿が踊り狂っている。
でも僕の体はどうすべきかもう知っていて、僕の中の天変地異のような大騒ぎとは逆さまに、ただただ無言でそっとマリアさんを抱きしめた。
何度も読み返した手紙の一節が心に蘇る。
——今ここに在る貴方を想うわたくしという存在そのものが、答えの全て——
その答えの全てで、僕に応えてくれたんだ。無防備に、僕の胸に全部預けてくれたんだ。ここにある温もりは、マリアさんの心そのものなんだ。
じんわりと心の深くに染み込んでいくような幸福感に、いつの間にか僕の中の狂乱は過ぎ去っていた。
なんでだろう、幸せなのに凄く泣きたい気分。
僕も大概余裕がなくて、マリアさんのことに関してはいつも必死で。
でも、マリアさんに比べたらまだまだだと思った。
「敵わないなあ」
「……何がですの?」
僕の思わず出た独り言に反応して、腕の中のマリアさんが身動ぐ。木のウロから顔をちょこんと出すリスみたいに、僕の胸に埋めていた顔を見せてくれた。
うわあ、可愛いなあ。なんかもう、何時も可愛いのにその倍とか三倍とかそれくらい可愛い。
「僕の恋人は、なんて献身的な恋をする人なんだろうかってしみじみ思ってたんです」
「な、何をおっしゃるの?」
動揺している淑女らしからぬ顔も可愛い。これ、全部僕しかきっと知らないよね? 最高だ。この恋人同士の距離も最高。めちゃくちゃいい匂いがするし、生きててよかった。
「幸せすぎて、泣きそう」
「笑っていらっしゃるくせに」
ちょっと拗ねた顔も可愛い。なんかもう、言語中枢が可愛いに占拠されてる。語彙力が死んだ。
「凄く幸せだと、笑いたいのと泣きたいのが一緒にくるんです。あとは、叫びたいのと暴れたいのも」
「……それは、少しだけ分かりますわ」
「ちょっと意外です」
神妙な面持ちになってのマリアさんの答えにちょっと驚くけど、僕の部屋に訪ねてきてからずっと僕の言語中枢を攻撃しまくっているマリアさんの言動を思い出したら意外じゃないかもしれないと思った。
まずい、顔面崩壊待った無しだ。どうしてもにやける!
「いや、意外でもなかったですね。実はすごくマリアさんて情熱的だし」
「情熱……!? そ、そうかしら」
「うん。今日のマリアさん、すごく情熱的でドキドキした」
「……別に、誇張などはしておりません」
「うん」
「素直な気持ちを、伝えただけですわ。とんでもなく、勇気が要りましたけど」
「ありがとう、すごく嬉しかったです」
照れ隠しなのか、ちょっと怒ったみたいな顔になってるのも可愛い。
咎めるように睨まれても可愛いだけなので、余計顔が崩れます。
「……今日は十割、恋人なのですよね?」
「え? あ、はい。そうですね」
不意にマリアさんが何やら緊張の面持ちになった。
十割恋人。確かに言った気がする。
ベッドの上で抱き合う男女とか、十割恋人で正解です。
うわあ、改めて今の状況とんでもないよ、嬉し恥ずかし突き抜ける!
「それなら、わたくしは今日はただのマリアになります。淑女でもなく、デルフィーネの跡取りでもなく」
「じゃあ、僕はただのキースですね」
「その……恋人の願いはなんでも叶えたくなるものですわよね?」
なるほど、お願い事があるんですね!
緊張気味で恐る恐るなのがマリアさんらしいけど、大丈夫です。
マリアさんは無茶なお願いなんてそもそもしないと思うし、逆に多少無理なお願いの方が燃えます、恋人なマリアさんからのお強請りなんて、ご褒美でしかないです。
「是非是非、叶えたいです」
そしたらマリアさんは、すっごく小さい声で、本当に消え入りそうな声で恥ずかしそうに打ち明けてくれた。
「時々で良いので、キース様からの手紙が欲しいです」
なんなのその可愛いお強請り。もう、マリアさんは僕を確実に殺しにきている。
あの僕としては真剣に書いたけど、客観的にはちょっとどうかなっていうあの手紙、本当に大事に思ってくれてるんだ。恥ずかしくて死にそう。嬉しくて死にそう。
あんな感じで良いなら、いくらでも!
「書きます。出来ればマリアさんもお返事を下さい」
個人的な家宝にします!
