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「随分と一日で打ち解けたようじゃないか。エルベ老が良い娘だと仰っていたから、お前には堅物すぎるかと思っていたが」
晩餐を終えてユーグ以外の男性陣は遊戯室に集まった。ユーグは友人と約束があるとかで、所属する紳士倶楽部に出掛けた。
それにしても、エルベ老って誰だっけ?
僕は急いで頭の中でエドワード兄上関係の人名帳を捲る。
「中央神殿の地下の主だった人でしたっけ。何でそんな人がマリアさんを知っているんです?」
エドワード兄上は古代文字をこよなく愛している。
神殿とかの柱に刻まれたり、守り紋に使われている専門家以外は読解できない一般人には謎の絵文字だ。
中央神殿の地下というのは、植物紙や羊皮紙以外のものに記録された貴重な歴史的資料を保管しているところで、石や木に刻まれたものからタペストリーのように織られたものまで様々なものがあるらしい。
兄上が趣味の古代文字研究で行き詰まることがあると意見を求める人がエルベ老で、今は引退しているが長いこと地下保管庫の管理を任されていた人だ。
いつもの淡々とした様子で、エドワード兄上は僕にブランデーを手渡して一言。
「歴史教師の真似事をしたと」
「えっ!?」
何で!? どう考えても一貴族子女の家庭教師なんかする人じゃないですよね!? だって立場的にもアレだし……。
困惑する僕に、ミラン兄上が噴き出した。
「ミラン、お前は?」
「少なめで。最近年なのか酒に弱くなってね」
「父上」
「頂こう」
全員にブランデーが行き渡ったところで、ソファでそれぞれ寛ぐ。
「キース、ウィリーの交友関係はすごいぞ。ある意味デルフィーネ伯爵位を継ぐのは茨の道だな」
「何でそうなるんです?」
「ウィリーは凄腕奇人変人ハンターなのさ。昆虫に興味のない普通の人間で、私を親友と思ってくれる人は貴重だ。彼と知り合ったのはまだ子供の頃だったけれどね、当時から彼は変わり者と呼ばれる人に好かれていたよ。もちろん普通の友達も多かったが」
「それは……とても意外です。ちょっと想像できないですね、今の伯爵のご様子からは」
どちらかというと気難しい印象で、交友関係が狭いような想像はできるけど、その逆はなかなか想像つかない。
「色々あったからね、ウィリーには。けれど、変わらない部分もある。
ウィリーは自分は大して興味のない昆虫の話を何時間でも笑って聞いてくれる奴でね。しかも退屈そうな素振りも見せず、楽しそうに。他の奇人変人に対してもそうだった。
不思議に思って、子供の頃一度聞いたことがある。そうしたら自分の飛びたい空を持っている君たちが好きなんだと言っていたよ。自分は持っていないからと」
「自分の飛びたい空を持っている、か。なかなか子供にしては洒脱な物言いだな」
父上の感想に、ミラン兄上は自慢げにそうでしょうと笑った。
そんな台詞を言う人には見えないけど、素敵だと思った。僕には飛びたいと思う空が無いから、そこで点数を稼げないのはちょっと残念だなあ。
でも、その気持ちは分かる。
昆虫の話に延々と付き合わされるのはキツイと思うときもあるけど、楽しそうなミラン兄上を見るのは好きだから。
「なるほど、お前は随分と良い友を持っていたんだな。羨ましいことだ」
「はは、ウィリーなら兄上の退屈な古代文字の魅力についての力説も何時間でも聞けると思いますよ」
「何故紹介してくれなかったんだ」
「ウィリーは私の親友なんです。ウィリーの時間は私に優先されるべきで、兄上に譲るなんて勿体ない。
なあ、キース?」
おっと、いきなりこっちに飛び火したぞ!?
