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「おはようございます、マリアさん! 良い朝ですね!」


 言ってから気付いた。雨の音がザーザー結構な音量で聞こえてくることに。

 どうりで冷え込むわけだ、今日はもう暖炉に火が入っている。


「そ、そうですわね、たまには雨の朝も良いものですわ!」


 お互いにガチガチに緊張して、右手と右足が一緒に出る勢いです。

 ご挨拶の軽い口付けのはずが、精神的に全く軽くないこの重圧感……!

 頬か額か、それが問題だ!

 やはりここは昨夜のお返しで頬にすべきだろうか、でも距離が急に近すぎるよね頬って唇に近いし!

 僕は心の中で落ち着け自分と繰り返し、固まっているマリアさんの額に口付けようと身を屈めた。そしたら直前でマリアさんがぎゅっと目をつぶってしまった。


 縦皺が眉間に寄ってる。可愛い。


 思わず額から軌道修正して、その縦皺にそっと唇で触れた。

 なんだかすごく良い匂いがした。


 ドキドキしながら息を詰めてマリアさんの反応を見守る。

 マリアさんはおずおずとした様子で目を開くけれど、視線は斜め下を見たまま恥ずかしそうに俯いた。

 良かった、怖くはないみたいだ。

 安堵すると共に、一気に顔が火照ってくる。

 僕は意味もなく咳払いなんかして、マリアさんの椅子を引いた。

 ちょっとぎこちない様子でマリアさんが着席すると、僕も向かい側の僕の席に着いた。


「……」

「……」


 いつもならすぐに銀のトレーに積まれた封書に手を伸ばして作業を始めるのだけど、何となくお互い動き出せなくて沈黙が落ちる。

 緊張しているのか高揚しているのか、その両方なのか、僕はすごく姿勢良く座っている。多分、どんな辛口のマナーの先生でも満点をくれる。それくらい背筋が伸びていると思う。

 雨の音と自分の鼓動、たまに暖炉で火が爆ぜる音ばかりが聞こえる沈黙は、気まずいわけじゃない。

 どうしたら良いか分からないけど、でも困ってるわけじゃなくて、この時間を動かしてしまうのが勿体無いような、してはいけないような、不思議な感覚。

 要するに、僕は感動しているんだ。

 しみじみ噛み締めちゃってるんだ。

 余韻に浸っているんだ。

 ああ、最高。


 そんなことを考えていたら、不意にマリアさんが立ち上がった。机を回り込んで、僕のすぐ隣に立つマリアさんを見上げて僕は首をかしげる。

 あ。この感じ初めてだ。

 跪いた時とまた違う、見上げた視線の先のマリアさんの表情。ちょっと目元が赤くて、やっぱりまだ視線は合わせてくれなくて。


「そんなに見られると困ります」

「えっ」

「目を閉じて下さいませ」

「あ、はい」


 言われるままに目を閉じて、それからある予感に息を止めた。

 自分の鼓動が雨音を駆逐して、ガンガン主張し始める。

 まるで本能みたいに勝手に僕の全部が全身全霊かけてマリアさんの動く気配を感じ取ろうとしている。

 微かな衣擦れの音、揺れる空気と近付く温度。

 そして僕の眉間に触れた儚い温もり。


 それから弾かれたように走る足音があって、椅子を引く音と少し乱暴に腰を下ろす音が聞こえた。

 僕はなんだかうまく呼吸ができなくて喘ぐように溜息をもらし、そっと目を開けた。泣きそう。

 目の前でマリアさんが真っ赤な顔をしながら猛然と封書を開いて、読み始めた。

 まだドキドキがおさまらない。昨夜の不意打といい、僕の思いに一生懸命応えようとしてくれているのが意地らしくて、可愛らしくて、ああもう、ほんと好き。大好き。              


「マリアさん、ありがとう。すごく、嬉しい」


 僕がそう言うと、マリアさんは怒ったような顔になって手紙を読むのをやめた。相変わらず目は合わせてくれないまま、また眉間に皺を寄せて。


「わたくしはガラス細工ではありませんわ。案外図太いのです。キース様はわたくしに気を遣い過ぎです」


 マリアさんの言葉に、僕は驚いた。そういう受け取り方をされるとは思っていなかったから、僕の頭はなんでだっていう疑問で埋め尽くされた。

 

