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「そうですか運命の相手にもし出会っても申し訳ありませんが愛人止まりにしていただけると助かりますわそれからなるべく秘密裡にお願いします顔を合わせるのも気まずいですし別宅がよろしいかとそれから後々揉めないように綿密な取り決めを」
「ちょ! マリアさん何言い出すんですか! あくまでも今日のお芝居の中の話です!」
「そ、そうでしたわね、お芝居の話でしたわね」
僕はあの初夜をまざまざと思い出していた。動揺するとマリアさんは結構思考が暴走するんだよなあ。
一応落ち着いたらしいマリアさんに僕はホッとして、浮かしかけた腰をまた椅子に戻す。
と言うか、あの赤面もののうっかり告白、覚えてないんだな。いや、覚えていたとしても一目惚れを信じないとかハッキリキッパリ言われちゃったしなあ。
いやいや、そんなことで黄昏たくなってる場合じゃ無い。
おかしな誤解をされないようにしないと!
「ええと、誤解があるようなので先に説明しますけれど。僕が思う一目惚れというのは、単独の大事故じゃなくてですね。なんていうか、素敵な人だな、なんてパッと見て感じる人は結構いると思うんです。それを切っ掛けにして大事故に至った場合、振り返ってみるとあれは一目惚れだった、なんて思ったりするものです。
僕が言っている意味、分かります? 後付けの納得っていうか」
順番が多少違うけど、ほぼ僕自身の経験談なわけですが。神妙な顔のマリアさんを見るに、全く気づいて無いですね、とほほ……。
「なんとなく」
「僕が言うのもなんですけれど、血縁関係にあるので王家の方々と近く接する機会に恵まれています。これはもう感覚的なものなので説明が難しいんですけれど、独特の雰囲気があるんです。公の場では、母上にも感じるオーラと言うか」
王家の人間だから誰にでもあるってわけじゃ無いけど、自然と首を垂れてしまう威厳のようなもの。
マリアさんの感想も言われてみればそうかもって納得する部分もあるけれど、生身の人間として王家の人々と関わりがある僕は、切実な現実感を覚えるんだよ。
「それで実際に第三国でお互いに正体を隠した状態で舞踏会で出会ったとして、直感でお互い察するものがあってもおかしくないなって僕は思うんです。確かに立場もありますし自制するのが当然だと思います」
僕なんか比べようもなく色々なものに縛られている、陛下やお祖父様達。
陛下は心から亡き王妃陛下を愛していらっしゃったけれど、立場ゆえに愛妾を迎えなければならなかった。お祖父様は国を乱さないために、名目だけの王太子として種馬である生き方を貫かれた。語られない葛藤や苦しみがたくさんあったに違いないんだ。
だからこそ、僕には主人公達の恋に違和感が無かった。深く考えたことがなかったけれど、改めてどうしてかを考えると曖昧だったものが明確になってくる。
「お互いに身分を明かしたのは、他国にお忍び滞在中という状況で気が緩んでいた部分もあるかもしれません。滞在中だけの期間限定の恋と割り切ってしまおうなんて最初は思っていたかもしれません。
でもその結果、惹かれるものがあった二人は和平のための政略結婚という体裁を整えれば、何ら問題なく結ばれるかもしれないという可能性に気づいてしまったとしたら?」
それは、抗えない誘惑だろうなと思ってしまうんだ。
「いずれ国の決めた政略結婚をするのが運命だと思っていたところに心惹かれた相手と政略結婚が可能だと知ったら、その人が自分の運命だと思っても無理ないなって思うんです。二人はまだ十代で若くて、ましてや周囲の思惑とは無縁の場所で偶然出会ったなら余計に。だから僕には二人の恋がとても現実的に思えました。
お互い王族として背負うものの重さも孤独も理解し合える。そういったことも恋を後押ししたのかもしれない、なんて思ってしまうんです。政略結婚という体裁を整えようとしたのも、罪悪感からなんじゃなかと穿ってしまう。未婚の王子王女が国益を無視して恋を叶えようとしたら、それは罪にしかならない。我ながら感傷的だなあとは思いますけれど」
