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 昼食後、庭の散策の前に一通り離れを案内した。元々両親が隠居して使っていた所なので、こぢんまりしている。僕が物心ついた頃には両親は隠居していたので、本邸で暮らした記憶は僕にはない。

 だから僕にとっては実家といえばこの離れか、あるいはアルマ子爵領の館になる。騎士学校に入るまでの幼少期を過ごした家だから、普通だったら僕の立場じゃ知らないような所も全部知っている。台所とか洗濯室とかそういう裏方の場所も。

 本邸は当主の仕事関係で外部の人も多く出入りするから、子供が自由に遊ぶには制限が多過ぎた。元からかなり予定ぎっちりの貴族の子供だ、少ない自由時間くらいその名の通り自由に遊びたい。

 というわけで、離れは僕だけじゃなくユーグやハーマンの遊び場でもあった。


「ユーグには昨日会ったと思いますが、ハーマンも僕の甥です。ラシェット伯爵家に婿養子に入ったので今はこちらに住んでいませんが、僕より二つ年下で兄弟同然に育ったんですよ」


 二階には主寝室の他に客間が三つと、テラスのある居間がある。


「小さい頃は遊びに来て、そのまま泊まってしまうこともありました。ここのテラスは僕達のお気に入りで、夜中に抜け出した時の集合場所だったんですよ」

「夜中に?」

「ええ、男の子っていうのは大概真夜中の冒険に憧れるものなんです」

「どんな冒険を?」

「色々です。遊戯室に忍び込んで戸棚にしまってある葉巻を取ってくるとか、台所に忍び込んで、野菜で芸術作品を作ったりだとか」

「まあ、随分と悪戯っ子でしたのね。叱られましたでしょう?」

「そりゃあもう! でも大概ユーグ発案で、臆病な僕やハーマンが強引につき合わされる展開でしたから、大人もそれを分かっていたのか叱られるのもユーグが一番でした」


 ユーグが主犯ていうのもあるけど、僕は当時体が弱かったから冒険の翌日はだいたい寝込んで、叱られるより心配されることが多かった。爺ややナタリーにはとてもお世話になりました。

 あれ? あんまり我が儘言った覚えないとかほざいたけど、実は結構我が儘だった?


 一階に降りると、まずは下働きの皆さんが忙しくしているだろうあたりをざっと案内する。

 マリア嬢を笑わせたくて、子供の頃の思い出をちょっとだけ大げさに脚色して話しながら。

 ちょっとだけだよ。

 例えば夜中の台所でネズミに驚いて逃げ出したハーマンが、台所から出てすぐの洗濯室のドアに激突して額に大きなたんこぶが出来たこととか。

 本当のことだけど、ドアの傷はその名残っていうのは盛りました。


「ほら、この凹みがそれです。その激突音がまるで雷が落ちたかと思うほどで」

「まあ、大丈夫でしたの?」

「ハーマンはなかなかの石頭なので、幸いたんこぶが出来ただけで済みました。でもみんなを起こしてしまって随分叱られてしまって。罰として一ヶ月毎日セロリサラダの刑でしたよ。三人ともセロリが大嫌いだったので、あれは辛かったなあ」


 弱り切った顔で当時を思い出してボヤくと、マリア嬢は罰としては優しい方ではないかしらと揶揄からかうようにクスリと笑った。

 可愛い。もっと揶揄われたい。


「貴女ならどんな罰にします?」

「セロリ尽くしにしますわね。セロリのサラダはもちろん、セロリのスープ、付け合せもセロリ、食後にセロリのジュレ」

「降参です。貴女を絶対怒らせないようにしなくては」

「ふふ、今も苦手でいらっしゃるの?」

「子供の頃より少しだけ得意になりましたよ。小鳥の一口程度ですが」


 マリア嬢が立ち入ることもないと思うので、台所や洗濯室はドアの前を通り過ぎるだけで済ませる。

 サンルームは先ほど昼食を摂ったから割愛して、ダイニングへ。

 中央には定番とも言えるマホガニーのどっしりした八人掛けのダイニングテーブル。そしてこれまた定番の銀の燭台が、神話の一部を織り上げたテーブルセンターの上に置かれている。

 ダイニングの一つの見所は、飾り棚に整然と並べられた絵皿だ。去年から増えていないと思うから、三十七枚のはず。


「絵皿の収集は母の趣味です。元から十枚ほどあったそうですが、いつの間にやらこんなに」

「壮観ですわね」

「統一感がなくて、ちょっと面白いでしょう?」


 人を招いての晩餐だと本邸の方のダイニングだから、こっちの方は母上にしては珍しくいい加減だ。まあ、諦めたというのが正しいかもしれない。


「これなんか奇抜な柄だと思いませんか?」


 僕は一際目を引く白地に橙、青、緑の鮮やかな色で魚を描いた皿を指差す。なんと形まで魚型だ。真円の白磁に神殿などを青で描き出した行儀の良い絵皿とはかけ離れている。


「変わっている柄のものは、ほとんどがミラン兄上からの贈り物です。母上の趣味を知ってから、兄上の感性に訴えかける絵皿があると海外から贈ってくるようになって。それでこの有り様なんですよ」

