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 夢を見た。


 絵皿で見たトカゲのように、デフォルメされたサンショウウオの幼体の夢だ。

 真っ白なずんぐりした体に、青いつぶらな瞳。頭には金髪の代りに黄色いマーガレットが咲いていた。

 そして、小さくて短い手には布で出来た素朴な人形を持っていて、一生懸命に人形のお世話をしている。

 短い指を器用に動かして、毛糸で出来た茶色の髪を丁寧に三つ編みにして、赤いリボンを結んでいた。

 それから裁縫箱から作りかけの人形用の服を取り出して、チクチクと縫い始める。

 モスグリーンの裁縫箱には色とりどりの花が描かれていて、蓋には小さな羽を持つ妖精が描かれていた。

 途中で糸が絡まってあたふたしていると、その描かれた妖精がふわりと浮き上がって絡まった糸をスルスルと解きほぐした。

 それからはその妖精の手助けもあって、その姿からは想像できないくらい器用に、魔法のようにあっと言う間に青い小さなドレスが出来上がった。白い小花の刺繍まで胸元にあしらっている。

 出来上がった小さなドレスを人形に着せて、それから人形用の小さな椅子に座らせた。

 いつの間にかそこにあった小さなテーブルセットに、小さな茶器セット。

 可愛らしいパンジーの模様のポットと、ティーカップ。

 色とりどりの花が咲き乱れる庭、空は不思議なピンク色。

 頭に花を咲かせたアホロートルが一匹、布の人形と妖精を相手に楽しそうにおままごと。

 ごく幼い子供に読み聞かせるような、優しいお伽話のような光景だった。

 

 幸せそうな、他愛もない夢。

 

 けれど、目覚めたマリアはなんだかひどく切なくて、悲しくて、涙が零れた。










「そういえば、荷解きは終わりました?」

「一応は」

「キャロが来るって言ってましたけど、大丈夫?」

「何事も経験ですから。年下と接する機会がありませんでしたし、丁度良いと思いますのよ。少し怖い気もしますけれど、失敗してもキース様が取りなして下さるのでしょう?」

「それはまあ」

「今までは籠の鳥でしたけれど、これからは領地に直接降りて見て回ることもあるでしょうし、慈善事業にも関わることになりますから。世界を広げておかねばならないと常々思っておりましたの。小さな一歩に過ぎませんが、彼女にお付き合い頂けるなら願っても無いこと」

「マリアさんは真面目だなぁ。でも、我儘が過ぎたら叱ってやって下さい。唯一の女の子だし、一番の年下だからみんな甘いんです」

「羨ましく思いますわ。兄弟姉妹がいらっしゃるのを」

「マリアさんも仲間に加われば良いんですよ。既にキャロにはお姉様認定されているわけですし。貴族社会じゃ、殆ど顔を合わせたことがない兄弟姉妹も珍しくない。僕だって騎士時代はキャロとは年に一度会うかどうか……よし、終わった!」


 最後の手紙を書き終えて、キースはペンを置くと思い切り伸びをした。

 二階のテラスのある居間は、二人だけのプライベートな空間になりつつある。

 結婚から一週間も経つと、新婚期間だからと遠慮していた人々から手紙や招待状が届き始めた。

 毎朝、銀のトレーに積み上がる封書を見て憂鬱になることが日課に加わったのだ。それだけでなく、舞踏会やお茶会に出席すればそのお礼状を書かねばならなかったし、今後繋がりを持ち続けたい相手にはきちんと内容を吟味した手紙を書かねばならない。

 そんなこんなで、社交の季節には貴族の午前中はだいたいこんな作業で終わってしまう。通常寝室には手紙を書くための文机があり、ベッドで朝食を取ったらゆったりした部屋着に着替えて、そのままそこに向かうというのが一般的である。

 夜会などは夫婦二人で出席するので、お礼状も夫婦で出す。いずれデルフィーネを担う跡取り夫妻として、マリアとキースも相談しながら手紙を書く必要もあった。

 しかし、二人の寝室は別々である。

 そこで、二人の寝室から近い二階の居間に文机を持ち込んで、朝食後に共同作業することに決めたのだ。

 雑談を交えながらの作業は、案外二人にとってお互いを知る良い機会になった。

 夜会へのお礼状を書こうとすれば、主催者夫妻や出会った人物についてあれこれ話すこともある。そうすると、お互いがどういう人物を好ましく思うかや、どこを見て判断しているのか、そういうことが分かってくる。

