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「それで紹介してもらった案内人なんですが、その人は男だというのに随分と念入りに化粧をしていまして。

 何かと物言いたげに私を見つめてくるし、これはさっさと目的の蝶を見つけて逃げようと思ったんです」

「それは蝶など放っておいてすぐに逃げるべきだろう」


 ミランの話に真面目に心配するのは当主であるエドワードだ。


「男性でも女装させたら美女に化けそうな人はいるじゃないですか。そこら辺どうなんです? 案外美人だったとか?」

「いやあ、これが絶世の美人過ぎて目が潰れそうだったから直視はできなかったよ」


 その長男ユーグが揶揄うと、ミランは大げさな仕草で両目を覆って天を仰いだ。

 さざ波のように笑い声が辺りを満たす。

 確かに婿殿が言った通り、晩餐が始まるとミランの独壇場になった。

 仕事や社交の一環、あるいは旅行で海を渡るものはそこそこいる。そういうものとは全く関係なく行動するミランの活動範囲は、通常の貴族のそれとはかけ離れていた。

 自然と話す内容も思いもよらないものが多く、驚きと笑いに満ちていた。


「でもそれで話は終わらないんですよ。目的地の近くに案内人の彼が住む村があるから、野営するよりも村長の家を紹介するから泊めてもらえと言われまして。もちろん一も二もなく頷きました。

 獣道に近いような山道を往くこと約半日で辿り着いた山間の小さな村は、何の変哲も無い段々畑の広がる長閑な村……と思いきや。何が起こったと思います?」


 不意に声を潜めて神妙な顔で注意を集めておいて、ミランは徐に再び口を開く。


「なんと! 出迎えてくれた男性のことごとくが! 化粧しているんです! しかも濃い!」

「まあ……本当ですの? 冗談ではなく?」

「本当ですとも! その地域では男性が美しく化粧をして女性の気を引くのが常識なんだとか。わらわらと出迎えてくれた男性たちは私の“すっぴん”を見て大慌てで出てきたというのが真相で。男のくせに恥ずかしいと抵抗する間も無く化粧を塗りたくられました」


