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「本当に楽しい文通でしたわ。性別やお名前は違いましたけれど、伝わって来た貴方のお人柄を信じています。あの日々があったから、」
僕の手を、今度は両手を、マリア嬢の一回り小さな手が捉える。
「こうして、貴方の手に恐れることなく触れることが出来ます」
手から伝わる温もりが、逆に昨夜の怯えた彼女の表情を僕に思い出させた。
物理的な距離は近くても、決して触れられない距離があった。
エスコートで触れ合うのとは違う。そうすることは、当たり前のことだから。
彼女から触れてくれた。
そのことの意味を、どれだけ僕はきちんと理解できるのだろう?
最初に僕の手を握ってくれた時、浮かれて馬鹿なことばかり考えていた自分を本気で殴りたい。
僕には見えない何かを乗り越えてここにいる貴女のことを、僕はもっと知りたい。知らなきゃいけない。
僕は深く息を吸って、目を閉じた。
彼女を驚かさないように、僕はゆっくりした動きで彼女の両手を握り返す。
細くて、頼りない華奢な指。
何も言わないで僕に委ねてくれる、その指先がほんの少し震えた。
それでも、じっと逃げずに僕の手の中に収まってくれている。
「少しだけ、このままで」
さっきまで見えていなかったことが、視界が開けるように色々と分かる。
僕自身はすっかり忘れていたけれど、確かにミラン兄上に揶揄されたアホロートルの話を書いたと思う。
少しでも笑いの種になって親しみを持ってくれたら良いなと、軽い気持ちで書いたんだと思う。それから、実物を見て落胆されたくないからって言う予防線もあったと思う。
エペローナの正体が僕だと気付いてから落胆して憤りながらも、マリア嬢はもう一度僕自身が書いた手紙として、内容を思い返してくれたんだ。
それがきっと、あの言葉に繋がった。
僕の容姿を、美しくはないけれど愛嬌があって慕わしく思うと。
考えると嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで、どんな顔をしたら良いか分からない。
劣等感は確かにあるし、過去に随分弄られたり嫌な思いもしたけれど、結局のところ深刻な何かなんてなかった。
それに自分の顔が嫌いかといえば、そんなことは決してなくて。
でも、そんなふうに僕の過去を思い遣ってくれたことが嬉しくて泣きたくなる。
目を開けてマリア嬢を見てしまったら、衝動的に抱きしめてしまいそうだ。
だから僕は目を閉じたまま、彼女が楽しかったと言ってくれた文通で繋がった日々を思い出す。
「僕も。僕もいつも貴女からの便りを心待ちにしていました。文面から貴女のお人柄が伝わってきて、とても素敵な人だと感じました。貴女に喜んでもらえるよう壁紙や家具を選んだり、庭に植える花や配置を考えたりする時間は、本当に幸せなものでした」
「まあ、同じですわ。エペローナ嬢に似合うのではないかと思うと、ついついわたくしには似合わない首飾りに手を伸ばしてしまったりしましたのよ。色違いの日傘を並んでさして、お気に入りだというラティアス植物園をご一緒に散策できたらどんなに素敵かしらと想像したりもしましたの」
弾むような声に、マリア嬢が嬉しそうに笑っている顔が浮かんだ。
ボタンのかけ違いはあったけれど、交わした手紙が繋いでくれたお揃いの記憶が嬉しかった。
「首飾りは無理ですが、今度是非カフスを僕に選んで下さい。それから、ラティアス植物園へも行きましょう。貴女がエペローナと一緒にしたいと思っていたこと、その通りには無理でもできる限り一緒に挑戦しましょう」
「……それなら、一つお願いがありますの」
「何でも言ってください」
迷うような少しの沈黙の後のお願いに、僕は一も二もなく請け合う。
「その、どうしても婚約者という間柄と考えると、男性を意識してしまって。対抗心や反発心が抑えきれないところがあるのです。
そのせいで色々と不調法なことをしてしまいそうになりますし」
異性として意識されるのは嬉しいけど、そういう意味じゃないよね。
不調法……あの可愛かった反応のことかな?
「ですので少し遠回りになるとは思いますけれど、友人という段階を入れて頂けたらと思いましたの」
その発想はなかった。
初々しい婚約者ごっこのさらに前段階が必要だったらしい。
「それにそれだけではなくて……」
続けようとするマリア嬢が言い淀む。
「教えてください、知りたいです」
マリア嬢の手を包んでいる、僕の両手に少しだけ力を込める。
そうしたら、マリア嬢も応えるようにおずおずと握り返してくれた。
「……ずっとエペローナ嬢をわたくしの最初の特別な友人になってくれる方と思い定めておりましたから、他の方がその位置をいずれ占めることになるのだと思うと……上手く言えないのですけれど、悔しくて。
ですから、ごっこで良いのでその真似事にお付き合い頂けませんか?
キース様風に言うと、文通で親交のあった友人同士が実際に会って親友になりますごっこ、ですかしら」
嫉妬とも独占欲とも取れるような言い分も、僕を真似た慣れない言い回しに少し緊張した声も、最高に可愛らしくて愛しくて思わず顔が笑み崩れた。
「硬いです。それを言うなら文通仲間と実際に会ったら相性ばっちりであっという間に親友な二人ごっこです」
なるほどと感心するマリア嬢の真面目な反応がまた可愛らしくて、耐えきれずに噴き出した。
そしたら、マリア嬢もややあって笑ってくれた気配があった。
僕の手の中でマリア嬢の両手が震えていたから。
もう大丈夫。
何がもう大丈夫なんだか理論的なことは何も言えないけど、とにかくそう思った。
僕はゆっくりと目を開ける。
そしたら、マリア嬢は少し俯いて眼を閉じていた。
まるで僕の行動をなぞるように、僕の目の前でそっとマリア嬢の瞼が上がる。
僕に寄り添おうとしてくれたんだ。
そう思うと愛しい気持ちが溢れて切ないくらいだった。
目と目が合って、どちらからともなく微笑み合う。
恋愛小説のヒーローなら、ここでぎゅっと抱きしめて、口付けぐらいするところだろうな。
さっきまでの僕なら、きっとそうしたいと浮かれて舞い上がっていた。
でも、今は。
「回り道も寄り道も、きっとマリアさんと一緒なら楽しい」
ヒーローみたいに格好良くはない僕だけれど、ヒーローよりもずっと近くで君の心に寄り添って歩いていきたい。
これにて第1章は完結となります。
キースとマリア、二人それぞれバラバラだった気持ちの立ち位置が近付き、ようやく一緒に並んでスタートラインに立ちました。
面倒な長い前置きからここまでお付き合い下さった優しい読者の皆様、本当にありがとうございました。
感想などありましたら、励みになりますのでお寄せくださると嬉しいです。
ブックマークや評価して下さった方にも感謝です。
毎日続きを待って下さっている方がいると思うと、疲れてしんどい日も推敲作業を頑張ることができました。
第二章については活動報告の方に予定を書きますので、気になる方はそちらをご覧ください。




