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 デルフィーネ家からマリアさんの荷物が届いて、その中にはデビュタントの時に着たドレスもあった。舞踏会に着ていく衣装の打ち合わせで来ていた義姉上は、偶然見たそれにいたく感心していた。


「あの時は遠目でしたから。近くで見ると素晴らしさがよく分かるわ」


 飾り帯の刺繍が見事だそうで、迷惑でなければ是非キャロに見せてやって欲しいと頼まれていた。

 まあ、そういうことだから今回に限ってはキャロの我儘だけってことではないんだけど。


「ごきげんよう、マリアお姉様!」

「よくいらっしゃいましたわ、キャロル」

「お母様がお姉様の刺した刺繍は見事だから、勉強してきなさいって。

 刺繍をするのは苦手だけれど、素敵な刺繍を見るのは大好きなの!」


 僕は、大変面白くないです。

 何が面白くないって、マリアさんがキャロを“キャロル”って呼ぶことが。

 キャロっていう愛称は子供っぽくて嫌だからキャロルって呼んで下さいとか強請って、子供の特権であっさり許されるあたり、狡い。

 まだ愛称で呼び合う段階まで行ってない僕にしてみれば、先を越された感じで非常に面白くない!

 それに僕だってまだマリアさんのデビュタント衣装を見た事がない。

 義姉上に絶賛されてた刺繍を僕も見たいって言ったら、荷解きが全部終わって落ち着いたらという話だった。

 だから、まだ見てない!


「キャロ、僕に挨拶はないの?」

「あら、キースお兄様ったらいらしたの? 今日の午後はマリアお姉様は私のものですからねーだ」


 この〜〜〜!


「いけませんよ、キャロル。いくら親しい間柄でも挨拶はきちんとすべきです」

「はい、お姉様」


 マリアさんに窘められて神妙な様子で居住まいを正したキャロが、僕の前に立つ。マリアさんに見えていないのを良いことに、にやっとした顔で。


「キース叔父様、ごきげんよう。叔父様の細君を少しばかりお借りいたしますわね」

「丁寧なご挨拶ありがとう、キャロライン」


 にやにやしながら気取った物言いをするキャロに顔が引きつる。

 この生意気娘め。

 そう思っていたら、キャロに袖を引っ張られて耳打ちされた。


「キースお兄様ったら不機嫌丸出しよ。お姉様のこと好きなのは分かるけど」

「……うるさい」

「お姉様のデビュタントドレス姿、見てみたくない?」

「イースのショコラでどう?」

「約束よ」


 キャロよ、頑張ってくれ!




 姪っ子の頑張りに期待しつつ、叔父さんである僕はアルマ子爵領関係の仕事を片付けてしまうことにした。と言っても、頭脳労働を全開にしないといけないような内容じゃない。至って平和な田舎なので、問題自体もそう複雑なものもないんだよね。

 粉挽き小屋の修繕だとか、冬前のこの時期恒例の狩りについての報告だとか、狩の神様である女神ピケを祀っている神殿に例年通り依頼したとか、その費用宜しく的な書類にサインしたりとか。

 あとは村の鍛治職人が後継を探しているっていう話が来ていたから、これも神殿に話をつけにいかないとな。

 大昔は中央大陸でもそうだったけど、たくさん神様がいるメディーカ教は各職業の守護神がそれぞれいる。鍛治職人の守護神は火の神ゴーランが一番有名だけど、生活に必要な道具を作る鍛治職人の場合はゴーランだけじゃなく知恵の神であるソフィケスも守護神になる。武器類を作る鍛治職人の場合は戦神ディケスも守護神になる。

 実際に職業に合わせて複数の神様を祀っている神殿も多くて、併設の修道院は職業訓練所でもあったりする。指導役をこなす神官は、引退した職人さんな事も多い。ここで一人前と認められると下級神官の肩書きも手に入るんだ。神官の肩書き有りの職人は信用度が違う。

 中央大陸で言うと、職業別の組合みたいな役割を担っているんだと思う。

 あっちは色々な経緯を経てメディーカ教は一神教へと変貌を遂げてしまったので、その辺が分離して独自の発展を遂げた感じだ。

 今アルマにいる鍛治職人さんも、急死した前の人の代わりに神殿に頼んで斡旋してもらった人だ。

 ただ、エトワール始め中央大陸の国々と国交を開始してからじわじわ神殿と職人の関係は揺らいできている。こちらにはなかった職業や、中央大陸から持ち込まれた新しい技術なんかは神殿の管轄に無いからだ。うちは田舎国家でもあるし、距離的に離れた海を隔てた陸地だから何とか対応できているけれど、航海技術がどんどん進歩しているから今後はその変化は加速していくだろう。