晩餐前のキャロとのやりとりを揶揄われて、ちょっと赤面した。
「そうですね。時間は有限ですから」
澄まして答えておいたら、今度は父上に笑われた。
「息子達の中でお前が一番呑気だと思っていたが、狸寝入りでもしていたのか?」
「狸寝入りか、そりゃあいい」
「今までが雌伏の時だったというわけか」
兄上達にまでまた笑われてしまった。嫌じゃ無いけど恥ずかしいよ、もう。
「冗談はさておき、借金でデルフィーネ家が大変になった時に所謂普通の友達はウィリーと距離をおいた。彼らにとって友達はウィリーだけじゃなかったからね。
奇人変人でも跡取りの立場がある奴らも、表面上疎遠になった。彼らの本意ではなかったろうが、家の意向には逆らえない」
それは、うん。きっと辛かったろうな。でも個人の感情より優先されるものがあって、それを守るからこそ僕ら貴族は生かされている。
「結果的に残った友人は、私みたいに気楽な次男三男坊で、柵もないかわりに財産も権力もない、だが飛びたい空だけは持っている馬鹿どもばかりだった。まともな友人がウィリーだけという奴も多かったからね。彼の家が背負った大借金は、私たちにとって友人関係を続ける上での大問題にはならなかったのさ。
しかしまあ、そんな状況だったからね。奇人変人の方が信用できると彼が思うのも無理ないことだ。
私は海外にいる時間が長かったから詳しく知らないことも多いけれど、仲間からの便りで彼の社交は奇人変人に狙いを定めたものに変わったことは知っていたよ。元から奇人変人に好かれやすい人だから、それはもう優秀な奇人変人ハンターになっただろうね」
「その一人がエルベ老か」
「その一人に恐らくマーシャル君もいるな。最新式の望遠鏡を手に入れた話を聞いたが、その出資元の一つはボーダル男爵だったはずだ」
なるほどとエドワード兄上が頷き、父上が心当たりを付け加えた。
多分、マーシャル君というのは父上の趣味仲間だろう。父上は暇さえあれば星図を眺めたり、自ら作製したりしている。隠居してからの父しか知らないけど、割とやりたい放題している人だと思う。
正直、母上とどうして僕が出来ちゃうほど仲良くなったのか全く謎だ。
小さい頃はずっと書斎に篭って仕事をしているんだと尊敬していたから、成長してだんだんと真実を知るにつれて切ない気分を味わったよ。
幼い頃の純粋に尊敬していた僕に謝って欲しい。
まあ隠居するまでは頑張っていたのだろうから、僕の勝手な言い分ではある。
「ところでキース。何でエルベ老がマリア嬢の教師の真似事をしたかということだけれどね」
「はい?」
「奇人変人だけに、その道に関しては誰にも譲らないくらい知識量と熱意に溢れているわけだよ」
「はあ」
「ウィリーは今でこそあんな捻くれた顔で気難しい男を装ってはいるけどね、あれでなかなか情が深い。
大事な娘を信用できる相手以外に預けられないから、教師も友人から選んだんだよ。
普通なら研究に費やす時間を削られるなんて真っ平御免だし、子供の教師役だなんてクソ面白くも無いことは絶対願い下げだと思う奴でも、ウィリーのお願いなら別なのさ。
もちろん、ボーダル男爵が研究に出資してくれるというメリットもあったけれどね」
なんだか凄い話になってきた。ええと、ミラン兄上ばりにその道に熱中しているような方々が教師役?
なにそれ、怖い。僕だったら逃げ出したい。
そういえば、ミラン兄上の言動にびっくりしないようにと思って移動中の馬車で話したけど、耐性があるみたいなことを言っていたっけ。
「そういえば、マリアさんが言っていました。父の友人は皆癖が強いと」
「その友人は皆、教師役を務めていたわけか」
父上が面白いと言うような顔をして笑ったが、エドワード兄上は何故か顔を顰めた。
「キース、頑張れよ」
なんだか心配そうな顔で励まされたけど、よく分からなかった。
ミラン兄上はというと、そんな僕を見てニヤニヤしていた。
よく分からないなりに、背筋が寒くなった。
そうか、頑張らないといけないようなことになるんだな、多分……。
でもその前に、エペローナ・ラフのことを打ち明けるのを頑張らないと。
やっぱり帰りの馬車の中かな。
いや、逃げ場のない空間で話すのはどうだろう?
時間も限られてくるし。
……それにしても、可愛かったなあ。
あの艶やかな姿には本当に驚いた。
“おゝ、我が女神よ……!”とかお芝居で跪く俳優に、いやいやいや無いでしょう現実にはって何度も思ったけど、心情的にはとても理解できた。
僕にヘボ役者が降臨していたら、やっていたと思う。
でも、本当に女神の如き眩さで、言語能力が機能不全を起こしたよ。
必死で何とかそれらしい言葉で気持ちを伝えたけど、頑張って良かったと思う。
女神の如き美しさで、初々しい反応とか可愛らしさが余計に際立つというか!
本当にどうしてマリア嬢はあんなに可愛いんだろう。
可愛すぎて、キャロにまで嫉妬とかしちゃったし。
今更恥ずかしいなあ、もう。
でもユーグについては後悔はない。
マリア嬢は、女神にして天使である。
堕天させてなるものか!