 レイチェルのおっとりした問いかけにミランは大仰に頷いて、最後はお手上げというように両手を軽く上げて目を回す仕草をし、まさかの落ちに皆がつられて笑った。


「ですがよくよく考えてみれば、メスよりオスの方が美々しいことなど昆虫の世界では珍しくないことです。滞在中は開き直って真剣に化粧に取り組みましたよ」

「あまり見たくはないな」

「いやいや、父上! これがなかなかに化粧というのは奥が深くて楽しめました。一度やってみれば分かります」

「遠慮する」

「ねえ!ミラン叔父様!」


 苦笑いする義父とのやりとりが終わるのを見計らってか、好奇心を隠せない様子で今度は少女が舞台に上がる。


「女の人はお化粧をしないの?」

「そうさ、一切しないんだよ。まるで男女逆転したような不思議なところだったよ」

「逆転? じゃあもしかして女の人がお髭を生やしたりするの?」

「さすがにそれはなかったなぁ」

「残念、小人族ドワーフじゃなかったのね」


 目を輝かせた少女の質問に皆が笑い、その答えに落胆する少女にまた皆が笑う。

 即興の喜劇のようでもある和やかな晩餐が進む中、マリアは食事とミランの話を楽しみながら一方で注意深く観察していた。

 ミランの独壇場ではあったが、全体の舵取りをしているのは当主夫妻だ。引退している義理の両親は一歩引いて見守っているのが分かる。

 跡取りのユーグはやや軽薄な印象を受けた。楽しいんでいるように見えて、時折冷静な目で場を俯瞰しているような、退屈し飽いているような表情を見せることもあった。

 義兄のエドワードもそれに気付いているようで、一度だけだが咎めるように僅かに顔を顰め、それに対してユーグが肩を竦める仕草をした。

 婿殿が警戒していたこともあるし、マリアもあまり不用意に近付かないようにしようと思った。


 そして婿殿であるが。

 マリアが観察しようとすると、どういうわけか必ず目が合って微笑まれてしまうので、全くはかどらなかった。


 それにしても、ヴェルナ家の人々は美形揃いであった。

 義母は勿論だが、男性陣は皆細身の貴公子然とした容姿をしている。

 義父は流石にかなり白髪になっていたが、彼の息子達と孫息子は悉く黄色味の強い派手な金髪をしていた。

 掘りも深く、鼻筋が通っていて鼻梁も高い。横顔の美しさが特に際立つ顔立ちだ。

 レイチェルやキャロラインは男性陣に比べると髪もブルネットで地味な印象を受けるが、柔和な顔立ちで女性らしい美しさがあった。

 婿殿はと言えば、全体的にはやはり血の繋がりを感じさせる姿をしていた。色彩や体型から言えば、なるほど家族だと全く違和感がない。

 しかし、そうした外見上の美しさよりも彼らの持つ雰囲気の方にマリアは心惹かれた。

 マリアは厳格で禁欲的な貴族らしさを叩き込まれたから、彼女の得た所作の美しさもそういうものに根ざしたものだ。

 彼らの品良く抑えられた遊びのある優美さはマリアとは別の意味で貴族的で、それもまた素敵なものだと素直に感嘆してしまう。

 ミランなどあれほど大仰な仕草をして多弁であるにもかかわらず、優美である印象は崩れないのだから驚くばかりだ。

 でも、とマリアはチラリと婿殿を窺う。

 また目が合って、気の抜けるとぼけた顔が照れたように微笑むものだから、また頬が熱くなった。

 自分の返す微笑みがぎこちない自覚があって、余計に恥ずかしくなる。

 婿殿の纏う雰囲気はこの場に違和感なく溶け込んでいるのに、華やかな色を匂わせる彼らとまた違うように思う。

 騎士だったせいか、仕草の一つ一つは丁寧でありながら意外と起点と終点が分かりやすい動きをしている。優美さで言えばもう少し流れを感じさせる方が洗練されて見えるのだが、マリアにとってはそれがとても心地良いものに感じた。

 何故なのかしらと考えてみるが、良く分からなかった。

 ただ、婿殿の持つ雰囲気を色にたとえるとしたら、透き通るような青い微風そよかぜではないかと思う。

 思わぬ行動に動揺させられることはあっても、圧迫感を覚えたことは今の所ない。

 マリアが今まで知り得た男性は身内の父や祖父を含め、程度の差はあれど良くも悪くも精神的重圧を掛けてくる人物ばかりだった。

 不思議な人だ、婿殿は。でも、とても危険だ。油断すると警戒心も用心深さも奪われてしまう。

 

 何度目かの楽しい話の落ちに、皆が笑う。マリアもまた笑みを浮かべながら、ふと婿殿は婿殿自身のことをどう思っているのだろうと考えた。

 たとえば、一般的な感覚からすると家族よりも劣っている容姿のことを。

 思い出してみれば、エペローナからもらった最初の手紙で一番驚いたのは容姿に関する言及部分だった。

 マリアは全く知らなかったわけだが、おそらく婿殿の方は女性を装ってはいてもマリアがそれを承知している前提で、結婚当日まで顔を合わせられない婚約者に宛てて書いたはずだ。


 ——見た目が間延びしていて気後れする。

  ——手紙でなら少し気が大きくなって言える。

——勇気がなくてアホロートルを図鑑で探したことはない。


 それをマリアに向けて書いた婿殿の心情を想像してみると、胸がキュウっと苦しくなった。

 心無いことを言う人間は何処にだっているだろう。今こうして平気そうに笑っていても、悲しい思いをしたことが一度もないだなんて、そんなことがあるわけない。マリアだって友達がいないというエペローナを、容姿を馬鹿にされて虐められているのではないかと疑った。本気で心配して憤ったくらいだ。

 何をおいても最初に容姿について告白したのは、いざ初めて顔を合わせた時にがっかりされたくないから。そんな気持ちも想像出来た。

 色々考えていたら、堪らなくなって今すぐにも婿殿の手をぎゅっと握りたい衝動に駆られた。

 

 でも、今はまだだめ。この場をちゃんと楽しんで、二人になってからよ。


 マリアはペチコートの内側ではなく、胸の奥にそっと気持ちを仕舞い込む。

 今ならエットル夫人の言うことが、頭ではなく心で分かる気がした。

 鎧を脱いでも伝えたいと思うことが、こんなに早くできるなんて。

 ましてや相手が婿殿だなんて。

 決まり切った予想外とは無縁の人生を歩むと思っていたのに、実際には数日前まで想像もしなかった変化が訪れている。

 抵抗や不安がないわけではない。

 でも、それ以上にその先を早く見たかった。そこにある何かを掴みたくて。


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