 でも、出来るだけ多くを良い形で残せたらいいなと、貴族である僕は思うわけです。

 とりあえずそれは横に置いて、目下のところのアルマ子爵としての懸案事項は孤児院の職員の増員だ。アルマ子爵領にある神殿に併設された孤児院は、ヴェルナ家の領地全土から身寄りのない孤児を集めているんだ。

 下は二歳から上は十三まで三十人ちょっといる。

 職員八人のうち、若い二人が結婚して退職することになったので人手不足確定です。

 おめでたいけど、頭が痛い。職員が全体的に高年齢化しているから、若い人に抜けられると単純な人数以上に打撃が大きい。

 こっちはロウィーが繋ぎの人員を確保していてくれたけれど来年の夏までという話だから、それまでにいい人を見つけないとな。

 ぶっちゃけた話、この孤児院の運営こそがアルマ子爵領で一番難しい仕事だと思う。予算はヴェルナ侯爵領から出ているから金銭的には大きな問題はないんだ。

 ただ子供を育てれば良いっていうものじゃないから、そこが難しい。引き取り手がない時点で頼れる親戚もいない子供達は、大人になった時の経済的な自立が何よりも大事。そうじゃないと納税してもらえないからなあ。

 まあ、平和で人口が少なくて、食料事情が悪く無い我が国だからこそできることではあると思う。ミラン兄上から聞く大陸の貧民と、我が国の貧民とでは全然状況が違う。孤児の扱いなんて、実際に見聞きしたミラン兄上からの話でもにわかには信じがたかった。路上生活で犯罪に手を染めなければ生きていけないなんて。

 その子たちはいつまでも子供じゃなくて、いつか大人になるのに。

 我が国では孤児はそれぞれの領主と女神ディアティア系列の神殿に委ねられいてるけれど、最終目標は健全な納税者に育てあげるということで一致している。それが結局孤児を増やさない一番の方法だと考えられているからだ。少なくとも常識ってことになっている。

 侯爵領の利益にも繋がり、なおかつ職員達の報告書などを参考に子供の適性を判断して道を付けるところまでやるんだけど、案外利益にも繋がるようにっていうのが曲者なんだよね。うちは小麦と豆各種の栽培、牧畜が盛んだから、ほとんどは農民になるんだけれど、それ以外の職業の場合が結構難しい。

 必要だけど、不人気な職業っていうのはどうしたってあって、どうしてもそのしわ寄せを孤児にさせがちなところがある。親の職業を継ぐことを幼い頃から当たり前として育つのとは違い、孤児はそういう刷り込みがないから、誘導しないとまずなりたいとは思わない。

 とはいえ、庇護者のいない孤児にとって上から示される道はほぼ拒否できないから、適性のある子は割と問答無用で未来が決められてしまうのが実情だ。

 でも将来長くその職業で貢献してもらうには、心情的な部分は決して蔑ろに出来ない部分もあって。そういうところを考えると胃が痛い。

 墓守人かあ……好き好んでやろうと思える職業じゃないよな。絶対必要だけど。


 ちなみに、アルマ子爵領の館は孤児院のお隣さんである。

 ヴェルナ家に生まれた子供は、皆春と夏をアルマ領で過ごすのが決まりだ。

 隠居した前当主の元で、領民を数字で見てはいけないこと、利益をどこに還元するのかということ、豊かさとは何かということ、そういうことを学ぶ為だ。

 貴族が何のために生かされているかということでもあるかな。

 孤児院で出会った子供の頃の友人とは、色々な思い出がある。

 身分という目に見えないものの存在を、僕に強烈に刻み込んだしょっぱい思い出も。


 なんだか、不意にユーグの顔が頭に浮かんだ。


 進むべき道が明らかになっていることは、僕はずっと幸せなことだと思っていた。僕はいつでも宙ぶらりんなところで、どこにも行けずに漂っていたから。

 あの頃の僕は明らかに肉体労働よりも頭脳労働に向いた子供だった。にも関わらず、母上は僕を騎士学校に放り込んだ。

 放っておくとどんな朴念仁になるか恐ろしいからと、恋愛小説を読むことを強要した。

 なんとなく、考えたら色々分かるんだと思う。

 でも、僕は多分それが怖くて。能天気なふりでずっとやり過ごしてきた。

 無意識に都合が良い。

 そう言われる意味を、僕は実のところ一度も真剣に考えたことがない。

 そうやって疑問に思っても、知らない方が良さそうなことは考えないように生きてきた。

 知らなくても何とかなるという気持ちもあるけれど、それ以上に怖いから。


「逃げてばかりじゃ、マリアさんの隣には相応しくないよなあ」


 友人ごっこのお陰か、大分マリアさんとも砕けた間柄になってきた。口調はまだ固いけれど、幼い頃から淑女として叩き込まれたものだから今更崩すのも難しいと思うし、あれが彼女の素なんだと思う。