じっと僕の話に耳を傾けていたマリアさんは、相変わらずの生真面目で神妙な顔付きで小さく頷いた。
「なるほど、納得ですわ。そういう視点で考えたことが無かったので勉強になります」
「勉強するようなものでもない気がしますけどね。そろそろ行きましょう、僕たちが最後のようだ」
何となくマリアさんが沈んだ雰囲気なのが気にかかったけれど、どうやら僕たちが最後の観客になってしまったことに気づいて少し慌ててしまった。
マリアさんをエスコートして、軽食などが出されているホワイエに移動する。観劇を終えた人々の社交場にもなっていて、ワイングラス片手に話を弾ませる紳士淑女で賑わっていた。
僕たちもワインでも飲もうとカウンターに向かう途中で、若いご令嬢にマリアさんが声を掛けられた。
「まあ、マリア様! 御機嫌よう」
「ドロテア様、御機嫌よう。デビュタント以来ですわね」
「ご結婚なさったとお聞きしましたわ。おめでとう御座います」
「ありがとう御座います、こちらがわたくしの夫ですわ。キース様、こちらドロテア・マグナー様です」
「初めまして、キース・デルフィーネです」
マリアさんと同じ十六歳か。マリアさんに比べると童顔で、まだまだお嬢さんて感じの笑顔が可愛い人だ。
夫として紹介されると、何だか照れてしまう。実情は友人段階ですが。
ドロテア嬢のエスコートをしていた男性の紹介もされた。
婚約者だというネイサン・マルイーズだ。若いなあと思ったら、十七だった。
マルイーズ伯爵家の次男か三男だったはず。あそこの麻は質が良いんだよね。
あれ、そういえばマグナー子爵令嬢って最近聞いた気がする?
ええと、何だっけ。あ、象形文字をマリアさんに教える切っ掛けになった人か。思い出すと、次々にそれ関連の記憶が引き出される。
「そういえば、貴女は見事な刺繍をされると妻から聞いております。もしや家業の方でも尽力を?」
「ご存知ですの? ええ、私は古い刺繍の修復を手伝っておりますの」
「やはりそうでしたか。マグナー子爵夫人の刺繍の修復士としての腕は聞き及んでおります。今、そちらにうちの絨毯の修復もお願いしているんですよ」
「まあ、そうでしたの? 絨毯ですと、叔父の工房ですわね」
マグナー子爵家は古い絨毯や刺繍、レースなどの修復を手掛けていることで、その筋では有名なんだ。修復の中でも特に作業工程の煩雑さだったり原料が入手困難だったりで、今では一般的でなくなった古い染色技術を神殿と協力して守り続けている。
うちの絨毯もかなり古いものだから、時間が掛かっているんだろうな。そして料金もかなり良い感じです。こういう技術にお金をケチってはいけない。
そして早く仕上げろとせっついてはいけない。
古いものと言っても時代も様々だし、大物の修復依頼はなかなかあるものじゃないので後進の教材になったりもするからね。じっくりやって下さい。
そして同じ入り婿同士ということで、ネイサン君には何だか懐かれた。二人の結婚は来春らしいけど、既にマグナー子爵家に同居しているらしい。
マリアさんはドロテア嬢のお誘いで、今度マグナー子爵家にお呼ばれする約束をしていた。
良いことだ。
個人的な友人はやっぱり必要だと思うし、立場的にも共感できるものがあるんじゃないかな。家のこととは関係ない友人がいるのといないのとでは全然違うと思う。
僕の場合、家の関係の友人の方が殆ど居ないわけだけども。あいつら本当に容赦無いからなあ。なんていうか、僕の友人達ですってマリアさんに紹介するのが怖いというか。
いや、良い奴らだけど、全体的に荒いんだよね。絶対驚く。
驚くだけならまだしも、引かれて呆れられそう。
そんなことを考えていたからか、帰ったらその友人達から手紙が届いていた。内容は僕からしておいたお願いに対する返事だったんだけど、なかなか悩ましい感じで。
近いうちに会うことになりそうだ。




