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 子供の頃と違って、薬飲んでぐっすり寝たら割と快適な目覚めだった。

 いや、全快とまではいかないし、まだ怠いし、熱だってまだ下がりきったわけじゃなかったけど。

 何が違うって、食欲があることだ。

 子供の頃は寝込むとほんと食欲がなくなって、無理に食べても吐いてしまったりして良くなるまで時間が掛かっていた。

 

 きゅ〜くるるるとお腹のあたりから鳴き声が聞こえる。

 騎士学校に入った頃から住み着いた僕のお腹の虫は、宿主の気分なんか関係なく今日もとても元気だ。

 可愛いやつめ。よしよし待ってろよ、今すぐ餌をやるからな!


「あー、あー」


 喉は若干まだ痛いけど、普通に声は出た。

 騎士学校の生活は辛いこともあったけど、生き物としてのしぶとさを得られた気がする。

 疲れ切ってぐっすり眠って、朝起きてお腹の虫が騒いで、空腹を満たす。

 そうすると前日どんなに落ち込んでても、背筋を伸ばして走り出せる活力が湧いてくる。頑張ろうっていう気になれる。

 僕のお腹の虫が健在な限り、僕はまだまだやれるんだ。


 呼び鈴を鳴らすとすぐにナタリーがやってきて、僕が何か言う前にお腹の虫が再び激しく食料を要求した。

 ナタリーは目を丸くして破顔した。


「それだけお腹が元気に鳴るなら、心配なさそうですね。今すぐ何か持ってきます」


 昨日めちゃくちゃ不機嫌そうだったナタリーは、そりゃもうご機嫌で部屋から出て行った。

 すごいな、僕のお腹の虫は大したやつだ。感謝していっぱい食べよう。





 食事の後、体を拭いてもらって着替えたら、うちの主治医をしてくれているマライ様がいらっしゃった。

 マライ様は医術の神様であるアングイス様に仕える神官で、王都の医学研究所にも所属している偉い人だ。

 僕にとっては子供の頃よくお世話になった、ツルツルに綺麗な頭がチャーミングなおじいちゃんだ。まあツルツルなのはマライ様だけじゃなくて、アングイス様に仕える神官はみんなそうなんだけどね。

 理由は昔聞いた気がするけど、忘れちゃったなあ。

 とにかく、そういう決まりらしい。

 

「随分と丈夫になったものだね。もうだいぶ喉の腫れも引いているよ」

「騎士学校で鍛えられましたから」

「だからと言って無茶はいけないよ。そういう過信こそが危険だ」

「いやあ、あははは……っ、ゲホゲホ」


 笑って誤魔化そうとしたら、そのまま咳き込んだ。軽く天罰が下った気分。


「今しっかり治しておかないと、冬本番になってぶり返してしまうからね。油断せずに、完治するまで大人しくしていなさい。薬は食後と就寝前だよ。就寝前にはカリンの蜂蜜漬けをお湯に溶いて飲むのも良い。それから、首回りに柔らかい亜麻の布を巻いて寝ることだ」

「はい、冬の風邪は喉を労ればだいたい防げる、でしたよね」

「そうだよ。よく覚えていたね」

「そりゃあうちで一番マライ様のお世話になったのは、僕ですから」


 マライ様は皺くちゃの手で子供の頃と同じように僕の頭を撫でた。


「結婚したと聞いたよ。君も遠からず親になるのだろうから、自分の体を大事にしなさい。そうでないといざという時に大事な家族を守れないのだからね。次に会うときは嬉しい知らせの呼び出しが良い」

「……期待に応えられるよう頑張ります」


 ちょっと恥ずかしくなったけど、久々にマライ様とお話できて良かった。



 マライ様が帰られた後、僕は薬を飲んでベッドの中でうつらうつらしながらさっきの話を思い返していた。

 マリアさんとの子供か。

 まだ影も形もないけれど、君が早く僕たちの元に来れるように頑張らなきゃな。

 ……マリアさんに会いたいな。

 それで、マライ様のことを話したいな。子供時代の楽しい思い出の話はしたけど、寝込んで辛かった時のことも話したいな。

 それからマリアさんの子供時代のことも聞きたい。風邪を引いたときの思い出とか、デルフィーネ家のツルツル様はどんな人なのかとか。

 それ以外のことも、たくさん。




 午後のお茶の時間を回った頃、今度はユーグがやってきた。


「やあ、キース。お前遭難したんだって? 敷地内で遭難するなんて驚いたやつだな」


 デルモットのやつ、話したな。

 ユーグは面白そうに笑いながら、寝ている僕のすぐ横に座った。


「見舞いに来るなんて、何企んでんだよ」

「何も企んでないさ」


 怪しい。未だ嘗てユーグが僕の見舞いに来たことなんて一度だってなかったのに。


「ちょっと話したくなっただけだ」

「……」

「お前さ、あっちの玄関ホールの階段下の横にある甲冑、分かる?」

「ああ、あの年代物の? 八代目の鎧だっけ」

「そう、それ。昔子供の頃あっちに泥棒が入ったことがあっただろ」

「えーと……ああ、明け方に兄上が暴れて追い出したってやつ?」

「あたり。あの夜さ、たまたま花摘みに起きた母上が泥棒に気付いて、盛大に悲鳴を上げたんだよ。俺も飛び起きて、階段を駆け下りたんだ。だいぶ外は明るくなってたから、灯りがなくても大丈夫なくらいでさ」