「別に気を遣ったわけじゃないですよ。本当に嬉しかったから」

「……怖くないか、嫌じゃないかと確認するではないですか」

「それは……やっぱり心配だし」

 

 また予想外の言葉をもらって、困惑する。あれ、なんかよく分からないけど擦れ違いみたいな何かが起こってる気がする!?


「平気です」

「平気そうに見えないよ?」

「慣れてないだけです」


 拗ねた様子のマリアさんは虚勢を張って意地になっているようにも見えた。


「ええと。嬉しいけど、無理はしないで」


 僕がそう言うと、今度はマリアさんの顔が泣きそうに歪んだ。


「もう、それが嫌なんです! キース様が優しいのは分かっています。でも無理なんかしてないのにそう言われるのは悔しい。言ったではないですか、キース様のことは怖くないと。わたくしは、わたくしは……!」


 またまた予想外の反応に僕は慌てた。

 マリアさんを泣きそうにさせるなんてとんだ極悪人だ!

 誰だよ!

 僕だよ!

 あとそれから、遠回しに好きって言われてるなんて錯覚しそうで頭が混乱した。だってほら、怖くないからどんどん行こう的な!

 言葉に詰まって黙り込んでしまったマリアさんを前に、なんとか頭を働かせる。

 ええと、つまりマリアさんからしたら腫れ物扱いに感じちゃったとかそういうこと?

 むむ、それは考えが及ばなかった。確かにそれだと居心地悪く感じるかも。

 特別優しくしてるつもりはなかったけど、マリアさんを心配するのも一番に気に掛けるのも譲れないところだからどうしよう。バランスが取れれば良いのかな。


「分かりました、じゃあこういうのはどうですか。週に一度、僕が我儘を言います。それをマリアさんが極力叶えるように頑張ってもらう。マリアさんに優しくするのも心配するのも僕としては譲れないところなので、そこは変えられないから」

「何故譲れないんですの? 普通でよろしいのに」


 それこそ何故そんなしょんぼりした様子で言うんですか、マリアさん。

 ……なんだか本気で色々伝わってない気がして来た。


「マリアさんは僕の一番大事な人です。だからガラス細工より大事に扱いたいんです」

「……一番、ですの?」


 だから何故そんな疑わしげなんですか、マリアさん!

 これは憧れの告白とか思い描いてる場合じゃない気がして来た!

 前々から薄々そうじゃないかと思ってたけど、本当に全然伝わってない!


「一番です! あの、なんだか全然僕の気持ちが伝わってないみたいなので再度表明しますけど。僕はマリアさんが好きですからね、恋愛的な意味で。ほとんど一目惚れですから。

 あ、ええと、マリアさんは一目惚れは信じない派っていうのは知ってます。

 でもですね、この前のお芝居の時に説明したみたいに後付けっぽいところもあるというか、文通の時点でかなり好きで、結婚式で出会ったらやっぱり好きで、一気に世界が輝いたというか!

 それで一目惚れしたーなんて浮かれててですね。

 だから顔だけを好きになったとかそういうのじゃないです。真面目なところも可愛いしい、負けず嫌いのところも可愛いし、真剣な横顔とか特に可愛いと思ってますし、あと僕のことをよく見ててくれてるのも嬉しくて好きだし、昨夜の不意打ちとかさっきのとかももう天使過ぎるし、色々おさまらなくて昨夜は一睡もできなかったくらい好きです。

 とにかく好きです。大好きです。

 そのマリアさんが僕のお嫁さんだなんて、好きになり放題、愛したい放題できるなんて最高とか思ってます!」


 

 ……だから焦ると全部白状しちゃうこの癖、本当どうにかしたい……!!


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