「ミラン様はそんなに良く海外に?」

「ほぼ行きっぱなしですね。僕が子供の頃から一度国を飛び出したら三年は帰りません。帰っても短い時は数ヶ月しかいなかったりで」

 

 話しながらふと足を止めたマリア嬢の様子に、その視線の先を探す。


「気に入ったのがありました?」

「気に入ったというか、気になります。生き物なのでしょうけれど、これは一体何かしら」

「ああ、それはトカゲです。確かカラコーマ砂漠の近くにしか生息しない珍しいトカゲだったかな。頭のトサカを扇のように広げて夜露を集めるんだそうです」


 赤褐色の地に黒で描かれたトカゲは、頭に朝顔の花を載せたような、ある意味童話的な姿をしている。デフォルメされた大きい目や、小さく細い手足が妙に愛嬌があって、母上も悪くないとおっしゃっていた。


「なんだかちょっと童話の挿絵のようでしょう? トサカというより花を頭に咲かせているようで」

「確かにおとぎ話に出てきそうですわね。王冠を載せているようにも見えますもの」

「トカゲの王様ですか、探したらありそうですね」


 寓話を題材にした絵皿か。今度探してみようかな。

 ちなみに虫関係の絵皿は蝶のものくらいしかない。基本的に母上は虫が苦手だからだ。

 おっと、また何かマリア嬢の気を引くものがあったようだ。視線の先は今度は飾り棚の縁の、切りつけたような斜めの傷跡だ。他にもよく見ると大小様々な傷がある。


「結構傷だらけでしょう?」

「歴史がありますのね」

「お心遣いありがとう。実を言うと、この傷こそが最高の装飾なんですよ」

 

 僕の言葉にマリア嬢は少し驚いたようで、何かを見極めるように熱心に飾り棚を観察し始めた。なんだかその様子の素直さが可愛らしくて、ついすぐに種明かししないでちょっとの間眺めてしまった。


「残念ながら何々様式とか、そういうものではないです。ヴェルナ家の先祖に海賊退治の英雄がいまして。そのご先祖様がもっとも愛したフィオナ号という軍船に使われていた木材を使っているんです。だからあちこちに残っている傷は歴戦の勇者の勲章のようなものなのですよ」


 他の家具と比べると少し趣が違うけど、質実剛健の落ち着いた雰囲気でまとめているから浮いてしまうほどではない。でも、洗練されているとはとても言えない無骨な作りだ。


「ご覧の通り優雅な趣はないので、ここ何代かは日の目を見ずに仕舞い込まれていたんです。それがあまりに絵皿が増えてしまったので、引っ張りだされたんですよ。この通り滅多に見かけないような大きさですから」


 長方形のダイニングの長い方の壁を一面占領するほど巨大なので、増え続ける絵皿を飾るには丁度良かった。今は隙間を埋めるために絵皿を置いていない段には他の飾りがおかれているけれど、あと五十枚くらいなら余裕で置けると思う。 

 あとはマントルピースの周囲に飾られた絵を軽く紹介した。ヴェルナ侯爵領の領地の風景を写し取った風景画だ。そのうちマリア嬢を伴って、見て回れたら良いな。絶景と言われるような場所はないけれど、それでもちょっとした宝物のような景色がたくさんある。


 ダイニングの次は遊戯室へ向かった。遊戯室は男性専用だから扉を開けて入り口から中を見せるだけで小話は無し。

 遊戯室とは逆に女性専用の居間であるドローイングルームもあるけれど、床の張り替えが終わっていなくて封印中。絨毯も修復に出していてまだ帰ってきていないなど、残念ながらお見せできる状態に無いと説明して最後の部屋に向かった。


「本邸の方に結構立派な図書室がありまして、書斎は完全に執務室とて独立しています。ですから書斎というのは大人の男性だけに許された特別な部屋という感じで、子供心に憧れました。勿論子供は絶対立ち入り禁止でしたし、盗み見るようにこっそり中を窺うくらいでした」

「夜中の冒険の目的地にはならなかったんですの?」

「当主である兄上の書斎に忍び込んだ勇者ユーグが言うことには、先達としてそれだけは止めておけと。あの懲りないユーグが珍しく青くなっていたので、大人になった時の楽しみにしておくことにしたんですよ」


 書斎の扉を開く時、未だに高揚感を覚える。

 空気が変わる、この一瞬がとても好きなんだ。まるで違う世界の扉を開いたようで。


「さあ、どうぞ」


 アルマ子爵を名乗る許しを得て初めて入室を許可された日、やはりここは特別な聖域なんだと思った。

 壁を埋め尽くす書物、その書物に溶け込むように所々に配置された化石、様々な模型、水晶の原石、額装された古地図、高所の本を取るための鉄製の可動式階段、黒々と光る大きな執務机、その上に並べられた製図用の様々な計算尺、そして中央に鎮座した一抱え以上はある大きな天球儀。

 だだの静寂とは違う重みのある静寂は、冷んやりとして書物独特の匂いによく似合う。

 時が目に見えるものだとしたら、きっとこんなふうに憧憬に満ちたものに違いない。

 

「僕の一番好きな部屋です。困ったことに好きすぎて執務には向きません。

 ここにいるだけで、様々な空想の冒険に誘われてしまうので」


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