 作業しながらなので、本音もぽろっと溢れやすい。

 その中でマリアが知ったのは、キースにはかなり大雑把なところがあるということだった。

 それと退屈が嫌いで、決められたルールの中にちょっとした遊びを持ち込もうとする。

 考え方は大変楽天的だ。それ故か、たまに無神経である。

 兄弟姉妹が羨ましいと言っても、子供時代からの付き合いで築いた絆が羨ましいのだ。ちょっと考えれば分かりそうなものを。

 そして、後々ちょっと考えて理解して慌てるのだ。

 文通のことを思えば意外ではなかったが、肩の力が抜けた。

 今まで接したことのない種類の男性だった為、どうも勝手に印象を上方修正してしまっていたらしい。

 ただ、マリアのことはとても気に掛けてくれている。

 あの晩餐の日のような、急に距離を詰めてくるようなことはあれから一度もない。

 そのかわりマリアが提案した親友ごっこを意識してか、他愛のない雑談は勿論のこと、好みの小説を教え合おうと誘ったり、観劇に誘ったり、その感想を言い合ったり、そういう交流を積極的にしてくれる。

 意見が合わなくて、軽い口論のようなことも経験した。

 親友と言っても具体的にどうするかという視点が欠けていたマリアには、とても有難かった。

 この二週間でだいぶお互いに砕けた雰囲気になってきたと思う。

 

「わたくしの方も終わりましたわ」


 ふう、と一息つくマリアにキースが封蝋の準備を始める。

 書き上げた手紙を封筒に入れて閉じると、キースに渡した。


「前から思っていましたけど、マリアさんの手蹟は美しいですよね」


 不意にしみじみと言うキースに何事かと首を傾げる。


「そうかしら? エペローナと比べたらそうかも知れませんけれど」

「そこは忘れて」


 若干恥ずかしそうにするキースに、マリアはくすっと笑った。


「感心しているんですわ。わたくしには男性が書く文字を綴るのは無理ですもの」

「案外やってみれば出来てしまうものですよ。基本は同じなんですから、試しに書いてみたら良い」


 書き損じを寄越すキースに、ふむ、とマリアは一考する。

 字に集中するには、内容を考えながらではない方が良いだろう。

 そう判断して、適当に暗唱した詩の一節を綴ってみる。


 男性文字の特徴である曲がり角の鋭角を強調した形は、曲線の優美さが命の女性の書き文字とは対極にある。

 基本は確かに同じ文字だが、どうしても書く速度は遅くなる。やってみれば出来なくはないが、美しい流れのある文章には程遠い。

 あちこちインク溜まりになりかけていたエペローナの文字を思い出して、あれは当然のことだったのかと思う。

 ましてや人に出す手紙と考えれば、とてもではないが今日挑戦してすぐ出せるようなものはマリアには書けないと思った。

 エペローナの手蹟は多少残念でもきちんと流れもあり、違和感は無かった。


「難しいですわ。キース様、実は結構練習されたのではなくて?」

「うん、しばらくは毎日練習してたかな。書き損じも相当にありました」


 見せてと言うように楽しそうに手を差し出され、渋々書き損じの紙を渡す。


「おー! 僕より遥かにマシだ。僕の最初の頃の失敗作は絶対見せられないなあ」

「まあ、本当に?」

「本当に。マリアさんならちょっと練習すれば綺麗な男性文字も書けると思うよ」

「それ、習得して何か役に立ちます?」

「男装の麗人ごっこができますね、手紙で」

「それって楽しいんですの?」

「うーん、楽しいかどうかって聞かれるとどうだろう? でも、奇妙な気持ちは味わったかな」

「奇妙?」

「そう、奇妙」


 キースは神妙な顔で頷く。


「手紙を女性文字で女性らしい言葉で綴ろうとしたら、全然無理で。今考えたら当たり前ですけどね。だから書く内容だけ先に決めてしまおうと思って、下書きは男性文字で書いたんです。

 ちょっと想像してみて下さい。男性文字で書かれた女性の手紙を」


 エペローナの手紙の内容を男性文字で……。

 マリアは想像してみて、思わず噴き出した。


「そ、それは確かに奇妙ですわね」

「でしょう?」

「いつだったかのミラン卿の話を思い出しましたわ」

「ああ、お化粧するのが男性の嗜みという」


 二人して思い出し笑いをして、どちらからともなく片付けを開始する。


「ねえ、キース様」

「はい?」

「わたくしも、キース様の文字は美しいなと常々思っておりましたの」

「え!? あ、うん。ありがとう」


 驚いた顔をした後で照れているキースを見ていると、胸のあたりが温かくなる。

 親友だと思えば、相手もそう思っていると思えば、素直に相手を褒められるのだ。褒め言葉も素直に受け取れる。

 この人が好きだと、素直に思える。

 それが、婚約者だとか夫だとか思うと途端に色々訳が分からなくなってしまうのだ。

 だから、もう少しだけ。

 甘やかされていようと思うのだ。


お待たせしました、第二部をお届けします。

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