 本当に真面目だし。

 でもただ堅物っていう感じではなくて、結構好奇心旺盛だと思う。今朝だって割とあっさり男文字に挑戦してたりとか。しかも凄く真剣に書いてた。

 僕が勧めた恋愛小説にも、真剣に感想も述べてくれた。

 でも今回のお勧めは失敗だった。初心者に丁度いいかなと思って、いわゆる玉の輿に乗る子爵令嬢と公爵嫡男の恋愛模様を描いた作品を紹介したんだけど、最初の感想が領地経営についての心配だった。

 婚約がほぼ決まりかけていた伯爵令嬢を断って子爵令嬢を選んだ訳だけど、そもそも婚約が持ち上がった理由が両家の結びつきによって領地経営に大きな利益が見込めるからだった。

 婚約した後ではなかったのがせめてもの救いだけど、コケにされた形の伯爵家とは取引が絶望的ではないかというマリアさんの予想はものすごく真っ当だけど、これ恋愛小説だからねっていう。

 そこ、注目するところと違います。

 まあ確かに現実には色々と無理があると思う。当主教育を受けてきたからか、マリアさんは背景の方が気になって恋愛には全く入り込めなかったみたいだ。

 逆にマリアさんからお薦めされたのは『黄昏の庭』っていう歴史小説。中央大陸にかつてあった小国の滅亡を描いたもので、なかなか読み応えがある。もしかしたらと思って聞いてみたら、エドワード兄上が持っていたので借りました。

 この本をマリアさんに薦められたと言ったら、驚いていた。

 そうだよね、年頃のご令嬢が読むような本じゃ無かったよ。

 専門書に近いものがあるから、学術的な色々は結構読み飛ばしてしまっている。さすがエルベ老を師と仰ぐだけある。

 他には統計学応用論についての本が興味深かったと聞いたけど、完全に領地経営に関係する専門書だった。

 なんていうか、マリアさんにはこれといった趣味が無いみたいだ。刺繍も必要な教養だからという感じで、仕上がった時の達成感は好きだけれど、刺繍そのものが好きというのとは違うらしい。

 彼女と話していると、跡取りとしても貴族女性としても一直線に努力してきたんだなって感じる。

 それ以外は脇目も振らずに来たんだろうなって。

 今朝一生懸命、男性文字に挑戦していた時の顔が思い浮かぶ。

 たとえお遊びでも何かに取り組む時は真剣で、僕はと言えばそんな彼女を眺めるのがとても好きだ。綺麗だし、何よりとびきり可愛いと思う。

 一人っ子だから子供らしい遊びもほとんど経験ないみたいな事を言っていたけど、本当勿体無い。

 僕がマリアさんの幼馴染とかだったら、きっと凄く素敵な冒険がたくさん出来たのにな。歳の差も少なくて、二つくらい僕が年上とかでさ。

 ちょっと年下の可愛い女の子の手を握って、色んな冒険をするんだ。真夜中の探検、大事な宝物を隠した秘密の地図、子供しか知らない生垣の抜け道に、大人には内緒の花畑。

 子供の頃の遊びって真剣であればあるほど、とびきりの思い出ができるものだからなあ。真剣に遊ぶ小さなマリアさんは、きっと凄く可愛い。

 たくさんの共通の思い出の上に幼馴染として育った二人に、いつしか淡い恋が芽生えるんだ。

 うん、幼馴染同士の恋愛小説も定番だけど良いんだよな。こう、しみじみするっていうか。

 今度良さそうなのをマリアさんに推薦してみようかな。

 そんな事をつらつら考えていたら、ふと朝のやり取りを思い出した。

 兄弟姉妹がいることが羨ましいって言っていた。

 安易に仲間に入れば良いとか言ったけど、今思うとそういうことじゃないよな、あれは。

 子供の頃から知っているからこそ、遠慮なく色々言えることってある。

 例えばユーグのことだって口では色々言うけど、本当はマリアさんに何かするような事はないと信じてる。ユーグもまたそれを分かっている。

 その根拠はと言えば、血が繋がっているからというよりは子供時代を一緒に過ごしたユーグとの絆なんだと思う。

 キャロのことだって我儘娘だなんて言ってるけど、良いところもたくさん知ってるし、なんだかんだで信じているんだ。

 多分、そういうことが羨ましいってことだったんだと思う。

 安易な返事をした自分が恥ずかしい。

 でも、過去はどうやったって変えようがないから、ある意味正しいのかな。

 うん、前向きにこれから思い出をたくさん作る方向で頑張ろう。


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