「うん」

「そしたら、あの甲冑が持ってる立派な槍。父上があれを振り回してて、不届き者め、我が槍の錆にしてくれるとか怒鳴ってて、泥棒が腰抜かしてた」

「すごい」


 一応僕も騎士だったわけで、あの甲冑の持っている槍と似たような奴を持ったことがある。とんでもなく重かった。

 あれを振り回すって、信じられない。


「それで腰を抜かした泥棒は捕まったわけだけどさ。俺も子供心に父上すごいとか感動した。そういうのってやっぱり憧れるだろ?」

「うん」

「持ち上げるくらいは出来るかもしれないと思って、こっそり持ってみた」

「どうだった?」

「持てた」

「すごい」

「回せた」

「それは嘘だ」

「真面目に回せた。あれな、中が空洞になってて実はすごく軽いんだよ。力自慢が思い切り握ったら潰れると思う」

「えっ」

「俺は困惑したよ。父上本人には聞けないし、感動して父上に惚れ直してるっぽい母上にも聞けないし」

「……うん」


 それは聞けない。僕だって絶対聞けない。


「それでお祖父様に聞いてみた。うちの家系は代々文系が多くて武張ったことが苦手だろ? でも、万が一の時に格好つかないから、ああいうのが置いてあるんだ、みたいな事を言ってた。まあ、確かに泥棒がびっくりして腰抜かしてたし、そういうこともあるかと子供の頃の俺は納得した」

「なるほど、知らなかった」

「でもな、子供も知恵ってものを身に付けて大人になるわけだよ」

「え、何か違ったの?」

「あれ、結構新しいやつだった。柄の端に工房のサインが刻まれててさ」

「うん」

「調べたら、芝居用の舞台映えするけど実際に戦ったら即折れる玩具みたいな槍だった」


 兄上……。

 僕は思わず遠い目になった。


「まあでも、父上が泥棒を退治したのには変わりないしな。母上の悲鳴を聞いて、ハッタリでもなんでも良いから必死で母上を守ろと奮闘したってことだし」

「そうだね……」

「うちの家族で集まるとな、たまにその話題が出るんだよ。父上の武勇伝。母上が嬉しそうに話すわけ」

「おおう……」


 居た堪れないよ、それ。


「元々、母上は大人しそうな顔して切った張ったが大好きなんだよな。舞台もそういうのばっかり観に行くし。実際泥棒の件は偶然だったんだし、やるやらないは別として父上が母上に良い格好してみたくてあれ買ったのかなって思ったらさあ……」

「……」


 なんかもう、言葉がない。


「それで昨日の夜だけど。キャロがその槍持ってた」

「え」

「キャロが知ってるってことは、母上も知ってる」

「うはあ……」

「掌で転がされてるよな、父上」


 切ない。とっても切ないよ、兄上。

 僕とユーグ、二人して遠い目になって、同時に溜息をついた。


「あの堅物の父上が、信じられないよな」

「ちょっと知りたくなかった」

「でも、俺が思うに母上にとっては全部分かった上で、父上は勇者ヒーローなんだろうな。あと、父上でさえそうなんだから、男ってほんと馬鹿だなって思った」


 ユーグはそんなふうに締めくくって、可笑しそうに笑った。

 僕も確かになあって笑った。


 でも、そこからユーグの雰囲気がガラッと変わった。酷く面目な顔になって、長い付き合いだけどお目にかかったことのない表情で、ちょっと怖い。


「何? なんかあったの?」

「ずっと気になってたんだけどさ。お前、なんで父上に古代文字教わるのやめたの?」

「なんだよ急に」


 いきなり予想外の質問に、僕は目を白黒させた。


「よく覚えてないけど、兄上の仕事が忙しくなってとか、そんな感じじゃ無かったっけ?」

「そういうことを聞いてるんじゃない。俺はお前より二つ年上だし出来は良い方だったけど、父上の趣味にはついていけなかった。うちの家系は特定の分野にのめり込む奴がよくいるから、お前も父上と同じかと思ってた」

「えー、それはないよ」

「そう。そうじゃなかった。同じ家庭教師についてただろ?」

「セイン先生のこと?」

「そいつ。お前な、二個上の俺にあっという間に追いついて、同じテストで俺より点数良かった。それも全分野」

「えっ、何それ。そんなこと無かっただろ? ユーグの方がいつも点数上だったじゃないか」


 何言ってるんだ、ユーグは。

 僕にはいきなりこんなことを言い出すユーグの記憶力が本気で心配になった。僕の記憶のどこをひっくり返して見ても、そんなものは見つからない。

 ユーグの方がいつも点数良くて、僕はセイン先生にいつも怒られてた。もっと真面目にやれって。


「あの日以降はな」

「あの日ってなんだよ」

「お前、本当に何も覚えてないんだなあ」


 いやいやいや、心底呆れたように言うけどさ、それユーグの勝手な捏造記憶じゃないの?


「俺の母方の祖母は覚えてるか?」

「もちろん覚えて……あれ? スコフィール家のお祖母様だよね。お祖父様の方は思い出せるんだけど、お祖母様の方はどういう方だっけ」

「やっぱりそうか。思い出せないんだな」


 だからなんなの。何一人で納得してるの。


「あの日、俺の九歳の誕生祝いで親戚が集まってた日にな、あのクソ婆はお前をぶっ叩いたんだよ。こんな小さいうちから父上に媚を売って、後継の座を俺から掠め取ろうとするなんて、なんて卑しい性根だ、末恐ろしい悪魔の子だとか喚き散らしてな」


 僕は絶句した。

 なんなんだそのおば様方が好きそうなエグいドラマ。


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