「他には何かありませんか?」
「街歩きを……。小説で読んで、気になってしまって。歩きながら食べるって、どんなかしら。行儀の悪い事ですのに、何故こんなに魅力的に思えるのかしら」
「実際にやってみたら、きっとその魅力の理由がわかりますよ」
これもまた可愛い。いや、恋愛小説的には王道エピソードというか!
僕としては、すごいご褒美また来ました!
むしろ僕からお願いしたいです!
一人で妄想するのも楽しかったけど、二人で同じことを楽しみにできるって百倍いい!
僕が浮かれまくってるのが分かったのか、緊張して遠慮がちだったマリアさんの顔が緩んで来た。
「キース様は何かありませんの?」
何かどころか山のように色々あります!
でも、とりあえずは特に憧れているあれを……大丈夫かな?
い、一応ディーがエラにしてもらった話もあったし。
「僕は、その……、膝枕をして欲しいな、なんて」
「分かりましたわ。きっと叶えて差し上げます。他にはございませんの?」
あっさり了承をもらえてホッとした。
うわあ、楽しみすぎる。
その他にといえば、あれかな。
キャロに先を越されたのは本当に、本当に悔しかった。
「二人だけの特別な愛称が欲しいです」
「ディーとエラのような?」
「そう、そんな感じの」
二人だけの間でしか使わない愛称って、やっぱり憧れる。特別感溢れるというか。
「キース様の愛称、頑張って考えますわ」
緑の瞳がキラキラ輝いて、とても張り切っている。
うん。
もう無理。
さっきからずっと考えないようにしてたけど、もう無理。
だってほら、もう恋人同士になったし。
マリアさんは目でも声でも表情でも態度でも、全部で僕が好きって言ってて際限なく可愛いし。
「ところでマリアさん、今すぐ叶えて欲しいお願いがあるのですが」
「何かしら?」
今更そんな無垢な表情をされても止まれません、ごめんなさい。
ちゃんと自重しますから、許して下さい。
「目を閉じて下さいませんか」
マリアさんは目を丸くして真っ赤になった後、何も言わずに目を閉じてくれた。
腕の中のマリアさんは、彫像のようにカチコチになっていて、でも頬を上気させて目を閉じている表情は期待にも満ちているようで。
なんだか急に無理なんかしてませんと怒っていたマリアさんを思い出した。
思わず笑みが浮かんでしまう。
そうだね。
体が震えるのも、緊張してしまうのも、頭が沸騰しそうなのも、心臓が大爆走するのも全部。
無理しているからじゃなくて、恋しているから。
本当になんで、恋すると口付けしたくなるんだろう。唇と唇を合わせることに、どうしてこんなに惹きつけられるんだろう。
マリアさんに口付けしたくてたまらない。
目眩を起こして墜落するみたいに、僕はマリアさんの唇を奪った。
柔らかくて、少し冷たくて。
一度じゃ足りなくて、触れるだけの口付けだけど思わず二回めも奪った。
三回目の誘惑に負けそうになった時、マリアさんの様子がちょっとおかしいのに気づいた。
真っ赤になって固まっているのは変わらないけれど、妙にプルプルしているというか。
僕は慌ててマリアさんの唇に頬を近づけた。
吐息が触れない!
こ、これは息止めてる!?
「マ、マリアさん! 息しましょう!」
僕の焦った声に、ようやくマリアさんは目を開けて全力で走った後みたいに呼吸を乱して咳き込んだ。
背中をさすりながらマリアさんの様子をうかがったけど、なんだか呆然とした様子で。
僕は今更ながら自重できなかった自分を内心で罵倒した。
「大丈夫ですか? すみません、つい我慢できなくて」
ようやく呼吸が整ったマリアさんは、呆然としたまま僕を見上げた。
「恋って、比喩ではなく本当に命懸けですのね。心臓がどうにかなってしまうかと思いました。あの夜にキース様がおっしゃった事は本当でしたのね。さすがは大事故ですわ」
あまりにも真剣な顔で言うものだから、僕は一瞬何のことだか分からなかった。
それで理解が追いついた途端、噴き出してしまった。
確かに心臓発作起こしそうだとか命の危険を感じるだとか言った気がする。
「笑い事じゃないですわ!」
怒って抗議するマリアさんの、少し乱れてしまった髪を撫でて、米神近くに口付けた。
今日はこれで我慢。僕は潔く忠犬になることにした。
締まらないのはいつものことだし、急いでも勿体ない。
「やっぱり僕らには、まだまだ段階が必要みたいですね」
そうしたらマリアさんが妙に神妙な顔で確かに、なんて言うからまた笑ってしまった。
投稿時間に遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
昨日から体調を崩してしまい、もしかしたら明日はお休みするかもしれません。




